コートニーの箱庭

桃井すもも

文字の大きさ
29 / 33

第二十九章

しおりを挟む
 ベネディクトとの離縁は、呆気あっけないものだった。

 それらは、公爵家も伯爵家の義父も承知のことで、最後まで知らされずにいたのはコートニーただ一人だった。


 コートニーが心をジョゼフに向けたままベネディクトに身を寄せたのとは逆に、ベネディクトはまるで、王女に寄り添いながら心ばかりはコートニーを求めている、そんな有り様だった。

 離縁して帰国をすると、第二王女は姫君の頃に戻ったようにますます美しさに磨きをかけて、二人は想い合う物語の主人公のように噂された。

 それは学生時代に読みふけったあの小説を思い出させた。

 ベネディクトもまた、身分違いの恋に捕われてしまったのだろう。
 身分の高いものから求められて、力が及ばなければそれを受けるほかは道がない。

 それはまるで、かつての母と父であり、義父と母であり、ベネディクトとコートニーのようであった。
 今はそれが王家と公爵家であり、王女とベネディクトなのだろう。

 王女とは逢瀬を重ねるのに、ベネディクトは夜になると執拗にコートニーを求めた。まるで置いていかないでと駄々をこねる幼子のように、コートニーを抱きしめて朝まで離してはくれなかった。

 だがある夜を境に、ベネディクトはコートニーに子種を授けることをやめた。そしてその翌日、彼は結婚して初めての外泊をした。

 晩餐の席にはベネディクトの場所だけがぽっかりと空いており、義父も義母もそれにはなにも言わなかった。
 彼らはむしろ、コートニーを気にかけていた。

 なにが起こっても、コートニーからはなにも尋ねることはなかったから、彼らはきっと、コートニーが全てを承知して身を引く覚悟を持っていると思ったのだろう。

 離縁に際しては、十分すぎるほどの慰謝料が提示された。
 公爵家嫡男の妻の身分と貴族の籍を失っても、これまでと変わらない質の暮らしができることは、額面を聞いただけで容易にわかった。

 王女との交わりを得たベネディクトは、コートニーには触れられなくなった。離縁の名目がコートニーの不妊にあるなら、万が一にもこんなときに懐妊されては困るのだろう。

 美しい王女を迎え入れるために、密かに公爵家が支度を始めているのも薄々感じられることだった。
 公爵邸にいて、コートニーの周りだけが薄い膜で覆われるように、あらゆることが密やかに進められる気配があった。

 それなのに、相変わらずなにも尋ねることのないコートニーに、どうしてなのかベネディクトのほうが泣きたいような顔を見せた。


 寝台を別にしてひと月が経ち、コートニーに月のものが始まったその翌日に、コートニーはベネディクトから離縁を告げられた。

 二人が幾度もお茶を楽しんだティールームではなく、話し合いは応接室で行われた。話し合いというよりも、一方的な通告である。

 テーブルの上にはすでに、離縁誓約書とペンが用意されていた。空白は、コートニーの署名欄だけだった。
 随分と残酷なことをされているのだろう。元より話し合いではなく、選べる道は一つしかなかった。

「コートニー、すまない」

 ベネディクトは、コートニーが粗方のことを知っていると思ったのだろう。開口一番に謝罪した。

「受けないわけにはいかなかった。ロレイン王女には、当家よりほかには行く宛てがなかった」

 名だたる名門貴族の中で、年頃の合う令息には全て伴侶がいた。子もいる夫婦を引き離すことは、娘から引き離された王女にはできないことで、そこで白羽の矢が立ったのがベネディクトなのだと言った。

 ロレイン王女が隣国へ嫁ぐ前からベネディクトに恋慕を抱いていたという噂について、ベネディクトは触れることはしなかった。

 王家に忠誠を誓う公爵家には、王命に近い申し出を断ることはできなかったと、ベネディクトは青い顔に汗を滲ませて説明した。

 彼は不誠実ではなかったと思う。全ては王家の計らいの上にあり、コートニーには最後まで秘していなければならなかったのだろう。

 コートニーは、そこを確かめても仕方のないことだと思った。抗えない奔流に呑み込まれているのはコートニーばかりではないのだと、目の前の、もうすぐ別れる夫の顔を見つめて思った。


 もうすでに舞台は整えられて、あとはコートニーが退場するばかりだった。

「離縁だなんて、そんなこと⋯⋯」

 苦しそうに呟いてから、ベネディクトは訥々とつとつと語りはじめた。

「君との婚約を望んだときに、母ははじめ好ましくは思ってくれなかった」

 それはコートニーも知っていることだった。
 片親に男爵家の血筋を持つコートニーとの縁談に、公爵夫人は当初は渋っていた。

「それを勤勉に学んで、母のお墨付きをもらったのは君の努力があってのことだ。君は私と公爵家を軽んじることはしなかった」

 軽んじる術なんて、はじめからコートニーは持ち合わせてはいなかった。

「あの男を選ばなかったことで、母は君を認めていたんだ」
「ご存知だったの?」

 コートニーは驚いた。まさかベネディクトと公爵家がジョゼフの存在を知っていたなんて。

「ああ」

 ベネディクトはそこで、ふっと笑みを漏らした。
 いつだか学園でジョゼフを追い越したときに、ベネディクトは鞄がぶつかってもそれには謝罪をしなかった。もしかしたら、あの頃にはすでにコートニーの気持ちに気づいていたのだろうか。

「君は一度も私を愛しているとは言ってくれなかったね。嘘をつけない、そんなところも私は好きだった。それなのに君を裏切ったのは私のほうだ」

 ベネディクトは貴族らしい鷹揚な気質で、滅多なことでは謝罪をしない。離縁がその滅多なことであるのに、コートニーは苦しげに頭を下げたベネディクトを不思議な気持ちで見つめていた。

 ベネディクトは、ずっと変わらずコートニーに愛情を傾けて、だがそれに応えなかったのはコートニーのほうだった。
 どれだけ従順に全てを受け入れても、心の奥に住むジョゼフを手放すことはしなかった。

「どうか、幸せになってくれ」

 ベネディクトはまるで、自分の幸福ごと別れを告げるようなことを言った。
 だがコートニーは、彼はこれからも幸せであるだろうと思った。

 ジョゼフとの人生を諦めたコートニーは、だからと言って不幸なわけではなかった。
 結果がどうあれ、ベネディクトと公爵家はコートニーを受け入れて大切にしてくれたし、日々は哀しいばかりではなかった。

 愛されることに後ろめたさを感じていても、夫から熱烈に愛を囁かれることは、確かに妻にとっての幸せなのだと知った。

 ベネディクトには、感謝をしていた。
 なにもなければこのままずっと、心の奥にジョゼフを抱きながら、コートニーはベネディクトの妻としてベネディクトに寄り添い生きていたのだろう。
 長い年月を経た後には、もしかしたらジョゼフのことも、いずれ甘く切なく懐かしい思い出になったのかもしれない。

 そんな人生も或いはあったかもしれないのに、運命は再びコートニーに道を差し出した。

「貴方も。どうかお幸せに、ベネディクト様」

 今度はベネディクトを愛する女性と、幸せを得てほしいと思った。

 だがベネディクトは、

「君を失って得られる幸福なんて、あるわけがないだろう」

 そう言って、瞼を震わせ目を伏せた。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

皆様どうぞ私をお忘れください。-エリザベートが消した愛-

桃井すもも
恋愛
旧題:エリザベートが消した愛 手渡された小瓶を目の前に掲げれば、窓から差し込む午後の日射しに照らされて、琥珀色の液体が燦いて見えた。 「貴女様には何色に見えますか?」 「琥珀色ですわ」 「貴女の心が澄んでいらっしゃるからでしょう」 「司祭様には何色に見えまして?」 司祭はその問いには答えなかった。 祈りが捧げられた液体は、見る人により色を変えるのだろうか。 エリザベート・フィンチ・ストレンジはストレンジ伯爵家の息女である。 冬の終わりのある日、エリザベートは教会で小瓶に入った液体を呷った。琥珀色の液体は、エリザベートの心から一つだけを消してくれた。 誰も何も変わらない。ただ、エリザベートが心を一つ手放して、その分身体が軽くなった。そんなささやかな変化であった。 だから婚約者であるデマーリオのシトリンの瞳を思い浮かべても、エリザベートの心は騒がなかった。 ◆この度、多くの読者様のご愛読を頂き『エリザベートが消した愛』が書籍化の運びとなりました。 【書籍名】皆様どうぞ私をお忘れください。 -エリザベートが消した愛- 【イラスト】もか先生 【出版社】アルファポリス 【レーベル】レジーナブックス 【刊行日】 2026年1月30日 ◆皆様のご声援を賜り「第18回恋愛小説大賞」にて優秀賞を頂戴することが出来ました。誠に有難うございます。 この場をお借りして、読者の皆様方、アルファポリス編集部の皆様方に厚く御礼申し上げます。 ◆Web限定の特別番外編SS 『ポーラの道標(みちしるべ)』 アルファポリスさん・レジーナブックスさんサイトにて公開されております。 エリザベートの娘であるポーラを中心に、登場人物のその後についてを描かせて頂きました。 《レジーナブックスさんリンク》 https://regina.alphapolis.co.jp/book/detail/13086 連載ページはこちら⇒鍵マーク 《レジーナブックスさん番外編リンク》 https://regina.alphapolis.co.jp/extra/search

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

竜王の花嫁は番じゃない。

豆狸
恋愛
「……だから申し上げましたのに。私は貴方の番(つがい)などではないと。私はなんの衝動も感じていないと。私には……愛する婚約者がいるのだと……」 シンシアの瞳に涙はない。もう涸れ果ててしまっているのだ。 ──番じゃないと叫んでも聞いてもらえなかった花嫁の話です。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛されない花嫁はいなくなりました。

豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。 侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。 ……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

処理中です...