追想 -Memories-

秋音なお

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プロポーズ

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「……ね、今日はここで書いてもいいかな」

 食事の後片付けまで済んだ昼下がり。
 一度自室に戻ったあなたが仕事道具を抱えてリビングまで戻ってきた。
 分厚い紙の束に万年筆、予備のインク。
 アナログで原稿を書くあなたらしいラインナップ。
 今時珍しいんだろうなぁ、なんて思いながらその提案に頷いた。
 昼食後の数時間はあなたがいつも執筆に没頭する時間。
 毎日のルーティンだった。

「でもいいの? 部屋の方が一人で集中できるんじゃない?」
「それはそうなんだけど、今日はここで書きたい気分で」
「そう、なの? ……私居たら邪魔にならない?」
「んーん、大丈夫だよ」
「そう。じゃあ、あなたが書いてるところ、眺めていようかな」
「別にいいよ? だけど相変わらず好きだね。見飽きないの?」
「飽きないよ。楽しいし」

 よくわかんないなぁ、と頭を掻きながらあなたは席につく。
 ダイニングテーブルに仕事道具が広げられる。
 紙の束の一番上は書きかけの原稿、だろうか。
 紙面の半分以上が文字で埋まっている。
 あなたの感情の乗った文字、どこか粗雑な走り書き。
 行書と草書を足して割ったような潰れ、歪むような手書きの文字。
 長く一緒に居る私でもたまに読めない文字の混ざる文章。

 せめて、もう少し綺麗に書いてくれたらいいのに。
 せっかく素敵な物語があなたの手で綴られているというのに。
 いくら、この手書きの原稿が下書きだったとしても。

 私はあなたの創る小説が好き。
 あなたのさりげない柔らかな表現、言葉遣いが好き。
 背伸びしないところとか、等身大のストーリーが好き。
 あなたを知ったきっかけも、あなたの書いた小説。

 幼少期から病弱で家に篭もり気味だった私はほとんど友達がいなかった。
 私はずっと本を読んで過ごしていた。
 絵本、児童書、漫画、それから小説。
 歳を重ねるにつれて読むものは変わっていく。
 やはり、その中でも一番好きなのは小説だった。
 言葉の折り合いで生まれる世界に浸るのが好きだった。
 小説は、その世界を文字のみで表現する創作物。
 ゆえに世界の細部は読者の脳裏による補完にて完成する。
 主人公の声も、ヒロインの顔も、あの春の静けさも。
 私の頭が解釈して世界を創ることで作品が完成する。
 その想像と解釈という読者に与えられた自由が心地よかった。

 そして、それをしていて一番幸せだったのがあなたの小説。
 出会ってすぐ、私はあなたの小説に一目惚れをした。
 なんとかしてこの大きな感情を伝えなくてはとさえ思った。
 そこで、ネットを介してあなたへ感想を送ったのが始まり。
 まさかあの日からここまで関係が続くなんて思いもしなかった。
 こうして、あなたと一緒に暮らすようになるなんて。

「コーヒー、どうする?」
「ありがとう。お願いしてもいい?」
「わかった。ブラックでいい?」
「んー。じゃあ、今日はミルク入れてくれる?」
「ミルク? 珍しい」
 いつもは頑ななくらいにブラック一択なのに。
「さくら、いつもブラックじゃなくてミルクで割っているでしょ。なんとなく、今日は僕も真似しようかなーって思ってさ」
「ふーん? 別にいいけど、なんか変なのー」
「え、変かな」
「いいや、変じゃないけど、なーんか珍しいなぁって。なんだか、いつものあなたじゃないみたい」

 なんだよそれ、と笑うあなたを尻目に私はキッチンへ向かった。
 電気ケトルに水を入れてスイッチを入れる。
 二人分のマグカップにインスタントコーヒーを適量。
 しばらくして沸いた湯をマグカップの半分あたりまで注ぐ。
 あとはそれなりのミルクで割ったら完成。

「お砂糖はどうする? 入れとく?」
「さくらはー?」
「私? んー、私入れるけど」
「じゃあ僕のにも入れてもらおうかな。さくらのと同じ量入れてくれる?」
「結構甘くなっちゃうかもしれないけどいいの?」
「いいよいいよ、たまにはそういうのもいいかなって」
「ほんと珍しい。どうしたの? 今日はらしくないね」
「そんなつもりないんだけどなぁ」

 ふーん? なんて曖昧な返事が私の口から漏れる。
 あなたはルーティンを守るタイプの人なのに。
 今日は色々と崩しちゃうんだなぁって、違和感。

 執筆は取材や緊急時を除いて必ず自室の書斎。
 飲み物は夏でもホットのブラックコーヒー。
 集中したい時は絶対に一人になりたい人。

 ……なにかあったのかな。

 あなたのルーティンが乱れる時はたまにある。
 よくあるのは、原稿が難航している時。
 あとはそれに付随してメンタルが不安定な時。
 或いは、上記以外でなにかショックなことがあった時。
 あなたは隠すのが下手だから、すぐにわかってしまう。

 ……でも、今日はなんかそれも違うんだよね。

 あなたのルーティンが乱れることは珍しくない。
 小説家の筆が乗らないことなんて少ないないとわかっている。
 今までも何度だってそばで見てきた。
 その苦しみだって私なりに理解しているつもり。
 でもそういう時、あなたは決まって外に出ていた。
 ちょっとそこまで、って言うのが行き詰まったあなたの口癖。
 コーヒー好きなあなたらしく、そういう時は喫茶店に居た。

 だけど、今日は家にいる。
 部屋じゃなくてリビングで執筆をしている。
 その執筆のお供もブラックじゃなくてカフェオレ。
 しかも普段なら絶対使わないようなお砂糖入り。

 変を越えて、最早、……心配。

「……はい、コーヒー」
「ありがとう」
「本当に良かったの? 私と同じやつで」
「君と同じのがよかったからそう頼んだのに。……もしかして、やっぱり変?」
「変、っていうか、……違和感? ここで原稿するのもそうだし」
「あー。たしかにそうだね」

 歯切れの悪い声をしたあなたはどこか他人行儀な反応。
 違和感を覚えながら私はあなたと向かい合うように椅子へ座る。
 手元には、作って間もない私のカフェオレ。
 あなたの万年筆を握った右手が、不自然に止まっている。

「……あのさ、少し話してもいいかな」
「……原稿はいいの?」
「うん。別に、急ぎのやつでもないし」
「それならいいけど」

 じゃあ、どうしてリビングで原稿を広げているんだろう。
 急ぎじゃない時は原稿を書かない日だっていつもはあるのに。

 あなたはついに万年筆をテーブルに置くと、吐息をひとつ。
 顔を上げたあなたとぽつり、目が合う。
 かと思えば、ぷいっと明らさまに逸らされてしまう。

「……笑わない?」
「……笑わないよ? ねぇ、どうしたの。今日のあなた、本当にいつものあなたらしくないけど」

 あなたってこんな弱気だったっけ。
 それとも、そんなに大きななにかがあったんだろうか。
 よく見ると、テーブルの陰であなたは拳を握っている。
 ……そんなに、言いづらいこと、なんだろうか。

 あのさ、ともう一度言葉を漏らすあなた。
 もう一度、私とあなたの視線が重なる。

「……僕と、結婚してほしくて」

 少しだけ早口で、不自然に上擦った声。
 あなたの頬が、赤い。
 私が息を飲むと、あなたは焦るように言葉を続けた。

「も、もちろん。今すぐじゃなくて、いや、別になんと言うか、僕はまだしがない小説家だし、一人前にもなれていないのに、結婚とか、お、烏滸がましいかな、というか。……せめて、売れるなり代表作がちゃんと出せてから、こういうのはちゃんと、することなのかな、って。でも君を待たせるのもあれだし、さ。……その、だから、ぼ、僕がちゃんと、胸を張って自分のことを、小説家だって言えるようになったら、僕と結婚してくれない、……かな」

 言い切るとあなたはまた視線を逸らしてしまった。
 俯くように手元を見つめ、カフェオレを一口飲んだ。

「……もしかして、それを言いたくてそわそわしてたの?」
「……まぁ、うん…そう、だね」
「もしかして、だから今日はここで原稿書いてたの?」
「……言う機会、見つからなかったから、まぁ」
「コーヒーをブラックにしなかったのも?」
「……君と同じものを飲んだら、少しは落ち着くかなって」
「……私のこと、どんだけ好きなの、もう」
「……好きだったから大変だったんだよ」

 あなたって小説と違って本当に口下手。
 そんなに慌てちゃって、どうしちゃったの。
 だけどやっぱり好きだな、私は。
 あなたのそういう、ちょっと不器用なところも全部。

「……あんまり待たせないでよ?」
「も、もちろん! 頑張るから、だから…」
「……嘘。いくらでも待つよ、私は」
「え」

「……私は、最初にあなたにメッセージを送った時から変わらないけれど、あなたの小説がこの世で一番好き。そして、そんな好きな小説を生み出してくれる、あなたのことなんて尚更。私は、あなたのことを好きで愛している。……もちろん、あなたが小説を書けなくなってしまったとしても、私はあなたのことを嫌いにならないくらいには、ね」

 あなたに会いに行くため、高校卒業と共に家を出たこと。
 私は一度も後悔したことない。
 人生において、大きな決断だったと思う。
 もっと別の人生や、幸せの形があったかもしれない。
 でも、そのどれもが今に敵わないと思っている。
 この幸せを超える幸せなんて、あるはずがない。

 そう思わせてくれたのは、あなただけだよ。

「……だから、待ってるね」
「できるだけ早く叶えられるように頑張るよ」
「……まぁ、私はあなたの作品の良さを知っているのが私だけでもいいんだけどね。私だけの特権みたいで、いいなぁって」
「だめだよ。ちゃんと一人前にならないと、君にも迷惑かけるから」
「……そういうところ」
「え?」
「あなたのそういうところ、真面目なところが好き」

 照れくさくなって私はマグカップを呷る。
 あなたの頬から赤が抜けたと思ったのに、また赤が戻っていく。
 つられて私まで赤くなるのはご愛嬌。
 あなたまで誤魔化すようにマグカップを傾けた。

 やっぱり甘いね、ってあなたが笑う。
 そりゃそうだよ、なんて答える私も笑っている。

 今日のコーヒーが甘いのは、そんな幸せの味ってことにして。
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