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第八章
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「次の休日から、君の妃教育が始まるだろう?」
「ええ」
「そのときに、私とお茶をご一緒願えるかな?」
「⋯⋯勿論ですわ」
生徒会室にはお茶の用意がないらしく、ローレルと向き合っていながら、テーブルの上にはなにもなかった。
茶葉とティーポットにカップがあったなら、ジェマイマはローレルのために手ずからお茶を淹れただろう。そのくらいの気遣いはジェマイマにもある。
ローレルの好みはなんだろう。
茶葉の銘柄を思い浮かべたとき、ジェマイマは一瞬、座りながら目眩を感じた。
クラリと天井が回ったように視界が暗転して、うっと胸に詰まるものを感じた、そのとき。
『殿下は、濃く淹れた紅茶に温めたミルクをたっぷり入れるのがお好みなのよ』
それはまるで自分が自分に語るように聞こえた。今、耳の奥に蘇った言葉はなんだったのか。確かにローレルへ向ける愛情が滲んでいた。
なぜなのか、ジェマイマは胸に痛みを感じた。それは哀しい物語を読み終えた後のように、どうにも遣る瀬ない結末に、つい溜息をついてしまう、そんな感覚だった。
「茶葉をお持ちしますわ。殿下のお口に合えばよろしいのですけれど」
目眩は直ぐに治まって、思わず口から出た言葉にローレルは意外と思ったのか、あの人を食ったような笑みを浮かべることはしなかった。
彼には、表向きとは異なる皮肉屋な面があるのは薄々気づいていたのだが、ここにきてようやく青年らしい表情を見せてくれた。
ジェマイマはそのことに、なぜだか心がほっとして気持ちが緩んだ。
それでつい、言ってみたのである。
「よろしければ、私がお茶をお淹れいたしますわ」
「君が?へえ、嬉しいな」
本当に嬉しいのかなんてわからなかったが、ローレルは、婚約者であるジェマイマを尊重すると言った通り、喜んでくれた。
「では、茶菓子は君の好みのものを用意しよう。そうだな、ラム酒に漬け込んだレーズン入りのミンスパイとかはどうだろう」
ジェマイマは驚いた。
ローレルの口から菓子の名が出るとは思わなかったし、フルーツ入りのミンスパイなんて、庶民も楽しむどこにでもある焼き菓子である。
だが、ラム酒に浸かってふっくらと柔らかくなったレーズン入りのミンスパイは、ジェマイマの大好物だった。
ジェマイマは、思わずローレルの後ろにいるオスカーを見た。オスカーが教えたのか。だが、彼はジェマイマの好物なんて知っていただろうか。
オスカーは、こちらに視線を向けたジェマイマに、なぜ視線が合ったのかわからないというような顔をした。
ジェマイマはローレルのお茶の好みに思い当たり、ローレルはジェマイマの好物である焼き菓子に思い至った。
全ては偶々、偶然だったのだろう。なのに、不思議な符合にジェマイマは動揺していた。
ローレルとの関係はすでに始まっており、ジェマイマは彼との未来を生きることになった。全てが定められた流れの中にいるようで、ここのところ何度も感じる既視感に、再び目眩がしそうだった。
「では、次の休日に」
そう言ってローレルが先に生徒会室を出た。
ジェマイマは、その後をついていくフレデリクとオスカー、三人の背中を見送ってから、一人教室に戻った。
昼休みはもうすぐ終わるところだったが、まだ令嬢たちは王太子の婚約話で盛り上がっていた。
このクラスでは、侯爵家の令嬢であるジェマイマが最も生家の家格が高い。そのためか、どことなく遠巻きにされている感がある。
それ以上に、令嬢たちの話の輪に加わるなんて、ジェマイマにはハードルの高いことだった。
楽しそうにお喋りをするクラスメイトの脇を通って、ジェマイマは自分の席に着いた。
ジェマイマは社交的なほうではなかったから、自分から敢えて誰かと親しくすることはなかった。だが無愛想なりに友人はいる。
「ジェマイマ様、どちらにいらしたの?どこにも姿が見えなかったから」
隣の席になった生徒を友人と言ってよいのか疑問であるが、彼女とは気を使わずに話ができるから、きっと友人でよいだろう。
ジェマイマに話しかけてくれた令嬢、ロベリアはキャンベル伯爵家の子女である。
彼女は伯爵家の一人娘で、将来は女伯爵として生家を継ぐ身である。
マシューが生まれるまではジェマイマも跡取り娘であったから、同じような身の上だったロベリアとは気が合うのだった。
彼女と同じクラスになっていなかったら、ジェマイマは今ごろ、一体誰とお喋りができたのだろう。
「もしや、殿下かしら?」
ロベリアは周囲に目を配ると、ジェマイマにだけ聞こえるように囁いた。
ロベリアは、ローレルとジェマイマが婚約したことを知る数少ない人物である。それは彼女の父が宰相の補佐官を務める文官で、事の仔細をすでに知っているからだった。
ロベリアの母もまた一人娘として生まれた現伯爵当主で、父は婿入りの身であった。
「フレデリク様に呼ばれたの」
ジェマイマもヒソヒソと答えた。
「殿下、どうだった?」
「殿下は殿下よ。昨日と同じ殿下だったわ」
ローレルとは少しだけ打ち解けられたような気もしたが、まだ彼のことをよく知らないうちは無闇に他言しないでおこうと思った。
彼の為人について、ジェマイマもまだ掴みかねている。
『そうではないわ、私は彼を⋯⋯』
耳の奥にそんな言葉が聞こえたようで、思わず手の平を押し当てた。
自分の知らないところで自分がなにかを憶えている。それは、ジェマイマを酷く不安定な気持ちにさせた。
「ええ」
「そのときに、私とお茶をご一緒願えるかな?」
「⋯⋯勿論ですわ」
生徒会室にはお茶の用意がないらしく、ローレルと向き合っていながら、テーブルの上にはなにもなかった。
茶葉とティーポットにカップがあったなら、ジェマイマはローレルのために手ずからお茶を淹れただろう。そのくらいの気遣いはジェマイマにもある。
ローレルの好みはなんだろう。
茶葉の銘柄を思い浮かべたとき、ジェマイマは一瞬、座りながら目眩を感じた。
クラリと天井が回ったように視界が暗転して、うっと胸に詰まるものを感じた、そのとき。
『殿下は、濃く淹れた紅茶に温めたミルクをたっぷり入れるのがお好みなのよ』
それはまるで自分が自分に語るように聞こえた。今、耳の奥に蘇った言葉はなんだったのか。確かにローレルへ向ける愛情が滲んでいた。
なぜなのか、ジェマイマは胸に痛みを感じた。それは哀しい物語を読み終えた後のように、どうにも遣る瀬ない結末に、つい溜息をついてしまう、そんな感覚だった。
「茶葉をお持ちしますわ。殿下のお口に合えばよろしいのですけれど」
目眩は直ぐに治まって、思わず口から出た言葉にローレルは意外と思ったのか、あの人を食ったような笑みを浮かべることはしなかった。
彼には、表向きとは異なる皮肉屋な面があるのは薄々気づいていたのだが、ここにきてようやく青年らしい表情を見せてくれた。
ジェマイマはそのことに、なぜだか心がほっとして気持ちが緩んだ。
それでつい、言ってみたのである。
「よろしければ、私がお茶をお淹れいたしますわ」
「君が?へえ、嬉しいな」
本当に嬉しいのかなんてわからなかったが、ローレルは、婚約者であるジェマイマを尊重すると言った通り、喜んでくれた。
「では、茶菓子は君の好みのものを用意しよう。そうだな、ラム酒に漬け込んだレーズン入りのミンスパイとかはどうだろう」
ジェマイマは驚いた。
ローレルの口から菓子の名が出るとは思わなかったし、フルーツ入りのミンスパイなんて、庶民も楽しむどこにでもある焼き菓子である。
だが、ラム酒に浸かってふっくらと柔らかくなったレーズン入りのミンスパイは、ジェマイマの大好物だった。
ジェマイマは、思わずローレルの後ろにいるオスカーを見た。オスカーが教えたのか。だが、彼はジェマイマの好物なんて知っていただろうか。
オスカーは、こちらに視線を向けたジェマイマに、なぜ視線が合ったのかわからないというような顔をした。
ジェマイマはローレルのお茶の好みに思い当たり、ローレルはジェマイマの好物である焼き菓子に思い至った。
全ては偶々、偶然だったのだろう。なのに、不思議な符合にジェマイマは動揺していた。
ローレルとの関係はすでに始まっており、ジェマイマは彼との未来を生きることになった。全てが定められた流れの中にいるようで、ここのところ何度も感じる既視感に、再び目眩がしそうだった。
「では、次の休日に」
そう言ってローレルが先に生徒会室を出た。
ジェマイマは、その後をついていくフレデリクとオスカー、三人の背中を見送ってから、一人教室に戻った。
昼休みはもうすぐ終わるところだったが、まだ令嬢たちは王太子の婚約話で盛り上がっていた。
このクラスでは、侯爵家の令嬢であるジェマイマが最も生家の家格が高い。そのためか、どことなく遠巻きにされている感がある。
それ以上に、令嬢たちの話の輪に加わるなんて、ジェマイマにはハードルの高いことだった。
楽しそうにお喋りをするクラスメイトの脇を通って、ジェマイマは自分の席に着いた。
ジェマイマは社交的なほうではなかったから、自分から敢えて誰かと親しくすることはなかった。だが無愛想なりに友人はいる。
「ジェマイマ様、どちらにいらしたの?どこにも姿が見えなかったから」
隣の席になった生徒を友人と言ってよいのか疑問であるが、彼女とは気を使わずに話ができるから、きっと友人でよいだろう。
ジェマイマに話しかけてくれた令嬢、ロベリアはキャンベル伯爵家の子女である。
彼女は伯爵家の一人娘で、将来は女伯爵として生家を継ぐ身である。
マシューが生まれるまではジェマイマも跡取り娘であったから、同じような身の上だったロベリアとは気が合うのだった。
彼女と同じクラスになっていなかったら、ジェマイマは今ごろ、一体誰とお喋りができたのだろう。
「もしや、殿下かしら?」
ロベリアは周囲に目を配ると、ジェマイマにだけ聞こえるように囁いた。
ロベリアは、ローレルとジェマイマが婚約したことを知る数少ない人物である。それは彼女の父が宰相の補佐官を務める文官で、事の仔細をすでに知っているからだった。
ロベリアの母もまた一人娘として生まれた現伯爵当主で、父は婿入りの身であった。
「フレデリク様に呼ばれたの」
ジェマイマもヒソヒソと答えた。
「殿下、どうだった?」
「殿下は殿下よ。昨日と同じ殿下だったわ」
ローレルとは少しだけ打ち解けられたような気もしたが、まだ彼のことをよく知らないうちは無闇に他言しないでおこうと思った。
彼の為人について、ジェマイマもまだ掴みかねている。
『そうではないわ、私は彼を⋯⋯』
耳の奥にそんな言葉が聞こえたようで、思わず手の平を押し当てた。
自分の知らないところで自分がなにかを憶えている。それは、ジェマイマを酷く不安定な気持ちにさせた。
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