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第二章 蕾ト穢レ
第19話 雪々と戀々
しおりを挟む松岡某の視線は、茫洋と宙に浮いていた。過去に想いを馳せているのだろう。
「師匠が繕った後、全てが白銀でできていた彼は、その睛だけ色を変えていた。貴女を探すため、あなたを自身の器に入れるため、人の手を借りた。だから、白銀の睛を失った」
「あの金睛は……そういう」
「貴女は、前夫の背信と不誠実で怒りという穢れを纏い、そこから抜けられなくなってしまっていた。これをそのまま丸ごと自らの屋敷に押し込めて隠したのは伯王の仕業だ。ヤツは、それほど貴女を二度と手放したくなかった。結果、二十年の停滞が発生し、あなたは穢れを殻の如く纏ったまま、そうとも気付けぬうちに長き時を経てしまった。――これを解いたのが、斑の竜胆だ」
「斑の……」
「斑のにはお会いになったろう?」
「はい、一度お目にかかりました」
「あれは、斑と言う、人に非ざる者だ。斑は人の魂を抜き取る事ができる」
「魂を、ですか」
「肉から魂を引き抜き、自在に他の肉へ移す事ができる。だからあれはその能を用いて貴女の纏っていた恨みや怒りと言う穢れから貴女の御魂を引き抜いた――そして、」
――その穢れの殻から引き抜いた貴女の御魂を伯王に渡したのです。
突如、視界を雪が覆った。
降りしきる。
いくつものいくつもの白い小さな儚いもの。
ああ、違う。
これは私だ。
雪々と降りしきるのは、小手毬の花弁。私自身の花びらだ。
ああ、どうして忘れていられたのだろう。
あんなにも、
あんなにも私を大らかに包み込む伯王という器に戀々としていた日々を。その白く冷たい身に浮かべられる事を愛していたのに。
どうして忘れていられたのか。
はらはらと零れ落ちる涙。
視界を埋め尽くす、雪のような花弁の舞の中、そっとやさしく冷たい何かが、私の頬に触れ涙を拭った。
瞬く。
ほろりと、盛り上がっていた涙の滴が両睛から零れ落ちる。
その先にいたのは、伯王だった。
――ああ、なんて切なそうに笑うのか、この男は。
「長らく申し訳ありませんでした、姫」
頭を垂れる男の、短く白い頭髪を見る。かつてこの男の髪は腰を越えるほどに長かったはずだ。
「髪は、身の繕いの対価に明け渡したか、伯王」
「はい」
私は、そっと右腕を持ち上げ、袖を見た。伯王が私のために用意した振袖。それは、彼が守って来た私の本質、霊性そのものだったのだ。黄色い地の上で、流水が美しく流れていた。本物の、小川の流れ。かつて私が、懐かしいあの家の庭にあった時、すぐ近くに小川のせせらぎがあった。
懐かしい、美しいものたちが、あの庭にはたくさんあった。愛すべきものたちが多く集い、その時代毎に、家の女主人達は心を込めて我々を愛し、護ってくれた。
私は、そっと右の袖を引きちぎり、もいだ。そこには、私の小手毬の一枝があった。現世の木は喪われても、こうして私の御魂は存在している。既に人の世とは隔たれた、幽世の存在なのだ。
恨み――つまり、人の世で「女」としての役割を果たせと強制され押し付けられた分、その努めた時間を認められ報いられたかった。しかしそれは仇で返され終わった。悔しい、許せない、不当に奪ったものを返せと。そんな未練を引き摺る意味など、毛ほどもなかったのに。
と、松岡某が音もなく立ち上がった。見ればその手には白磁の方の伯王が携えられている。
「姫」と促され、人型の伯王と頷きあい、松岡某に近寄る。
松岡某は、壁に掛けてあった、籐の花籠にそっと伯王を乗せた。そうすると、それはあつらえた様な、完全な美しさだった。
「この花篭は?」
「師匠が用意しました。こんな日がいつかくるだろうと。さ、姫」
言いながら伸べられた手に意図を察し、私は微笑んだ。
ああ、なんと幸福な日なのだろうか。
私はくると踵を返す。畔柳氏の隣を駆け抜けざま襖を完全に開け放った。そのままその先の障子をも、すらりと完全に開け放つ。
満月が、美しく、庭を照らしている。
改めて見れば、小さなささやかな庭だが、清浄な気に満ち満ちている。
開け放った障子と襖は、満月の光を遮る事なく花篭にまで至らせた。月光を浴びた伯王は美しかった。だから私は、あまりにうれしくて、しあわせで、微笑みながら花籠に近付き、私の一枝を伯王に乗せた。
ちらほらと、花弁が舞い落ちる。
そっと、肩が抱かれる。隣に立った伯王が、ふうわりとした微笑みを浮かべている。
だから、私も静かに微笑むことができた。
伯王が手を差し伸べたので、手をあずける。
伯王の手は冷たかったが、いつもいつも、その手は私を受けとめ、守り、そしてもっとも美しく映えるようにしてくれた。
「長らく待たせて済まなかったな。――行こうか、伯王」
「はい。姫様」
ようやっと、自分たちの関係が、関わりが、運命が、その存在が、合致した。再会を果たせたのである。
その手に寄り添い、肩を引き寄せられ、そうっと目を閉じた。
もう、この精が宿るべき根もなく、新しい蕾をつけることもないけれど、もう、これで十分だった。
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