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第十六章
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その週は結局、学園でローレルと会うことはなかった。フレデリクやオスカーとも顔を合わせることはなく、ジェマイマは比較的穏やかな数日間を過ごすことができた。
だがそれも、昨日までのことである。
今日からは、これまでの平穏はなくなるものと潔く諦めなければならない。
今日は神殿での神事が執り行われる日であり、ジェマイマも出席していた。
参列するのは、王家とそれに連なる名だたる貴族の面々で、ジェマイマにとっては、ローレルの婚約者として公に出る初めての日であった。
と、いうよりも。
「ジェマイマ。ただ突っ立ていれば、あちらが勝手にやってくれる」
「⋯⋯」
横に立っていれば良いとは言われていたし、確かにその通りだった。
だが、一つだけ言わせてもらえるとしたら、今日の儀式とは、ローレルとジェマイマの婚約を言祝ぐ神事ではないのか。
二人が今日の主役である。
薄々わかってはいた。神官から事前の説明もあったし、王家の遣いからもそんなことを聞いていた。
だがローレルは、どこか我関せずというふうであったし、ジェマイマもそんな彼に、しっかり確かめることができなかった。
『殿下は、それほどお心の狭いお方ではないようにお見受けしました。お嬢様がほんの少し素直になられたなら、きっと耳を傾けてくださるのではないかと』
アルフレッドがそう言ってくれたばかりなのに、ジェマイマは、今ひとつ距離を縮めることができずにいた。
それで、こんな祭壇の真ん前に二人で並び立ちながら、ローレルが横から小声で言ったことに、なにも応えられずにいたのである。
儀式は、そんなジェマイマに構うことなく進んでゆく。
それも本当にローレルの言葉通り、ただ突っ立ているだけでよいようだった。だがその間、ジェマイマは無数の視線に晒されていた。
ジェマイマは人付き合いは疎くはあるが、引っ込み思案な訳ではない。
マシューが生まれるまでは、侯爵家の嫡女として教育を受けていたし、父が言うように豪胆な質なのは間違いないようだった。
報連相の全くなっていないローレルのことはすぐに放っといて、興味深くこちらを見る視線の雨も気にすることなく、そうだ、マシューの土産話に儀式の様子を記憶に留めようと思考を切り替えた。
「メモは駄目だよ」
その時、横からローレルが囁いた。
ジェマイマは、思わずそちらを見上げそうになるのをなんとか堪えた。
「私も憶えておくから、あとで教えてあげるよ」
目の前で、多分偉い人であろう神官がこちらに背を向け、祭壇になにかよくわからないことを宣っていた。
詠うように朗々と響く神官の声に紛れて、ローレルがそんなことを言っては、いちいち耳打ちをする。
終いには、
「ほら、ジェマイマ。あそこを見てごらん」
とか、
「今彼が話しているのは古語だよ。君、古語には詳しいかな?」
とか、話しかけてくる。
「もうっ、殿下、静かにしてください。怒られちゃいますよ?」
とうとうジェマイマが小声で諌めれば、ローレルは悪戯な笑みを浮かべて楽しそうな顔をした。
この方、私を揶揄って面白がっているのだわ。
ジェマイマはそう思い至った。
折角の神聖な儀式に参列した、というより、主役であったのに、半分以上はローレルが囁いたり耳打ちしたりで、気も漫ろになってしまったではないか。
おのれ、殿下。
ジェマイマは、目の前の神官が得意そうに何やら唱えているのを確かめて、そっとローレルに囁いた。
「五月蝿いですわよ」
「ぶふっ」
小声とはいえ、ジェマイマにストレートに叱られて、なにが可笑しかったのかローレルが吹き出した。
流石にそれには神官も気がついて、背中が小さく動いて見えた。
「叱られちゃったら殿下の所為です」
「君も一緒に叱られてくれるの?」
「仕方ないですけれど、ご一緒いたしますわ。私たち、同罪ですもの」
「それは、なんの罪?」
「お喋り罪でしょうかね」
「ふはっ」
一度話しはじめてしまえば、するするとお喋りが続く。いくら声を潜めていても、流石に二人が落ち着きをなくしたことに神官は気がついてしまった。
「うぉっほん!」
大きすぎる咳払いをしたのは、目の前でこちらに背を向けて立っている神官だった。
《怒られちゃったじゃないですか》
《君も同罪なんだからお付き合いいただくよ》
ローレルは前を向いたまま、声を出さずに笑っていた。それが当たり前の青年らしく見えて、ジェマイマも釣られて笑みを浮かべた。
だから、参列していた王族や貴族たちが、二人が仲睦まじいのだと思い込んでしまったのも仕方ないことだろう。
翌日の新聞に、二人が並び立つ挿絵とともに、
「王太子殿下がお迎えになられた婚約者は、大切に愛されているご様子だった」
なんて記事になることは、このときのジェマイマには予測できないことだった。
「やれやれやれ。お二人とも大層仲がよろしいご様子。なによりですな」
儀式が終わってから、「やれ」がやたらと多い神官に、しっかり嫌味を言われてしまった。
すみませんと頭を下げたジェマイマだったが、ローレルは相変わらず涼しい顔をしていた。
どうにか神事を終えると、控えの間に通された。そこで出されたお茶で喉を潤していると、ローレルがおもむろにジャケットの内ポケットからなにかを取り出した。
「憶えているうちに書き出そうか」
それは、小さなメモ帳だった。ローレルが言ったのは、ジェマイマがマシューに教えてあげたいと思っていた、今日の神事の様子についてだろう。
「弟君の好奇心旺盛なのは、君に似たんだな」
異母弟であるマシューを、ローレルはジェマイマに似ていると言ってくれた。
だがそれも、昨日までのことである。
今日からは、これまでの平穏はなくなるものと潔く諦めなければならない。
今日は神殿での神事が執り行われる日であり、ジェマイマも出席していた。
参列するのは、王家とそれに連なる名だたる貴族の面々で、ジェマイマにとっては、ローレルの婚約者として公に出る初めての日であった。
と、いうよりも。
「ジェマイマ。ただ突っ立ていれば、あちらが勝手にやってくれる」
「⋯⋯」
横に立っていれば良いとは言われていたし、確かにその通りだった。
だが、一つだけ言わせてもらえるとしたら、今日の儀式とは、ローレルとジェマイマの婚約を言祝ぐ神事ではないのか。
二人が今日の主役である。
薄々わかってはいた。神官から事前の説明もあったし、王家の遣いからもそんなことを聞いていた。
だがローレルは、どこか我関せずというふうであったし、ジェマイマもそんな彼に、しっかり確かめることができなかった。
『殿下は、それほどお心の狭いお方ではないようにお見受けしました。お嬢様がほんの少し素直になられたなら、きっと耳を傾けてくださるのではないかと』
アルフレッドがそう言ってくれたばかりなのに、ジェマイマは、今ひとつ距離を縮めることができずにいた。
それで、こんな祭壇の真ん前に二人で並び立ちながら、ローレルが横から小声で言ったことに、なにも応えられずにいたのである。
儀式は、そんなジェマイマに構うことなく進んでゆく。
それも本当にローレルの言葉通り、ただ突っ立ているだけでよいようだった。だがその間、ジェマイマは無数の視線に晒されていた。
ジェマイマは人付き合いは疎くはあるが、引っ込み思案な訳ではない。
マシューが生まれるまでは、侯爵家の嫡女として教育を受けていたし、父が言うように豪胆な質なのは間違いないようだった。
報連相の全くなっていないローレルのことはすぐに放っといて、興味深くこちらを見る視線の雨も気にすることなく、そうだ、マシューの土産話に儀式の様子を記憶に留めようと思考を切り替えた。
「メモは駄目だよ」
その時、横からローレルが囁いた。
ジェマイマは、思わずそちらを見上げそうになるのをなんとか堪えた。
「私も憶えておくから、あとで教えてあげるよ」
目の前で、多分偉い人であろう神官がこちらに背を向け、祭壇になにかよくわからないことを宣っていた。
詠うように朗々と響く神官の声に紛れて、ローレルがそんなことを言っては、いちいち耳打ちをする。
終いには、
「ほら、ジェマイマ。あそこを見てごらん」
とか、
「今彼が話しているのは古語だよ。君、古語には詳しいかな?」
とか、話しかけてくる。
「もうっ、殿下、静かにしてください。怒られちゃいますよ?」
とうとうジェマイマが小声で諌めれば、ローレルは悪戯な笑みを浮かべて楽しそうな顔をした。
この方、私を揶揄って面白がっているのだわ。
ジェマイマはそう思い至った。
折角の神聖な儀式に参列した、というより、主役であったのに、半分以上はローレルが囁いたり耳打ちしたりで、気も漫ろになってしまったではないか。
おのれ、殿下。
ジェマイマは、目の前の神官が得意そうに何やら唱えているのを確かめて、そっとローレルに囁いた。
「五月蝿いですわよ」
「ぶふっ」
小声とはいえ、ジェマイマにストレートに叱られて、なにが可笑しかったのかローレルが吹き出した。
流石にそれには神官も気がついて、背中が小さく動いて見えた。
「叱られちゃったら殿下の所為です」
「君も一緒に叱られてくれるの?」
「仕方ないですけれど、ご一緒いたしますわ。私たち、同罪ですもの」
「それは、なんの罪?」
「お喋り罪でしょうかね」
「ふはっ」
一度話しはじめてしまえば、するするとお喋りが続く。いくら声を潜めていても、流石に二人が落ち着きをなくしたことに神官は気がついてしまった。
「うぉっほん!」
大きすぎる咳払いをしたのは、目の前でこちらに背を向けて立っている神官だった。
《怒られちゃったじゃないですか》
《君も同罪なんだからお付き合いいただくよ》
ローレルは前を向いたまま、声を出さずに笑っていた。それが当たり前の青年らしく見えて、ジェマイマも釣られて笑みを浮かべた。
だから、参列していた王族や貴族たちが、二人が仲睦まじいのだと思い込んでしまったのも仕方ないことだろう。
翌日の新聞に、二人が並び立つ挿絵とともに、
「王太子殿下がお迎えになられた婚約者は、大切に愛されているご様子だった」
なんて記事になることは、このときのジェマイマには予測できないことだった。
「やれやれやれ。お二人とも大層仲がよろしいご様子。なによりですな」
儀式が終わってから、「やれ」がやたらと多い神官に、しっかり嫌味を言われてしまった。
すみませんと頭を下げたジェマイマだったが、ローレルは相変わらず涼しい顔をしていた。
どうにか神事を終えると、控えの間に通された。そこで出されたお茶で喉を潤していると、ローレルがおもむろにジャケットの内ポケットからなにかを取り出した。
「憶えているうちに書き出そうか」
それは、小さなメモ帳だった。ローレルが言ったのは、ジェマイマがマシューに教えてあげたいと思っていた、今日の神事の様子についてだろう。
「弟君の好奇心旺盛なのは、君に似たんだな」
異母弟であるマシューを、ローレルはジェマイマに似ていると言ってくれた。
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