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第四十二章
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窓から吹き込む海風に艷やかな栗色の髪を靡かせて、マーガレットは小説を読んでいた。
「お嬢様。王都より文が届いております」
文。執事は確かにそう言ったが、この邸であれを文だと思う者は一人もいない。あれは書物だ。
現に、執事だってそう思うのだろう。だって文を立てている。絶対狙ってやっている。文って普通、立つ?文なのにマチがあるのよ?直立しているのよ?
それを態々この執事、寝かせて持ってくれば良いものを、毎度毎度トレイの上に直立させながら持ってくる。
「いやはや、欠かさず日に二度文をお送り下さる。殿下の深い愛は我が領の海より深いものですな」
直立した文、「殿下の恋文・午前の部」を受け取ると、執事はマーガレットを見てニコリと笑った。これがもう一度繰り返される。夕暮れ前に「殿下の恋文・午後の部」が届くのだから。
王国の東に位置する港湾の街、そこがマーガレットの生まれた領地だ。侯爵家には三人の子女がおり、長兄は領地にある同じ邸にいて後継として父侯爵の執務を習っている。
次兄は王立の貴族学園に通っており、今は王都のタウンハウスに離れて暮らしている。彼はそのまま学園の卒業後も王都に残り、海運業を生業とする生家が持つ商会の運営を担うこととなっている。
末っ子のマーガレットが王太子の婚約者となった。それは王都の貴族ばかりでなく領地領民にも歓喜と衝撃を齎した。
なにせマーガレットは、かの隠れ聖女、コットナー侯爵夫人に見出されたのである。
彼女の婚家は元々伯爵位であったのが、先頃陞爵されて侯爵位を賜った為に、今は侯爵夫人となっている。
彼女は歴代の王家の婚姻、直近の全てを取り纏めた立役者で、国教会の総本山より聖女と認定されているのを、彼女を溺愛する夫の手によりことごとく阻止されている逸材である。
なんでも、聖女認定式だとか聖地巡礼だとかに赴く為に、夫人が自邸を不在にするのが嫌で嫌で堪らないという、夫のただの我が儘の為に、この国は聖女がいながら公にできずにいるのだとかなんとか。
まあ、噂は置いておいて、夫人の選別眼が類まれであるのは有名で、「困った時のサフィリア夫人」は、この国では子供でも知る格言となっている。
そのサフィリア夫人の御選択で引き抜かれた王太子の婚約者。それがマーガレットだった。
自分は領地である港街しか知らない田舎貴族の娘である。そう思っているのはマーガレットだけで、東側の航路を網羅する生家の商いは王国随一を誇る。
王太子妃とは、愛とか恋とか物語のような浮かれた話では務まらない。「真実の愛」で平民が娶られるなら、その生家は破産、良くて極貧に喘ぐこととなる。
婚姻に当っての持参金から始まり、婚姻時の支度料と帯同する使用人の人件費。加えて、王妃になってからも続く生家が担う化粧料。
王太子妃とは、生家にとっては名誉と引き換えの金食い虫なのだ。その金銭的な体力を、マーガレットの生家は難なく捻出することが出来る。
まあ、そんなことはひとつも知らない深窓の令嬢であるマーガレットは、王太子の深過ぎる愛に絶賛困惑中なのである。
先ず、文が厚い。長いし厚い。枚数の嵩む封筒は破裂寸前で、ペーパーナイフを当てた途端にパンと弾けるので開封に危険を伴う。
そしてその内容が濃密で、何故か初見でテーブルに向き合った日から、ヘンリーからの重い愛を傾けられている。
それはマーガレットが第一王女マルガレーテに激似であるからなのだとわかるのだが、最近のヘンリーは、そんなマーガレットから姉には無い別の魅力を発掘するのが新たな趣味になったのだと言っていた。
兎に角、そんな激重の愛が詰まりに詰まった物理で重い文が一日二通届く。
「これだけの分量を毎日お書きになって、内容が一度もダブらない殿下の頭の中とはどうなっていらっしゃるのかしら」
それはマーガレットの素朴な疑問で、その実、戸惑いの向こう側に隠しきれない憧れと恋情を抱いている。
切っ掛けが隠れ聖女の御選択であろうが姉王女に似ていようが、マーガレットは気にならなかった。
ヘンリーとは、小説から抜け出した白馬の王子そのものだった。若干ねちっこく愛が激重だが、海風を受けて育つ港の女も濃厚な愛を抱く。
マーガレットの母などその筆頭で、海に溺れない泳法に長ける東部の人間は、愛欲の海に溺れても流されない強さを持っている。
内気な見目通り、マーガレットはそんな領地にいて、控えめな大人しい令嬢である。どこにでもいる、白馬の王子様を夢に見る乙女であった。
来春には、マーガレットは王都に移る。
学園に入学することと、同時に王太子妃教育を授かることとなる。
ヘンリーとは同い年なのだが、彼は姉に引っ付いて、学園へは一年前倒しにして入学している。
「人生で初めて己の選択が正しかったのかを問い直した」
そう言ったヘンリーは、マーガレットと同じ学年になれないことを悔やむあまり、留年すら考えていたようであった。勿論それは家臣によって止められたらしい。
「ヘンリー様……」
まだ馴染みの浅い恋人の名を呼んでみれば、海風が王都まで運んでくれるような気持ちになる。
マーガレットは先日、王都から戻ったばかり。王都でのヘンリーとの婚約後初めての公式行事である舞踏会に参加した。
そこで初めて姉王女のマルガレーテと対面し、二人は忽ちシンパシーを感じたのである。
マルガレーテの横にも、彼女の未来の伴侶が寄り添っていた。彼はヘンリーの側近候補で、件のサフィリア夫人の息子である。夫人とよく似た温かく穏やかな雰囲気を漂わせていた。
彼がヘンリーを遥かに凌駕する、海の底より深く地底のマグマより熱く粘度を伴うしつこい愛の持ち主であることは、初心なマーガレットには看破できないことなのであった。
「お嬢様。王都より文が届いております」
文。執事は確かにそう言ったが、この邸であれを文だと思う者は一人もいない。あれは書物だ。
現に、執事だってそう思うのだろう。だって文を立てている。絶対狙ってやっている。文って普通、立つ?文なのにマチがあるのよ?直立しているのよ?
それを態々この執事、寝かせて持ってくれば良いものを、毎度毎度トレイの上に直立させながら持ってくる。
「いやはや、欠かさず日に二度文をお送り下さる。殿下の深い愛は我が領の海より深いものですな」
直立した文、「殿下の恋文・午前の部」を受け取ると、執事はマーガレットを見てニコリと笑った。これがもう一度繰り返される。夕暮れ前に「殿下の恋文・午後の部」が届くのだから。
王国の東に位置する港湾の街、そこがマーガレットの生まれた領地だ。侯爵家には三人の子女がおり、長兄は領地にある同じ邸にいて後継として父侯爵の執務を習っている。
次兄は王立の貴族学園に通っており、今は王都のタウンハウスに離れて暮らしている。彼はそのまま学園の卒業後も王都に残り、海運業を生業とする生家が持つ商会の運営を担うこととなっている。
末っ子のマーガレットが王太子の婚約者となった。それは王都の貴族ばかりでなく領地領民にも歓喜と衝撃を齎した。
なにせマーガレットは、かの隠れ聖女、コットナー侯爵夫人に見出されたのである。
彼女の婚家は元々伯爵位であったのが、先頃陞爵されて侯爵位を賜った為に、今は侯爵夫人となっている。
彼女は歴代の王家の婚姻、直近の全てを取り纏めた立役者で、国教会の総本山より聖女と認定されているのを、彼女を溺愛する夫の手によりことごとく阻止されている逸材である。
なんでも、聖女認定式だとか聖地巡礼だとかに赴く為に、夫人が自邸を不在にするのが嫌で嫌で堪らないという、夫のただの我が儘の為に、この国は聖女がいながら公にできずにいるのだとかなんとか。
まあ、噂は置いておいて、夫人の選別眼が類まれであるのは有名で、「困った時のサフィリア夫人」は、この国では子供でも知る格言となっている。
そのサフィリア夫人の御選択で引き抜かれた王太子の婚約者。それがマーガレットだった。
自分は領地である港街しか知らない田舎貴族の娘である。そう思っているのはマーガレットだけで、東側の航路を網羅する生家の商いは王国随一を誇る。
王太子妃とは、愛とか恋とか物語のような浮かれた話では務まらない。「真実の愛」で平民が娶られるなら、その生家は破産、良くて極貧に喘ぐこととなる。
婚姻に当っての持参金から始まり、婚姻時の支度料と帯同する使用人の人件費。加えて、王妃になってからも続く生家が担う化粧料。
王太子妃とは、生家にとっては名誉と引き換えの金食い虫なのだ。その金銭的な体力を、マーガレットの生家は難なく捻出することが出来る。
まあ、そんなことはひとつも知らない深窓の令嬢であるマーガレットは、王太子の深過ぎる愛に絶賛困惑中なのである。
先ず、文が厚い。長いし厚い。枚数の嵩む封筒は破裂寸前で、ペーパーナイフを当てた途端にパンと弾けるので開封に危険を伴う。
そしてその内容が濃密で、何故か初見でテーブルに向き合った日から、ヘンリーからの重い愛を傾けられている。
それはマーガレットが第一王女マルガレーテに激似であるからなのだとわかるのだが、最近のヘンリーは、そんなマーガレットから姉には無い別の魅力を発掘するのが新たな趣味になったのだと言っていた。
兎に角、そんな激重の愛が詰まりに詰まった物理で重い文が一日二通届く。
「これだけの分量を毎日お書きになって、内容が一度もダブらない殿下の頭の中とはどうなっていらっしゃるのかしら」
それはマーガレットの素朴な疑問で、その実、戸惑いの向こう側に隠しきれない憧れと恋情を抱いている。
切っ掛けが隠れ聖女の御選択であろうが姉王女に似ていようが、マーガレットは気にならなかった。
ヘンリーとは、小説から抜け出した白馬の王子そのものだった。若干ねちっこく愛が激重だが、海風を受けて育つ港の女も濃厚な愛を抱く。
マーガレットの母などその筆頭で、海に溺れない泳法に長ける東部の人間は、愛欲の海に溺れても流されない強さを持っている。
内気な見目通り、マーガレットはそんな領地にいて、控えめな大人しい令嬢である。どこにでもいる、白馬の王子様を夢に見る乙女であった。
来春には、マーガレットは王都に移る。
学園に入学することと、同時に王太子妃教育を授かることとなる。
ヘンリーとは同い年なのだが、彼は姉に引っ付いて、学園へは一年前倒しにして入学している。
「人生で初めて己の選択が正しかったのかを問い直した」
そう言ったヘンリーは、マーガレットと同じ学年になれないことを悔やむあまり、留年すら考えていたようであった。勿論それは家臣によって止められたらしい。
「ヘンリー様……」
まだ馴染みの浅い恋人の名を呼んでみれば、海風が王都まで運んでくれるような気持ちになる。
マーガレットは先日、王都から戻ったばかり。王都でのヘンリーとの婚約後初めての公式行事である舞踏会に参加した。
そこで初めて姉王女のマルガレーテと対面し、二人は忽ちシンパシーを感じたのである。
マルガレーテの横にも、彼女の未来の伴侶が寄り添っていた。彼はヘンリーの側近候補で、件のサフィリア夫人の息子である。夫人とよく似た温かく穏やかな雰囲気を漂わせていた。
彼がヘンリーを遥かに凌駕する、海の底より深く地底のマグマより熱く粘度を伴うしつこい愛の持ち主であることは、初心なマーガレットには看破できないことなのであった。
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