9 / 27
第九章
しおりを挟む
ヘンドリックは、アルベールとは友人である前に従兄弟である。
彼の母は王妹で、彼自身もまた、王子が二人しかいない王家にとって、数少ない王位継承権を有する男子である。
金色の髪と澄んだ青い瞳は、アルベールもヘンドリックも王家の血が濃いことを表していた。
だが顔立ちは、側妃によく似て童顔なために中性的に見えるアルベールと違って、ヘンドリックは怜悧な面立ちをしている。
するりと癖のない長髪は、彼の真っ直ぐな気質そのもののようで、それを背中でひとつに纏めて青いリボンで結っていた。
リボンはキャスリンが贈ったもので、彼はリボンに限らずキャスリンが贈った物を大切にしてくれた。
だから、決してキャスリンを疎んじていたわけでも、軽んじていたわけでもなかったと思う。
『初めまして、ではないかな。これから宜しく、と言ったほうがよいね』
婚約を結ぶ顔合わせの席で、青い瞳を細めて、ヘンドリックは珍しく笑みを浮かべてそう言った。
その様子を、互いの両親もじーっと見つめていたから、キャスリンはすっかり照れてしまった。けれどもとても嬉しかったのだ。
彼とは既に顔見知りであったし、キャスリンは母に伴われて王城に出向くことが多く、宰相の子息であるヘンドリックとは、城でも顔を合わせていた。
良縁だと、どちらの両親も思ったようだった。キャスリンだって、彼ほど高貴な青年はアルベール以外には知らなかったから、自分は恵まれているのだと信じて疑うことはなかった。
キャスリンには、婚約者への恥じらいも遠慮もあった。出来過ぎな婚約者に負い目とまでは言わずとも、彼に恥ずかしくない婚約者でいたいと常から思っていた。
燃えるような恋心とは違ったかもしれない。だが、将来を共に生きる伴侶として、大切に大切に思っていた。そこには確かな恋心があった。
寡黙な質であるヘンドリックに比べて、キャスリンは割合、陽気なほうだと思う。だが、二人きりでいるときに、キャスリンはその陽気具合を少しばかり抑えていた。
ヘンドリックに好いてほしい、そんな恥じらいが、彼女を何事においても控えめにさせていた。
だからこそ、シンシアと親密であるという噂が聞こえ始めたときに、キャスリンは悋気なんてものは起こらなかった。
噂に衝撃を受けた直後に思ったのはアルベールのことで、どうしようと困惑した。自身の婚約者がアルベールの婚約者と噂を起こしてしまった。
ヘンドリックと、もっと仲良くなれていたら良かったのだろうか。
初恋を抱いたまま別の伴侶を得る貴族は少なくない。それでもみんな、恋は恋、現実は現実と区切りをつける。学生であるなら、僅かに残された猶予として学園生活を過ごす。
ヘンドリックにしても、シンシアの立場を考慮して、秘めた想いにも彼なりの踏ん切りをつけたのだろう。学園に入ってからも、キャスリンとは穏やかな交流を重ねていたのだから。
真逆、卒業まであと半年というところで、こんなことになるとは思わなかった。
真逆、シンシアまでヘンドリックを慕っているなんて、そんなことは思わなかったのである。
「シンシア様が、」
彼女の名を口にすれば、助祭は些か緊張するような顔をした。奥歯を噛み締めるのは、彼が気を張る時の癖である。
「シンシア様が、ヘンドリック様をお慕いになるお心は、私にはどうすることもできません」
シンシアに関することを、キャスリンは慎重に話す。
「彼女は間もなく王子妃になられるお方です。アルベール殿下がいずれは臣下に下るとも、一旦は王家に嫁がれる御身です。エドワード殿下が学園をご卒業なさるまで、あと十年あるのですから」
助祭に向かって、キャスリンはとても繊細な話題を口にしている。そればかりか、両親にも言えずにいたことを、目の前の青年には隠さず明かしている。
キャスリンにとって、助祭は誰よりも信頼できる人物だった。彼だから、口に出してはならないことも胸を開いて打ち明けられる。
助祭もまた、そんなキャスリンの心中を誰よりも、多分ヘンドリックよりも理解しているだろう。
「学園でヘンドリック様とシンシア様の噂が立って、だからといって私には、なにもすることができませんでした」
「貴女が確かめる前に、婚約者様が貴女の心に寄り添うべきことだったと思います」
キャスリンは、彼らしい言葉だと思った。自分に軸を置いて過失を探すキャスリンに、助祭は別の見方を示してくれる。そんな助祭の言葉に、つい絆されそうになってしまう。
「貴女が繊細な気質であることを、婚約者様はお知りになるべきだ。いえ、きっと聡明な彼ならおわかりだったでしょう。そうであれば、彼は一番初めに貴女の不安を解消すべきだった。貴女が言った通り、英明で聡明で努力家なのであれば、貴女へ配慮する努力を僅かにも怠るべきではなかったと思います」
「努力。そのお言葉が全てなのですわ。私との関係とは、努力して配慮しなければ繋げられないものなのだと。そういうことです」
「なにをお考えなのですか」
助祭はキャスリンの言葉に、眉を寄せて訝しむような表情を浮かべた。
「今後のことを。いいえ、そうではありません、今現在のことを考えております」
「今のこと?」
「ヘンドリック様とシンシア様は、今も王都にいらっしゃる。私がこんなことになってしまって、噂は事実とされて騒ぎはますます大きくなっているでしょう。その渦中で今度こそ、お二人が互いに想い合う心を固めているのだとしたら」
「それ以上をお考えになってはならない」
「どうして?わかりきったことですわ」
「貴女は婚約者様を大切になさっていたではありませんか」
司祭は声音を強くして、キャスリンに諦めるなと言っているように見えた。
「今頃は、私たちの婚約は解かれておりますわ。彼の本意や噂の真相や、彼女との関係もシンシア様のお気持ちも、そんなことは、周囲にとってはどうでもよいことなのです」
「キャスリン様⋯⋯」
「王子の婚約者と側近が騒ぎを起こして、その上、片方の婚約者が二人の関係に悩まされて負傷した。もう片方の婚約者といえば、渦中の二人も学業も執務も立場まで放り出して、傷を負った友人の後を追って王都を出てしまった」
助祭の青い瞳を見つめて、キャスリンは言った。
「駄目じゃない、こんなところで私に付き合っていては。貴方様、王都を出てしまって、陛下にはなんと仰ったの?溜まった執務はどうなさるの?学園だって今頃は試験中でしょう?アルベール殿下」
生まれたときからの友人と思う青年に、キャスリンは、眉を下げて呆れたような笑みを浮かべて見せた。
彼の母は王妹で、彼自身もまた、王子が二人しかいない王家にとって、数少ない王位継承権を有する男子である。
金色の髪と澄んだ青い瞳は、アルベールもヘンドリックも王家の血が濃いことを表していた。
だが顔立ちは、側妃によく似て童顔なために中性的に見えるアルベールと違って、ヘンドリックは怜悧な面立ちをしている。
するりと癖のない長髪は、彼の真っ直ぐな気質そのもののようで、それを背中でひとつに纏めて青いリボンで結っていた。
リボンはキャスリンが贈ったもので、彼はリボンに限らずキャスリンが贈った物を大切にしてくれた。
だから、決してキャスリンを疎んじていたわけでも、軽んじていたわけでもなかったと思う。
『初めまして、ではないかな。これから宜しく、と言ったほうがよいね』
婚約を結ぶ顔合わせの席で、青い瞳を細めて、ヘンドリックは珍しく笑みを浮かべてそう言った。
その様子を、互いの両親もじーっと見つめていたから、キャスリンはすっかり照れてしまった。けれどもとても嬉しかったのだ。
彼とは既に顔見知りであったし、キャスリンは母に伴われて王城に出向くことが多く、宰相の子息であるヘンドリックとは、城でも顔を合わせていた。
良縁だと、どちらの両親も思ったようだった。キャスリンだって、彼ほど高貴な青年はアルベール以外には知らなかったから、自分は恵まれているのだと信じて疑うことはなかった。
キャスリンには、婚約者への恥じらいも遠慮もあった。出来過ぎな婚約者に負い目とまでは言わずとも、彼に恥ずかしくない婚約者でいたいと常から思っていた。
燃えるような恋心とは違ったかもしれない。だが、将来を共に生きる伴侶として、大切に大切に思っていた。そこには確かな恋心があった。
寡黙な質であるヘンドリックに比べて、キャスリンは割合、陽気なほうだと思う。だが、二人きりでいるときに、キャスリンはその陽気具合を少しばかり抑えていた。
ヘンドリックに好いてほしい、そんな恥じらいが、彼女を何事においても控えめにさせていた。
だからこそ、シンシアと親密であるという噂が聞こえ始めたときに、キャスリンは悋気なんてものは起こらなかった。
噂に衝撃を受けた直後に思ったのはアルベールのことで、どうしようと困惑した。自身の婚約者がアルベールの婚約者と噂を起こしてしまった。
ヘンドリックと、もっと仲良くなれていたら良かったのだろうか。
初恋を抱いたまま別の伴侶を得る貴族は少なくない。それでもみんな、恋は恋、現実は現実と区切りをつける。学生であるなら、僅かに残された猶予として学園生活を過ごす。
ヘンドリックにしても、シンシアの立場を考慮して、秘めた想いにも彼なりの踏ん切りをつけたのだろう。学園に入ってからも、キャスリンとは穏やかな交流を重ねていたのだから。
真逆、卒業まであと半年というところで、こんなことになるとは思わなかった。
真逆、シンシアまでヘンドリックを慕っているなんて、そんなことは思わなかったのである。
「シンシア様が、」
彼女の名を口にすれば、助祭は些か緊張するような顔をした。奥歯を噛み締めるのは、彼が気を張る時の癖である。
「シンシア様が、ヘンドリック様をお慕いになるお心は、私にはどうすることもできません」
シンシアに関することを、キャスリンは慎重に話す。
「彼女は間もなく王子妃になられるお方です。アルベール殿下がいずれは臣下に下るとも、一旦は王家に嫁がれる御身です。エドワード殿下が学園をご卒業なさるまで、あと十年あるのですから」
助祭に向かって、キャスリンはとても繊細な話題を口にしている。そればかりか、両親にも言えずにいたことを、目の前の青年には隠さず明かしている。
キャスリンにとって、助祭は誰よりも信頼できる人物だった。彼だから、口に出してはならないことも胸を開いて打ち明けられる。
助祭もまた、そんなキャスリンの心中を誰よりも、多分ヘンドリックよりも理解しているだろう。
「学園でヘンドリック様とシンシア様の噂が立って、だからといって私には、なにもすることができませんでした」
「貴女が確かめる前に、婚約者様が貴女の心に寄り添うべきことだったと思います」
キャスリンは、彼らしい言葉だと思った。自分に軸を置いて過失を探すキャスリンに、助祭は別の見方を示してくれる。そんな助祭の言葉に、つい絆されそうになってしまう。
「貴女が繊細な気質であることを、婚約者様はお知りになるべきだ。いえ、きっと聡明な彼ならおわかりだったでしょう。そうであれば、彼は一番初めに貴女の不安を解消すべきだった。貴女が言った通り、英明で聡明で努力家なのであれば、貴女へ配慮する努力を僅かにも怠るべきではなかったと思います」
「努力。そのお言葉が全てなのですわ。私との関係とは、努力して配慮しなければ繋げられないものなのだと。そういうことです」
「なにをお考えなのですか」
助祭はキャスリンの言葉に、眉を寄せて訝しむような表情を浮かべた。
「今後のことを。いいえ、そうではありません、今現在のことを考えております」
「今のこと?」
「ヘンドリック様とシンシア様は、今も王都にいらっしゃる。私がこんなことになってしまって、噂は事実とされて騒ぎはますます大きくなっているでしょう。その渦中で今度こそ、お二人が互いに想い合う心を固めているのだとしたら」
「それ以上をお考えになってはならない」
「どうして?わかりきったことですわ」
「貴女は婚約者様を大切になさっていたではありませんか」
司祭は声音を強くして、キャスリンに諦めるなと言っているように見えた。
「今頃は、私たちの婚約は解かれておりますわ。彼の本意や噂の真相や、彼女との関係もシンシア様のお気持ちも、そんなことは、周囲にとってはどうでもよいことなのです」
「キャスリン様⋯⋯」
「王子の婚約者と側近が騒ぎを起こして、その上、片方の婚約者が二人の関係に悩まされて負傷した。もう片方の婚約者といえば、渦中の二人も学業も執務も立場まで放り出して、傷を負った友人の後を追って王都を出てしまった」
助祭の青い瞳を見つめて、キャスリンは言った。
「駄目じゃない、こんなところで私に付き合っていては。貴方様、王都を出てしまって、陛下にはなんと仰ったの?溜まった執務はどうなさるの?学園だって今頃は試験中でしょう?アルベール殿下」
生まれたときからの友人と思う青年に、キャスリンは、眉を下げて呆れたような笑みを浮かべて見せた。
7,251
あなたにおすすめの小説
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】捨てたものに用なんかないでしょう?
風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。
戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。
愛人はリミアリアの姉のフラワ。
フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。
「俺にはフラワがいる。お前などいらん」
フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。
捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
行ってらっしゃい旦那様、たくさんの幸せをもらった私は今度はあなたの幸せを願います
木蓮
恋愛
サティアは夫ルースと家族として穏やかに愛を育んでいたが彼は事故にあい行方不明になる。半年後帰って来たルースはすべての記憶を失っていた。
サティアは新しい記憶を得て変わったルースに愛する家族がいることを知り、愛しい夫との大切な思い出を抱えて彼を送り出す。
記憶を失くしたことで生きる道が変わった夫婦の別れと旅立ちのお話。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
【完結】留学先から戻って来た婚約者に存在を忘れられていました
山葵
恋愛
国王陛下の命により帝国に留学していた王太子に付いて行っていた婚約者のレイモンド様が帰国された。
王家主催で王太子達の帰国パーティーが執り行われる事が決まる。
レイモンド様の婚約者の私も勿論、従兄にエスコートされ出席させて頂きますわ。
3年ぶりに見るレイモンド様は、幼さもすっかり消え、美丈夫になっておりました。
将来の宰相の座も約束されており、婚約者の私も鼻高々ですわ!
「レイモンド様、お帰りなさいませ。留学中は、1度もお戻りにならず、便りも来ずで心配しておりましたのよ。元気そうで何よりで御座います」
ん?誰だっけ?みたいな顔をレイモンド様がされている?
婚約し顔を合わせでしか会っていませんけれど、まさか私を忘れているとかでは無いですよね!?
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる