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第5章 達磨の悲劇
第11話 達磨の軍人
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賢が提案したのは作場 孝之という老人だった。
元々は軍人で、多くの戦果を挙げた英雄だったそうだ。だが、彼は戦場での怪我が原因で半身不随となった。
戦争が終わり、傷痍軍人として村に帰って来た彼を、村の人間たちはかつてのように英雄とは呼ばなかった。
戦争が終わってしまえば軍人などただの肩書でしかない。それに加えて身体の自由を失い、働く事すら困難になった彼を、村人たちは『お荷物』として扱った。
国のため、そして村のために戦い続けた彼はこの現実に絶望し、運命を呪った。
彼はそれ以降は村人たちと極力関わることを避け、村のはずれにある小屋で一人で暮らしているという。
近くに住む農家が善意で持ってくる野菜を食事とし、日中はほとんど家から出ない。
そして、私たちはこの畑に目を付けた。私たちはまず、作場の逃げ道を完全に絶つ事を計画し、夜の内に畑に火を放った。
幸い、不可解な連続変死事件が起こったばかりで日が沈めば人通りは一切なくなる。それを見計らって畑に火を放ったのだ。
元々やせ細った広くもない畑だ、灯油を撒いて火を放ってしまえば、すぐにでも枯れ果ててしまうだろう。
しばらくすると、気付いた村人たちが家から飛び出してきたが、もう遅い。朝日が昇るころには、畑は全焼していた。
翌朝、私は作場の住む小屋を訪れる。薄汚れてはいるが、造りは頑丈なようだ。
私はその薄汚れた木の戸を叩き、作場に声を掛ける。
「ごめんください」
すると、声が帰ってくる前に戸がゆっくりと開かれる。
そこには車椅子に乗った屍のような、乾ききった老人がこちらを睨み付けている。
「こんにちは、作場さん。畑の事は残念でしたね」
「……お前か、鈴音様の名前を騙ってる裏切者の娘ってのは」
村人と関わりのない作場でさえ、私の事は知っているらしい。
村の裏切者。更には鈴音様を冒涜する不届きものというところだろうか。
「騙るなど、私は鈴音様の御意思を代弁する役割を与えられたのです。この骨人形がその証」
作場は人形を見てぎょっとした表情をした。特にこの世代の人間は鈴音様と、骨人形を間近で見たはず。その時の光景が思い浮かんだのかもしれない。
「……何の用だ。鈴音様の使いが、おいぼれの不幸を笑いにでも来たか」
「まさか。あなたをこの村から救いに来たのです」
作場は冷静だった。畑が失われ、事実上、自らの食い扶持を失ったというのに。
落ち着きと言うか、それは諦めに近いものなのかもしれないが。
「この村では、作場さん。あなたのような傷痍軍人を追い出すための計画が水面下で進められているのです。畑の件もその計画の一環。あなたという厄介者を追い出すため、農家までもが暗躍して引き起こした茶番なのです」
作場の表情が大きく変わることは無かった。その表情はそれを既に予測していたような、落ち着いた表情だった。
「それだけの犠牲を払ってでもあなたを村から追い出したいのです。失礼な言い方ですが……仕事も満足もできないあなたをこの貧しい村に今後も置いていく事の方がよっぽど大きな犠牲を生むことになる。傷痍軍人など刹那の英雄。時が過ぎれば英雄からただの厄介者へとなり下がる」
「そうか……とうとう、俺はそこまでに成り下がったんだな。惨めなもんだ」
自嘲気味に笑う作場。この男にはもう、この村で普通に暮らそうなどと言う考えは無い。
ただ、与えられた運命に従うのみという心構えだった。
「畑を失ったあなたはとうとう食い扶持すらも失った。しかし、鈴音様はあなたに同情されています。身を粉にしながら戦争に身を投じたあなたが、なぜこんな扱いを受けねばならないのかと」
私は言葉を続けるが、作場の感情に起伏は無かった。
「今では作場さん自身を殺してしまおうと主張する恥知らずな輩もいます。けれど、鈴音様はそれを良しとはしません。村と国を背負い、戦ってきた英雄を救えと、私に命じられたのです」
「もう、いいんだ。俺はもう疲れた。今更になって生き永らえようなんて思わねぇよ。畑が燃えたのだって、あんたの言うそれが事実かは別として、きっと運命なんだ。俺はもう……この戦争の終わった世の中にはいないほうがいい人間なんだってな」
この男の心は、摩耗しきっていた。憎しみだとか悲しみに浸かり過ぎた心はとうに破たんしていた。
この男も、鈴音村に壊された被害者の一人なのだ。
「それもあなたの自由です。残された時間を、ゆっくりと味わいながら死に逝くのも良いでしょう。けれど、一つ鈴音様からではなく、私から提案があります」
だが、その命を決して粗末にはさせない。
どうせ果てるのなら、その命、私の復讐の一環として使わさせてもらう。
「最後に、この村を見返してやりませんか?」
その時、作場の濁りきった目に一瞬だけ光が戻ったような気がした。
「具体的にはどうするつもりだ? お前のような小娘に何かができるとは思えんが」
作場は村への復讐に興味を持っていた。溜まりに溜まった鬱憤を晴らしてからこの世を去ることも悪くは無いのではないかという私の誘いに、作場は乗ったのだ。
これ以上、何も失う者も無い哀れな老人の、最後の願いだった。
「それは作場さんだって同じです。一人じゃ何も出来なくても、二人なら出来ることもある」
「だから、それはなんなんだ」
私はこの老人を騙している。この男は復讐のための道具にしか過ぎない。
だが作場の命がこの村への復讐に役立つのだ。私は罪悪感の欠片も感じることは無かった。
「そう焦らないでください。もう計画は練ってあるんです。具体的な計画は明日伝えます。それに、畑も燃えてしまったんですから食事のことも考えないと。しばらくは私が持ってきますから、家で安静にしてください」
むしろ、こんな死にぞこないの老人の命を活かすのだ。感謝してほしいくらいだ。
「それと、今は何かと物騒ですから、鍵は閉めていきますよ。車椅子も壊れかけてますから、修理しておきますね。全く、今までよくこんな状態で……」
私はてきぱきと手際よく部屋を片付けながら、まるで娘と父の会話のようだと思った。
私の父はもう死んでしまったけれど、こんな会話をしたような覚えが微かにある。
「お前、なんでそこまで俺の事を」
作場は私の姿を、どこか遠くを眺めるような視線で見ていた。何か、遠い過去を思い出しいるような、そんな雰囲気だった。
「何でって、共に復讐を遂げる相方じゃないですか。それに、似てると思ったんです。お互い、村に色々なものを奪われた境遇とか」
私は作場の方を振り返り、笑顔で答えた。
今まで屍のように乾ききった表情には潤いが蘇ったように見えた。
「俺の娘が生きてりゃ……こんな風になってたのかもな」
その瞬間が、私が最初で最後に見た作場の笑顔だったのかもしれない。
私はその笑顔を見ていると、何だが気持ちが揺らいでしまいそうで、振り返る前に作場の小屋に厳重な鍵をかけ、作場の唯一の足である車椅子を抱えて歩き出した。
そう、私は小屋と言う牢獄に作場を閉じ込めたのだ。
それから五日、私は作場の家には戻らなかった。
あまり放置し過ぎて死なれるのも困るが、身体的にも精神的にも作場を追い込む必要性があった。『誤催眠』は相手が消耗しているほど、効果が表れやすい。
五日ぶりに小屋の前に立つ。物音はしない。
死んでいる可能性もあったが、私は作場が生きていることを信じて戸を開けた。
「お久しぶりです、作場さん」
玄関のすぐ近くに作場は俯けで倒れていた。下半身不随の老人は、必死に床を這いつくばって出口を求めたのだろう。
しかし、出口は私がしっかりと施錠した。とても開けられるような状態では無かっただろう。作場はこの五日間、水も食料も無い中でこの牢獄に閉じ込められていたのだ。
「……随分と、遅い……帰りじゃねえか」
作場の顔色は明らかに悪かった。しかし、身体も精神も摩耗している割には軽口を叩けるくらいの余裕はあるようだ。
だが見れば分かる。この老人は既に死の一歩手前にいる状態だ。
「申し訳ありません、この貧しい村ですので食料の確保も一苦労なのです。あなたもよくご存じでしょう」
私の笑えない冗談を、作場は笑った。
何故、こんな状況でも笑えるのだろう。怒るのではなく、笑えるのだ。
「……笑う以外、何か感情は無いのですか」
私は不思議を通り越して、作場に恐怖を抱いた。泣くわけでも喚くわけでもなく、ただ笑っている。
「全部、嘘だったんだろ……お前の話」
「なら、なぜ怒らないのですか……?」
「もう、これから死ぬってのに……最後の最後まで怒ってたってしょうがないだろ」
理由はたったそれだけだった。この男にとって、死は救いのようなものなのかもしれない。この鈴音村の呪縛から逃れるための。
「確かに、私の話は嘘でした。けれど、全てじゃない。この村に復讐をする……これだけは本当です。そして、その過程であなたの無念を晴らすと約束したことも、嘘ではありません」
「……そうか」
作場は驚きもせず、頷く。
「正確に言えば、あなたの死が私の計画の一部なのです。あなたの死が無駄になることは決してないと、約束します。あなたには、確かめる術はないでしょうが」
「……信じるさ、あんたの復讐になら……こんな命、くれてやるよ」
この男は鈴音村の最後の良心だったのかもしれない。村のために戦い、最後も静かに息を引き取ろうとしている。
だが、私はこの男の命を活かす。村にこの男の魂を知らしめてやるのだ。
「それより、何か食い物は無いか。流石に餓死ってのは格好がつかねぇ。どうせ死ぬにしろ、最後くらいはとびきり美味い物を食いてぇんだ」
男にとって、最後の晩餐だった。ならば、私が叶えてやろう。この『誤催眠』でこの男の最期の願いを。
「食料なら、貴方の目の前にありますよ。極上の肉の塊が四本も」
作場と私の視線が交わる。作場は一瞬、表情を崩したが、再び明るい表紙を取り戻す。『誤催眠』は問題なく彼を蝕んだ。
「おお……こりゃすげぇ……何の肉だ、豚でも鳥でもなさそうだが」
作場は自身の四肢を見て、獣の様に涎を垂らしている。
「さぁ……秘密です。けれど、極上の肉です」
私は作場が完全に誤催眠の術中にはまっていることを確信し、鉈を作場の前に置く。
「上半身は動かせると聞きました、自分で肉を切り開くのも食事の醍醐味ですよ」
「………ああ、そうだな」
鉈を手に取り、作場は躊躇いなく自らの腕にそれを振り下ろした。
骨が砕け、血が飛び散る。そして、皮膚の裂け目からは深紅の美しい肉が見えた。
「その皮の下にはどんな楽園が広がっているのでしょう。皮に歯を立てれば甘い肉汁が口いっぱいに広がり、その奥には更に濃厚な脂が詰まっていて……」
今の作場は自身の血肉が、極上の御馳走だと錯覚している。
「ああ……こんな、こんな綺麗な食べ物がこの世にはあったんだなぁ……こんな」
作場は涙を目に溜めながら、濡れた声で言った。
彼は知らない。その肉が、自らの肉である事を。
そして、これから自らの血肉を自ら食するという残酷な現実も。
「待ちきれないでしょう? いいのですよ、もう何も我慢する必要はありません。さぁ、遠慮などいりません、好きなように貪りなさい」
私の合図とともに、作場は獣の様に自らの腕に齧り付いた。
痛みなど感じてはいない。ただ、その圧倒的な美味に、死にかけの老人とは思えないほど激しい食べっぷりだった。
「最後に……あなたに出会えて良かった」
私は作場に背を向け、そう呟く。
作場にはもう私の声など聞こえてはいない。だが、私はそう言わなければいけない気がしたのだ。
この村の、最後の良心であった彼に。
元々は軍人で、多くの戦果を挙げた英雄だったそうだ。だが、彼は戦場での怪我が原因で半身不随となった。
戦争が終わり、傷痍軍人として村に帰って来た彼を、村の人間たちはかつてのように英雄とは呼ばなかった。
戦争が終わってしまえば軍人などただの肩書でしかない。それに加えて身体の自由を失い、働く事すら困難になった彼を、村人たちは『お荷物』として扱った。
国のため、そして村のために戦い続けた彼はこの現実に絶望し、運命を呪った。
彼はそれ以降は村人たちと極力関わることを避け、村のはずれにある小屋で一人で暮らしているという。
近くに住む農家が善意で持ってくる野菜を食事とし、日中はほとんど家から出ない。
そして、私たちはこの畑に目を付けた。私たちはまず、作場の逃げ道を完全に絶つ事を計画し、夜の内に畑に火を放った。
幸い、不可解な連続変死事件が起こったばかりで日が沈めば人通りは一切なくなる。それを見計らって畑に火を放ったのだ。
元々やせ細った広くもない畑だ、灯油を撒いて火を放ってしまえば、すぐにでも枯れ果ててしまうだろう。
しばらくすると、気付いた村人たちが家から飛び出してきたが、もう遅い。朝日が昇るころには、畑は全焼していた。
翌朝、私は作場の住む小屋を訪れる。薄汚れてはいるが、造りは頑丈なようだ。
私はその薄汚れた木の戸を叩き、作場に声を掛ける。
「ごめんください」
すると、声が帰ってくる前に戸がゆっくりと開かれる。
そこには車椅子に乗った屍のような、乾ききった老人がこちらを睨み付けている。
「こんにちは、作場さん。畑の事は残念でしたね」
「……お前か、鈴音様の名前を騙ってる裏切者の娘ってのは」
村人と関わりのない作場でさえ、私の事は知っているらしい。
村の裏切者。更には鈴音様を冒涜する不届きものというところだろうか。
「騙るなど、私は鈴音様の御意思を代弁する役割を与えられたのです。この骨人形がその証」
作場は人形を見てぎょっとした表情をした。特にこの世代の人間は鈴音様と、骨人形を間近で見たはず。その時の光景が思い浮かんだのかもしれない。
「……何の用だ。鈴音様の使いが、おいぼれの不幸を笑いにでも来たか」
「まさか。あなたをこの村から救いに来たのです」
作場は冷静だった。畑が失われ、事実上、自らの食い扶持を失ったというのに。
落ち着きと言うか、それは諦めに近いものなのかもしれないが。
「この村では、作場さん。あなたのような傷痍軍人を追い出すための計画が水面下で進められているのです。畑の件もその計画の一環。あなたという厄介者を追い出すため、農家までもが暗躍して引き起こした茶番なのです」
作場の表情が大きく変わることは無かった。その表情はそれを既に予測していたような、落ち着いた表情だった。
「それだけの犠牲を払ってでもあなたを村から追い出したいのです。失礼な言い方ですが……仕事も満足もできないあなたをこの貧しい村に今後も置いていく事の方がよっぽど大きな犠牲を生むことになる。傷痍軍人など刹那の英雄。時が過ぎれば英雄からただの厄介者へとなり下がる」
「そうか……とうとう、俺はそこまでに成り下がったんだな。惨めなもんだ」
自嘲気味に笑う作場。この男にはもう、この村で普通に暮らそうなどと言う考えは無い。
ただ、与えられた運命に従うのみという心構えだった。
「畑を失ったあなたはとうとう食い扶持すらも失った。しかし、鈴音様はあなたに同情されています。身を粉にしながら戦争に身を投じたあなたが、なぜこんな扱いを受けねばならないのかと」
私は言葉を続けるが、作場の感情に起伏は無かった。
「今では作場さん自身を殺してしまおうと主張する恥知らずな輩もいます。けれど、鈴音様はそれを良しとはしません。村と国を背負い、戦ってきた英雄を救えと、私に命じられたのです」
「もう、いいんだ。俺はもう疲れた。今更になって生き永らえようなんて思わねぇよ。畑が燃えたのだって、あんたの言うそれが事実かは別として、きっと運命なんだ。俺はもう……この戦争の終わった世の中にはいないほうがいい人間なんだってな」
この男の心は、摩耗しきっていた。憎しみだとか悲しみに浸かり過ぎた心はとうに破たんしていた。
この男も、鈴音村に壊された被害者の一人なのだ。
「それもあなたの自由です。残された時間を、ゆっくりと味わいながら死に逝くのも良いでしょう。けれど、一つ鈴音様からではなく、私から提案があります」
だが、その命を決して粗末にはさせない。
どうせ果てるのなら、その命、私の復讐の一環として使わさせてもらう。
「最後に、この村を見返してやりませんか?」
その時、作場の濁りきった目に一瞬だけ光が戻ったような気がした。
「具体的にはどうするつもりだ? お前のような小娘に何かができるとは思えんが」
作場は村への復讐に興味を持っていた。溜まりに溜まった鬱憤を晴らしてからこの世を去ることも悪くは無いのではないかという私の誘いに、作場は乗ったのだ。
これ以上、何も失う者も無い哀れな老人の、最後の願いだった。
「それは作場さんだって同じです。一人じゃ何も出来なくても、二人なら出来ることもある」
「だから、それはなんなんだ」
私はこの老人を騙している。この男は復讐のための道具にしか過ぎない。
だが作場の命がこの村への復讐に役立つのだ。私は罪悪感の欠片も感じることは無かった。
「そう焦らないでください。もう計画は練ってあるんです。具体的な計画は明日伝えます。それに、畑も燃えてしまったんですから食事のことも考えないと。しばらくは私が持ってきますから、家で安静にしてください」
むしろ、こんな死にぞこないの老人の命を活かすのだ。感謝してほしいくらいだ。
「それと、今は何かと物騒ですから、鍵は閉めていきますよ。車椅子も壊れかけてますから、修理しておきますね。全く、今までよくこんな状態で……」
私はてきぱきと手際よく部屋を片付けながら、まるで娘と父の会話のようだと思った。
私の父はもう死んでしまったけれど、こんな会話をしたような覚えが微かにある。
「お前、なんでそこまで俺の事を」
作場は私の姿を、どこか遠くを眺めるような視線で見ていた。何か、遠い過去を思い出しいるような、そんな雰囲気だった。
「何でって、共に復讐を遂げる相方じゃないですか。それに、似てると思ったんです。お互い、村に色々なものを奪われた境遇とか」
私は作場の方を振り返り、笑顔で答えた。
今まで屍のように乾ききった表情には潤いが蘇ったように見えた。
「俺の娘が生きてりゃ……こんな風になってたのかもな」
その瞬間が、私が最初で最後に見た作場の笑顔だったのかもしれない。
私はその笑顔を見ていると、何だが気持ちが揺らいでしまいそうで、振り返る前に作場の小屋に厳重な鍵をかけ、作場の唯一の足である車椅子を抱えて歩き出した。
そう、私は小屋と言う牢獄に作場を閉じ込めたのだ。
それから五日、私は作場の家には戻らなかった。
あまり放置し過ぎて死なれるのも困るが、身体的にも精神的にも作場を追い込む必要性があった。『誤催眠』は相手が消耗しているほど、効果が表れやすい。
五日ぶりに小屋の前に立つ。物音はしない。
死んでいる可能性もあったが、私は作場が生きていることを信じて戸を開けた。
「お久しぶりです、作場さん」
玄関のすぐ近くに作場は俯けで倒れていた。下半身不随の老人は、必死に床を這いつくばって出口を求めたのだろう。
しかし、出口は私がしっかりと施錠した。とても開けられるような状態では無かっただろう。作場はこの五日間、水も食料も無い中でこの牢獄に閉じ込められていたのだ。
「……随分と、遅い……帰りじゃねえか」
作場の顔色は明らかに悪かった。しかし、身体も精神も摩耗している割には軽口を叩けるくらいの余裕はあるようだ。
だが見れば分かる。この老人は既に死の一歩手前にいる状態だ。
「申し訳ありません、この貧しい村ですので食料の確保も一苦労なのです。あなたもよくご存じでしょう」
私の笑えない冗談を、作場は笑った。
何故、こんな状況でも笑えるのだろう。怒るのではなく、笑えるのだ。
「……笑う以外、何か感情は無いのですか」
私は不思議を通り越して、作場に恐怖を抱いた。泣くわけでも喚くわけでもなく、ただ笑っている。
「全部、嘘だったんだろ……お前の話」
「なら、なぜ怒らないのですか……?」
「もう、これから死ぬってのに……最後の最後まで怒ってたってしょうがないだろ」
理由はたったそれだけだった。この男にとって、死は救いのようなものなのかもしれない。この鈴音村の呪縛から逃れるための。
「確かに、私の話は嘘でした。けれど、全てじゃない。この村に復讐をする……これだけは本当です。そして、その過程であなたの無念を晴らすと約束したことも、嘘ではありません」
「……そうか」
作場は驚きもせず、頷く。
「正確に言えば、あなたの死が私の計画の一部なのです。あなたの死が無駄になることは決してないと、約束します。あなたには、確かめる術はないでしょうが」
「……信じるさ、あんたの復讐になら……こんな命、くれてやるよ」
この男は鈴音村の最後の良心だったのかもしれない。村のために戦い、最後も静かに息を引き取ろうとしている。
だが、私はこの男の命を活かす。村にこの男の魂を知らしめてやるのだ。
「それより、何か食い物は無いか。流石に餓死ってのは格好がつかねぇ。どうせ死ぬにしろ、最後くらいはとびきり美味い物を食いてぇんだ」
男にとって、最後の晩餐だった。ならば、私が叶えてやろう。この『誤催眠』でこの男の最期の願いを。
「食料なら、貴方の目の前にありますよ。極上の肉の塊が四本も」
作場と私の視線が交わる。作場は一瞬、表情を崩したが、再び明るい表紙を取り戻す。『誤催眠』は問題なく彼を蝕んだ。
「おお……こりゃすげぇ……何の肉だ、豚でも鳥でもなさそうだが」
作場は自身の四肢を見て、獣の様に涎を垂らしている。
「さぁ……秘密です。けれど、極上の肉です」
私は作場が完全に誤催眠の術中にはまっていることを確信し、鉈を作場の前に置く。
「上半身は動かせると聞きました、自分で肉を切り開くのも食事の醍醐味ですよ」
「………ああ、そうだな」
鉈を手に取り、作場は躊躇いなく自らの腕にそれを振り下ろした。
骨が砕け、血が飛び散る。そして、皮膚の裂け目からは深紅の美しい肉が見えた。
「その皮の下にはどんな楽園が広がっているのでしょう。皮に歯を立てれば甘い肉汁が口いっぱいに広がり、その奥には更に濃厚な脂が詰まっていて……」
今の作場は自身の血肉が、極上の御馳走だと錯覚している。
「ああ……こんな、こんな綺麗な食べ物がこの世にはあったんだなぁ……こんな」
作場は涙を目に溜めながら、濡れた声で言った。
彼は知らない。その肉が、自らの肉である事を。
そして、これから自らの血肉を自ら食するという残酷な現実も。
「待ちきれないでしょう? いいのですよ、もう何も我慢する必要はありません。さぁ、遠慮などいりません、好きなように貪りなさい」
私の合図とともに、作場は獣の様に自らの腕に齧り付いた。
痛みなど感じてはいない。ただ、その圧倒的な美味に、死にかけの老人とは思えないほど激しい食べっぷりだった。
「最後に……あなたに出会えて良かった」
私は作場に背を向け、そう呟く。
作場にはもう私の声など聞こえてはいない。だが、私はそう言わなければいけない気がしたのだ。
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