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第十七章
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王城には数えるほどしか来たことがなかった。今、散策している庭園にしても、多分、一般開放されていない場所だろう。
こんな経験は滅多にないことだから、ロウェナは珍しさが先になって、庭園を興味深く眺めていた。
侯爵家の庭園も、義母が熱心に手入れをしてとても美しい庭である。だが王城はそもそもスケールが違っていた。
植えられた植物も、生家で目にした記憶があるのだが、お城というだけで特別なものに見えてくる。
「君は花が好きなのかい?」
「嫌いなお方のほうが少ないのではないでしょうか」
オーランドに聞かれて、素直に答えてしまった。彼はロウェナよりも年齢も家格も上である。それなのに、どうにも気持ちを緩ませるものがある。
それは多分、あのちょっと恥ずかしい出会いのために、今さら取り繕う必要がなくなってしまったからだろう。
「私の生家の庭も美しいものだった」
流石のロウェナも、その言葉には返事をすることができなかった。
彼の生家とはポートレット公爵家で、その庭園で開かれた茶会で、彼の妻であったウルスラは亡くなっている。
もしかしたら彼は、ウルスラの死後、生家の庭園に足を踏み入れていないのではないかと思った。
「いや、つまらないことを言ってしまった。気にしないでくれ」
オーランドもまた、そこに気づいたロウェナを気遣った。
「つまらないことではございませんわ」
「え?」
勝手に言葉が口から出ていた。なぜか、彼からはウルスラへの厭忌めいたものを感じなかった。
オーランドはきっと、彼なりに、今もウルスラの死を悼んでいるのだろう。世間では悪妻で知られるウルスラに、彼だけが抱く感情の欠片に触れた気がしたのだった。
「君は、怖くないのか?」
ロウェナはそこで、立ち止まってしまった。
「怖い、ですか?」
オーランドも立ち止まり、ロウェナを見下ろした。
「君も知ってるだろう?いや、知らないほうが少ないだろう」
「……」
どんなことを言えばよいのか。そう思ったときに、オーランドには誤魔化しは通じないと思った。
「怖くはございませんわ。貴方も、奥様も」
「へえ」
オーランドは、ほんの少し皮肉を滲ませる笑みを浮かべた。
「巷では物語まで出ているそうだよ」
「物語?」
「悪妻物語、とか言ったかな」
「ええ?それがタイトルなのですか?」
公爵家にとっては歴とした不幸事であるのに、なんて悪趣味なのかと思った。
「そんなことを娯楽にするなんて、随分趣味の悪い小説ですわね」
「はは、君は怒ってくれるんだね」
「当たり前ですわ。遠い昔のことならまだしも、まだ哀しみも薄らいではおられませんでしょう」
ウルスラにも生家があり父も母もいる。夫は目の前にいるオーランドで、彼もきっと哀しみを抱いているのではないか。
「私に関わると呪われるそうだよ」
「そんなことはございません。寧ろ、貴方の御守になっているのではないでしょうか」
「御守り?」
「悪い虫がつかないように」
ウルスラが今もオーランドの肩の辺りにいて、近寄る令嬢を牽制しているように思えた。
「ああ、多分君の言うとおりなんだろうな」
オーランドはそう言って、見るとはなしに辺りに視線を流した。
「初めてだな。他人と妻の話をするのは」
「まあ……」
残された人々の心の慰め方はいろいろだろう。
涙が枯れるまで泣くことも、黙して語らず時が忘れさせてくれるのを待つこともある。
誰かと語らい故人を偲ぶことも方法の一つだろう。だがオーランドには、その方法は当て嵌まらなかったのだろう。
「はあ」
オーランドはそこで、溜め息を一つついた。
「ああ失礼。こんなところで思い出すなんてね。その、ちょっと」
言い表せない気持ちがあるのか、オーランドは言葉を詰まらせた。
ロウェナには、少しだけウルスラの気持ちがわかる。見目よく能力も高く、魅力的な夫がいて、彼の周りを飛びまわる羽虫がいたなら叩き落としたくもなるだろう。
ウルスラは、ロウェナができないことを全てやり尽くしたのだと思う。終いに呪詛の言葉まで吐いて夫から女の気を遠ざけた。
お見事ですわ、ウルスラ様。
存命のうちに彼女と会えていたなら、ロウェナはきっとそう言っただろう。そしてウルスラは多分、
貴女も大人しくしていないで、やっておしまいなさいな。
そんなことを言ったのではないだろうか。
「ふふ」
姿も形も知らない故人に不思議なシンパシーを感じて、ロウェナは小さく笑みを漏らした。
オーランドは、そんなロウェナを失礼な態度とは思わないでくれたようだ。
「すっかり付き合わせてしまったね」
「いいえ、オーランド様のほうがよほどお忙しいお身体ですわ」
そう返すと、オーランドは真っ青な瞳でロウェナを見つめた。
美しい瞳だと思った。
この瞳の輝きに、ウルスラはずっと見惚れていたのだろう。
オーランドが輝く姿を見ていたくて、誰にも奪われたくなくて、命懸けで文字通り死守した彼女は、自分のことなどこれっぽっちも考えていなかったのではないか。
自分の悪評もなんのその、そんなウルスラであれば、エイブリンとの初対面で彼女を駆逐したのではないかと思った。
ロウェナはようやく気がついた。
なにを我慢していたのだろう。
レイモンドとエイブリンの行動を誰よりも認めてしまったのは自分ではなかったか。
二人を助長させたのは、ほかでもないロウェナだった。
それはまるで天啓を得たように、ロウェナの視界を開かせた。
こんな経験は滅多にないことだから、ロウェナは珍しさが先になって、庭園を興味深く眺めていた。
侯爵家の庭園も、義母が熱心に手入れをしてとても美しい庭である。だが王城はそもそもスケールが違っていた。
植えられた植物も、生家で目にした記憶があるのだが、お城というだけで特別なものに見えてくる。
「君は花が好きなのかい?」
「嫌いなお方のほうが少ないのではないでしょうか」
オーランドに聞かれて、素直に答えてしまった。彼はロウェナよりも年齢も家格も上である。それなのに、どうにも気持ちを緩ませるものがある。
それは多分、あのちょっと恥ずかしい出会いのために、今さら取り繕う必要がなくなってしまったからだろう。
「私の生家の庭も美しいものだった」
流石のロウェナも、その言葉には返事をすることができなかった。
彼の生家とはポートレット公爵家で、その庭園で開かれた茶会で、彼の妻であったウルスラは亡くなっている。
もしかしたら彼は、ウルスラの死後、生家の庭園に足を踏み入れていないのではないかと思った。
「いや、つまらないことを言ってしまった。気にしないでくれ」
オーランドもまた、そこに気づいたロウェナを気遣った。
「つまらないことではございませんわ」
「え?」
勝手に言葉が口から出ていた。なぜか、彼からはウルスラへの厭忌めいたものを感じなかった。
オーランドはきっと、彼なりに、今もウルスラの死を悼んでいるのだろう。世間では悪妻で知られるウルスラに、彼だけが抱く感情の欠片に触れた気がしたのだった。
「君は、怖くないのか?」
ロウェナはそこで、立ち止まってしまった。
「怖い、ですか?」
オーランドも立ち止まり、ロウェナを見下ろした。
「君も知ってるだろう?いや、知らないほうが少ないだろう」
「……」
どんなことを言えばよいのか。そう思ったときに、オーランドには誤魔化しは通じないと思った。
「怖くはございませんわ。貴方も、奥様も」
「へえ」
オーランドは、ほんの少し皮肉を滲ませる笑みを浮かべた。
「巷では物語まで出ているそうだよ」
「物語?」
「悪妻物語、とか言ったかな」
「ええ?それがタイトルなのですか?」
公爵家にとっては歴とした不幸事であるのに、なんて悪趣味なのかと思った。
「そんなことを娯楽にするなんて、随分趣味の悪い小説ですわね」
「はは、君は怒ってくれるんだね」
「当たり前ですわ。遠い昔のことならまだしも、まだ哀しみも薄らいではおられませんでしょう」
ウルスラにも生家があり父も母もいる。夫は目の前にいるオーランドで、彼もきっと哀しみを抱いているのではないか。
「私に関わると呪われるそうだよ」
「そんなことはございません。寧ろ、貴方の御守になっているのではないでしょうか」
「御守り?」
「悪い虫がつかないように」
ウルスラが今もオーランドの肩の辺りにいて、近寄る令嬢を牽制しているように思えた。
「ああ、多分君の言うとおりなんだろうな」
オーランドはそう言って、見るとはなしに辺りに視線を流した。
「初めてだな。他人と妻の話をするのは」
「まあ……」
残された人々の心の慰め方はいろいろだろう。
涙が枯れるまで泣くことも、黙して語らず時が忘れさせてくれるのを待つこともある。
誰かと語らい故人を偲ぶことも方法の一つだろう。だがオーランドには、その方法は当て嵌まらなかったのだろう。
「はあ」
オーランドはそこで、溜め息を一つついた。
「ああ失礼。こんなところで思い出すなんてね。その、ちょっと」
言い表せない気持ちがあるのか、オーランドは言葉を詰まらせた。
ロウェナには、少しだけウルスラの気持ちがわかる。見目よく能力も高く、魅力的な夫がいて、彼の周りを飛びまわる羽虫がいたなら叩き落としたくもなるだろう。
ウルスラは、ロウェナができないことを全てやり尽くしたのだと思う。終いに呪詛の言葉まで吐いて夫から女の気を遠ざけた。
お見事ですわ、ウルスラ様。
存命のうちに彼女と会えていたなら、ロウェナはきっとそう言っただろう。そしてウルスラは多分、
貴女も大人しくしていないで、やっておしまいなさいな。
そんなことを言ったのではないだろうか。
「ふふ」
姿も形も知らない故人に不思議なシンパシーを感じて、ロウェナは小さく笑みを漏らした。
オーランドは、そんなロウェナを失礼な態度とは思わないでくれたようだ。
「すっかり付き合わせてしまったね」
「いいえ、オーランド様のほうがよほどお忙しいお身体ですわ」
そう返すと、オーランドは真っ青な瞳でロウェナを見つめた。
美しい瞳だと思った。
この瞳の輝きに、ウルスラはずっと見惚れていたのだろう。
オーランドが輝く姿を見ていたくて、誰にも奪われたくなくて、命懸けで文字通り死守した彼女は、自分のことなどこれっぽっちも考えていなかったのではないか。
自分の悪評もなんのその、そんなウルスラであれば、エイブリンとの初対面で彼女を駆逐したのではないかと思った。
ロウェナはようやく気がついた。
なにを我慢していたのだろう。
レイモンドとエイブリンの行動を誰よりも認めてしまったのは自分ではなかったか。
二人を助長させたのは、ほかでもないロウェナだった。
それはまるで天啓を得たように、ロウェナの視界を開かせた。
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