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第4章 …ありがとう

第29話 喝

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 現実なんて存在しなければいい。

 何度も頭で思った。

 目の前で起きている事こそが本物で、それ以外は偽物や虚像、いや、理想に過ぎない。

 目を閉じればそれは見え、目を開ければその光景に心が沈み、目を閉じれば理想を追い求め、また目を開けては病んでいく。

 いずれは目を開けるのが怖くなり、塞ぎ込む。

 その繰り返しは長く苦しく、このまま目を覚さなければ良いのではないかとさえ思う。

 いつかは自分も…そんな事を思ったが最後。

 それを目の前に、自分はどんな気持ちで目を覚ませば良いのだろうか。どんな事をすれば追いつけるのだろうか。どんな、どんな…。そんな事ばかり思うようになってしまう。

 何か行動を起こさなければならない筈なのに、ピクリとも動かない。


 何度も掴もうとしては掴み切れず、その繰り返しが100を超えた所で数えるのを止め、それが何十日か続いて俺の何かが壊れた。

 その時、俺は分かった。



 異常者。


 それは他とは相容れない天才に対する蔑称だったのだと。



「………最悪」

 早朝、部屋のベッドの上。
 俺は手の甲を目に押し当て、大きくため息を吐いた。パジャマには寝汗が染み込み、気持ち悪く体に纏わりついてくる。

 これも随分久々な感覚だ。葵と仲良くなって精神的に緩んでたって事か?

「はぁ」

 多分そう言う事なのだろう。

 気を引き締め、自覚しろ。

 俺は平凡だ。気を緩ませる事なんて許されない。

「…よし」

 俺は自分に喝を入れ、1日の始まりを迎えるのだった。


 *

 昼休みの教室。私は環と一緒にご飯を食べていた。

「ねぇねぇ、どうだった?」
「どうだったって…普通だったと思うけど?」
「…はぁ、最近仲良くなったと思ったらこれだ」

 ご飯を食べている途中、環が大きく溜息をこぼす。

 そう。私達は義兄である、神原世理さんについて話し合っていた。それも昨日、文化祭の準備を手伝ってもらった後の帰り道で話し合ってから、あの人の雰囲気が変わり、不機嫌そうになってしまった。

 今日の朝も普通に無言で食べて、すぐに家から出た。別におかしな事はない筈だ。

「と言うか、私はあの人と仲良くなったと思ってな
「前の時よりも葵の顔が柔らかくなってたから葵はそれなりに心を許してた。そしてそれが今朝からはずっと眉間に皺を寄せてる。何でだろうね?」
「…」

 環がそこまで言うなら…そうなのかもしれない。言われてみれば昨日は寝付きが悪かったし、今朝はご飯が喉を通らなかった。

「…環」
「うん? どうしたの?」
「ち、ちょっと相談させて…あの人の事ではないけど…」

 私がそう言うと、環はまた大きく溜息を吐いた。

「これだから暴虐姫は…」
「何か言った?」
「何も?」

 舌を出してふざけてるかの様な反応を見せる環から私は、徐ろにお弁当の卵焼きを奪うのだった。


 *

「何かさ…最近"暴虐姫"可愛くね?」
「いや、分かる。最近笑う事が多いっていうか…感情が顔に出てるよな」
「…まぁ、あの人は最初から可愛いけどな」
「お前はな」

 クラスの男子はお弁当を奪い合っている2人の女子を見ながら、そんな会話をするのだった。
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