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第四十一章
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オーディンはマルガレーテの婚約者となった。マルガレーテは三年後にはオーディンの妻になる。
一時はご老人との未来を受け入れ(誤解)、オーディンへ抱く愛を心の中の小箱に押し込めたが、脆弱なその蓋は呆気なくパカッと開いてしまった。もう、オーディンへの愛はダダ漏れである。
王家主催の舞踏会で、オーディンとの婚約が発表された。それに先立って、コットナー伯爵家の侯爵家への陞爵が公となっていた。
王女の慶事に舞踏会は例年になく華やかなものとなり、その夜は花火が打ち上げられて民の目を楽しませ、王都は夏の夜の夢に浮かれるような賑わいであった。
「これが取りたいの?」
頭の上に影が差して、腕が伸びるのが見えた。
「あ、ありがとう。オーディン」
オーディンが書架から本を抜き取り、マルガレーテの背後から本を差し出す。オーディンを振り返ることも出来ぬまま、本を受け取りマルガレーテは礼を言った。
ここは王城の図書室で、マルガレーテは読みたかった本を見つけたのだが、それは書架の一番上の棚にあったから、背の低いマルガレーテでは届かなかった。
こんなところに仕舞った筈ではなかったのに、分類の装丁がされていない書物と見做されたのか、上の段に押し込められていたらしい。
爪立ちになって腕を伸ばして、ううんと背伸びをしても届かない。そんなマルガレーテに影が差して、同時に背中に温もりを感じた。
オーディンの身体が背中に触れている。
こんな接触はこれまで無かったことだ。それはこれまでオーディンが適切な距離を測っていたからで、もうそれは今では過去の彼となっていた。
オーディンの語る口調は更に親密なものとなり、今までのような敬語を多用しなくなった。そんなことにもマルガレーテは心を揺さぶられて、その距離の近さに戸惑いながら胸を熱くさせられていた。
ヘンリーのような太陽の光を真っ向から浴びせるような熱とも異なる、オーディンの深く重く侵食されるような愛。
今もほんの少し背中が触れただけなのに、きつく抱き締められたような錯覚を覚えるのは、マルガレーテが可怪しいのか、それともオーディンの放つ熱がそうさせるのか。
長く秘めた愛がどちらのものなのか、もう今となってはわからなくなっていた。
マルガレーテの手元に影ができている。狭い書架の通路にいるのと、背の高いオーディンに見下されているからで、たったそれだけのことでマルガレーテの胸は早鐘を打つように鼓動が早まる。
マルガレーテに本を渡して、ピタリと寄り添いながらこちらを見下ろしているオーディン。
「まだそんな男が好きなの?」
それは多分、今、手の中にある東国の物語、ライト王子のことだろう。オーディンはライト王子を「エテ公」と呼んで軽蔑するようだった。
「い、いいえ、そんなことはなくてよ」
「では、なぜこの書物を王城に?」
学園の図書室で見つけた「ライト王子物語」。それをマルガレーテは個人的に購入して、それを自室にではなく王城の図書室の書架に並べていた。
そっと読みたい時にはこうして図書室まで足を運ぶのを、何故かオーディンに見つかってしまった。
「貴女は浮気な夫をお望みなのか?」
「違うの、オーディン!」
慌てて振り返れば、オーディンはこちらを覗き込むようにしてすぐ側にいた。危うく顔が触れ合ってしまうところだった。
「違うの……」
「なにが?」
「その……恋人たちの心情が……」
オーディンは、笑みを浮かべてこちらを見る。はっきり言うまで納得しないだろう。
「ライト王子の訪れを待つ恋人たちの心情が、とても切なくて、なんというか、同感するというか理解できるというか……」
「貴女も同じ気持ちだと?」
その問に、マルガレーテはこくんと頷いた。
ライト王子は愛すべき浮気者だ。花から花へと蜜を求めて気まぐれに飛ぶ蜂のようだ。興味が湧けば濃密な逢瀬を求め、愛が薄れば容易く足は遠のく。
数々の姫君たちと浮名を流し、一度愛を受け入れてしまった恋人たちをあっという間に虜にする。
マルガレーテが気掛かりだったのは、姫君たちのことだった。ライト王子がいつ会いに来てくれるのかを、満ちる月、欠ける月を眺めながらひたすら待つ。連日訪れた愛しいひとの訪いは、そのうち二日おきになり三日おきになり、その足が途絶える頃には、余所に新しい恋人が出来たと風の噂に聞くことになる。
待つことしか出来ない姫君たちの切ない心中。これがまるでオーディンを待つばかりのマルガレーテの心を捕えた。
決してオーディンの心を疑うのではない。ただオーディンに会いたい心を勝手に拗らせているだけで、そのやり場のない恋心を宥めるために「ライト王子物語」を取り寄せたのである。
「コソコソと、こんなところに紛れ込ませて一人密かに読むほどに没入するのは私のため?」
マルガレーテの心情と行動を端的に40文字で言い表したオーディンに、マルガレーテはお手上げになってしまった。
この恋人に、一生敵いそうにない。
「そうよ、オーディン。私、貴方に会いたくて会いたくて、でも恥ずかしくてそう言えなくて、それでせめて物語の女性たちの心情に慰められたくて、コソコソと一人密かに物語に没入しているのよ?だって、貴方のことが好きなのですもの、仕方がないことでしょう?」
だから正直に打ち明けた。オーディンに隠し事なんて無理なのだ。
だが、オーディンはその言葉に固まってしまった。マルガレーテは途端に後悔した。婚約したばかりなのに、重すぎる告白に引かれてしまった。馬鹿馬鹿マルガレーテ、しくじってしまったわ。
だが、次の瞬間にマルガレーテは目の前が真っ暗になっていた。同時に息が苦しくなった。
「貴女というひとは……」
その声は、頭に乗せられたオーディンの頬から直に伝わって聞こえてきた。
マルガレーテは抱き締められていた。
オーディンの広い胸の中に閉じ込められて、ああ、幸せ。もうここから出たくない。瞼を閉じてそう思うのだった。
一時はご老人との未来を受け入れ(誤解)、オーディンへ抱く愛を心の中の小箱に押し込めたが、脆弱なその蓋は呆気なくパカッと開いてしまった。もう、オーディンへの愛はダダ漏れである。
王家主催の舞踏会で、オーディンとの婚約が発表された。それに先立って、コットナー伯爵家の侯爵家への陞爵が公となっていた。
王女の慶事に舞踏会は例年になく華やかなものとなり、その夜は花火が打ち上げられて民の目を楽しませ、王都は夏の夜の夢に浮かれるような賑わいであった。
「これが取りたいの?」
頭の上に影が差して、腕が伸びるのが見えた。
「あ、ありがとう。オーディン」
オーディンが書架から本を抜き取り、マルガレーテの背後から本を差し出す。オーディンを振り返ることも出来ぬまま、本を受け取りマルガレーテは礼を言った。
ここは王城の図書室で、マルガレーテは読みたかった本を見つけたのだが、それは書架の一番上の棚にあったから、背の低いマルガレーテでは届かなかった。
こんなところに仕舞った筈ではなかったのに、分類の装丁がされていない書物と見做されたのか、上の段に押し込められていたらしい。
爪立ちになって腕を伸ばして、ううんと背伸びをしても届かない。そんなマルガレーテに影が差して、同時に背中に温もりを感じた。
オーディンの身体が背中に触れている。
こんな接触はこれまで無かったことだ。それはこれまでオーディンが適切な距離を測っていたからで、もうそれは今では過去の彼となっていた。
オーディンの語る口調は更に親密なものとなり、今までのような敬語を多用しなくなった。そんなことにもマルガレーテは心を揺さぶられて、その距離の近さに戸惑いながら胸を熱くさせられていた。
ヘンリーのような太陽の光を真っ向から浴びせるような熱とも異なる、オーディンの深く重く侵食されるような愛。
今もほんの少し背中が触れただけなのに、きつく抱き締められたような錯覚を覚えるのは、マルガレーテが可怪しいのか、それともオーディンの放つ熱がそうさせるのか。
長く秘めた愛がどちらのものなのか、もう今となってはわからなくなっていた。
マルガレーテの手元に影ができている。狭い書架の通路にいるのと、背の高いオーディンに見下されているからで、たったそれだけのことでマルガレーテの胸は早鐘を打つように鼓動が早まる。
マルガレーテに本を渡して、ピタリと寄り添いながらこちらを見下ろしているオーディン。
「まだそんな男が好きなの?」
それは多分、今、手の中にある東国の物語、ライト王子のことだろう。オーディンはライト王子を「エテ公」と呼んで軽蔑するようだった。
「い、いいえ、そんなことはなくてよ」
「では、なぜこの書物を王城に?」
学園の図書室で見つけた「ライト王子物語」。それをマルガレーテは個人的に購入して、それを自室にではなく王城の図書室の書架に並べていた。
そっと読みたい時にはこうして図書室まで足を運ぶのを、何故かオーディンに見つかってしまった。
「貴女は浮気な夫をお望みなのか?」
「違うの、オーディン!」
慌てて振り返れば、オーディンはこちらを覗き込むようにしてすぐ側にいた。危うく顔が触れ合ってしまうところだった。
「違うの……」
「なにが?」
「その……恋人たちの心情が……」
オーディンは、笑みを浮かべてこちらを見る。はっきり言うまで納得しないだろう。
「ライト王子の訪れを待つ恋人たちの心情が、とても切なくて、なんというか、同感するというか理解できるというか……」
「貴女も同じ気持ちだと?」
その問に、マルガレーテはこくんと頷いた。
ライト王子は愛すべき浮気者だ。花から花へと蜜を求めて気まぐれに飛ぶ蜂のようだ。興味が湧けば濃密な逢瀬を求め、愛が薄れば容易く足は遠のく。
数々の姫君たちと浮名を流し、一度愛を受け入れてしまった恋人たちをあっという間に虜にする。
マルガレーテが気掛かりだったのは、姫君たちのことだった。ライト王子がいつ会いに来てくれるのかを、満ちる月、欠ける月を眺めながらひたすら待つ。連日訪れた愛しいひとの訪いは、そのうち二日おきになり三日おきになり、その足が途絶える頃には、余所に新しい恋人が出来たと風の噂に聞くことになる。
待つことしか出来ない姫君たちの切ない心中。これがまるでオーディンを待つばかりのマルガレーテの心を捕えた。
決してオーディンの心を疑うのではない。ただオーディンに会いたい心を勝手に拗らせているだけで、そのやり場のない恋心を宥めるために「ライト王子物語」を取り寄せたのである。
「コソコソと、こんなところに紛れ込ませて一人密かに読むほどに没入するのは私のため?」
マルガレーテの心情と行動を端的に40文字で言い表したオーディンに、マルガレーテはお手上げになってしまった。
この恋人に、一生敵いそうにない。
「そうよ、オーディン。私、貴方に会いたくて会いたくて、でも恥ずかしくてそう言えなくて、それでせめて物語の女性たちの心情に慰められたくて、コソコソと一人密かに物語に没入しているのよ?だって、貴方のことが好きなのですもの、仕方がないことでしょう?」
だから正直に打ち明けた。オーディンに隠し事なんて無理なのだ。
だが、オーディンはその言葉に固まってしまった。マルガレーテは途端に後悔した。婚約したばかりなのに、重すぎる告白に引かれてしまった。馬鹿馬鹿マルガレーテ、しくじってしまったわ。
だが、次の瞬間にマルガレーテは目の前が真っ暗になっていた。同時に息が苦しくなった。
「貴女というひとは……」
その声は、頭に乗せられたオーディンの頬から直に伝わって聞こえてきた。
マルガレーテは抱き締められていた。
オーディンの広い胸の中に閉じ込められて、ああ、幸せ。もうここから出たくない。瞼を閉じてそう思うのだった。
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