令嬢ロザリンドの秘密

桃井すもも

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第二章

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「こんなのは嫌だ」

 彼はロザリンドを見て、開口一番そう言った。

「僕はこんなのは好きじゃない!妹のほうがいい」

 少年の暴言に、辺りは水を打ったように静まり返った。

 少年の名は、ジェームズ・ウェルズリー・オーフォード。オーフォード侯爵家の嫡男である。

 ロザリンドは十歳の誕生日を迎えたばかりだった。ジェームズとは同い年で、幼子の茶会で見掛けた彼のことは知っていた。

 漆黒の髪に榛の瞳。彼はロザリンドと同じ瞳の色なのに、真っ青な瞳の妹を欲しがった。

 三歳下の妹ナタリーは確かに可愛い。大きな瞳はこぼれ落ちそうに見えるし、長い睫毛は頬に影ができるほどだ。

 兄も真っ青な瞳の色で、三人兄妹の中でロザリンドだけが榛色の瞳であった。
 それも後に鬼籍に入る祖母と同じ瞳で、家族は祖母譲りの瞳を持つロザリンドを愛してくれる。

 榛色のどこが悪い。榛に謝ってほしい。

 目の前の無礼千万な少年を、ロザリンドはこの日、朝から支度をして待っていたのだ。 

 彼とは本来なら、今日婚約を結ぶ筈だった。嫡男であるジェームズにロザリンドが嫁ぐための婚約だった。
 だがそれは、扉が開いてオーフォード侯爵一家が席に着き、互いを紹介する時になって水泡に帰した。

 ロザリンドは、闊達な少年ジェームズに好感を持っていた。彼の黒髪は艷やかで綺麗だと思ったし、同じ榛色の瞳には親近感を抱いていた。

 家格ならロザリンドのほうが上であったが、彼は嫡男で令嬢とは立場が違う。そして彼の母は王妹で、家格だけでは越えられない身分があった。

 あろうことかジェームズは、ロザリンドの見目が地味だと嫌がった。その上、ロザリンドの隣に座っていた妹のナタリーを願った。
 前者も後者も失礼極まりない。
 侯爵は、行き成りジェームズに拳でげんこつを食らわせ頭を押さえた。

「何を言っている!謝罪するんだ、ジェームズ!」

 他家の面前で親から叱責されて、無理やり頭を下げさせられて、ジェームズは「素直」という文字を失ったように、歯を食いしばって無言を貫いた。

 そんなに私が嫌なのか。
 ジェームズに少なからず好感を抱いていたロザリンドは、婚約を結ぶ意味も貴族の約束事の重みも、幼いながら理解していた。

 こんな貴族が本当にいるのかと、正直失望した。こんなオツムの彼が未来の侯爵家を担うのか。この少年の下に嫁ぐところだったのか。ならばこの縁なくてもよい。
 そのくらいには吹っ切れた。

 だが、ロザリンドよりも先に吹っ切ったのは父だった。

「残念ですな。この縁は無かったことになりますな。ああ、ジェームズ殿。君にナタリーを嫁がせることはできないよ、諦めてくれるね」

 父は晴れやかな笑みを浮かべながら、目は全く笑わずにジェームズに告げた。

 婚約話は当然、御破算である。元より無かったことになった。

 侯爵夫妻は平謝りだった。王妹である夫人も、息子の無礼に頭を下げた。再教育をするからと二人は誠心誠意の謝罪した。
 互いの両親が共に礼節を持っていたから、幼い子の愚行は脇に置いて、破談になっても絶縁にならず済んだのである。

 涙目のまま上着の首を持ち上げられて、引きずられるようにしてジェームズは帰っていった。
 最後の最後に蚊の鳴く声で漸く「すみません」と言っていたが、「聞こえません」と言ってやりたいのをロザリンドは堪えた。

 ナタリーは、あんな乱暴な人は嫌だと言った。このとき既に学園生であった兄は、静かに怒りを腹に収めた。


 ジェームズとはそれきりになった。
 同じ茶会に居合わせても互いの親が上手く避け合って、顔を合わせることはしなかった。
 だが問題が浮上したのは十六歳になってからで、ロザリンドは学園入学を控えていた。 

 ロザリンドとジェームズは同い年である。
 彼とは学園で一緒になる。また彼と顔を合わせるなんて御免だった。そもそも見目だけで人を判断するなど愚の骨頂。挨拶だってしたくない。

 王都には貴族学園のほかには淑女学院があり、ロザリンドがそちらに入ることができれば問題なかった。問題ないのに問題なのは、ロザリンドにはそこまでは学力が及ばなかった。

 淑女学院は入学に際して試験があり、それは狭き門で有名だった。
 受ける前に諦めるのは悔しいことであったが、ダメ元もなにも元々ダメだとわかっていたから大人しく諦めた。

「お父様、私、お兄様の家名を名乗ってはダメかしら」
「ん?それは何故かな?」
「彼と一緒なんですよ?顔を合わせたくないのは勿論ですけど、私だと知られたくもないのです」
「名を変えても顔は変わらないではないか」
かつらを被ります。地味がお嫌いなようですから、そうですわね、茶系に致します」

 ロザリンドは、父に掛け合った。
 兄は父の後継として爵位を継ぐまでの間、形式的な爵位である「クラーレン伯爵位」を有していた。
 だが、社交界では公爵令息で知られていたから、兄がクラーレン伯爵を名乗っても、周囲はアーリントン小公爵と呼んでいた。

 であれば、ロザリンドがクラーレンを名乗っても学園ならばバレないだろう。青少年はその辺りが疎い。高位の貴族か王族であれば、ロザリンドとクラーレンの名から容易く身分を理解しても、あのうつけ者のジェームズにはわかりようもないだろう。

「名前はどうする。ロザリンドという名だけで彼だってわかるだろう」

 それは尤もなことだと思えた。普通なら。
 だが、あの時の彼は普通なんてものは持ち合わせていなかった。

「彼、私が名乗る前に愚行に走ったのですよ。私の名なんて初めから憶えているわけがありません。彼が憶えて帰ったのはナタリーの名ですわ」

 それには父も呆れた顔をした

「一層のこと、どこぞの田舎から出てきた伯爵令嬢として、学生寮に入ろうかしら」

 いくら髪と名前を偽っても、送り迎えの馬車には公爵家の紋が入っている。通学するだけでバレバレだ。

「お父様。私を寮に入れて下さいませ」

 こうして目出度く伯爵令嬢ロザリンドが誕生したのである。


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