ジェマイマの憂鬱

桃井すもも

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第四十二章

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「ふん、そうしているとまるでそっくりな親子だな」

 皮肉な笑みを浮かべて、ローレルが言った。
 目の前には漆黒の頭が並んでいる。高さが違うのは、片方は屈強な体躯の騎士であり、もう片方はちんまい幼子おさなごだからである。

「レオン」
「はいっ!ちちうえ!」

 小さな身体をスッと伸ばして、レオンは元気に返事をした。キリッとした顔をしたはずなのに、そう見えないのは父親譲りの優顔やさがおだからか。

「おいで」

 その言葉に、弾かれたようにレオンは駆け出し、腰を落として両腕を広げるローレルの腕の中に飛び込んだ。

「汗だくだな」

 ローレルがそう言うと、後ろに控えていたオスカーが大判のタオルを差し出した。ローレルはそれを受け取りレオンの頭をタオルで包むと、手ずから汗を拭ってやる。

「で、今日の稽古はどうだったんだ?」

 わしゃわしゃ拭うと小さな頭はぐらんぐらん揺さぶられて、それが面白いのかレオンがキャッキャッと声を立てて笑った。

「殿下は大変剣筋がよろしい。そういえば、ジェマイマ様も反射神経がよろしかった。侍女との追いかけっこでは負けなしでしたから。レオン殿下は御母上に似たのでしょう」

 ローレルは「今日はどうだった?」と短く尋ねたのに、アルフレッドは昔話まで織り交ぜて長ーい返事をしてきた。しかも当時のジェマイマはすでに十代の少女であり、追いかけっこをする年齢はとうに過ぎていた。

「ちっ」

 小さく舌打ちをすれば、

「ちちうえ、だめです!ははうえがだめっていいまちた」

 最後に若干カミカミになって、レオンは「めっ」とするようにローレルを見上げた。面立ちは父親似であるのに、そんな表情が妃にそっくりに見えるのは、母親譲りの漆黒の髪と深く青い瞳のせいなのだろうか。

「ふっ、怒られておいでだ」

 独り言にしては大きすぎる声で、アルフレッドは挑発的なことを言った。

従兄あに上、失敬ですよ」

 オスカーにいさめられても、アルフレッドは精悍な顔にうっすら笑みを乗せただけで、反省の色は見えなかった。

 ジェマイマとアルフレッドは髪と瞳の色がそっくりで、そこにオスカーが加わると三人兄妹のように見える。更にそこにレオンが加われば、幼子はまるでジェマイマとどちらかの息子のように見えてしまう。

 だが、レオンは歴とした王国の王子でありローレルの第一子である。
 父親からは緩い巻き毛も艶やかな金髪も澄んだ青い瞳も、見目は何ひとつ受け継いでいない。

 彼が父親から受け継いだのは、麗しく優しげな面立ちと揺るがない母親への深い愛、その愛をどこも曲げずに真っ直ぐ本人に向ける、突き抜けるような愛し方だった。

 実際には成長するとともに、優顔のまま放つ皮肉な口ぶりも、涼しい顔で厳しいことを平気でのたまう為政者としての風格も、誰よりも自分を自重して甘言に惑わされない心の強さも、全て父から引き継ぐのだが、今は可愛いばかりの三歳児である。

 レオンが携える模擬剣は、祖父であるクラフトン侯爵から奉上されたものである。柄頭には東国から取り寄せたという上質の瑠璃が嵌められており、それはジェマイマとレオンの瞳の色でもあった。

 レオンの剣の指南役はアルフレッドであり、それは彼の技量を認めてローレルが命じたものだった。


 ローレルは狂うことはなかった。生まれたばかりのレオンを目にしても、妃を疑うことはなかった。

 夜明け前の最も暗い宵闇に生まれた息子は、湯浴みをしたばかりの髪は艶を帯びて黒々としていた。それがジェマイマにそっくりだと言って、ローレルは赤児の額にキスをした。

「レオン」

 ローレルがそう呼べば、赤児のレオンはまだはっきりしない視界に父親を探すように瞳を左右に揺らした。美しい瑠璃色の瞳も、最愛の妃にそっくりだった。

 あらかじめ決めていた名は男児のもので、ローレルは初めての子は男子おのこだと疑うことをしなかった。愛する妃が我が子を産むのを、指折り数えて心待ちにしていたのである。



「ははうえ!」

 父に汗を拭われ抱き上げられたレオンが、ローレルの肩越しに母を見つけた。その声に、ローレルは振り返った。

「ジェマイマ、気をつけて歩くんだ」

 ジェマイマは、ジェーンに手を引かれており、彼女らの両脇も後ろにも近衛騎士が控えていた。

「レオンの稽古を観たかったの。もう終わってしまったのね」

 残念そうに言ってジェマイマは、大きく膨らんだ腹を庇いながらゆっくり歩く。せり出した腹で足元がよく見えず、手を引いてくれるジェーンが頼りである。
 ジェマイマは産み月を迎えており、二番目の子の出産を控えていた。

「ははうえ!」

 ローレルが地面に下ろすと、レオンは仔犬のように駆け出しジェマイマのドレスを掴んだ。少し前まで体当たりのように飛び込んでいたのに、母の身のうちに子が宿ってからは、そんなことはすっかりやめてしまった。

 汗を拭われ乾き始めたレオンの髪を撫でてから、ジェマイマはまだ紅く熱を持つ息子の頬を両手で包む。ローレルそっくりな甘い笑顔に、ジェマイマは思わず笑みが溢れた。

「明日は間に合うように見にくるわ」
「ほんと?ははうえ」
「ええ、本当よ。レオンの立派な騎士姿を見たいもの」
「では、鍛錬の前に私がお迎えに参りましょう」
「アルフレッド、お前は黙って準備をしておれ。ジェマイマ、明日は私が君を迎えに行くから待っていてくれ」

 身重になってから猛烈な眠気をもよおすようになって、ジェマイマは先ほどまで昼寝をしていた。それで、レオンの剣の鍛錬に間に合わなかったのである。

 目の前で、夫と護衛騎士がやいのやいの言っている。見下ろせば、幼い息子がドレスのスカートを握り締めている。
 鬱陶しいほどの深い愛情に囲まれて、ジェマイマは溺れそうなあまり憂鬱になる。

 なんて幸福な憂鬱なのか。こんな人生があったのだと、あの夢のジェマイマたちに教えてあげたい。彼女たちにもあっただろう幸せを噛み締める。

 ローレルは、婚礼の夜から息も絶えだえになるほどジェマイマを愛した。直ぐに懐妊したジェマイマには、もう夢で見たような恐れも不安もなかった。

 生まれてくる子をこの腕に抱ける。大切に抱き締めて愛してあげられる。それが心から待ち遠しくて、大きな腹に向かってレオン、レオンと呼びかけた。

 きっと男の子が生まれるだろう。濡れ羽のような黒髪に夜空のような濃く青い瞳をして生まれて来てくれるに違いない。そしてローレルは、今度こそ間違いなくレオンを愛してくれるだろう。

 夢を数に入れるなら五度目となる生を受けて、レオンはこの世に生まれ出た。
 父親似の鬱陶しいほど深い愛情を身のうちに宿して、ジェマイマに母となることの幸せを教えてくれた。


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