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第二十六章
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案の定、ジェマイマはその晩、熱を出した。
幸いなことに高熱とはならず、意識もあれば会話もできた。
「殿下と婚約してから散々だ」
父は、ジェマイマの枕元でそんなことを口走った。
「不敬ですわよ、お父様」
「だってそうではないか。ローレル殿下と婚約してから、お前は臥せってばかりだろう」
「ローレル殿下にはなんの責任もございません。寧ろ、毎回お助けいただいております。今日だって」
今日だってローレルは、あの冷たい湖の中にザブザブ入って、凍えるのも濡れるのも厭わずにジェマイマを抱き起こしてくれた。自分こそ、国一番の大切な身分であるというのに。
彼がそんなことをしなくても、誰かほかにもジェマイマを助けてくれたはずである。多分、それはアルフレッドだったろう。
「殿下からは謝罪を受けた」
「まあ⋯⋯。それには及びませんわ。お父様はなんとお答えなさったの?」
ジェマイマの枕元に椅子を置いて、そこに座り込んで語る父には元気がなかった。
「お前では至らないのではないかとお伝えした」
「それってどういう?」
「もっと丈夫で、もっと大人しくて、殿下に相応しい令嬢がいるだろうと」
父はきっと、もっと直接的な表現で訴えたのではないかと思う。多分、はっきりとジェマイマとの婚約解消を願ったのだろう。
「なあ、ジェマイマ。お前、爵位に拘りがあるか?」
「どうなさったの?行き成り」
会話は確かにできるのだが、微熱とはいえジェマイマは発熱している。それを承知で父がこんなことを話すのは、一刻も早く事態を動かそうとしているからだろう。
夢の中でジェマイマは、多分誰にもなにも言えずにいた。自分一人で抱え込んで、結局選んだのは死だった。
ちゃんと愛されていたのに。
人生なんて、いつでもどんなに切羽詰まってみえてもやり直しはできたのだろう。
たとえ王族の身分を失っても、たとえ貴族でなくなっても、その先に続く人生で笑うことはできたはずだ。
「アルフレッドには騎士爵がある。一代限りの準貴族だが、あれは信用できる男だ。なにより、どんな身分であってもお前は私の娘だ」
部屋の中にはジェーンはいたが、アルフレッドはいなかった。このことを父は彼にも話したのだろうか。
「アルフレッドならお前を託すことができる。わざわざ王家と縁づかなくとも、我が侯爵家は揺るがない」
父はすっかり消沈している。これまで風邪一つ引かなかったジェマイマが、このところ立て続けにトラブルに見舞われている。
そのことが、父の中ではローレルに関係していると思わせるらしく、すでになくなってしまったアルフレッドとの縁まで持ち出している。
「殿下はなんと仰いましたの?」
「お前のことを大切にすると、そう仰った」
同じことをジェマイマも聞いていた。きっとそれはローレルの本心なのだろう。
「お父様。殿下は凍える湖に迷うことなく入られました。大切な御身であるのに、あの方ったら、とても慌てていらしたの」
「ジェマイマ」
「置いて行かないでほしいと仰ったわ」
それはまるで、置いて行かれた気持ちを知っているようではないか。
「ねえ、お父様」
「ん?なんだ?」
「どうして私だったのかしら」
それはローレルの婚約者についてである。
「私ではなくても、少し年は離れるけれど令嬢ならほかにもいるのに」
「王家からの打診だった。政治的な均衡を考えてか、年頃や身分といった条件あってのことなのか、理由は定かではない。打診というのは、もう既に定まったということなんだよ」
父の言う通りだろう。
ジェマイマの気質や能力云々の前に、婚約者のいない侯爵令嬢で年が同じだなんて条件は、もう目星をつけられて当然の立場である。
「殿下のお身体は大丈夫だったのですか?」
あの後、ローレルはジェマイマを侯爵家に運び込んだ。湖からは、王城よりも侯爵邸のほうが近かった。生家であれば王城のような面倒な手続きもなく、真っ直ぐ運ぶことができる。彼はそう考えたのだろう。
馬車が侯爵邸に着くと、既に王城から医師が呼ばれており、熱い湯が沸かされていた。ジェマイマは直ぐ様侍女たちに湯で身体を清められ、赤々と燃える暖炉の前で頬が真っ赤に染まるほど温められた。
ローレルもその間に着替えたはずなのだが、彼とはそれきり会えなかった。
父と面会をしたあとに、王城へと帰ってしまった。
今頃は、今日の出来事についての報告をしているのではないだろうか。きっと彼は今も休めずに、後始末に奔走しているのだと思った。
父の言葉通り、ジェマイマでは妃として不適格なのではないかと思えてくる。前に気絶してしまったときも今回も、全てはジェマイマに原因がある。
軽率であり、身体も心も脆弱である。
「本当に、お断りしたほうがよいのでしょうか」
「お前はどうしたいんだ?」
どうしたいと尋ねられて、ジェマイマはどうしたかったのだろうと考えた。
「死なないようにしようと思ったんです」
「ジ、ジェマイマ?」
「こんなふうにお父様を悲しませるようなことになるのなら、お城の尖塔から縄を垂らしてそこから逃げようと思うくらいには」
「えーと、ジェマイマ?」
「アルフレッドにも頼んでいるんです。尖塔まで登れるようになっておいてと」
「あー、ジェマイマ。それでアルフレッドはなんと?」
「え?そりゃあ、快く引き受けてくれましたわ」
父は「だろうな」と言って、溜め息をひとつ吐いた。
「お前の気持ちはよくわかった。死ぬなんて軽々しく口に出してはならない。死は生とは背中合わせだ。いつでもどこにでも潜んでいるんだ」
母を亡くした記憶からか、父は暗い瞳をしてそう言った。
「残念ながら、殿下は婚約の継続をお望みだ。お前が、その、嫌ではないのなら、問題ないと見做されてしまう」
ジェマイマは、嫌なのかそうでないのかと考えてみた。心は、死になくはないがローレルを嫌いではないと言っている。
だから、正直に言葉にしてみた。
「嫌ではありません。ですが、いつでも逃げ出す覚悟はあります。だって、人生って命あっての物種ですもの」
父はその言葉に頷いて、「わかった」と言ってくれた。
幸いなことに高熱とはならず、意識もあれば会話もできた。
「殿下と婚約してから散々だ」
父は、ジェマイマの枕元でそんなことを口走った。
「不敬ですわよ、お父様」
「だってそうではないか。ローレル殿下と婚約してから、お前は臥せってばかりだろう」
「ローレル殿下にはなんの責任もございません。寧ろ、毎回お助けいただいております。今日だって」
今日だってローレルは、あの冷たい湖の中にザブザブ入って、凍えるのも濡れるのも厭わずにジェマイマを抱き起こしてくれた。自分こそ、国一番の大切な身分であるというのに。
彼がそんなことをしなくても、誰かほかにもジェマイマを助けてくれたはずである。多分、それはアルフレッドだったろう。
「殿下からは謝罪を受けた」
「まあ⋯⋯。それには及びませんわ。お父様はなんとお答えなさったの?」
ジェマイマの枕元に椅子を置いて、そこに座り込んで語る父には元気がなかった。
「お前では至らないのではないかとお伝えした」
「それってどういう?」
「もっと丈夫で、もっと大人しくて、殿下に相応しい令嬢がいるだろうと」
父はきっと、もっと直接的な表現で訴えたのではないかと思う。多分、はっきりとジェマイマとの婚約解消を願ったのだろう。
「なあ、ジェマイマ。お前、爵位に拘りがあるか?」
「どうなさったの?行き成り」
会話は確かにできるのだが、微熱とはいえジェマイマは発熱している。それを承知で父がこんなことを話すのは、一刻も早く事態を動かそうとしているからだろう。
夢の中でジェマイマは、多分誰にもなにも言えずにいた。自分一人で抱え込んで、結局選んだのは死だった。
ちゃんと愛されていたのに。
人生なんて、いつでもどんなに切羽詰まってみえてもやり直しはできたのだろう。
たとえ王族の身分を失っても、たとえ貴族でなくなっても、その先に続く人生で笑うことはできたはずだ。
「アルフレッドには騎士爵がある。一代限りの準貴族だが、あれは信用できる男だ。なにより、どんな身分であってもお前は私の娘だ」
部屋の中にはジェーンはいたが、アルフレッドはいなかった。このことを父は彼にも話したのだろうか。
「アルフレッドならお前を託すことができる。わざわざ王家と縁づかなくとも、我が侯爵家は揺るがない」
父はすっかり消沈している。これまで風邪一つ引かなかったジェマイマが、このところ立て続けにトラブルに見舞われている。
そのことが、父の中ではローレルに関係していると思わせるらしく、すでになくなってしまったアルフレッドとの縁まで持ち出している。
「殿下はなんと仰いましたの?」
「お前のことを大切にすると、そう仰った」
同じことをジェマイマも聞いていた。きっとそれはローレルの本心なのだろう。
「お父様。殿下は凍える湖に迷うことなく入られました。大切な御身であるのに、あの方ったら、とても慌てていらしたの」
「ジェマイマ」
「置いて行かないでほしいと仰ったわ」
それはまるで、置いて行かれた気持ちを知っているようではないか。
「ねえ、お父様」
「ん?なんだ?」
「どうして私だったのかしら」
それはローレルの婚約者についてである。
「私ではなくても、少し年は離れるけれど令嬢ならほかにもいるのに」
「王家からの打診だった。政治的な均衡を考えてか、年頃や身分といった条件あってのことなのか、理由は定かではない。打診というのは、もう既に定まったということなんだよ」
父の言う通りだろう。
ジェマイマの気質や能力云々の前に、婚約者のいない侯爵令嬢で年が同じだなんて条件は、もう目星をつけられて当然の立場である。
「殿下のお身体は大丈夫だったのですか?」
あの後、ローレルはジェマイマを侯爵家に運び込んだ。湖からは、王城よりも侯爵邸のほうが近かった。生家であれば王城のような面倒な手続きもなく、真っ直ぐ運ぶことができる。彼はそう考えたのだろう。
馬車が侯爵邸に着くと、既に王城から医師が呼ばれており、熱い湯が沸かされていた。ジェマイマは直ぐ様侍女たちに湯で身体を清められ、赤々と燃える暖炉の前で頬が真っ赤に染まるほど温められた。
ローレルもその間に着替えたはずなのだが、彼とはそれきり会えなかった。
父と面会をしたあとに、王城へと帰ってしまった。
今頃は、今日の出来事についての報告をしているのではないだろうか。きっと彼は今も休めずに、後始末に奔走しているのだと思った。
父の言葉通り、ジェマイマでは妃として不適格なのではないかと思えてくる。前に気絶してしまったときも今回も、全てはジェマイマに原因がある。
軽率であり、身体も心も脆弱である。
「本当に、お断りしたほうがよいのでしょうか」
「お前はどうしたいんだ?」
どうしたいと尋ねられて、ジェマイマはどうしたかったのだろうと考えた。
「死なないようにしようと思ったんです」
「ジ、ジェマイマ?」
「こんなふうにお父様を悲しませるようなことになるのなら、お城の尖塔から縄を垂らしてそこから逃げようと思うくらいには」
「えーと、ジェマイマ?」
「アルフレッドにも頼んでいるんです。尖塔まで登れるようになっておいてと」
「あー、ジェマイマ。それでアルフレッドはなんと?」
「え?そりゃあ、快く引き受けてくれましたわ」
父は「だろうな」と言って、溜め息をひとつ吐いた。
「お前の気持ちはよくわかった。死ぬなんて軽々しく口に出してはならない。死は生とは背中合わせだ。いつでもどこにでも潜んでいるんだ」
母を亡くした記憶からか、父は暗い瞳をしてそう言った。
「残念ながら、殿下は婚約の継続をお望みだ。お前が、その、嫌ではないのなら、問題ないと見做されてしまう」
ジェマイマは、嫌なのかそうでないのかと考えてみた。心は、死になくはないがローレルを嫌いではないと言っている。
だから、正直に言葉にしてみた。
「嫌ではありません。ですが、いつでも逃げ出す覚悟はあります。だって、人生って命あっての物種ですもの」
父はその言葉に頷いて、「わかった」と言ってくれた。
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