ジェマイマの憂鬱

桃井すもも

文字の大きさ
34 / 44

第三十三章

しおりを挟む
 ダンス講師の手拍子が止まる。
 ジェマイマとローレルのステップも止まってしまった。

「ジェマイマ」

 向かい合ったままローレルは、まだジェマイマの手を離さずにこちらを見下ろした。

「君がなにをしても構わない。好きなだけ握力を鍛えても、力自慢には付き合うよ」

 ローレルはまだうっすらと笑みを浮かべていた。だがジェマイマには、彼が笑っているようには見えなかった。

「けれど、思い違いはしないでくれ。君は私の婚約者だ」

 ジェマイマは、思い違いだなんてことはしていない。今だって妃教育の真っ最中だし、ローレルの婚約者として日々勤勉に学んでいる。
 ただ、同時進行で逃走道具を用意しているだけである。

 そうであるからジェマイマは、頬にチューされたことを一瞬忘れて、目の前の思い違いも甚だしい青年に文句を言った。

「ローレル様。ワタクシ、今、妃教育の只中なんですのよ。妃って、貴方の妃ですけど。それで貴方はなんでそんなに怒っているの?」

 ジェマイマは、ローレルが立腹しているのだと思った。微笑みながら怒るって、本当に器用な人だと思う。

 ねえ?ジェーン、アルフレッド、貴方たちもそう思うでしょう?

 同意を求めて壁際に控えている二人を見れば、どうしたことか、二人とも《今はこっちを見てはイカンです》というような顔をした。

「へえ。婚約者との会話中によそ見ができるなんて、君は随分と太っ腹だね」

 確かに。身体は痩身であるが、父からは常々、胆力がどうこう言われている。
 ローレルの言うことは正しいと思ったから、ジェマイマはそこで返事をした。

「お褒めいただきありがとうございます」

 《褒めてない》
 オスカーがここにいたなら、きっとそう言っただろう。残念ながら、オスカーは今、剣術の稽古中でいなかった。

「はあ」

 あろうことかローレルは、ジェマイマを見下ろしたまま溜め息をいた。

「まあ、失礼なお方。溜め息なんていちゃって」
「諦めたんだよ」
「ええ?なにを?」

 ねえ、なにかしら。ローレル様はなにを諦めたのかしら?
 答えを求めて壁際に控えているジェーンとアルフレッドを見れば、どうしたことか、二人とも《まだこっちを見てはイカンです》というような顔をした。

「そういうところだよ」

 そう言うと、ローレルはやっと背中に添えた手を離してくれた。二人はまだワルツを踊る姿勢のまま、向かい合わせで手を組んでいた。

 ローレルは、背中からは手を離してくれたが、組んだ右手は離さずに、そのままジェマイマを引き寄せた。

「今日のレッスンはこれくらいで良いだろう?」

 ダンス講師にそう言うと、講師がコクコク頷くのを確かめて、そのまま出口に向かって歩き出した。

「どこへ行くのです?ローレル様」
「喉が渇いただろう?お茶にしよう」

 今日の妃教育は、ダンスレッスンが最後の授業だった。その後にローレルとの茶会があることは初めから予定されていたことだが、そうじゃないとジェマイマは抗議をした。

「手、手、手を離してくださいませ」
「ええ?婚約者ならこれくらい当たり前だろう?」
「今までこんなことしましたっけ?」
「今からすれば問題なかろう?」

 やいのやいの言うジェマイマに、ローレルはうっすらと笑みを浮かべたまま言った。

 こんな面倒くさい人だったかしら。

 ジェマイマは、腕を引っ張りながら前を歩くローレルを後ろから見上げた。

 あら?
 ジェマイマは引っ張られながら気がついた。

 ローレル様、どうしちゃたのかしら。耳が赤いわ。ええ?なんだか首も赤く見える。襟で隠れているけれど、見間違い?

 引っ張られていたのを歩く速度を上げて、ローレルの隣に並んでみた。ここにオスカーがいたならきっと「もうちょっと離れるんだ」と注意しただろう。

「ローレル様、大変。侍従様!スティーブ様!大変、ローレル様が発熱していらっしゃるわ」

 ジェマイマは首だけ後ろを振り返って、ローレルの侍従を呼んだ。

 横から見上げたローレルは、頬が赤く見えていた。
 夢の中で流行病で死んだジェマイマは、熱病に敏感になっていた。

「よしてくれないかな」
「ええ?ですがローレル様、お熱があるわ。そんなに頬があか」「頼むから、少し黙ってくれないか」

 ローレルは、珍しくジェマイマの言葉を遮った。

「⋯⋯大丈夫だ。なんでもない」

 まだいぶかしむジェマイマに、ローレルはちらりと視線を向けてそう言った。

「私、ちょっと発熱には敏感になっていて⋯⋯。騒いですみません」
「⋯⋯。なんで敏感に?」

 折しも冬のこの時期、王都でも感冒が流行りはじめていたから、ジェマイマの言うことはあながち大袈裟なことではない。

 後から考えてもジェマイマは、なんでここで話したのだろうかと思う。
 ローレルは誠実な人物であると、それは信じられることである。だが一方で、亡き母譲りの夢見のために、ジェマイマの心の内には彼を不安視する気持ちがある。

 それなのに、ジェマイマは話してしまった。

「夢で、流行病で死んだことがあるんです」

 ローレルは、その途端歩みを止めた。

「今、なにを言ったんだ?」

 ジェマイマは、そこで自分が突拍子もないことを言ったことに気がついた。
 夢はジェマイマだけの世界である。たかが夢、されど夢。
 行き成り夢のことを言われても、ローレルだって困るだろう。

「なんでもありません」

 ジェマイマは、きっぱりと言い切った。よく見れば、ローレルの頬の赤みは消えていた。感冒かと思ったが、ダンスレッスンで体温が上がっていただけらしい。

 そう判断したジェマイマは、汗が引いて身体が冷える前に温かいお茶を飲みましょうと、今度はジェマイマのほうがローレルの手をぐいぐい引いて、応接間へと急いだ。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの妻にはなりません

風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。 彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。 幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。 彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。 悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。 彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。 あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。 悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。 「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

【完結】愛していないと王子が言った

miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。 「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」 ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。 ※合わない場合はそっ閉じお願いします。 ※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

【完結】私の婚約者はもう死んだので

miniko
恋愛
「私の事は死んだものと思ってくれ」 結婚式が約一ヵ月後に迫った、ある日の事。 そう書き置きを残して、幼い頃からの婚約者は私の前から姿を消した。 彼の弟の婚約者を連れて・・・・・・。 これは、身勝手な駆け落ちに振り回されて婚姻を結ばざるを得なかった男女が、すれ違いながらも心を繋いでいく物語。 ※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしていません。本編より先に読む場合はご注意下さい。

ほんの少しの仕返し

turarin
恋愛
公爵夫人のアリーは気づいてしまった。夫のイディオンが、離婚して戻ってきた従姉妹フリンと恋をしていることを。 アリーの実家クレバー侯爵家は、王国一の商会を経営している。その財力を頼られての政略結婚であった。 アリーは皇太子マークと幼なじみであり、マークには皇太子妃にと求められていたが、クレバー侯爵家の影響力が大きくなることを恐れた国王が認めなかった。 皇太子妃教育まで終えている、優秀なアリーは、陰に日向にイディオンを支えてきたが、真実を知って、怒りに震えた。侯爵家からの離縁は難しい。 ならば、周りから、離縁を勧めてもらいましょう。日々、ちょっとずつ、仕返ししていけばいいのです。 もうすぐです。 さようなら、イディオン たくさんのお気に入りや♥ありがとうございます。感激しています。

処理中です...