追想

秋音なお

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あなたのことを思い出した。

命日、君を書いていた。

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 あれから家に帰ると自宅のポストに郵便物が刺さっていた。ポストには収まりきらず、A4サイズの茶封筒はその半分以上をポスト口から飛び出している。手に取ってみると存外それは重く、それなりに分厚い。持った質感からして、中身は紙の束だと思われる。だが、そのようなものが自宅に送られてくるような心当たりもない。最早開封することすら億劫になりながらも、茶封筒の表を見る。手書きの文字で住所と僕の名前が書かれていた。
 この、手書きというのが妙に引っかかる。今の時代、大抵の郵便物の宛先なんかは印字されているケースが多い。ということは、これは企業や団体からではなく、個人から送られてきたもの、なのか?
 無地な茶封筒は本当にどこにでも売っているような何の印字もないもの。せめて裏面には差出人の名前くらいあるだろうと思い裏側を見る。
 そして僕は、絶句する。

「……なんだよ、これ」

 差出人の名前は、岸根リョウと手書きで書かれていた。
 そんなはずがない。今更、この人から郵便物が届くはずなんてないのに。

 この人は、つい先日までワイドショーを賑わせていた男性小説家。
 人気絶頂の中、突如首を吊って自殺をしてしまった若き天才。
 僕と昔から縁があり、一番に心を許していた、大切な友人。

 彼は、一ヶ月ほど前に亡くなってしまっている。
 なのにどうして、今更彼から僕宛てに物が届くんだ。
 君はこんなふうに、僕に何かを送るなんてしたことなかったじゃないか。
 なのになんでこんな今更になって。

 僕は靴も脱ぎ捨て、急いで部屋へと入った。ハサミを使い、焦る手つきで封筒の頭を切り開ける。テーブルの上に傾けると中からは、ざざっと紙の束が流れ出てきた。右上をクリップで留めたものが、四つ。
「……原稿?」
 僕からすると懐かしくもあるような四百字詰め原稿用紙には手書きの文字がびっしりと埋まっている。まるで殴り書きのように荒れた書体。急いで書いたんだろうか。切羽詰まったかのように、文字が走っている。インクの掠れが勢いを余韻のように体現していた。
 僕のよく知る、彼の文字。
 僕は不安に近い焦燥感を抱えながら、一番上にあった原稿を手に取る。

 題名は『守っていたいよ。』

 手書きであり、尚且つ殴り書きということで所々読みづらい部分もあったが、でもその不自由こそが文面へと向き合う理由にもなった。さらりと読み進めてしまわぬようにと、足枷になってくれる。
 読み進めていくと徐々に気づいたが、彼は書いている小説の内容に応じて文字の雰囲気が変わるらしい。そこまでは彼のことを知らなかった。文字の端々が丸みを帯びていたり、跳ねが目立っていたり、行書体の具合がエスカレートしたり、あからさまに筆圧が強くなっているであろう場面もあった。

 だからこそ、わかってしまう。
 彼がこの小説に込めた思いを。

 僕の中でひとつの仮説が浮かんだ。これは、彼が死ぬ直前に書き下ろした作品たちなのではないか、と。それも、ただ書き下ろしたのではない。なにか意味を持って、そのためだけに書き下ろされた、突発的な作品。そしてその意味の中に、僕を含むのではないか。読み終わった原稿をひとつ置き、まだ手つかずの原稿に手を伸ばす。

 次は『雪国は。』を。
 その次に『創作』を。
 そして最後に『大根役者』か。

 ひとつひとつ、彼の書いた作品を読み進めていく。読み進める度に、僕の仮説は少しずつ色がついていき、最後のページまで読んだ頃にはそれが確信に変わっていた。息切れのような吐息に感情が混じっている。少しだけ、弱音のような湿度を含んで。
 どうせなら、彼お得意のやり方で裏切って欲しかった。どうして今日ばっかりは読者の想像できる範疇のオチのまま終わってしまうんだ。君はもっと、もっと、さぁ……。迎えたくない結末に言葉が出ない。言葉にしては、それはもう事実へと変わってしまうから。

 この四つの作品に書かれていたのは。 
 君の苦悩に罪悪感。
 そして、君が求めた理想の終わり方。

 君は全て、これらを抱えて生きていたんだな。
 僕は知らなかった。
 知ったかぶりをしていた。

 僕はてっきり、君は大切な人を失った孤独感や喪失感に耐えられなくて後を追ったんだと思っていた。だから、仕方ないよななんて言い訳を僕は僕につけてしまったんだろうか。そうやって無理矢理にでも受け入れたかったのかもしれない。でもそれはただの空想で都合のいい考えで、本質をなにもわかっていなかったんだな。
 僕は、君のことを知らなかったんだ。

 ……安心、してたんだよな。

 君があの子を失った頃。僕は医者になりたてで時間に追われていてとても余裕はなかったけれど、でも時間が見つかれば君の家に行っていた。大したことはしていない。コーヒーを二人で飲みながら話したり、ぼーっとしてそのまま寝落ちたり。君があの子と過ごしていたであろう当たり障りのない日常を再現するように過ごしていた。

 ……あぁ、そうだ。あの話のあのシーン。
『守っていたいよ。』の後半。
 君に湯船に浸かるよう、あの子の声が聞こえた、という描写のシーン。
 あれ、もしかして僕のこと、だったのか?

 君は一日中自室に籠って執筆をして疲れているだろうにご飯もろくに食べなければ、お風呂もシャワーで軽く済ませてしまおうとしていた。だからせめて「湯船に浸かってゆっくりするのもいいんじゃない?」って提案したこと。君はそんな僕の言葉に目を丸くしていて。
 ……あれはてっきり、今まで君のすることに口を出さず見守っていた僕が急に具体的な提案をしたから、それに驚いたんだと思っていた。でも、違ったんだ。君はあの時の僕の言葉と、あの子の言葉を重ねていたんだな。

 それだけじゃない。
『雪国は。』もそうか。

 冬になって君が「あの子の生まれ故郷に行きたい」なんて言い出すから二人で列車を乗り継いだんだっけ。二人で「寒い寒い」言いながらできるだけ歩いてあの子の生まれ故郷を巡った。一頻り歩き回った後、このまま帰るのもなんだからって寄ったあのカフェでも、君は窓側の席で目の前に座る僕にあの子の影を重ねていたんだろうか。小腹の空いた僕がパンケーキを食べる様子を君は親のように眺めていて、変な奴だなってその時は思っていたけれど、それもやっぱり。
 ……それにこの、途中に出てくる野鳥の描写。「懐いたように後ろをついてくる野鳥」というのはもしかして僕のことだったのではないか。方向音痴の僕には任せられないから、と君が前を歩いてくれて、僕はその背中を二歩後ろからついて歩いていた。あの日の情景が思い浮かぶ。

 そして、残りの『創作』と『大根役者』の中には僕のような描写が含まれていなかったが、それは当時僕らがほとんど連絡をとっていなかったからだろう。君は売れたし本当に多忙な日々を送っていた。執筆に映画化、インタビューにテレビ出演と君は恐ろしいくらいに名を馳せた。君の活動の邪魔になってはいけないから、と僕はそのほとぼりが冷めるまでこちらから連絡を入れないようにしていた。
 今となってこの小説を読めばわかるが、でもあの時の僕は君が幸せな日々を過ごしていると思っていた。幸せではなくても、少なからず満たされているに違いない、と。あの子を失って陰りを見せていた日々にやっと陽があたったんだと思っていた。
 君は別に小説家として有名になりたいわけでも金を稼ぎたいわけでもないと言っていた。そんなものには興味がないと続けて。でも、どうせ小説家になるのであれば、多くの人に読まれるような、心に残るような作品を書きたいと言っていた。

 それが叶ったんだ、だから君は報われたと思っていた。
 でも報われなかったからこんな小説を書いたんだろうな。

 気づけなかったことを悔やむ。
 僕は君のことを輪郭でしか見ることができていなかった。

『大根役者』の後半。
『僕はもうとっくに二人分淹れなくなっていた。』とある。
 あれって、本当にあの子のことなんだろうか。
『きっかけもなかったが、ある日を境に淹れなくなった。』
 続いてこうも書かれている。君は、本当は僕とまた、コーヒーでも飲みながら話したかったんじゃないだろうか。なのに僕は、幸せだと勘違いして連絡も取れなくて、そのせいで君は、もしかして君は。
 考えれば考えるだけわからなくなっていく。
 僕は、君のためになれていたんだろうか。

 目頭が熱い。これではせっかくの原稿を濡らしてしまう。君がわざわざこうやって、僕へと宛ててくれた小説なんだ。大切に残しておきたい。茶封筒へとしまおうとした時、茶封筒はまたカサカサと音を立てた。まだ中になにか入っているようだ。茶封筒を逆さにすると中から四つ折りにされた紙がひとつ落ちてくる。

『オサムへ』

 ひどく柔らかい文字だった。
 文字の様子からして、多分これらの後に書いたんだろう。
 黒いものが抜け去ったような清々しさが感じられた。
 宛名の下には『最後に読むこと』と丁寧な注意書きまで添えられている。そういう几帳面なところが君らしいなと思いながら、僕は折られていた紙を開いた。
 中にはたった一文だけ。

『この小説は、フィクションです。』

 それだけが書かれていた。
 それ以外はなにもない。
 
 裏面まで確認したが、本当にこれだけ。思わず吹き出してしまう。あれだけ大がかりな小説まで書いて送ってきておいて、終わり方は本当にあっさりとしている。あぁもう、そういうところが最後の最後まで君なんだよ。

 そうやってさ、つらい時すら笑うとこ。
 そういうのは創作の中だけにしてよ。
 もっと君の本音ばかりを聞きたかった。
 君の言葉は、君の口から聞きたかった。

「……みんな隠してばっかじゃん」

 失ったものばかり数えている。
 指折りおって反芻している。
 握ったはずの指からこぼれてしまうのはまるで縹。
 轍をなぞるように、僕だけが生きている。

 惰性のように、僕だけが、ただ。
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