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第三十三章
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ダンス講師の手拍子が止まる。
ジェマイマとローレルのステップも止まってしまった。
「ジェマイマ」
向かい合ったままローレルは、まだジェマイマの手を離さずにこちらを見下ろした。
「君がなにをしても構わない。好きなだけ握力を鍛えても、力自慢には付き合うよ」
ローレルはまだ薄らと笑みを浮かべていた。だがジェマイマには、彼が笑っているようには見えなかった。
「けれど、思い違いはしないでくれ。君は私の婚約者だ」
ジェマイマは、思い違いだなんてことはしていない。今だって妃教育の真っ最中だし、ローレルの婚約者として日々勤勉に学んでいる。
ただ、同時進行で逃走道具を用意しているだけである。
そうであるからジェマイマは、頬にチューされたことを一瞬忘れて、目の前の思い違いも甚だしい青年に文句を言った。
「ローレル様。ワタクシ、今、妃教育の只中なんですのよ。妃って、貴方の妃ですけど。それで貴方はなんでそんなに怒っているの?」
ジェマイマは、ローレルが立腹しているのだと思った。微笑みながら怒るって、本当に器用な人だと思う。
ねえ?ジェーン、アルフレッド、貴方たちもそう思うでしょう?
同意を求めて壁際に控えている二人を見れば、どうしたことか、二人とも《今はこっちを見てはイカンです》というような顔をした。
「へえ。婚約者との会話中によそ見ができるなんて、君は随分と太っ腹だね」
確かに。身体は痩身であるが、父からは常々、胆力がどうこう言われている。
ローレルの言うことは正しいと思ったから、ジェマイマはそこで返事をした。
「お褒めいただきありがとうございます」
《褒めてない》
オスカーがここにいたなら、きっとそう言っただろう。残念ながら、オスカーは今、剣術の稽古中でいなかった。
「はあ」
あろうことかローレルは、ジェマイマを見下ろしたまま溜め息を吐いた。
「まあ、失礼なお方。溜め息なんて吐いちゃって」
「諦めたんだよ」
「ええ?なにを?」
ねえ、なにかしら。ローレル様はなにを諦めたのかしら?
答えを求めて壁際に控えているジェーンとアルフレッドを見れば、どうしたことか、二人とも《まだこっちを見てはイカンです》というような顔をした。
「そういうところだよ」
そう言うと、ローレルはやっと背中に添えた手を離してくれた。二人はまだワルツを踊る姿勢のまま、向かい合わせで手を組んでいた。
ローレルは、背中からは手を離してくれたが、組んだ右手は離さずに、そのままジェマイマを引き寄せた。
「今日のレッスンはこれくらいで良いだろう?」
ダンス講師にそう言うと、講師がコクコク頷くのを確かめて、そのまま出口に向かって歩き出した。
「どこへ行くのです?ローレル様」
「喉が渇いただろう?お茶にしよう」
今日の妃教育は、ダンスレッスンが最後の授業だった。その後にローレルとの茶会があることは初めから予定されていたことだが、そうじゃないとジェマイマは抗議をした。
「手、手、手を離してくださいませ」
「ええ?婚約者ならこれくらい当たり前だろう?」
「今までこんなことしましたっけ?」
「今からすれば問題なかろう?」
やいのやいの言うジェマイマに、ローレルは薄らと笑みを浮かべたまま言った。
こんな面倒くさい人だったかしら。
ジェマイマは、腕を引っ張りながら前を歩くローレルを後ろから見上げた。
あら?
ジェマイマは引っ張られながら気がついた。
ローレル様、どうしちゃたのかしら。耳が赤いわ。ええ?なんだか首も赤く見える。襟で隠れているけれど、見間違い?
引っ張られていたのを歩く速度を上げて、ローレルの隣に並んでみた。ここにオスカーがいたならきっと「もうちょっと離れるんだ」と注意しただろう。
「ローレル様、大変。侍従様!スティーブ様!大変、ローレル様が発熱していらっしゃるわ」
ジェマイマは首だけ後ろを振り返って、ローレルの侍従を呼んだ。
横から見上げたローレルは、頬が赤く見えていた。
夢の中で流行病で死んだジェマイマは、熱病に敏感になっていた。
「よしてくれないかな」
「ええ?ですがローレル様、お熱があるわ。そんなに頬があか」「頼むから、少し黙ってくれないか」
ローレルは、珍しくジェマイマの言葉を遮った。
「⋯⋯大丈夫だ。なんでもない」
まだ訝しむジェマイマに、ローレルはちらりと視線を向けてそう言った。
「私、ちょっと発熱には敏感になっていて⋯⋯。騒いですみません」
「⋯⋯。なんで敏感に?」
折しも冬のこの時期、王都でも感冒が流行りはじめていたから、ジェマイマの言うことはあながち大袈裟なことではない。
後から考えてもジェマイマは、なんでここで話したのだろうかと思う。
ローレルは誠実な人物であると、それは信じられることである。だが一方で、亡き母譲りの夢見のために、ジェマイマの心の内には彼を不安視する気持ちがある。
それなのに、ジェマイマは話してしまった。
「夢で、流行病で死んだことがあるんです」
ローレルは、その途端歩みを止めた。
「今、なにを言ったんだ?」
ジェマイマは、そこで自分が突拍子もないことを言ったことに気がついた。
夢はジェマイマだけの世界である。たかが夢、されど夢。
行き成り夢のことを言われても、ローレルだって困るだろう。
「なんでもありません」
ジェマイマは、きっぱりと言い切った。よく見れば、ローレルの頬の赤みは消えていた。感冒かと思ったが、ダンスレッスンで体温が上がっていただけらしい。
そう判断したジェマイマは、汗が引いて身体が冷える前に温かいお茶を飲みましょうと、今度はジェマイマのほうがローレルの手をぐいぐい引いて、応接間へと急いだ。
ジェマイマとローレルのステップも止まってしまった。
「ジェマイマ」
向かい合ったままローレルは、まだジェマイマの手を離さずにこちらを見下ろした。
「君がなにをしても構わない。好きなだけ握力を鍛えても、力自慢には付き合うよ」
ローレルはまだ薄らと笑みを浮かべていた。だがジェマイマには、彼が笑っているようには見えなかった。
「けれど、思い違いはしないでくれ。君は私の婚約者だ」
ジェマイマは、思い違いだなんてことはしていない。今だって妃教育の真っ最中だし、ローレルの婚約者として日々勤勉に学んでいる。
ただ、同時進行で逃走道具を用意しているだけである。
そうであるからジェマイマは、頬にチューされたことを一瞬忘れて、目の前の思い違いも甚だしい青年に文句を言った。
「ローレル様。ワタクシ、今、妃教育の只中なんですのよ。妃って、貴方の妃ですけど。それで貴方はなんでそんなに怒っているの?」
ジェマイマは、ローレルが立腹しているのだと思った。微笑みながら怒るって、本当に器用な人だと思う。
ねえ?ジェーン、アルフレッド、貴方たちもそう思うでしょう?
同意を求めて壁際に控えている二人を見れば、どうしたことか、二人とも《今はこっちを見てはイカンです》というような顔をした。
「へえ。婚約者との会話中によそ見ができるなんて、君は随分と太っ腹だね」
確かに。身体は痩身であるが、父からは常々、胆力がどうこう言われている。
ローレルの言うことは正しいと思ったから、ジェマイマはそこで返事をした。
「お褒めいただきありがとうございます」
《褒めてない》
オスカーがここにいたなら、きっとそう言っただろう。残念ながら、オスカーは今、剣術の稽古中でいなかった。
「はあ」
あろうことかローレルは、ジェマイマを見下ろしたまま溜め息を吐いた。
「まあ、失礼なお方。溜め息なんて吐いちゃって」
「諦めたんだよ」
「ええ?なにを?」
ねえ、なにかしら。ローレル様はなにを諦めたのかしら?
答えを求めて壁際に控えているジェーンとアルフレッドを見れば、どうしたことか、二人とも《まだこっちを見てはイカンです》というような顔をした。
「そういうところだよ」
そう言うと、ローレルはやっと背中に添えた手を離してくれた。二人はまだワルツを踊る姿勢のまま、向かい合わせで手を組んでいた。
ローレルは、背中からは手を離してくれたが、組んだ右手は離さずに、そのままジェマイマを引き寄せた。
「今日のレッスンはこれくらいで良いだろう?」
ダンス講師にそう言うと、講師がコクコク頷くのを確かめて、そのまま出口に向かって歩き出した。
「どこへ行くのです?ローレル様」
「喉が渇いただろう?お茶にしよう」
今日の妃教育は、ダンスレッスンが最後の授業だった。その後にローレルとの茶会があることは初めから予定されていたことだが、そうじゃないとジェマイマは抗議をした。
「手、手、手を離してくださいませ」
「ええ?婚約者ならこれくらい当たり前だろう?」
「今までこんなことしましたっけ?」
「今からすれば問題なかろう?」
やいのやいの言うジェマイマに、ローレルは薄らと笑みを浮かべたまま言った。
こんな面倒くさい人だったかしら。
ジェマイマは、腕を引っ張りながら前を歩くローレルを後ろから見上げた。
あら?
ジェマイマは引っ張られながら気がついた。
ローレル様、どうしちゃたのかしら。耳が赤いわ。ええ?なんだか首も赤く見える。襟で隠れているけれど、見間違い?
引っ張られていたのを歩く速度を上げて、ローレルの隣に並んでみた。ここにオスカーがいたならきっと「もうちょっと離れるんだ」と注意しただろう。
「ローレル様、大変。侍従様!スティーブ様!大変、ローレル様が発熱していらっしゃるわ」
ジェマイマは首だけ後ろを振り返って、ローレルの侍従を呼んだ。
横から見上げたローレルは、頬が赤く見えていた。
夢の中で流行病で死んだジェマイマは、熱病に敏感になっていた。
「よしてくれないかな」
「ええ?ですがローレル様、お熱があるわ。そんなに頬があか」「頼むから、少し黙ってくれないか」
ローレルは、珍しくジェマイマの言葉を遮った。
「⋯⋯大丈夫だ。なんでもない」
まだ訝しむジェマイマに、ローレルはちらりと視線を向けてそう言った。
「私、ちょっと発熱には敏感になっていて⋯⋯。騒いですみません」
「⋯⋯。なんで敏感に?」
折しも冬のこの時期、王都でも感冒が流行りはじめていたから、ジェマイマの言うことはあながち大袈裟なことではない。
後から考えてもジェマイマは、なんでここで話したのだろうかと思う。
ローレルは誠実な人物であると、それは信じられることである。だが一方で、亡き母譲りの夢見のために、ジェマイマの心の内には彼を不安視する気持ちがある。
それなのに、ジェマイマは話してしまった。
「夢で、流行病で死んだことがあるんです」
ローレルは、その途端歩みを止めた。
「今、なにを言ったんだ?」
ジェマイマは、そこで自分が突拍子もないことを言ったことに気がついた。
夢はジェマイマだけの世界である。たかが夢、されど夢。
行き成り夢のことを言われても、ローレルだって困るだろう。
「なんでもありません」
ジェマイマは、きっぱりと言い切った。よく見れば、ローレルの頬の赤みは消えていた。感冒かと思ったが、ダンスレッスンで体温が上がっていただけらしい。
そう判断したジェマイマは、汗が引いて身体が冷える前に温かいお茶を飲みましょうと、今度はジェマイマのほうがローレルの手をぐいぐい引いて、応接間へと急いだ。
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