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第三十章
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お茶会もお開きとなり、ジェマイマは席を立ってローレルに辞去の挨拶をした。
「ローレル様。さようなら」
なんとも言葉足らずな素っ気ない挨拶に、ローレルの後ろにいたオスカーが「お前、ちゃんと挨拶しろよ」的な視線を向けてきたが、それはジェマイマの背後にいたアルフレッドの視線に瞬殺された。
その様子に気がついたジェマイマは、オスカーを助けてやろうかなと思った。
それで、「ローレル様。また明日」と言い直した。
学園は先週末から冬季休暇に入っていた。
ジェマイマは、今は毎日王城に通い、妃教育を受けている。
なにせ急な婚約だった。
ジェマイマもローレルも同じ齢で、二人は学園の卒業を控えている。なにより来夏には婚姻の儀がある。
ジェマイマはそれまでに王太子妃としての学びを習得しなければならない。
最終学年となったここにきて、まさかの猛勉強となるなんて。
だが幸いなことに、ジェマイマは勉強好きな質である。忙しいことを除けば、学びを得ること自体は好きだった。
それに妃教育の後には、こんなふうにローレルとの茶会が設けられて、僅かな時間ではあるけれど、二人は婚約者として交流することができている。
今のところ、ローレルとの関係に大きな問題は見当たらなかった。あとはジェマイマが死なないように気をつけるだけである。
仮に死にそうになったなら、アルフレッドとジェーンを連れて王城の自室の窓から逃げ出す気満々である。
縄なら先日、執事のヘンリーに頼んでいたのが届いていた。
ヘンリーは、「三人掴んでも切れません」と、何やら未来を予見するようなことを言っていた。
今は、逃走資金を確保すべく、縄に小さな宝石を縫い留めようかと考えている。
窓から縄を伝って降りながら、縫い留めた宝石を外して回収する。我ながら秀逸な作戦ではないかと思っている。
それなら折角だがら、妃の自室に縄を飾ろうかとも考えてみた。
いつでも窓から垂らせるように、窓辺に「オブジェ」として飾ってはどうだろう。いいんじゃないか?備えあれば憂いなし。格言の言うことに間違いはない。
ローレルと交流を深めながら、近い将来、彼が酷い夫となるだろうと勝手に決めつけ周到に用意を進める。
ジェーンもアルフレッドも何も言わずともジェマイマの思考を読み取っているらしく、夕べはジェーンが、
「お嬢様、これなんて丁度良いかもしれませんね。あまり大きかったり高価なものは換金に困りますから」
と言って、縫い留める宝石を吟味していた。
そんなことを思い出しながら、ジェマイマは頭を深く垂れてローレルに「さようなら」の挨拶をした。
応接室を出て、帰宅すべく回廊を歩いていると、後ろからアルフレッドが小さく囁いた。
「お嬢様。殿下です」
その声に、ジェマイマは立ち止まった。そのまま後ろを振り返れば、いま来た回廊の奥からローレルの姿が見えた。
走っているわけではないのだが、ローレルはとっても足が長いから、大股でスタスタ歩くとすぐにジェマイマに追いついてしまった。
「どうなさったの?ローレル様」
なにか忘れ物でもしてしまったか。それとも失礼なことをしてしまったか。あるとすれば後者で間違いないのだが、ジェマイマにはいつだって悪気がない。
「ジェマイマ」
ローレルはジェマイマの前にくると、改まった調子でジェマイマを呼んだ。
「なんでしょうか。ローレル様」
ジェマイマは、話を聞くべくローレルを見上げた。
「君は私を頼りなく思うか?」
「へ?」
行き成りの質問に、ジェマイマは気の抜けた返事をしてしまった。ローレルの肩越しに、フレデリクが残念なものを見るような目をしているのが見えていた。
「君が生家の使用人を頼みにするのは、王城での暮らしに不安があるからだと理解している」
多分ご令嬢が100人いたなら96人は不安になるのではなかろうか。あとの4人が誰であるかは見当もつかないが、ジェマイマは大雑把なことを考えてみた。
「それとも、君が本当に不安なのは、私との暮らしなのか?」
ローレルとは先ほどまで、穏やかなお茶の時間を過ごしていた。なのに彼は今になって、こんな真剣な顔をしてジェマイマの本心を知ろうとしている。
ジェマイマは嘘が言えない。優しい嘘がときには有効なことはわかっていても、どんな嘘が優しいのかわからない。
だから、正直な気持ちを言うべきだと思った。
なにより、この目の前で青く澄んだ瞳を揺らす青年こそ、嘘が大嫌いなのだろうと思った。
「不安なのは当たり前ですわ」
「ジェマイマ、失敬だぞ」
オスカーがローレルの後ろから顔を出して言ったが気にしなかった。
「ローレル様。仮に今ここに100人のご令嬢がいたとするなら、多分96人は不安になるのではないでしょうか。私調べではありますけれど」
「⋯⋯あとの4人は平気なのかな?」
「ええ、そんな頭がお花畑なご令嬢も4人くらいはいるのかなって思いましたの」
ローレルは、ジェマイマを見つめたまま黙ってしまった。
「当たり前のことでしょう?貴方様は国の頂に立つ御方なんですよ?貴方に相応しくいられるだろうか、王妃となる資質に不足はないのか。まともなご令嬢でしたら、100人中96人は考えるでしょうね」
96人の中に、夢の中で四度も不幸な死を遂げた令嬢はジェマイマ一人だけであろうと思ったが、そこは黙っていた。
「君の言うことはわかる。ただ、」
ただ、とローレルは、眼差しを和らげジェマイマに言った。
「せめて私のことは信じてほしい。君とはこれから共に生きるんだ」
その言葉は、真っ直ぐジェマイマの心にストンと落ちた。ジェマイマは、それが不思議と不快には思わなかった。
「ローレル様。さようなら」
なんとも言葉足らずな素っ気ない挨拶に、ローレルの後ろにいたオスカーが「お前、ちゃんと挨拶しろよ」的な視線を向けてきたが、それはジェマイマの背後にいたアルフレッドの視線に瞬殺された。
その様子に気がついたジェマイマは、オスカーを助けてやろうかなと思った。
それで、「ローレル様。また明日」と言い直した。
学園は先週末から冬季休暇に入っていた。
ジェマイマは、今は毎日王城に通い、妃教育を受けている。
なにせ急な婚約だった。
ジェマイマもローレルも同じ齢で、二人は学園の卒業を控えている。なにより来夏には婚姻の儀がある。
ジェマイマはそれまでに王太子妃としての学びを習得しなければならない。
最終学年となったここにきて、まさかの猛勉強となるなんて。
だが幸いなことに、ジェマイマは勉強好きな質である。忙しいことを除けば、学びを得ること自体は好きだった。
それに妃教育の後には、こんなふうにローレルとの茶会が設けられて、僅かな時間ではあるけれど、二人は婚約者として交流することができている。
今のところ、ローレルとの関係に大きな問題は見当たらなかった。あとはジェマイマが死なないように気をつけるだけである。
仮に死にそうになったなら、アルフレッドとジェーンを連れて王城の自室の窓から逃げ出す気満々である。
縄なら先日、執事のヘンリーに頼んでいたのが届いていた。
ヘンリーは、「三人掴んでも切れません」と、何やら未来を予見するようなことを言っていた。
今は、逃走資金を確保すべく、縄に小さな宝石を縫い留めようかと考えている。
窓から縄を伝って降りながら、縫い留めた宝石を外して回収する。我ながら秀逸な作戦ではないかと思っている。
それなら折角だがら、妃の自室に縄を飾ろうかとも考えてみた。
いつでも窓から垂らせるように、窓辺に「オブジェ」として飾ってはどうだろう。いいんじゃないか?備えあれば憂いなし。格言の言うことに間違いはない。
ローレルと交流を深めながら、近い将来、彼が酷い夫となるだろうと勝手に決めつけ周到に用意を進める。
ジェーンもアルフレッドも何も言わずともジェマイマの思考を読み取っているらしく、夕べはジェーンが、
「お嬢様、これなんて丁度良いかもしれませんね。あまり大きかったり高価なものは換金に困りますから」
と言って、縫い留める宝石を吟味していた。
そんなことを思い出しながら、ジェマイマは頭を深く垂れてローレルに「さようなら」の挨拶をした。
応接室を出て、帰宅すべく回廊を歩いていると、後ろからアルフレッドが小さく囁いた。
「お嬢様。殿下です」
その声に、ジェマイマは立ち止まった。そのまま後ろを振り返れば、いま来た回廊の奥からローレルの姿が見えた。
走っているわけではないのだが、ローレルはとっても足が長いから、大股でスタスタ歩くとすぐにジェマイマに追いついてしまった。
「どうなさったの?ローレル様」
なにか忘れ物でもしてしまったか。それとも失礼なことをしてしまったか。あるとすれば後者で間違いないのだが、ジェマイマにはいつだって悪気がない。
「ジェマイマ」
ローレルはジェマイマの前にくると、改まった調子でジェマイマを呼んだ。
「なんでしょうか。ローレル様」
ジェマイマは、話を聞くべくローレルを見上げた。
「君は私を頼りなく思うか?」
「へ?」
行き成りの質問に、ジェマイマは気の抜けた返事をしてしまった。ローレルの肩越しに、フレデリクが残念なものを見るような目をしているのが見えていた。
「君が生家の使用人を頼みにするのは、王城での暮らしに不安があるからだと理解している」
多分ご令嬢が100人いたなら96人は不安になるのではなかろうか。あとの4人が誰であるかは見当もつかないが、ジェマイマは大雑把なことを考えてみた。
「それとも、君が本当に不安なのは、私との暮らしなのか?」
ローレルとは先ほどまで、穏やかなお茶の時間を過ごしていた。なのに彼は今になって、こんな真剣な顔をしてジェマイマの本心を知ろうとしている。
ジェマイマは嘘が言えない。優しい嘘がときには有効なことはわかっていても、どんな嘘が優しいのかわからない。
だから、正直な気持ちを言うべきだと思った。
なにより、この目の前で青く澄んだ瞳を揺らす青年こそ、嘘が大嫌いなのだろうと思った。
「不安なのは当たり前ですわ」
「ジェマイマ、失敬だぞ」
オスカーがローレルの後ろから顔を出して言ったが気にしなかった。
「ローレル様。仮に今ここに100人のご令嬢がいたとするなら、多分96人は不安になるのではないでしょうか。私調べではありますけれど」
「⋯⋯あとの4人は平気なのかな?」
「ええ、そんな頭がお花畑なご令嬢も4人くらいはいるのかなって思いましたの」
ローレルは、ジェマイマを見つめたまま黙ってしまった。
「当たり前のことでしょう?貴方様は国の頂に立つ御方なんですよ?貴方に相応しくいられるだろうか、王妃となる資質に不足はないのか。まともなご令嬢でしたら、100人中96人は考えるでしょうね」
96人の中に、夢の中で四度も不幸な死を遂げた令嬢はジェマイマ一人だけであろうと思ったが、そこは黙っていた。
「君の言うことはわかる。ただ、」
ただ、とローレルは、眼差しを和らげジェマイマに言った。
「せめて私のことは信じてほしい。君とはこれから共に生きるんだ」
その言葉は、真っ直ぐジェマイマの心にストンと落ちた。ジェマイマは、それが不思議と不快には思わなかった。
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