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第十一章
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大陸の東の国の格言に「亭主元気で留守がいい」という言葉があるのを、昨日行った王立図書館の書物で知った。
「天竺」を調査をすべく彷徨った哲学思想宗教の書物の数々に、すっかり疲弊してしまった頭を癒そうと向かった今月の新刊棚で偶々目にした書物。それが『東方の諺』なる本だった。
天竺=西に疲弊し切っていたサフィリアは、『東』の一文字に吸い寄せられるようにふらふらと書物を手に取ったのである。
「東方、東……」
西から東へ完全に興味がシフトしたサフィリアは、早速近くの椅子に腰かけて、東についての書物を読んでみた。そこで出会った叡智の言葉。
「亭主元気で留守がいい」
大変優れた言葉だと思った。正直、感銘を受けた。
「亭主。元気で。留守がいい」
もう一度、口の中で馴染ませるように呟いてみる。
そこで、早速我が家に当て嵌めてみた。
亭主が元気であるのは、既に昨晩、寝台の中で立証済みである。
まだだまだだの連続で、つい今朝がたまで非常に元気だった。危うくサフィリアの方が腰が立たずに元気でなくなるところだった。
であれば残るは「亭主の留守」だ。
「これをお借りしたいのですけど」
はやる気持ちに足を縺れさせながら、サフィリアは貸出窓口へ歩み寄った。なんならこのあと書店に寄って同じ書籍を買い求めても良いと思うほどだった。
良書との出会いは人生を明るく照らす。
これはサフィリアの持論であるが、その持論が今日、再び立証されたことに喜びを感じえずにはいられなかった。
「昨晩帰って来たばかりで申し訳ない。多分、今夜も城に泊まることになりそうだ」
朝餉の席で、苺ジャムてんこ盛りのパンを食した後にルクスが言った。
「お気にならさず、旦那様。心ゆくまで思いっ切りお勤めなさって下さいませ」
「サフィリア……すまないっ」
良し。これで良し。万事格言通りで何も問題ない。流石は格言、東方の技。
夫の言葉に、サフィリアは笑い出しそうになるのを堪えるために、奥歯を強く噛み締めた。
噛み締め過ぎてギリリと歯が鳴ってしまい、それを横に並び座るルクスは聞き逃さなかった。ルクスがぎょっとしてこちらを見た。
それからルクスは、何故か手に持つカトラリーを握り締めて、ルクスの手からもギリリと音がしたから、今度はサフィリアがぎょっとした。
「くそ、殿下め」
へ?なんで殿下が出てくるの?
殿下とは、ルクスが仕える王太子殿下だろう。上司にく◯だなんていけないわ。
「出来るだけ早く帰るようにする。決して殿下の言いなりにはならない。必ず君の下に帰って来る」
ルクスはサフィリアによくわからない決意表明をした。
それは困る。それでは格言が成立しなくなってしまう。
亭主とは、元気なことに加えて留守でいてくれなくちゃ困るのだ。サフィリアは、すっかり慌ててしまった。
「だ、旦那様、私なら大丈夫です。どうかお構いなく、なんならずっと一人でもなんとなく生きて行けます。旦那様はしっかりと思う存分お城に籠もってお務めを果たして下さいませ」
「サフィリア……」
え?旦那様?どうしたの?涙が滲んで見えるんだけれど大丈夫?
え?バーバリー?ダンヒル?涙を拭って見えるんだけれど、大丈夫?
見渡せば、サマンサもタバサも、ラルフもローレンも、給仕の使用人まで瞳を潤ませて見えた。
ええ?みんなどうしちゃったの?
「旦那様。お城の勤務体制を福利厚生課に訴えるべきではないかと。総務若しくは人事課にもお声掛けなさっては如何でしょう」
ダンヒルの言葉に、ルクスは「ううむ」と唸った。
「元凶はヤツだ、殿下だ。倒すかな」
え!それはもしやクーデター?
「いえいえいえ、旦那様。旦那様が元気にお務めなさるのが私は何より嬉しいのです。お務め大事、殿下大事です」
「そうか?私が元気だと君は嬉しいのか?殿下はさして大事ではないがな」
いや、大事だろう。
ルクスは何やら急に機嫌が良くなり、それから苺ジャムてんこ盛りパンとサラダとハムエッグをおかわりした。元気、大事、と言いながら。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ、旦那様」
「うむ。君のために今日も元気に働いてこよう」
そう言って、ルクスはいつも以上に長ーい「行って参ります」のキスをして城へと出掛けていった。因みにキスは頬ではなくて唇だ。毎朝思うが、本日も呑み込まれるかと思った。
漸く出掛けたわ。
亭主は元気で留守がいい。
東方の格言に間違いはない。
旦那様にとっても、元気にサフィリアのいない職場で過ごすことは良いことだ。
夫の安寧を考えて、サフィリアは思わず安堵の溜め息をついた。
「はあ」
「奥様、旦那様を信じて差し上げて下さい」
安堵の溜め息をついたサフィリアに、ダンヒルが駆け寄った。
「え?」
「旦那様は必ずやり遂げます。王城の勤務体制を見直して、定時退城出来る未来を切り開かれることでしょう。奥様に淋しい思いをさせるだなんて、旦那様は身を切られる思いでいらっしゃるのです」
まさか。
無い無いと、サフィリアは心の中で手を左右に振ったが、執事が力説するから大人しく聞いていた。
それからふと、忘れかけていた天竺を思い出した。天竺への道のりが果てしなく遠いことを思い出して、気が遠くなるのだった。
「天竺」を調査をすべく彷徨った哲学思想宗教の書物の数々に、すっかり疲弊してしまった頭を癒そうと向かった今月の新刊棚で偶々目にした書物。それが『東方の諺』なる本だった。
天竺=西に疲弊し切っていたサフィリアは、『東』の一文字に吸い寄せられるようにふらふらと書物を手に取ったのである。
「東方、東……」
西から東へ完全に興味がシフトしたサフィリアは、早速近くの椅子に腰かけて、東についての書物を読んでみた。そこで出会った叡智の言葉。
「亭主元気で留守がいい」
大変優れた言葉だと思った。正直、感銘を受けた。
「亭主。元気で。留守がいい」
もう一度、口の中で馴染ませるように呟いてみる。
そこで、早速我が家に当て嵌めてみた。
亭主が元気であるのは、既に昨晩、寝台の中で立証済みである。
まだだまだだの連続で、つい今朝がたまで非常に元気だった。危うくサフィリアの方が腰が立たずに元気でなくなるところだった。
であれば残るは「亭主の留守」だ。
「これをお借りしたいのですけど」
はやる気持ちに足を縺れさせながら、サフィリアは貸出窓口へ歩み寄った。なんならこのあと書店に寄って同じ書籍を買い求めても良いと思うほどだった。
良書との出会いは人生を明るく照らす。
これはサフィリアの持論であるが、その持論が今日、再び立証されたことに喜びを感じえずにはいられなかった。
「昨晩帰って来たばかりで申し訳ない。多分、今夜も城に泊まることになりそうだ」
朝餉の席で、苺ジャムてんこ盛りのパンを食した後にルクスが言った。
「お気にならさず、旦那様。心ゆくまで思いっ切りお勤めなさって下さいませ」
「サフィリア……すまないっ」
良し。これで良し。万事格言通りで何も問題ない。流石は格言、東方の技。
夫の言葉に、サフィリアは笑い出しそうになるのを堪えるために、奥歯を強く噛み締めた。
噛み締め過ぎてギリリと歯が鳴ってしまい、それを横に並び座るルクスは聞き逃さなかった。ルクスがぎょっとしてこちらを見た。
それからルクスは、何故か手に持つカトラリーを握り締めて、ルクスの手からもギリリと音がしたから、今度はサフィリアがぎょっとした。
「くそ、殿下め」
へ?なんで殿下が出てくるの?
殿下とは、ルクスが仕える王太子殿下だろう。上司にく◯だなんていけないわ。
「出来るだけ早く帰るようにする。決して殿下の言いなりにはならない。必ず君の下に帰って来る」
ルクスはサフィリアによくわからない決意表明をした。
それは困る。それでは格言が成立しなくなってしまう。
亭主とは、元気なことに加えて留守でいてくれなくちゃ困るのだ。サフィリアは、すっかり慌ててしまった。
「だ、旦那様、私なら大丈夫です。どうかお構いなく、なんならずっと一人でもなんとなく生きて行けます。旦那様はしっかりと思う存分お城に籠もってお務めを果たして下さいませ」
「サフィリア……」
え?旦那様?どうしたの?涙が滲んで見えるんだけれど大丈夫?
え?バーバリー?ダンヒル?涙を拭って見えるんだけれど、大丈夫?
見渡せば、サマンサもタバサも、ラルフもローレンも、給仕の使用人まで瞳を潤ませて見えた。
ええ?みんなどうしちゃったの?
「旦那様。お城の勤務体制を福利厚生課に訴えるべきではないかと。総務若しくは人事課にもお声掛けなさっては如何でしょう」
ダンヒルの言葉に、ルクスは「ううむ」と唸った。
「元凶はヤツだ、殿下だ。倒すかな」
え!それはもしやクーデター?
「いえいえいえ、旦那様。旦那様が元気にお務めなさるのが私は何より嬉しいのです。お務め大事、殿下大事です」
「そうか?私が元気だと君は嬉しいのか?殿下はさして大事ではないがな」
いや、大事だろう。
ルクスは何やら急に機嫌が良くなり、それから苺ジャムてんこ盛りパンとサラダとハムエッグをおかわりした。元気、大事、と言いながら。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ、旦那様」
「うむ。君のために今日も元気に働いてこよう」
そう言って、ルクスはいつも以上に長ーい「行って参ります」のキスをして城へと出掛けていった。因みにキスは頬ではなくて唇だ。毎朝思うが、本日も呑み込まれるかと思った。
漸く出掛けたわ。
亭主は元気で留守がいい。
東方の格言に間違いはない。
旦那様にとっても、元気にサフィリアのいない職場で過ごすことは良いことだ。
夫の安寧を考えて、サフィリアは思わず安堵の溜め息をついた。
「はあ」
「奥様、旦那様を信じて差し上げて下さい」
安堵の溜め息をついたサフィリアに、ダンヒルが駆け寄った。
「え?」
「旦那様は必ずやり遂げます。王城の勤務体制を見直して、定時退城出来る未来を切り開かれることでしょう。奥様に淋しい思いをさせるだなんて、旦那様は身を切られる思いでいらっしゃるのです」
まさか。
無い無いと、サフィリアは心の中で手を左右に振ったが、執事が力説するから大人しく聞いていた。
それからふと、忘れかけていた天竺を思い出した。天竺への道のりが果てしなく遠いことを思い出して、気が遠くなるのだった。
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