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エピソード.1 funny

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「想像出来ないかもしれないですけど、私がまだ学生だった頃、よくお話を聞きにいっていた司書の先生が居たんです。その司書の先生は若い先生でした。と言っても、当時の私ととうは離れていましたから、三十近い人だったと思います。ですが、さわやかで白いYシャツが良く似合っていて、いつも真っ直ぐに向けられていた瞳は子供のように輝いていました。そんな先生に対して私はいつも疑問を抱いていました。何でこんなに綺麗に瞳を輝かせられるんだろうって。担任の先生なんて、同じ大人のはずなのにいつも疲れた表情を浮かべながら、乾いた瞳で私たちに授業しているのに。いったい何が違うのか、私は知りたかったのです」

 だから図書館に通い詰めて、土居原先生は司書の先生と話しをすることにした。

「意外にも、答えはすぐに見つかりました。先生は夢を持っていたんです。小説家になると言う夢を、その瞳に描いていたんです。だから先生の瞳は輝き続けていました。本当に不思議なくらい純粋に、あの人は夢を追いかけていた」

 土居原先生もその頃には小説を読むようになっていたのだが、何よりその司書の先生が書いた作品をいの一番に読めるのが嬉しくて、土居原先生はどんどん小説を好きになっていった。
 と同時に司書の先生は土居原先生に作品の感想を求めてくるようになった。

「だけど、私は一度も先生に、。とは言いませんでした。もちろん先生の作品は他のどの作品よりも面白いって断言出来ます。だけど、私はずっと言わないまま心の奥底に押し込めていました」

 胸を包み込むように自らの手で押さえる土居原先生。
 その手の隙間すきまから後悔が溢れ出す。

「馬鹿、ですよね。もし、面白い。と言ってしまったら、先生が図書室から居なくなってしまうと思ったんです。言ってしまったら、ここに居る必要はなくなるんじゃないかって」
「……先生」
「本当に馬鹿ですね。例え先生が図書室から出て行かなかったとしても、私が来られなくなる日が必ずやってくるというのに」
「え?」
「卒業ですね」

 意味を分からなかった自分に対し、蕪木はすぐに答えを出した。
 そんな蕪木に、「その通りです」。と言って土居原先生は微笑む。

「結局、そのことに気付くのは二月の終わり頃でした。私は急いで先生に気持ちを伝えようって決意をしたのですが、いざ言おうと思ったら急に恥ずかしくなって、春を待つ桜の蕾のようにずっと口をつぐんだまま」

 そして、時は無情にも流れていき、卒業式の前日。

「先生の姿が図書室にありませんでした。用事があって席をはずしているだけだろうと思って、私はいつも通り席に座って先生が来るのを待っていたんです。一時間が凄く、長く感じました。それでも、今日こそは伝えないといけないと思って待ち続けました」
「………」
「ですが、先生は夕暮れになっても現れませんでした。そして、翌日卒業式が終わった後に担任の先生から聞かされました。先生は小説家としてデビューが決まったから、この学校の司書を辞めたって」
「……先生」
「私が、面白い。と言わなくても先生はデビューできた。ですから、伝えなくても結果は変わらなくて、伝えなくても良かったんだと私は言い訳してきました。ですが、納得できないんです。目の前に想いを伝えるべき相手がいたのに、私は伝えられませんでした。私の心に残された想いはどうすれば良いのでしょうか?」
「………」
「と言うのが私の後悔ですね。どうでしょう、過去へ送る想いとしては充分でしょうか?」

 土居原先生は自分たちが想い込まないようわざと明るい声で言うのだけれど、自分も蕪木も表情は重く口は開かない。
 充分なんてものじゃなかった。むしろ、後悔をした時間を考えれば自分たちよりもずっと。

「……本多さんは私の先生に対しての気持ちをどう思いますか?」
「え?」

 黙ってしまった自分たちを気遣ってのことなのだろうか、土居原先生は自分にそう尋ねた。
 突然の質問に戸惑う自分は、しどろもどろに答える。

「どうって、その……恋ってやつですか?」
「……残念ながらそれは違うと思います」

 少し苦笑いしながら土居原先生は答える。

「恋に近いけれど違うんです。心が奪われていたのは間違いないのですが、どちらかと言えば応援したい気持ちが強くて……そうですね、ファンだったと言った方が良いのだと思います」
「ファンですか」
「そうです、ファン。名もなき作家のファンってところでしょうか」

 土居原先生は視線を落とし、指を絡める。互いの指で手を抑え合っても、その手は震えていた。

「誰よりも近くで先生を応援していたファンは私なのに、一度だって伝えられなかった。それがですね、どうしても悔しいんです」
「先生」

 自分たちを気遣ってやさしく笑って土居原先生は言うのだけれど、その笑顔が余計に自分たちの心を締め付ける。
 もう、これで分かってくれただろう。例え実験的な意味合いが込められていたとしても、先生の後悔を消すことに反対する人はいないって。

「……失礼します」

 自分は立ち上がるとリュックの奥に深く詰め込んでいた茶封筒を取り出した。その中から文字一つ書かれていない真っ白な紙を土居原先生へと差し出す。
 土居原先生はその紙を手に取ると、思わず口を開け驚いた。紙は真下のテーブルが透けるほど薄い。しかし、厚紙のようなしっかりとした感触があるからだ。

「この紙は神様の紙。おれたちは神紙しんしと呼んでいます。この紙に、先生が伝えたかった想いを書いて下さい」
「今すぐですか?」
「あ、えっと、過去へ飛ばすには条件があって、黄昏時たそがれどきしかできないのと、夕日が見える日にしかできないらしくて」

 と言い自分は窓の外へと視線を向ける。
 今日は雲と青空の比率が約一対九。多少雲が出てくることも考えられるが、このままの天気であれば間違いなく夕日を拝むことができる。

「もちろん今日すぐにとは言いません。気持ちをまとめるのに時間も必要だと思うので」
「……いえ、今書きましょう」

 土居原先生は目線を伏せたままそう言うと、立ち上がり鞄の中から古びた鉛筆を取り出した。

「善は急げですよ。なので十分だけお時間を下さい。すぐに書き上げますので」
「……分かりました。蕪木、おれたちは」
「準備室から出ています」
「はい。十分後、またお会いしましょう」

 土居原先生に向け自分と蕪木は軽く頭を下げて準備室を出た。

「…………」
「…………」

 ものすごく、気まずい。
 さっきまで土居原先生が同じ空間に居てくれたからこそまともに話せていたが、今は長い廊下で二人きり。正直まともに話せる人の方が少ないだろう。
 ただ、心臓が合金でできている蕪木さんには関係ないらしく、腕を組みこちらに視線を向けないまま自分に話しかける。

「本多。わたしがきっかけだとしても、土居原先生を巻き込むのは不本意よ」
「分かっているよ。おれだってまさかこんなことになると思っていなかったし」

 蕪木と話すために力を貸してもらう。ただそれだけのつもりだった。それは今も変わらない。だけど、

「あんな話を聞いてしまったら、想いが伝わってほしいって思うだろ?」
「……そうね」

 蕪木は自分の言葉に珍しく頷いてみせた。
 しかしそこは蕪木さん、一言付け加えないと気がすまないらしい。

「あなたの言うことが本当なら、ね」
「だからなあ」
「あらあら、またけんかををされているのですか?」

 自分と蕪木の会話が聞こえていたからだろうか、十分も経たずして土居原先生が準備室から出てきた。その手にはしっかりと神紙が握られている。

「もう、良いんですか?」
「……はい。伝えたいことは最初から決まっていましたから」

 微笑んでそう言った土居原先生の瞳は揺れている。その揺れが伝わり自分の心を揺らした。

「しっかりと準備をさせてもらいます」
「はい、よろしくお願いします」

 自分は神紙を土居原先生から受け取ると、土居原先生へ向け軽く会釈をした。
 そして神紙を自分へ渡した張本人であるの待つ場所へと一人、歩き出した。
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