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第十七章
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それからローレルは、ジェマイマを侯爵邸まで送ると言った。神事には父も参列していたから、てっきり父と帰るものだと思っていた。
「婚約者殿をお送りもしないだなんて、私をそんな無作法者だとお思いかな?」
神事では、思いのほか悪戯な一面を見せたローレルに、ジェマイマの心も幾分緩んでいた。
婚約してからは、まだ数えるほどしか会っていないローレルであったが、ジェマイマが知る彼は、あの夢のように非道でも非情でもなく、寧ろ、青年らしい気さくさもユーモアも持ち合わせて見えた。
所詮、夢は夢であり、過剰に気に掛けていたのはきっと、急に結ばれた王族との縁談に怖気づいてしまったからだろう。
いくら考えても、現実のローレルには、今のところ非は一つも見当たらなかった。
まさか、妃に迎え入れてから、手の平を返したように冷酷になるのだろうかと考えてもみたが、やはりそんなことは、ローレルからは感じとれないことだった。
帰りの馬車には近衛騎士と王城の侍女が一人ずつ付いて、ジェーンとアルフレッドはもう一台の馬車で後ろをついてくるという。
そこには、フレデリクとオスカーも同乗するらしく、ジェマイマを送るために思わぬ大所帯となってしまったことに、これが王族と関わるということなのだと理解した。
神殿は王城からそれほど離れてはおらず、侯爵邸からもほど近い場所にある。馬車でなら、十数分もあれば着いてしまうだろう。
「君との初めての公務だったな」
馬車に乗り込み向かい合わせに座ると、ローレルは独り言のようにそんなことを言った。
「あれは、公務だったのでしょうか」
「え?どこからどう見てもそうだろう?」
「貴方様がお巫山戯になられたから、神官様に叱られてしまいましたが」
「君が乗ってくれたからさ、つい」
気安い会話ができるようになったのは間違いないことだった。思えばローレルとは会うたびに、少しずつ何某か心に残ることがある。
彼は貴人ではあるけれど、当たり前の思いやりや気遣いを持ち合わせているのは確かなことだった。
もしかしたら、こうして会うたびにもっと心を寄せ合って、いずれは信頼し合える関係を築いていけるのではないか。
アルフレッドが言ったように、ローレルはジェマイマが思うよりもずっと親しみやすく、こちらから歩み寄れば、更に良好な関係を得られるのではないか。
ローレルと言葉を交わしながら、ジェマイマはそんなことを考えた。
その時である。
行き成りの衝撃に、ジェマイマは背中から押されるように座席から滑り落ちた。
御者側に背中を預けるように座っていたジェマイマは、馬車が大きく振れたことで体勢を崩してしまった。
聞こえたのは馬のいななきと御者が馬を制する声、それから隣で同じように転がった侍女が発した悲鳴だった。
馬車が傾くほどの衝撃とは、馬が暴れてか車輪に不具合があってか。咄嗟のことに、ジェマイマにも判断がつかなかった。
前のめりに席からずれ落ちたジェマイマは、転倒することはなかった。すかさずジェマイマを受け止めたのは、向かいに座っていたローレルだった。
それも受け止めたのか、ずれ落ちた先がたまたまローレルの腕の中だったのか、一瞬の出来事でわからなかった。
同じように転がった侍女も、近衛騎士が支えてくれて事なきを得た。
「大丈夫か、ジェマイマ」
はい、と返事をしたいのに、ジェマイマは声が出なかった。
外から慌ただしい気配がして、多分、後ろからついてきた馬車からアルフレッドたちが降りてきたのだと思った。
騎乗した護衛もついていたから、ジェマイマたちが乗っていた馬車の周辺は騒然となっていた。
「大丈夫か、怪我はないか」
もう一度、ローレルに尋ねられて、ジェマイマはその腕の中でコクコクと頷いた。
自分が抱き締められていることに、すぐには気がつかなかった。
「お嬢様!殿下!お怪我はございませんか」
音を立てて扉が開けられ、ステップに足を掛けてこちらを確かめたのはアルフレッドだった。
「あ、アルフレッド⋯⋯」
ローレルの腕の中から顔を起こして、ジェマイマはアルフレッドを見た。
するとアルフレッドの背後から、ローレルの侍従が慌てたように声をかけてきた。
「殿下、お怪我はございませんか」
「スティーブ、こちらは大丈夫だ。なにがあった」
ローレルは、ジェマイマを腕の中に抱き寄せたまま、現状確認をした。
「幼子が馬車の前に飛び出してきたそうで、馬が驚き立ち上がったとのことです」
「お、お、幼子は、どうなったのですか?」
侍従の報告を聞いて、ジェマイマは尋ねずにはいられなかった。
ジェマイマは震えていた。だが、どうしても幼子のことが気になってしまった。
馬のいななきとは別に、小さな子供の泣き声が聞こえたような気がしたのである。
「見たところ怪我はないようです。これから母親らしき者とともに騎士団にて取り調べるところです」
王太子の馬車を止めるだけでも不敬であるのに、事故を引き起こしては、なにがあったか調べねばならないだろう。せめてもの救いは、子供に怪我がなかったことか。
「御者に伝えてくれ。轢かずに馬を操りご苦労であった」
小さな身体は、車輪で轢かれてはひとたまりもなかったはずで、馬に蹴られたとしても同じことだった。
ローレルは、誰にも怪我がなかったこともあり、御者の手綱さばきを評価した。
「ジェマイマ、あまり心配するな。だが、親子はこのまま帰すわけにはいかない。それはわかってくれないか。重い罪にはならないだろうが、相応の罰則は受けることにはなる」
それはそうだろうとジェマイマにも理解できた。
王太子とその婚約者が乗った馬車である。無罪放免とはいかないだろう。
まだカタカタと身体は小刻みに震えていた。
奥歯が小さく音を立てて、上手く噛み合わないでいた。
ジェマイマは、思い出してしまった。
これはあの夢と同じではないか?
馬車の事故で命を落としたのは、夢で見た最初の死であった。
だがあれは、ジェマイマが妃になってからではなかったか?
そしてローレルは、こんなふうにジェマイマを受け止めてくれただろうか。そもそも同じ馬車に乗っていたのだろうか。
ジェマイマは目の前がぐるぐる回る感覚がして、それからふっと、暗闇に落ちるように瞼を閉じた。遠くにアルフレッドの声が聞こえたような気がした。
「婚約者殿をお送りもしないだなんて、私をそんな無作法者だとお思いかな?」
神事では、思いのほか悪戯な一面を見せたローレルに、ジェマイマの心も幾分緩んでいた。
婚約してからは、まだ数えるほどしか会っていないローレルであったが、ジェマイマが知る彼は、あの夢のように非道でも非情でもなく、寧ろ、青年らしい気さくさもユーモアも持ち合わせて見えた。
所詮、夢は夢であり、過剰に気に掛けていたのはきっと、急に結ばれた王族との縁談に怖気づいてしまったからだろう。
いくら考えても、現実のローレルには、今のところ非は一つも見当たらなかった。
まさか、妃に迎え入れてから、手の平を返したように冷酷になるのだろうかと考えてもみたが、やはりそんなことは、ローレルからは感じとれないことだった。
帰りの馬車には近衛騎士と王城の侍女が一人ずつ付いて、ジェーンとアルフレッドはもう一台の馬車で後ろをついてくるという。
そこには、フレデリクとオスカーも同乗するらしく、ジェマイマを送るために思わぬ大所帯となってしまったことに、これが王族と関わるということなのだと理解した。
神殿は王城からそれほど離れてはおらず、侯爵邸からもほど近い場所にある。馬車でなら、十数分もあれば着いてしまうだろう。
「君との初めての公務だったな」
馬車に乗り込み向かい合わせに座ると、ローレルは独り言のようにそんなことを言った。
「あれは、公務だったのでしょうか」
「え?どこからどう見てもそうだろう?」
「貴方様がお巫山戯になられたから、神官様に叱られてしまいましたが」
「君が乗ってくれたからさ、つい」
気安い会話ができるようになったのは間違いないことだった。思えばローレルとは会うたびに、少しずつ何某か心に残ることがある。
彼は貴人ではあるけれど、当たり前の思いやりや気遣いを持ち合わせているのは確かなことだった。
もしかしたら、こうして会うたびにもっと心を寄せ合って、いずれは信頼し合える関係を築いていけるのではないか。
アルフレッドが言ったように、ローレルはジェマイマが思うよりもずっと親しみやすく、こちらから歩み寄れば、更に良好な関係を得られるのではないか。
ローレルと言葉を交わしながら、ジェマイマはそんなことを考えた。
その時である。
行き成りの衝撃に、ジェマイマは背中から押されるように座席から滑り落ちた。
御者側に背中を預けるように座っていたジェマイマは、馬車が大きく振れたことで体勢を崩してしまった。
聞こえたのは馬のいななきと御者が馬を制する声、それから隣で同じように転がった侍女が発した悲鳴だった。
馬車が傾くほどの衝撃とは、馬が暴れてか車輪に不具合があってか。咄嗟のことに、ジェマイマにも判断がつかなかった。
前のめりに席からずれ落ちたジェマイマは、転倒することはなかった。すかさずジェマイマを受け止めたのは、向かいに座っていたローレルだった。
それも受け止めたのか、ずれ落ちた先がたまたまローレルの腕の中だったのか、一瞬の出来事でわからなかった。
同じように転がった侍女も、近衛騎士が支えてくれて事なきを得た。
「大丈夫か、ジェマイマ」
はい、と返事をしたいのに、ジェマイマは声が出なかった。
外から慌ただしい気配がして、多分、後ろからついてきた馬車からアルフレッドたちが降りてきたのだと思った。
騎乗した護衛もついていたから、ジェマイマたちが乗っていた馬車の周辺は騒然となっていた。
「大丈夫か、怪我はないか」
もう一度、ローレルに尋ねられて、ジェマイマはその腕の中でコクコクと頷いた。
自分が抱き締められていることに、すぐには気がつかなかった。
「お嬢様!殿下!お怪我はございませんか」
音を立てて扉が開けられ、ステップに足を掛けてこちらを確かめたのはアルフレッドだった。
「あ、アルフレッド⋯⋯」
ローレルの腕の中から顔を起こして、ジェマイマはアルフレッドを見た。
するとアルフレッドの背後から、ローレルの侍従が慌てたように声をかけてきた。
「殿下、お怪我はございませんか」
「スティーブ、こちらは大丈夫だ。なにがあった」
ローレルは、ジェマイマを腕の中に抱き寄せたまま、現状確認をした。
「幼子が馬車の前に飛び出してきたそうで、馬が驚き立ち上がったとのことです」
「お、お、幼子は、どうなったのですか?」
侍従の報告を聞いて、ジェマイマは尋ねずにはいられなかった。
ジェマイマは震えていた。だが、どうしても幼子のことが気になってしまった。
馬のいななきとは別に、小さな子供の泣き声が聞こえたような気がしたのである。
「見たところ怪我はないようです。これから母親らしき者とともに騎士団にて取り調べるところです」
王太子の馬車を止めるだけでも不敬であるのに、事故を引き起こしては、なにがあったか調べねばならないだろう。せめてもの救いは、子供に怪我がなかったことか。
「御者に伝えてくれ。轢かずに馬を操りご苦労であった」
小さな身体は、車輪で轢かれてはひとたまりもなかったはずで、馬に蹴られたとしても同じことだった。
ローレルは、誰にも怪我がなかったこともあり、御者の手綱さばきを評価した。
「ジェマイマ、あまり心配するな。だが、親子はこのまま帰すわけにはいかない。それはわかってくれないか。重い罪にはならないだろうが、相応の罰則は受けることにはなる」
それはそうだろうとジェマイマにも理解できた。
王太子とその婚約者が乗った馬車である。無罪放免とはいかないだろう。
まだカタカタと身体は小刻みに震えていた。
奥歯が小さく音を立てて、上手く噛み合わないでいた。
ジェマイマは、思い出してしまった。
これはあの夢と同じではないか?
馬車の事故で命を落としたのは、夢で見た最初の死であった。
だがあれは、ジェマイマが妃になってからではなかったか?
そしてローレルは、こんなふうにジェマイマを受け止めてくれただろうか。そもそも同じ馬車に乗っていたのだろうか。
ジェマイマは目の前がぐるぐる回る感覚がして、それからふっと、暗闇に落ちるように瞼を閉じた。遠くにアルフレッドの声が聞こえたような気がした。
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