或る伯爵夫人が一人思い悩んだ末の事の顛末

桃井すもも

文字の大きさ
28 / 44

第二十八章

しおりを挟む
「死にたい」

 抱き締めた胸の中から聞こえた声で目が覚めた。小鳥の囀りかと思った。いやそうではない、妖精なのか?声まで可愛らしいなんてどうかしている。危うくこちらが昇天しそうであった。
 だがしかし、聞き捨てならない、死なせてならない。

「死んでは駄目だ」
「へ?」

 サフィリアの目の前に、綺麗な深緑の瞳が見えた。灯りを絞った室内の薄闇でもわかる、深海のような瞳がサフィリアを見つめていた。

「ど、どなた?」

 ぎゅうぅと抱き締める腕の強さに若干酸欠気味になりながら、サフィリアが尋ねる。
 すると抱き締めていた手の片方が、さわさわとサフィリアの背中から腰をさすりはじめて、サフィリアは、なんだかお腹がムズムズするような可怪しな気持ちになってしまった。

 一方ルクスは、なにを聞かれても妖精、ではなく、サフィリアが可愛くて仕方ない。

「私は、ルクス・バイロン・コットナーという。コットナー伯爵家の者だ」

 絶対憶えてほしいから、しっかりフルネームで答えた。この名はいずれ君の名となる。二人同じ姓を名乗るのだ。忘れないで今すぐここで憶えてくれ。

 念の為、もういっぺん言ってみようか悩んだが、しつこい漢は嫌われると物の本に書いていたので辞めにした。

 その後のことは一日だって忘れない。忘れよう筈もない。サフィリアを娶らんと張り巡らした謀略の数々。その一つ一つが結実に向かっていたのだから。

 示し合わせていた姉夫婦が扉を開けて、「まあ!サフィリア」と芝居めいた台詞のあとに事の次第をサフィリアに説明した。勿論、サフィリアの両親もその場にいた。 
 義兄がチラチラチラチラ確認の視線を寄越すのが若干ウザかったがシカトした。

 姉と目が合い、互いに頷く。
 今だ、言うぞ。

 昨晩何度も練習した台詞をルクスはここで披露した。

「責任を取らせて頂く」

 それからは、毎日がスキップしたい日々だった。
 両家の顔合わせに始まり、フランシスを通して教会を押さえ、社交シーズンが終わって王都に五月蝿い貴族がいないのを良いことに、身内だけで密かに挙式すべく段取りをする。

 知らぬはサフィリアばかりなり。
 彼女は夜会の出会いが偶然だと信じている。
 すまない、サフィリア。全部罠だ。愛しい子栗鼠、もとい可愛いサフィリアを手中に収めるために、両家が一致団結して君に仕掛けた罠なんだ。

 サフィリアは、どうやらあの控えの間で、二人が酩酊状態のまま事に及んでしまったと思っている。
 純潔を喪失したばかりに、必然的にルクスの妻となったと信じている。

 どう誤解してくれても構わない。
 お胸は確かにモミモミした。手の平に収まりきってしまう囁かな膨らみが愛おしかった。
 君が気に病む「乙女の喪失」なんて、そんなものは憂いにもならない。なにせ直ぐに無くなるんだから。

 喪失だなんて間違えないでもらいたい。
 己はサフィリアに与えるのみ。尽きることのない愛と子種を君にひたすら与えるのだ。失ったなんて悲しまないでくれないか。

 婚約期間はゼロ期間、出会い=婚姻という、この年、王国で最短記録の婚礼は、ひと夏の間に速やかに為された。なので喪失を気に病む暇がないほどに、結局、サフィリアは初夜であっという間に乙女を失った。


 あれから二年。 
 あのボケナス王太子の無茶振りのお陰で、ルクスはなかなか家に帰れない。帰れないが帰った日には、遅れを取り返そうと長すぎる蜜月を楽しんだ。

 素直なサフィリアは直ぐにルクスに馴染んだ。使用人たちも、そんな彼女を大切にしている。
 伯爵家は、まるで最初からサフィリアを迎え入れるための場所だと思えた。それくらいサフィリアは、若夫人としてルクスにも伯爵家にも溶け込んでいた。

 城に泊まる日には着替えを持って王城に来るサフィリアは自慢の妻だ。
 どうだ我が妻、可愛いだろう。ルクスはそこいら中にそれとなくサフィリアを見せびらかした。
 堅物のデキる漢ルクスの豹変に、王城の人間は皆驚いたが、王太子だけは「そうか?アイツはそういう奴だろう」と納得していた。


 どうやらサフィリアは、自分を「地味」だなんて思い違いをしている。それはあの強烈な姉を見すぎたからだ。

 姉が匂い立つ深紅の薔薇なら君は可憐なペンペン草。路傍を愛らしく飾る私だけの花。

 そう古い友人に聞かせていたのだが、奴は朴念仁だから、可怪しな表情をするだけだった。
 そんの可怪しな表情をする友人フランシスは貴族の三男で、継ぐ家がないからと神籍に入った。学園時代からの友である。

 そのフランシスがある日、王城を訪ねてきた。会うなり可及的速やかに対処しろと言われた。
 そこで聞かされた事実の数々。サフィリアがフランシスに語ったという話に、ルクスは奈落の底に沈み込むような絶望を感じた。
 それは思い違いも甚だしい、「離縁」だなんて呪わしい計画についての話だった。

「それから、もしや夫人、聖女に認定されたんだろう?お前、それを無視しただろう」

 フランシスの言った言葉は耳に入っていた。だが、彼女を奪う魔の手国教会だなんてク◯喰らえ、そう思っていたからやはり無視した。

 それどころではない。ルクスはサフィリアの元に可及的速やかに帰らねばならないのだから。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

伯爵令嬢の婚約解消理由

七宮 ゆえ
恋愛
私には、小さい頃から親に決められていた婚約者がいます。 婚約者は容姿端麗、文武両道、金枝玉葉という世のご令嬢方が黄色い悲鳴をあげること間違い無しなお方です。 そんな彼と私の関係は、婚約者としても友人としても比較的良好でありました。 しかしある日、彼から婚約を解消しようという提案を受けました。勿論私達の仲が不仲になったとか、そういう話ではありません。それにはやむを得ない事情があったのです。主に、国とか国とか国とか。 一体何があったのかというと、それは…… これは、そんな私たちの少しだけ複雑な婚約についてのお話。 *本編は8話+番外編を載せる予定です。 *小説家になろうに同時掲載しております。 *なろうの方でも、アルファポリスの方でも色んな方に続編を読みたいとのお言葉を貰ったので、続きを只今執筆しております。

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

完結 この手からこぼれ落ちるもの   

ポチ
恋愛
やっと、本当のことが言えるよ。。。 長かった。。 君は、この家の第一夫人として 最高の女性だよ 全て君に任せるよ 僕は、ベリンダの事で忙しいからね? 全て君の思う通りやってくれれば良いからね?頼んだよ 僕が君に触れる事は無いけれど この家の跡継ぎは、心配要らないよ? 君の父上の姪であるベリンダが 産んでくれるから 心配しないでね そう、優しく微笑んだオリバー様 今まで優しかったのは?

亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃
恋愛
伯爵家の令嬢・リシェルは、侯爵家のアルベルトに密かに想いを寄せていた。 けれど彼が選んだのはリシェルではなく、双子の姉・オリヴィアだった。 二人は夫婦となり、誰もが羨むような幸福な日々を過ごしていたが――それは五年ももたず、儚く終わりを迎えてしまう。 オリヴィアが心臓の病でこの世を去ったのだ。 その日を堺にアルベルトの心は壊れ、最愛の妻の幻を追い続けるようになる。 そんな彼を守るために。 そして侯爵家の未来と、両親の願いのために。 リシェルは自分を捨て、“姉のふり”をして生きる道を選ぶ。 けれど、どれほど傍にいても、どれほど尽くしても、彼の瞳に映るのはいつだって“オリヴィア”だった。 その現実が、彼女の心を静かに蝕んでゆく。 遂に限界を越えたリシェルは、自ら命を絶つことに決める。 短剣を手に、過去を振り返るリシェル。 そしていよいよ切っ先を突き刺そうとした、その瞬間――。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

【完結】見えてますよ!

ユユ
恋愛
“何故” 私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。 美少女でもなければ醜くもなく。 優秀でもなければ出来損ないでもなく。 高貴でも無ければ下位貴族でもない。 富豪でなければ貧乏でもない。 中の中。 自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。 唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。 そしてあの言葉が聞こえてくる。 見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。 私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。 ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。 ★注意★ ・閑話にはR18要素を含みます。  読まなくても大丈夫です。 ・作り話です。 ・合わない方はご退出願います。 ・完結しています。

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

処理中です...