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第二十二章
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「こんなところにいらしたの?」
「はは、君だってこんなところに来ただろう?」
ジェントルがいたソファに座って、ジョゼフはコートニーに笑みを見せた。
「君、いつの間にこんなものまで揃えていたの?」
ほんの数日のうちに、コートニーが温室に持ち込んだブランケットは三枚になり、いま読んでいる小説とは別に、短編集を一冊置きっぱなしにしていた。
ジョゼフはどうやら、その短編集を見つけて読んでいたらしく、ページは見開きから数ページのところが開かれていた。
「ジョゼフ様、昼食は?」
ジェントルを自宅に連れ帰ったのだから、てっきり食堂通いに戻っているのだと思った。
「君の姿が見えなかったから。もしかしてここにいるんじゃないかと思って来てみたんだ」
「まあ。ではまだお昼を召し上がっていないのね?」
ジョゼフがコートニーを気にかけてくれていたことに、胸の奥がほんのりと温まるのを感じていた。
「よろしければ、ランチのお裾分けを召し上がって下さいます?残念ながらお茶はぬるめですけれど」
料理長は魔法瓶にたっぷりの紅茶を淹れてくれるのだが、初冬の今は昼時には冷めてしまう。
「ええ?廃墟でランチボックスなんて、随分素敵なことをするね」
「ここって廃墟なのかしら」
「十分廃墟になってるよね。これだけ煤けているんだ。もう誰も来ない場所だよ、相当の物好きでなければ」
ジョゼフは狭いソファを奥のほうにずれて、隣にコートニーの座るスペースを空けた。
コートニーは、少しばかりの照れる気持ちを隠して、空けてもらった場所にゆっくり腰を下ろした。
「はい、ブランケット」
まるで自分の持ち物のように、コートニーが持参したブランケットをジョゼフは膝にかけてくれた。
肘が触れてしまうほどの距離に座りながら、こんなところを誰かに見られたら「不貞行為」なん言われてしまうのだろうと思った。
コートニーが広げたランチボックスを、ジョゼフは若者らしく「美味そうだなあ」と言って覗き込んだ。
冷めかけた紅茶をカップに注ぎながら、明日はカップをもう一つ持ってこよう、それからサンドウィッチを増やしてもらおうと考えた。
二人でランチボックスを分け合いながら、コートニーは思いがけなく訪れた、ジョゼフとのささやかな時間を楽しんでいた。
今日は偶々気が向いてここに来ただけなのかもしれないのに、明日もジョゼフと過ごせるだろうかと考える。まるで失ったと思っていた幸福な時間が戻ってきたような気持ちになれた。
「ジェントルは元気にしているの?」
その質問は、不思議なことに、教室では聞けずにいたことだった。教室と温室で、互いに会話を選ぶようだった。
「すこぶる元気だよ。僕の部屋はここより断然暖かいからね。日中は侍女が面倒をみてくれるし、浮気者のアイツはみんなに愛想を振り撒いているよ」
その姿が目に浮かぶようで、コートニーは少しだけ涙が出そうになった。良かった。幸せの青い鳥は、やっぱり幸せでいることが似合っている。
「その、お義母様には?」
遠慮がちに尋ねれば、ジョゼフはあっさりと答えた。
「毎日、見に来ているよ」
「まあ。貴方のお部屋に?」
生さぬ仲ではあるが、傍から思うよりもずっと、ジョゼフと義母との関係は良好なようだった。ジョゼフが決して薄幸ではなかったことが、コートニーは嬉しく思えた。
「なんで黙ってたんだと、随分煩く言われたよ」
「ふふ。お義母様は生き物が本当にお好きなのね」
「そうだな。確かにそういう人だな」
ぐるぐる巻きにしたマフラーが、狭い所で座るうちに持ち上がって頬まですっぽり埋まってしまった。その様子が面白いとジョゼフが言って、それから彼は、コートニーが手にしていた小説に目を移した。
「まだ読み終えていなかったんだね」
コートニーは、まるで秘め事を覗き込まれたようで、恥ずかしさを感じた。
「ええ、ここのところジェントルに会いに来ていたから、こちらの主人公とは久しぶりに会ったところなの」
「僕も読んでみようかな」
「え!」
「そんなに可怪しい?君も読んでいるのに?」
だから余計に困るのだ。小説には際どい表現が幾つもあって、それをコートニーが読んでいたのかと思われるのは恥ずかしかった。
「君の気が向いたら貸してくれると嬉しいな。春までなら待てるよ」
春までに。その一言がやけに耳に残って、コートニーは胸の奥がざわざわする。
ジョゼフが短編集を読んでもよいかと今更なことを聞いてきて、もう読んでたじゃないとコートニーが答えて、触れる肘がほんのり熱をもって、いつの間にか寒さは少しも感じなくなっていた。
温室は、再びコートニーに楽園を見せてくれた。
ジェントルの鮮やかな青い羽根を思い浮かべて、ジョゼフの澄んだ瞳を見れば、黄色い世界は再び青く染まるようだった。
色の褪せた温室は、青々と葉を繁らせる嘗ての姿を取り戻したように思えた。
たった一人の青年が、コートニーに幸福な時間を与えてくれる。
決して不幸なわけではなかった。義父に愛される母のお陰で貴族の娘とされて、恵まれた縁組まで授けられた。
義父にしても気難しいだけで、コートニーを冷遇するなんてことはなかった。血の通わない兄がコートニーの居場所を作ってくれたし、使用人はみんな思いやりがある。
幼い弟妹は可愛いし、もうすぐ新しい命が生まれる。
婚約者は、熱のこもった瞳でコートニーを見つめて、その思いに追いつけないのはコートニーのほうだった。
学園を卒業すれば、コートニーはベネディクトの妻になる。そのままいずれは公爵夫人となって、王国の貴族の中でも最も高い位置にいる夫に寄り添うことになる。
黄色い世界にいるコートニーは、間違いなく誰の目から見ても幸福な世界に生きている。
これから先に訪れる未来は明るいはずなのに、今このときこそ人生のピークなのだと、コートニーの本能がそう言っているように思えた。
「はは、君だってこんなところに来ただろう?」
ジェントルがいたソファに座って、ジョゼフはコートニーに笑みを見せた。
「君、いつの間にこんなものまで揃えていたの?」
ほんの数日のうちに、コートニーが温室に持ち込んだブランケットは三枚になり、いま読んでいる小説とは別に、短編集を一冊置きっぱなしにしていた。
ジョゼフはどうやら、その短編集を見つけて読んでいたらしく、ページは見開きから数ページのところが開かれていた。
「ジョゼフ様、昼食は?」
ジェントルを自宅に連れ帰ったのだから、てっきり食堂通いに戻っているのだと思った。
「君の姿が見えなかったから。もしかしてここにいるんじゃないかと思って来てみたんだ」
「まあ。ではまだお昼を召し上がっていないのね?」
ジョゼフがコートニーを気にかけてくれていたことに、胸の奥がほんのりと温まるのを感じていた。
「よろしければ、ランチのお裾分けを召し上がって下さいます?残念ながらお茶はぬるめですけれど」
料理長は魔法瓶にたっぷりの紅茶を淹れてくれるのだが、初冬の今は昼時には冷めてしまう。
「ええ?廃墟でランチボックスなんて、随分素敵なことをするね」
「ここって廃墟なのかしら」
「十分廃墟になってるよね。これだけ煤けているんだ。もう誰も来ない場所だよ、相当の物好きでなければ」
ジョゼフは狭いソファを奥のほうにずれて、隣にコートニーの座るスペースを空けた。
コートニーは、少しばかりの照れる気持ちを隠して、空けてもらった場所にゆっくり腰を下ろした。
「はい、ブランケット」
まるで自分の持ち物のように、コートニーが持参したブランケットをジョゼフは膝にかけてくれた。
肘が触れてしまうほどの距離に座りながら、こんなところを誰かに見られたら「不貞行為」なん言われてしまうのだろうと思った。
コートニーが広げたランチボックスを、ジョゼフは若者らしく「美味そうだなあ」と言って覗き込んだ。
冷めかけた紅茶をカップに注ぎながら、明日はカップをもう一つ持ってこよう、それからサンドウィッチを増やしてもらおうと考えた。
二人でランチボックスを分け合いながら、コートニーは思いがけなく訪れた、ジョゼフとのささやかな時間を楽しんでいた。
今日は偶々気が向いてここに来ただけなのかもしれないのに、明日もジョゼフと過ごせるだろうかと考える。まるで失ったと思っていた幸福な時間が戻ってきたような気持ちになれた。
「ジェントルは元気にしているの?」
その質問は、不思議なことに、教室では聞けずにいたことだった。教室と温室で、互いに会話を選ぶようだった。
「すこぶる元気だよ。僕の部屋はここより断然暖かいからね。日中は侍女が面倒をみてくれるし、浮気者のアイツはみんなに愛想を振り撒いているよ」
その姿が目に浮かぶようで、コートニーは少しだけ涙が出そうになった。良かった。幸せの青い鳥は、やっぱり幸せでいることが似合っている。
「その、お義母様には?」
遠慮がちに尋ねれば、ジョゼフはあっさりと答えた。
「毎日、見に来ているよ」
「まあ。貴方のお部屋に?」
生さぬ仲ではあるが、傍から思うよりもずっと、ジョゼフと義母との関係は良好なようだった。ジョゼフが決して薄幸ではなかったことが、コートニーは嬉しく思えた。
「なんで黙ってたんだと、随分煩く言われたよ」
「ふふ。お義母様は生き物が本当にお好きなのね」
「そうだな。確かにそういう人だな」
ぐるぐる巻きにしたマフラーが、狭い所で座るうちに持ち上がって頬まですっぽり埋まってしまった。その様子が面白いとジョゼフが言って、それから彼は、コートニーが手にしていた小説に目を移した。
「まだ読み終えていなかったんだね」
コートニーは、まるで秘め事を覗き込まれたようで、恥ずかしさを感じた。
「ええ、ここのところジェントルに会いに来ていたから、こちらの主人公とは久しぶりに会ったところなの」
「僕も読んでみようかな」
「え!」
「そんなに可怪しい?君も読んでいるのに?」
だから余計に困るのだ。小説には際どい表現が幾つもあって、それをコートニーが読んでいたのかと思われるのは恥ずかしかった。
「君の気が向いたら貸してくれると嬉しいな。春までなら待てるよ」
春までに。その一言がやけに耳に残って、コートニーは胸の奥がざわざわする。
ジョゼフが短編集を読んでもよいかと今更なことを聞いてきて、もう読んでたじゃないとコートニーが答えて、触れる肘がほんのり熱をもって、いつの間にか寒さは少しも感じなくなっていた。
温室は、再びコートニーに楽園を見せてくれた。
ジェントルの鮮やかな青い羽根を思い浮かべて、ジョゼフの澄んだ瞳を見れば、黄色い世界は再び青く染まるようだった。
色の褪せた温室は、青々と葉を繁らせる嘗ての姿を取り戻したように思えた。
たった一人の青年が、コートニーに幸福な時間を与えてくれる。
決して不幸なわけではなかった。義父に愛される母のお陰で貴族の娘とされて、恵まれた縁組まで授けられた。
義父にしても気難しいだけで、コートニーを冷遇するなんてことはなかった。血の通わない兄がコートニーの居場所を作ってくれたし、使用人はみんな思いやりがある。
幼い弟妹は可愛いし、もうすぐ新しい命が生まれる。
婚約者は、熱のこもった瞳でコートニーを見つめて、その思いに追いつけないのはコートニーのほうだった。
学園を卒業すれば、コートニーはベネディクトの妻になる。そのままいずれは公爵夫人となって、王国の貴族の中でも最も高い位置にいる夫に寄り添うことになる。
黄色い世界にいるコートニーは、間違いなく誰の目から見ても幸福な世界に生きている。
これから先に訪れる未来は明るいはずなのに、今このときこそ人生のピークなのだと、コートニーの本能がそう言っているように思えた。
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