ジェマイマの憂鬱

桃井すもも

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第三十二章

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 妃教育にはダンスのレッスンも含まれており、その日ばかりはローレルも一緒にレッスンを受ける。
 今日もそんなダンスレッスンの日で、二人は講師の手拍子に合わせて、向かい合ってワルツを一緒に踊っていた。

「ねえ、ジェマイマ」
「なんでしょうか」

 ゆったりとしたリズムのワルツは、踊りながらお喋りを楽しむことができる。
 だが、ジェマイマの中では飽くまでレッスンであるから、無駄話なんてものは思いつかないことである。なのにどうしてか、さっきからこの王太子はなんだかんだ話しかけてくるから、なかなか集中できない。

 今も無駄口を叩きながら、それでも身体の軸はブレないしリードは完璧で、ダンスがあまり得意ではないジェマイマは必死についていくばかりだった。

「君、最近握力増してない?」
「え?」

 なんですと?
 思わずジェマイマは向こう側を見ていた視線を鮮やかな青い瞳に移した。

 ダンスの正式なフォームは、目線は男性の肩の向こう側である。そこを睦まじい恋人たちは、見つめ合って密やかなお喋りを楽しみながら踊るのだが、教本通り型にはまったジェマイマにはそんな発想はなかった。

 だが今は、ここ数日の鍛錬が確かな実力として身についていることを知って、ジェマイマは珍しく歓喜した。

 アルフレッドから教えてもらった「胡桃ゴリゴリ」。
 胡桃を二つ握り締めて、手の中でこすり合わせる。
 侯爵邸ではジェーンも一緒に、いつでもどこでもゴリゴリゴリゴリさせながら、鍛錬に勤しんでいた。

 実力がついたのだわ、どれ。

 ギュッと手に力を込める。実力がどれほどのものなのか、もう一度確かめたかった。

「えーと、ジェマイマ、ちょっと痛いかな」

 繋いだ手を握り締められて、ローレルが音を上げた。

 これしきで痛いだとぅ?

 ローレルは鍛錬が足りないのではなかろうか。剣術の稽古を重ねている彼だから、これしきで痛いだなんて言うのはどうにも女々しく許しがたいことである。

 胡桃ゴリゴリが確実に握力増強となっていたジェマイマは、ローレルが女の子に調子を合せてくれているなんてことは、これっぽっちも考えない。

「鍛錬が足りないのではないですか」

 あろうことか、ローレルに上から目線でそう言った。ローレルより背が低いから目線は上目遣いになっているのだが、態度が尊大になるあまり上から目線的に感じられるのだった。

「⋯⋯なんの鍛錬?」
「ええ?それは勿論、握力ですわ、握力」

 そこでジェマイマは、再びギュッと組み合わせた手を強めに握り締めた。

 どうだ、強いだろう。握力強くてちょっと痛いかな?

 どうだ?痛いのか?と尚も好奇の眼差しでローレルを下からのぞき見る器用なジェマイマ。
 ローレルは、そんなジェマイマにほんの少し口角を上げて笑みを浮かべた。

「生意気ジェマイマめ」
「え?」

 その途端、ジェマイマは視点がくるりと変わって一瞬、自分の立ち位置がわからなくなった。
 背中に添えられたローレルの手の平にぐっと力が込められて、あろうことかジェマイマはくるりくるりと連続でターンした。

 ローレルに誘導されるまま、なすがままになっていたから、こんな急なターンもそれが二回連続するのも想定外のことだった。

 先にも言ったが、ジェマイマはダンスはそれほど得意ではない。あれ~的にくるくるさせられ、自慢の握力はどこかへ飛んでいった。

 クスクスクス。

 成人男子がクスクス笑うのを、ジェマイマは初めて聞いた。父ははっはっはと笑うし、アルフレッドはそもそも声を出して笑わない。いつだって優しい眼差しでジェマイマを見て微笑んでいる。

 自分自身も親しい身内以外には、アルカイックスマイルしか見せないクセに、ジェマイマはローレルのクスクス笑う声に猛烈抗議をしたくなった。

「びっくりしたじゃないですか」
「君が意地悪だったから」
「は?どこが意地悪だと?」
「生意気な内心が浮かんで見えていたよ」
「まさかそんな」

 そんなこと、した覚えがあるから、ジェマイマはそこで口をつぐんだ。
 そうだ、相手が悪かった。
 ローレルに尊大な態度はアウトであった。なにせ正真正銘、誰よりも尊大が許される天上人なのだから。

「すみません」

 早々に自身の非を認めたジェマイマは素直に謝った。流石に先ほどのような緩急の急しかないようなダンスは治まり、今はゆったりとしたステップになっていた。

「それで、なんでそんなに握力を鍛えているの?」

 なんでって、それは城の窓から縄を伝って階下へ降りるためなのだが、そんな馬鹿正直なことを言うほど馬鹿ではない。

「そのぉ、アルフレッドから健康に良いからと勧められたのです」
「⋯⋯。へえ」

 ローレルは華やかな見目の王子であるが、なんだろう、今はなんだか冷たく怜悧な表情に見えた。

「それで、どんな鍛錬をしているの?」

 果たして敵将に手の内を明かしてよいのだろうか。
 ローレルはなんにも悪いことはしていないのだが、ジェマイマの脳内にある戦場では敵将認定されていた。

「教えられないんだ」
「そ、そういうわけではないんですけど⋯⋯」

 ここにオスカーがいたならきっと、「失敬だぞジェマイマ、早くお答えしろ」と言っただろう。

「く、胡桃をですね、ゴリゴリするの」

 語尾が幼児っぽくなってしまった。なにかを誤魔化すときのマシューの口癖がこんなところで出てしまうなんて。

「ふうん」

 ふうん、と言ったローレルは、そこでまた口角を片方だけ持ち上げた。
 それはなにか不穏なサインだと、心はわかっていたのに、しっかりホールドされているジェマイマに逃げ場はなかった。

「ホント、生意気な恋人だね」

 目の前に影が差したと思ったときに、耳元でそんな囁きが聞こえた。
 同時に頬に柔らかなものが押し当てられて、ちゅっとリップ音がした。

 異性から頬にキスをされたのは、生まれて初めてのことだった。


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