コートニーの箱庭

桃井すもも

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第二十五章 

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「可愛いわね、あの子」
「それは、ジェントルのこと?」

 母はティールームの大きな硝子窓から外を眺めていたのだが、お茶を淹れてくれた侍女が壁際に下がると、表情を柔らかくしてコートニーに囁いた。

「幸福の青い鳥。童話のお話し通りだわ。見ているだけで幸せになれそうで」
「お母様、ジェントルに会ったの?」
「ええ。旦那様がお留守のときに」

 義父は仕事で邸を空けることが度々あって、そんなときに母は自由にしているのだろう。
 案外、思ったほどには、母は今の暮らしを窮屈に思っていないのかもしれない。

「誰から幸せを教えてもらったの?」
「お母様?」
「貴女が誰かに恋していると、わからないと思ったの?」

 コートニーは思わず母の背後の壁を見た。

「彼女は大丈夫よ。とても口が堅いの。今までも、一度だって秘密を漏らしたことなんてないのよ」

 母の侍女が壁際に控えており、コートニーは彼女にジョゼフの存在を知られてはいけないと思った。だが母は、信用の置ける侍女だと言った。

「貴女、小鳥のことを言うときに、その向こう側にいる人を思い出す、そんな顔をするのですものすぐにわかるわ」

 母の言う通りだと思った。ジェントルは、いつだってジョゼフを思い出させる。

「誰かに恋をする瞳を、私は知っているのよ」
「お母様?」
「だって、アントニーは最後まで誰かを想っていたから」
「お父様が?」

 アントニーとは、コートニーの実父である。十歳のときに王都で大流行した感冒で命を落とした。
 父が没して半年後に、母は義父と再婚している。

「お母様、なにを言っているの?」
「恋する人の姿とは、傍から見てもすぐにわかる。そういうものなのよ」
「お母様、それって⋯⋯」

 それではまるで、父が母ではない別の女性を愛していたようではないか。

「我が儘を言ったの。私にはそれが許されたから」
「我が儘?」
「ええ。貴方のお父様に嫁ぎたいって。私には婚約者だっていたし、アントニーにも恋人がいたのに」
「お父様に恋人?」

 それは初めて聞くことだった。
 コートニーは、父を思い出した。焦げ茶色の緩い巻き髪も、虹彩に茶色が差す青い瞳も、コートニーはどちらも父から譲られている。
 鏡を見ればその向こうに、父の面影を探すことは容易いことだった。

 だが今は、目の前のコートニーに、母は父を探しているようだった。

「私は両親から特別可愛がられていたから、大抵の我が儘なら聞いてもらえたの。アントニーを私のものにするなんて簡単なことだったのよ。寧ろ、当時の婚約者と破談にするほうが大変だったわ」

 父が存命の頃は、家族は王都の中心街にある小さな邸宅に住んでいた。
 思えばそれは、男爵家の三男に生まれて、一代限りの騎士爵より他は地位を持たない父が持つには、贅沢な住まいだったと思う。

 使用人も雇っていたし、門番もいた。馬車もこの伯爵家ほどではないが、家族用のほかに母専用のものまであった。

 コートニーには家庭教師が付けられていたし、マナーは母からも習っていた。
 母は侯爵家の末娘で、祖父母が存命の頃には大層可愛がられたのだとは知っている。
 だが、コートニーは彼らとは没交渉で、後を継いだ伯父家族ともまともに言葉を交わしたことはない。

 父が亡くなったときには、母の生家は伯父に代替りをしていて、傍系の血筋となったコートニーと母は、戸籍はそこで一旦平民になっている。
 それでも母には豊かな個人資産があり、あれほど早く再婚せずとも十分暮らしていけたのではないかと思っていた。

「アントニーは、私たちを大切にしてくれたわ」

 コートニーもそう思う。思い出の父は、コートニーを愛してくれた。私の小さな姫様だと言って、大きくなってからも抱き上げて頬にキスをしてくれた。
 力強い腕を持つ父が病に倒れるなんてことは、思いもしないことだった。

「自分の我が儘を通して、最愛の人の人生を奪ってしまった。あの人は、あのまま侯爵家の護衛でいたなら、あんな病を得ることなんてなかったはずよ。侯爵家の人間だけを護るなら、王都を警護する仕事なんてしなくても良かったのですもの」

 母の縁談を潰した形になる婚姻に、両親は侯爵家から離れなければならなかったのだろう。
 それはまるで、あの小説の二人のようだった。

 貴族夫人と使用人の恋。
 物語の二人は幸福なエンディングを迎えたが、現実を生きる父と母はどうだったのか。

「罪は償わなければいけないわ。因果は必ず返ってくるのよ。だから、私は旦那様を受け入れたの」

「お母様、それ以上を言っては駄目よ」

 母がなにを言おうとしているのか、わからなかった。けれども、その先を言わせてはいけないと思った。

「誰かを愛してその愛を乞うた。その為に、愛した人がどんな人生になるかなんて考えてもいなかった。だから私は、旦那様から愛を乞われて、それをお受けしたのよ」

「そうじゃないわ」

「いいえ、コートニー。私の愛は奪うばかりだったのよ。アントニーの生きたかった人生ではなかったはずよ。彼には私を拒めなかった。身分も力も父には及ばなかったのだもの」

 身分も力も及ばずに離れ離れとなったのは、コートニーとジョゼフである。

「私は、今になって責任を果たした気持ちになって、そうやって自分勝手に罪が軽くなったつもりでいるのよ」

「そんなことはないわ、お母様。始まりはそうだったのかもしれないけれど、私、知っているのよ。お父様はちゃんとお母様を想っていたわ」

『コートニー、ルイーザはどちらが好きだと思う?』

 平民が出入りするような小さな宝飾店で、父は二つの髪飾りを前にしてコートニーに尋ねた。
 あれは、何かの祭りの日だった。母が茶会に出掛けている間、コートニーは父に連れられて祭りを観て、それからお土産を買おうと小さな宝飾店に入ったのだ。

 コートニーはまだ幼くて、値段も見ずに一つを選んだ。それは濃紺に金が混じる瑠璃色の石がついた髪飾りだった。もう一方は、多分エメラルドだったのではないか。

 小さな宝飾店は、なかなかの逸品を取り揃えていたのだろう。父はそこで、コートニーの言うままに、俸給よりも遥かに高価な髪飾りを買い求めた。

 その髪飾りは、今、目の前の母の髪を飾っている。


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