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第八章
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ど、ど、ど、どうして。
だ、だ、だ、だれ。
混乱する頭でわかったことは、貴族令嬢人生の終焉だった。
どうして誰ともわからぬ男性と、こんなところでこんな事になってしまったかわからない。けれども、大切なものが失われてしまったのははっきりわかった。
ああ、私、乙女を喪失してしまったのだわ。
乙女の喪失。それがどんな経験なのか、ついさっきまで乙女だったサフィリアには確かめようがなかった。
けれどもこの状態は、巷に溢れる書物の手引き通りなら、完全なる「乙女の喪失」現場だろう。
死にたい。
どうしよう。どうしてなの。それよりここどこ?
サフィリアは、ぎゅうぎゅう締め付けられている拘束から、首だけ回して辺りを確かめようとした。
やだ、なにこの良い香り。こちらの殿方から香ってるわ。
こんな場面であるのに、鼻腔を擽る男性の香油の香りにうっとりしかける。て、そんな場合ではないわと気を取り直して、天井から壁際、周囲の家具を見渡してみた。
わかる訳がない。自分の邸ではないのだから。
そこでサフィリアは思い出してしまった。ここ、王城だわ。
どうしましょう。お姉様はどこなのかしら。それよりこの方、誰なのかしら。
もぞもぞと動くうちに、殿方の腕がほんの少し緩まって、僅かな隙間ができた。
サフィリアは案外しっかり者であるから、そこで喪失の具合を確かめようとした。
不思議なことに、衣類の乱れはないように思えた。若干胸元が乱れてささやかなお胸が覗いて見えたが、それは喪失の証しなのだろうか。
「う、」
殿方がなにか呻いた。
起こすべきか、起こさぬべきか、起こしてなにがあったのか確かめるべきか。
だが、確かめた先に幸福な未来はあるのだろうか。相手が悪くて生涯脅されるだなんてことにでもなってしまったら、どれほど両親と姉夫婦に迷惑を掛けてしまうだろう。
「死にたい」
サフィリアは、とうとう声に出して呟いた。
「死んでは駄目だ」
「へ?」
目の前に、綺麗な翠色が見えていた。灯りを絞った室内の薄闇でもわかる、翠色の瞳がサフィリアを見つめていた。
「ど、どなた?」
「私は、ルクス・バイロン・コットナーという。コットナー伯爵家の者だ」
律儀にフルネームで答えた殿方。それが夫との出会いだった。
その後のことは思い出したくない。
思い出したくないが憶えているのは、そこで姉夫婦が扉をばーんと開けて二人を発見したことだった。そうして事の次第が明らかになった。
シャンパン駆けつけ二杯を飲み干したサフィリアは、あっという間に酩酊した。
王城にはそんな場合に備えて控えの間がある。姉夫婦はその一室を借りてサフィリアを休ませることにしたという。
「確かに貴女一人だったのよ。他には誰もいなかったわ」
姉夫婦はサフィリアを寝台に寝かした。それから急ぎ両親に伝えようと、手分けして探すことにして部屋を出た。王城の近衛騎士が扉の側に控えていたから、彼を頼みにして間違いないと判断した。
どこで手違いがあったのか、同じように酒精にやられたルクスが部屋を訪れた。
本来なら隣の部屋を使う筈が、なにがどうしてそうなったのか、サフィリアの眠っている部屋に入ったルクスは、そこで寝台に潜り込んでしまった。
「騎士様、貴女の婚約者だと勘違いなさったみたい」
騎士様、痛恨のミス。
それで結局ルクスは、酩酊したままサフィリアのいる部屋に入ってしまったのだ。
酔っぱらい同士、きゅうっと固く抱き締めあって、先に目覚めたのがサフィリアだった。
サフィリアはどうしても確かめたかった。乙女の具合を確認したかった。
だがしかし、サフィリアの乙女がどうとか言う前に、酔から覚めたルクスは言ったのだ。
「責任を取らせて頂く」と。
「え?」
「責任を、取らせて、頂く」
ルクスはサフィリアの瞳を覗き込み、言い聞かせるように二度言った。
「責「わ、わかりました」
三度目を繰り返しそうだったので、思わずサフィリアは答えてしまった。
「おわかり頂けたか」
いや、そうではない、三度言わずともわかったと、そういう意味でのわかったなのだ。
社会に於いて、言った言わない関係のトラブルが如何に誤解を生むのかを、サフィリアはこの夜、身をもって知ったのである。
それからは、駆け足のようだった。
両家の顔合わせから始まり、ルクスが爆速で教会を押さえ、社交シーズンが終わったのを良いことに身内だけで式の段取りが為された。
ルクスの両親は、二人の婚姻を以て爵位をルクスに譲ることを決めた。そうして式が終わるとその言葉通りに、ほんの小さな領地に引っ込んでしまった。
純白のドレスを纏うサフィリアの両肩をガシリと掴んでルクスは言った。
「君を、この魂を掛けて全身全霊で幸せにすると誓う」
ルクスの瞳に戸惑うサフィリアが映っていた。戸惑う自分の顔を見て、サフィリアは戸惑いを深めた。
この律儀で誠実な青年が、あのたった一度の「不幸な夜」の為に、自身の輝かしい未来も幸福な人生も投げうって、サフィリアを妻に娶ってしまった。
何もかもがサフィリアへの贖罪のように思えて、サフィリアは泣きたくなった。
結局、サフィリアの乙女が何処へ行ってしまったのか。
確かめるもなにも、その後迎えた初夜で、もうそんなことは確かめようもないほどに、二人はしっかり交わってしまった。
だ、だ、だ、だれ。
混乱する頭でわかったことは、貴族令嬢人生の終焉だった。
どうして誰ともわからぬ男性と、こんなところでこんな事になってしまったかわからない。けれども、大切なものが失われてしまったのははっきりわかった。
ああ、私、乙女を喪失してしまったのだわ。
乙女の喪失。それがどんな経験なのか、ついさっきまで乙女だったサフィリアには確かめようがなかった。
けれどもこの状態は、巷に溢れる書物の手引き通りなら、完全なる「乙女の喪失」現場だろう。
死にたい。
どうしよう。どうしてなの。それよりここどこ?
サフィリアは、ぎゅうぎゅう締め付けられている拘束から、首だけ回して辺りを確かめようとした。
やだ、なにこの良い香り。こちらの殿方から香ってるわ。
こんな場面であるのに、鼻腔を擽る男性の香油の香りにうっとりしかける。て、そんな場合ではないわと気を取り直して、天井から壁際、周囲の家具を見渡してみた。
わかる訳がない。自分の邸ではないのだから。
そこでサフィリアは思い出してしまった。ここ、王城だわ。
どうしましょう。お姉様はどこなのかしら。それよりこの方、誰なのかしら。
もぞもぞと動くうちに、殿方の腕がほんの少し緩まって、僅かな隙間ができた。
サフィリアは案外しっかり者であるから、そこで喪失の具合を確かめようとした。
不思議なことに、衣類の乱れはないように思えた。若干胸元が乱れてささやかなお胸が覗いて見えたが、それは喪失の証しなのだろうか。
「う、」
殿方がなにか呻いた。
起こすべきか、起こさぬべきか、起こしてなにがあったのか確かめるべきか。
だが、確かめた先に幸福な未来はあるのだろうか。相手が悪くて生涯脅されるだなんてことにでもなってしまったら、どれほど両親と姉夫婦に迷惑を掛けてしまうだろう。
「死にたい」
サフィリアは、とうとう声に出して呟いた。
「死んでは駄目だ」
「へ?」
目の前に、綺麗な翠色が見えていた。灯りを絞った室内の薄闇でもわかる、翠色の瞳がサフィリアを見つめていた。
「ど、どなた?」
「私は、ルクス・バイロン・コットナーという。コットナー伯爵家の者だ」
律儀にフルネームで答えた殿方。それが夫との出会いだった。
その後のことは思い出したくない。
思い出したくないが憶えているのは、そこで姉夫婦が扉をばーんと開けて二人を発見したことだった。そうして事の次第が明らかになった。
シャンパン駆けつけ二杯を飲み干したサフィリアは、あっという間に酩酊した。
王城にはそんな場合に備えて控えの間がある。姉夫婦はその一室を借りてサフィリアを休ませることにしたという。
「確かに貴女一人だったのよ。他には誰もいなかったわ」
姉夫婦はサフィリアを寝台に寝かした。それから急ぎ両親に伝えようと、手分けして探すことにして部屋を出た。王城の近衛騎士が扉の側に控えていたから、彼を頼みにして間違いないと判断した。
どこで手違いがあったのか、同じように酒精にやられたルクスが部屋を訪れた。
本来なら隣の部屋を使う筈が、なにがどうしてそうなったのか、サフィリアの眠っている部屋に入ったルクスは、そこで寝台に潜り込んでしまった。
「騎士様、貴女の婚約者だと勘違いなさったみたい」
騎士様、痛恨のミス。
それで結局ルクスは、酩酊したままサフィリアのいる部屋に入ってしまったのだ。
酔っぱらい同士、きゅうっと固く抱き締めあって、先に目覚めたのがサフィリアだった。
サフィリアはどうしても確かめたかった。乙女の具合を確認したかった。
だがしかし、サフィリアの乙女がどうとか言う前に、酔から覚めたルクスは言ったのだ。
「責任を取らせて頂く」と。
「え?」
「責任を、取らせて、頂く」
ルクスはサフィリアの瞳を覗き込み、言い聞かせるように二度言った。
「責「わ、わかりました」
三度目を繰り返しそうだったので、思わずサフィリアは答えてしまった。
「おわかり頂けたか」
いや、そうではない、三度言わずともわかったと、そういう意味でのわかったなのだ。
社会に於いて、言った言わない関係のトラブルが如何に誤解を生むのかを、サフィリアはこの夜、身をもって知ったのである。
それからは、駆け足のようだった。
両家の顔合わせから始まり、ルクスが爆速で教会を押さえ、社交シーズンが終わったのを良いことに身内だけで式の段取りが為された。
ルクスの両親は、二人の婚姻を以て爵位をルクスに譲ることを決めた。そうして式が終わるとその言葉通りに、ほんの小さな領地に引っ込んでしまった。
純白のドレスを纏うサフィリアの両肩をガシリと掴んでルクスは言った。
「君を、この魂を掛けて全身全霊で幸せにすると誓う」
ルクスの瞳に戸惑うサフィリアが映っていた。戸惑う自分の顔を見て、サフィリアは戸惑いを深めた。
この律儀で誠実な青年が、あのたった一度の「不幸な夜」の為に、自身の輝かしい未来も幸福な人生も投げうって、サフィリアを妻に娶ってしまった。
何もかもがサフィリアへの贖罪のように思えて、サフィリアは泣きたくなった。
結局、サフィリアの乙女が何処へ行ってしまったのか。
確かめるもなにも、その後迎えた初夜で、もうそんなことは確かめようもないほどに、二人はしっかり交わってしまった。
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