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下天の幻器(うつわ)編
第六十話「問ひたまふこそこひしけれ」
しおりを挟む第六十話「問ひたまふこそこひしけれ」
「それで……那伽領制圧に成功されても根来寺 顕成の捕縛には至らなかったのですね」
臨海本城の在る岐羽嶌領、烏峰城に戻った俺は、鈴原 真琴の言葉に頷いた。
「そうだ。斑眼寺はもぬけの殻で捕らえた兵士の話だと肝心の根来寺 顕成は戦が始まった直後にサッサととんずらをしたらしい」
領主としてもそうだが仏法僧の元締めとしてもどうなんだ?という、顕成の行動に俺も真琴も呆れていた。
「まぁなぁ、一応は当初の目的である那伽領は手に入れたし、他の五国も相次いで恭順の意を示してきたわけだが、やはり世間の目がな……」
最初から織り込み済みだったとはいえ、誰も手出ししなかった仏門衆総本山を確たる理由も無く攻めたと見られている我が臨海に対する不満は、各国間で時をおいて少しずつ高まってきているようだった。
「では……愈々”例の件”を行動に移されるのですね?」
そんな俺の渋った表情を見て、真琴が”それ”を確認して来る。
――例の件……
それは俺が予てから考えていた、我が臨海が本当の意味で”暁”制覇に乗り出すための布石だ。
戦国の盟主を名乗る大国には必要不可欠な”大義”を得るための避けては通れない道……
「正直、気が進まないけどな、”それ”も含めて今日の出陣式で発表する」
またも渋々ながら頷いた俺はゆっくりと立ち上がりかける。
「はい、それが宜しいかと……」
そんな俺に返事を返しながらも、傍らに控えていた真琴が直ぐに俺の右脇に寄り添い、身体を密着させて俺が立ち上がる補助をする。
「……」
「……」
そのまま――
いつもなら完全に立ち上がった後は松葉杖だけで問題がないので、真琴は俺から離れるのだが……
「……?」
「……」
今日に限って彼女は寄り添ったままで……
――ええと?
俺の胸に小さい手のひらを添えたまま。
二人のその絵面は、まるで聖夜に寄り添う恋人の様である。
「……あ……と、真琴?もう大丈夫なんだが」
そしてその彼女の動作をにわかには理解出来ない俺は、多少戸惑いながらそう伝える。
「………………………………”だいじょうぶ”じゃ……ないです」
真琴の大きめの美しい瞳が至近から俺を見上げ訴える。
――うっ!?
「全然……ぜんっぜん!大丈夫じゃないですっ!!」
そして彼女の双瞳からは遂に”ぽろぽろ”と大粒の涙が零れ出した。
「以前は御御足を……右足を無くされて、今度はお命を……そんな時に私は役立たずで……」
「…………」
確かにその二度の時、真琴は俺の近くにいなかった。
――しかし
「いや、それは俺の命令だったからで……」
「私がっ!私が力不足だから!!久井瀬 雪白ほど武力が無いから……ですが私だって最嘉さまの!最嘉さまの御傍に……」
――う……た、確かにその二度の時、俺の近くに居たのは鈴原 真琴ではなく久井瀬 雪白だった
「あ、あのなぁ、真琴……」
焦りながらも俺がフォローを入れようと真琴の肩に触れかけた時だった。
「す、すみません!!私如きがこんな……大事の前にこんな醜態を……お忘れ下さい」
その時はもう……真琴は涙を拭い、そっと俺から離れていた。
「…………」
正直、振り返っても俺の人事は間違っていなかったと思う。
軍事に留まらず、人事とは須く”量才録用”が重要であるからだ。
だが――
真琴の気持ちを察してなかった所はあるのかもしれない。
最古参の真琴なら気心も知れていて、なにも言わなくても大丈夫だと……
――確かにそれは俺の慢心だったろう
「真琴、すまなかった。俺は……」
「いいえ、大丈夫です!私は最嘉さまさえご無事なら」
そして謝罪しようとする俺より先に、気遣いを見せる真琴はペコリと頭を下げる。
「本日は我が臨海にとって新たな門出となる大切な日、既に諸将も揃っております。私は滞りなく式を行えるよう準備を調えるため先に会場へと向かいますので……最嘉さまも遅れずにお越し下さい」
もう大丈夫だと――
鈴原 真琴はいつも通りの顔で、もう一度お辞儀すると退出していった。
なんというか……
真琴は俺にとって本当に出来た”部下”だ。
「…………」
去りゆく彼女の後ろ姿を見送りながら、俺は今更ながら染み染みとそう思ったのだった。
――
―
カッ!
カッ!
――真琴も言っていたが……
本日は我が臨海がいよいよ”暁”の覇権をかけて乗り出すことを世に公言する新たな門出と言える日である。
カッ!
カッ!
――嘗て九郎江の城にて
天都原からの独立を宣言した出陣式から一年と数ヶ月……
期間にしてみればそんなものだが、
臨海……いや、”暁”全体を取り巻く状況もあの頃とは大きく変貌した。
カッ!
カッ!
――そして”暁”の覇権は……
西方は句拿王の柘縞 斉旭良と天都原の藤桐 光友に、
東方は新政・天都原の京極 陽子と我が臨海との決戦に委ねられたと言えるだろう。
「……」
――そうだ。鈴原 最嘉は、我が臨海は、とうとう此処まで辿り着いたのだ!
カッ!
カッ!
諸将が待つ大広間へと続く廊下を、金属製の松葉杖から発せられる足音を響かせながら向かう途中で俺は……
「……」
その視線の先にある人物を見つける。
「……」
待ち惚け気味に、通路の壁にもたれ掛かって待つ様子の美少女だ。
「…………雪白、大広間に集合と聞いてなかったか?」
一瞬、通路の先に俺の姿を見つけただろう雪白の白金の双瞳がぱっと輝き、そして――
「…………っ!」
すぐに曇る。
「雪白?」
極短い周期で真逆に変貌する美少女の表情を不可思議に感じながら俺は続けて問う。
「……べつに……”さいか”なんて……待ってない」
透き通るように白く輝く肌の頬をぷくっと膨らませて、明らかにふて腐れ気味のお嬢様。
――どういう反応だよっ!?
「いや、今日、玉座直通道は俺しか通らないだろう」
そうだ。
――今日のこの”特別な日”……
烏峰城に集った将軍以上の者は俺の命により大広間に召集されていた。
当然の事ながらそれは、これから暁統一の大一番に我が臨海が取りかかるための宣言、方針表明を行うためである。
「…………」
しかしそれでも、明らかな嘘と共にご機嫌斜めな黙りを貫く困った白金のお嬢様に”やれやれ”と俺は促した。
「まぁいい、取りあえず一緒に行くか?」
「………………うん」
そして彼女もまた、膨れた頬を戻して頷いた。
――
カッカッ……
――
カッ……
――
しばらく会話も無く並んで歩く俺と雪白だったが……
「…………ここまで……来たね」
「ん?……ああ、そうだな」
なんだか要領を得ない言葉がかけられる。
「……」
「……」
――
カッカッ……
――
こんなところで俺を待っていた事といい、なにか言いたいことがあるのか……
カッカッ……
――
それとも、間を潰すために取りあえず話しかけただけなのか……
カッ……
――いや、それにしても……
この雪白には珍しく、なにか俺の様子を伺って言いたい言葉を飲み込んでいるようだ。
「……」
「……」
――どちらにしても
カッカッ……
――居心地が良いとは言い難い
「し、しかしアレだよな?お前ももう、あの”怪人”の呪縛から解放された事だし、これ以降は幾万 目貫とも邪眼魔獣とも、無理に関わらなくても大丈夫だぞ」
その言葉は――
なんとなく間を持て余した俺から特に意識せずに放たれたものだったが……
「……………………どうして?」
並んで歩いていた雪白の双瞳が明らかな不満に光り、俺を見上げてくる。
「いや、ま、まぁなぁ……どう割り引いてみても”幾万 目貫”は異常者だし、雪白もやっと解放されたんだから!これ以上は下手に関わって藪蛇になっても……なぁ?」
なんとなく口に出してしまったが、この事自体は前々から考えていた事ではある……
だがそれを伝えた俺に対し彼女が向ける不満の強さが解る瞳に、俺は少々タジタジになっていた。
「…………関わるなって?」
「いや、だからな……」
”暁”統一に乗り出すこの時期、勿論だが”久井瀬 雪白”の武力は必要不可欠だ!
引き続き我が臨海の一員として頑張って貰うつもりである。
だが――
こと”邪眼魔獣”との一件になると状況は変わってくるだろう。
”魔眼”を奪われた魔眼姫達は寧ろ……
そう、もう奴には近づけない方が無難ではないだろうか?
なにより……
万が一にも、もう一度でも雪白達がこの前の七峰での状態に陥ってしまう様なことがあれば……
――俺は”今度こそ”助けられるか自信が無い!
あれ以降、そういうふうに考え始めていた俺は、その考えをつい口にしてしまったのだ。
「私はやめない……それとも……”わたし”は必要ない……の?」
――うっ!
今度は一転、切なそうな双瞳で俺を見上げる雪白!
本日は少々安定を欠く雪白の反応に、俺はすっかり戸惑っていた。
「よ、良いのか?奴の恐ろしさはお前が一番知っているだろう?ある意味で神仏よりも理不尽で巫山戯た化物を敵に回すような……」
スッ――
そして、その言葉が終わる前に!
「お、おい??雪し……」
美しい白金の銀河を宿した双瞳のまま、
「……」
透き通る陶器の肌に桜色の愛らしい唇を閉ざしたままで……
”白金の魔眼姫”はそっと腰の刀に手を添えると、静かなる泉の底に眠る氷の刃の如き”鬼気迫る殺気”を……
――おい!まさ……っ!?
解き放つ!!
「っ!?」
――
次の瞬間!
黙した少女の白金の髪が一条だけ僅かに揺らいだ。
――か、髪が?
否!これは身体の方が動いたはずの残滓……
――
美しく輝く白金糸、その髪の一条が揺らいだのでは無い。
動いたのは”身体”の方だ!!
白金の髪はその動きに一瞬だけその場に”取り残された”だけに過ぎない!!
「くっ!?」
――動作というにはあまりにも静的
――”制止”としか思えない動作
刹那にして。
三つ編みに束ねた光糸の髪が煌めきを纏いながら美しく”ブレ”たかと思うと、疾風と化した白魚の指先が……
精巧な飾り細工の施された雪白の白鷺。
艶っぽく輝く白漆の鞘から放たれた純白の佳人が……
ヒュォン!
その白刃が鈴原 最嘉の喉元へと狙いを定めて鞘走るっ!!
「っ!!」
――こ、これは……”絶剣”!!
――躱せない!この間合いではっ!!
――いや?違う??これは……
「ゆ、ゆきし……ろ?」
――”ピタリ”と、
元々そこに置いてあったかの如くに首の皮一枚で制止した白い剣先。
宛がわれた首どころか爪先まで硬直し、生唾を呑み込む事さえままならない刹那の剣を前に俺の体温は一気に下がり、まんま蝋人形と化していた。
「……さいか、関係無いの。敵が何者だって……私の味方が”さいか”なら、他は関係ない」
そして雪白は切なさが極まった双瞳でそう告げる。
「…………」
”刹那”さえが怠惰に感じられる事象――
其所に構えは無く、其所に所作も無く、故に研鑽されし型も存在し得無い。
膂力と無縁成れば業も無く、森羅に万有する一切から独立せし唯一の剣。
其所は真に虚空。
其れは真如の極致。
即ち其れは”虚空の領域”
不意を突かれたからといえ、この”鈴原 最嘉”が為す術無く立ち尽くす……
神速を超越し剣技という概念を逸脱した虚空の絶剣!
これこそが――
蕩けるような輝くプラチナブロンドと幾万の星の大河を内包したプラチナの双瞳を所持せし希有な美貌の騎士姫が剣。
曾て南阿の”純白の連なる刃”と畏怖されし剣士にして、現在は臨海の”終の天使”……
――久井瀬 雪白の刃だった
「う……」
刃を首に宛がわれたまま、未だ硬直まり続ける俺に対し――
「それとね、正解だよ……さいか、やっぱり凄いね」
白金の乙女はそう付け足して、他人に刃を向けているとは思えない冷静な表情のままにスッと刀を下げる。
……………………ふぅ
蘇った体温と共に俺は思い返す。
そうだ、俺の取った行動の半ばは正解……
――恐怖に負け
下手に躱そうと動いていれば俺の頭は既に首の上に乗っていなかっただろう。
俺が咄嗟に取った”無為”という選択は、正に僥倖の産物となったのだ。
「……」
雪白を気遣う体を装った俺への……
雪白の好意を知らぬ振りで通そうとした、自身の都合ばかりの無責任な言葉に対する彼女なりの”ちょっとした”抗議。
確かに今し方の俺の言動は乙女に向けるものとして、刺されても仕方が無い無神経さだったろう。
――しかし、それにしても……
彼女が放った剣はそんな優柔不断な男を諭すにしても恐ろしすぎる代価を伴う剣だった。
「お、おまえなぁ……」
「……」
怒らせると意外と怖いお嬢様は、抗議の目を向ける俺から素知らぬ素振りでスッと離れた。
チャ……キン!
そして流れるような所作で剣を鞘に仕舞う。
直後――
「っ!?」
引いた切っ先の代わりに背伸びをし、顔を俺の至近に寄せる!
――うぉっ!?
命の危機にハラハラドキドキ!その後少々やり過ぎな相手にモヤモヤだった俺の心中は一転、目前の純白き姫が美貌に視線と思考を奪われそうになる。
「ゆ、雪白?」
白い……透き通るように白い肌に桜色の愛らしい唇が”ふっ”と綻ぶ。
「あとね……なんか他の……女の匂いがしたから」
「っっ!?」
――ま、真琴?
――ちょっと前に真琴が俺に密着した……あれか?……う、うそだろ!?
微笑む騎士姫に、俺はそんなわけがない!と頭を振って、そして――
「は……はははははっ……は、は」
いっそ笑って誤魔化……
「真琴だね。さいかは”いっぱい”女のひと侍らせてるから」
――うぅ
せない。
「行こう、遅れるよ?」
なんとも美しい笑みを残し、白金の輝く髪をふわりと翻して歩みを再開する美少女。
「…………」
そんな背を呆然と眺めながら、その場に佇んだままの俺は……
――殺されかけた本当の理由?
「…………」
「さいか?遅刻するよ?」
何事も無く振り返ってせかす白金のお嬢様に……
「ど、どっち!?」
俺はなんとも隔靴掻痒の面持ちでその場に残されたのだった。
第六十話「問ひたまふこそこひしけれ」END
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