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第三十一章
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「ねえ、ジェーン。なんだか聖夜の飾りつけみたいで楽しいわね」
長い縄に小さな宝石を縫い留めながら、ジェマイマは隣にいるジェーンに話しかけた。
「本当ですわね、お嬢様。なんとなく、赤、緑、黄色の順に縫っちゃいますね」
その言葉にジェマイマは、ジェーンの手元を覗き見た。成る程、確かに色鮮やかな宝石が聖夜のオブジェのように見えてくる。
小さな宝石は、ルビー、サファイア、エメラルド、それからシトリンに真珠もある。
小粒のそれらは、元はジェマイマが髪に挿すピンに嵌められていたものを外したものだ。
勿論、長縄に縫い留めるのには数が足りずに、手持ちのドレスを何着か売って換金してから買い足した。
小指の爪の半分ほどしかない小さな宝石を、縄の中に埋め込むように嵌めてから、上から刺繍糸でクロスするように押さえて縫い留める。
多少揺れても落ちてこない。グッと押し込んでから横にスライドさせれば容易く外れることは検証済みである。
王太子妃の部屋が王城の何階にあるのかわからないが、取り敢えず三階を想定した長さの縄を用意していた。
そこにジェーンと手分けをして、地道に宝石を縫い留めていく。表情筋は硬いのに手先が器用なジェマイマは、こういう細かい作業は嫌いじゃない。
「楽しいわ、ジェーン」
「ええ、ええ、わかります。聖夜の支度をしているようで楽しいですね」
ジェマイマは真珠の粒を縫い終えて、次にサファイアを手にした。
それは偶々のことだったが、ジェマイマはそこで青い瞳の青年を思い出した。
ローレルは、あの後ジェマイマを馬車まで見送ってくれた。婚約者とはいえ、王太子が馬車寄せまで付き合ってくれるなんて申し訳ないことである。
だが、並び歩いて他愛もないことを話すのは確かに楽しいことだった。
楽しいはずであるのに、なぜかジェマイマは帰宅してから、こうして逃走道具の仕込みをしている。
ローレルを信頼したい気持ちと、裏切りに備えて用心する気持ち。
相容れない感情が、ジェマイマの中ではきっちり成立してしまっている。
この縄だって、王城の自室に「オブジェ」として飾りながら、いざとなったら逃走道具兼資金の隠し場所となるのである。
これだけキラキラしていたら、隠し場所にはならないけれど。
「体力も付けておかなくちゃならないわ。ジェーン、貴女もよ」
「脆弱な筋肉をお持ちのお嬢様に負ける気がいたしません」
「確かに」
明日からマシューと一緒に模擬剣を振るって鍛えるべきか。だが、マシューと一緒にいたならメロメロになって稽古どころではないだろう。
ジェマイマは、自分のことをよく理解していた。
「お嬢様」
「なにかしら。ジェーン」
「殿下はお優しい婚約者様でいらっしゃいますね。お嬢様をお見送りなさるときにも、お優しいお顔をなさっておいででした」
ジェーンの言葉は、その通りだと思った。
彼は王家に一人だけいる王子である。もっと傲慢であったとしても、きっと許されてしまうだろう。
けれども彼は、ジェマイマに歩み寄りを見せているし、互いに信頼し合えることを望んでいるように見えた。
初めて対面したときに、
「君は、この縁談を望んではいないのだろうな」
ローレルはそう言って、ジェマイマを見つめた。
青い瞳は熱を感じさせず、冷ややかにも見えていた。
あれからまだひと月ほどしか経っていないのに、今では、彼こそこの関係に誠実さを求めているようである。
ジェマイマは、たとえ夢のようなことが現実になって、ローレルがジェマイマを冷遇することがあったとしても、この婚姻にはちゃんと向き合おうと思っている。
例えば、ローレルがジェマイマを愛さずに公妾を選んだとしても受け入れる心づもりでいる。
ローレルに愛されないことで、夢の中の自分は心を病んだのだろうか。眠れぬほど悩んだのだろうか。離縁を求めてそれすら許されず、魂の自由を求めて自死を選んだのだろうか。
それらが現実に起こったとしても、ジェマイマには役割がある。ジェマイマが王太子妃であり未来の王妃であるのなら、為さねばならないことはほかにもある。
愛されるだけが妃ではなく、愛されずとも妃の役割はなくならない。
ジェマイマは元々嫡女として育てられているから、一般的な令嬢よりも精神が自立していた。孤独に耐える胆力もある。
家族もいれば、ジェーンもアルフレッドもそばにいて、ジェマイマは全く死ぬ気にはならなかった。
ローレルとも、でき得る限り誠意をもって付き合おう。彼がジェマイマになにを思ったとしても、せめてジェマイマは彼に対して偽りのない人間であろうと思う。
そう思いながら、逃走道具の製作に勤しんだ。
「ええ?なに?アルフレッド」
「これは胡桃というものです、お嬢様」
「私だって胡桃くらいわかります。なにに使うかっていうことよ」
胡桃を差し出したアルフレッドに、ジェマイマは幾分憮然となって抗議をした。深窓の令嬢とはいえ胡桃くらい知っているとプリプリしてみせた。
「握力を鍛えるのに良いのです」
「胡桃が?」
「ええ、こうやって握ったら力を込めてこすり合わせるのです」
アルフレッドから胡桃を二つ受け取って、言われたように握り込み、力を込めてこすり合わせた。
ゴリゴリと殻がこすれる音がする。
するとアルフレッドがもう二個胡桃を差し出してきた。
「左右の手を鍛えましょう」
言われた通りジェマイマは、左右に二個ずつ胡桃を握ってゴリゴリした。
「縄を掴むには体重を支えるだけの握力が必要です。ほら、ジェーンのぶんもあるぞ」
そう言って、アルフレッドはポケットからもう四つ胡桃を出してジェーンに差し出した。アルフレッドのポケットには、どれほど胡桃が入っているのだろう。
「こまめに鍛錬なさることをお勧めします。移動中ですとか空き時間をご活用なさるとよろしいでしょう」
アルフレッドはそう言って、ジェマイマとジェーンに握力増強を促した。
この日から、侯爵家ではどこからともなく「ゴリゴリゴリゴリ」と音がして、それがあちこち移動するから、若いメイドが怖いと言い出し怯えたという。
長い縄に小さな宝石を縫い留めながら、ジェマイマは隣にいるジェーンに話しかけた。
「本当ですわね、お嬢様。なんとなく、赤、緑、黄色の順に縫っちゃいますね」
その言葉にジェマイマは、ジェーンの手元を覗き見た。成る程、確かに色鮮やかな宝石が聖夜のオブジェのように見えてくる。
小さな宝石は、ルビー、サファイア、エメラルド、それからシトリンに真珠もある。
小粒のそれらは、元はジェマイマが髪に挿すピンに嵌められていたものを外したものだ。
勿論、長縄に縫い留めるのには数が足りずに、手持ちのドレスを何着か売って換金してから買い足した。
小指の爪の半分ほどしかない小さな宝石を、縄の中に埋め込むように嵌めてから、上から刺繍糸でクロスするように押さえて縫い留める。
多少揺れても落ちてこない。グッと押し込んでから横にスライドさせれば容易く外れることは検証済みである。
王太子妃の部屋が王城の何階にあるのかわからないが、取り敢えず三階を想定した長さの縄を用意していた。
そこにジェーンと手分けをして、地道に宝石を縫い留めていく。表情筋は硬いのに手先が器用なジェマイマは、こういう細かい作業は嫌いじゃない。
「楽しいわ、ジェーン」
「ええ、ええ、わかります。聖夜の支度をしているようで楽しいですね」
ジェマイマは真珠の粒を縫い終えて、次にサファイアを手にした。
それは偶々のことだったが、ジェマイマはそこで青い瞳の青年を思い出した。
ローレルは、あの後ジェマイマを馬車まで見送ってくれた。婚約者とはいえ、王太子が馬車寄せまで付き合ってくれるなんて申し訳ないことである。
だが、並び歩いて他愛もないことを話すのは確かに楽しいことだった。
楽しいはずであるのに、なぜかジェマイマは帰宅してから、こうして逃走道具の仕込みをしている。
ローレルを信頼したい気持ちと、裏切りに備えて用心する気持ち。
相容れない感情が、ジェマイマの中ではきっちり成立してしまっている。
この縄だって、王城の自室に「オブジェ」として飾りながら、いざとなったら逃走道具兼資金の隠し場所となるのである。
これだけキラキラしていたら、隠し場所にはならないけれど。
「体力も付けておかなくちゃならないわ。ジェーン、貴女もよ」
「脆弱な筋肉をお持ちのお嬢様に負ける気がいたしません」
「確かに」
明日からマシューと一緒に模擬剣を振るって鍛えるべきか。だが、マシューと一緒にいたならメロメロになって稽古どころではないだろう。
ジェマイマは、自分のことをよく理解していた。
「お嬢様」
「なにかしら。ジェーン」
「殿下はお優しい婚約者様でいらっしゃいますね。お嬢様をお見送りなさるときにも、お優しいお顔をなさっておいででした」
ジェーンの言葉は、その通りだと思った。
彼は王家に一人だけいる王子である。もっと傲慢であったとしても、きっと許されてしまうだろう。
けれども彼は、ジェマイマに歩み寄りを見せているし、互いに信頼し合えることを望んでいるように見えた。
初めて対面したときに、
「君は、この縁談を望んではいないのだろうな」
ローレルはそう言って、ジェマイマを見つめた。
青い瞳は熱を感じさせず、冷ややかにも見えていた。
あれからまだひと月ほどしか経っていないのに、今では、彼こそこの関係に誠実さを求めているようである。
ジェマイマは、たとえ夢のようなことが現実になって、ローレルがジェマイマを冷遇することがあったとしても、この婚姻にはちゃんと向き合おうと思っている。
例えば、ローレルがジェマイマを愛さずに公妾を選んだとしても受け入れる心づもりでいる。
ローレルに愛されないことで、夢の中の自分は心を病んだのだろうか。眠れぬほど悩んだのだろうか。離縁を求めてそれすら許されず、魂の自由を求めて自死を選んだのだろうか。
それらが現実に起こったとしても、ジェマイマには役割がある。ジェマイマが王太子妃であり未来の王妃であるのなら、為さねばならないことはほかにもある。
愛されるだけが妃ではなく、愛されずとも妃の役割はなくならない。
ジェマイマは元々嫡女として育てられているから、一般的な令嬢よりも精神が自立していた。孤独に耐える胆力もある。
家族もいれば、ジェーンもアルフレッドもそばにいて、ジェマイマは全く死ぬ気にはならなかった。
ローレルとも、でき得る限り誠意をもって付き合おう。彼がジェマイマになにを思ったとしても、せめてジェマイマは彼に対して偽りのない人間であろうと思う。
そう思いながら、逃走道具の製作に勤しんだ。
「ええ?なに?アルフレッド」
「これは胡桃というものです、お嬢様」
「私だって胡桃くらいわかります。なにに使うかっていうことよ」
胡桃を差し出したアルフレッドに、ジェマイマは幾分憮然となって抗議をした。深窓の令嬢とはいえ胡桃くらい知っているとプリプリしてみせた。
「握力を鍛えるのに良いのです」
「胡桃が?」
「ええ、こうやって握ったら力を込めてこすり合わせるのです」
アルフレッドから胡桃を二つ受け取って、言われたように握り込み、力を込めてこすり合わせた。
ゴリゴリと殻がこすれる音がする。
するとアルフレッドがもう二個胡桃を差し出してきた。
「左右の手を鍛えましょう」
言われた通りジェマイマは、左右に二個ずつ胡桃を握ってゴリゴリした。
「縄を掴むには体重を支えるだけの握力が必要です。ほら、ジェーンのぶんもあるぞ」
そう言って、アルフレッドはポケットからもう四つ胡桃を出してジェーンに差し出した。アルフレッドのポケットには、どれほど胡桃が入っているのだろう。
「こまめに鍛錬なさることをお勧めします。移動中ですとか空き時間をご活用なさるとよろしいでしょう」
アルフレッドはそう言って、ジェマイマとジェーンに握力増強を促した。
この日から、侯爵家ではどこからともなく「ゴリゴリゴリゴリ」と音がして、それがあちこち移動するから、若いメイドが怖いと言い出し怯えたという。
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