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増えた刻印

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 荒い息だけが部屋に響く。
 横たわるミリアレナの横で天井を見上げるかれ
 その表情から明確な感情は窺い知れない。
 一体何があったのだろう。
 常にない、乱暴で激しい行為にミリアレナは疲弊していた。
 少し呼吸が落ち着いてきた頃、魅了を解いて、と言われ戸惑った目を向ける。
 ベッドに肘を付いてミリアレナを見つめるかれの手が肩に触れている。
 ミアの姿で求められたことはないけれど、まさかとの思いが湧く。
 どうしようと考えていると頭を撫でられた。

「大丈夫、何もしないよ」

 君には、とわざわざ付け加えるのでベッドに横になったまま魅了を解く。
 乱暴にしてごめんねと謝る、赤紫の瞳がバツが悪そうに見下ろしていた。
 窺うようにミリアレナを覗き込むかれへ大丈夫だと首を振る。
 今日は何もかもがいつもと違う。
 私を見下ろす表情はどこかすっきりしていて。
 何を言おうとしているのか、わかった気がした。

「今日を最後にしようと思って」

 そう言って笑みを見せた。
 いつもの飄々とした笑顔と違って幼くも見える。
 行為の最中に見せる嗜虐心の混じったものともまた違った。
 そんな顔もできたんだ。

「聞いてくれるかな」

 追加料金なら、なんて水を差すことは言わない。
 何も言わなくてもちゃんと払ってくれる金払いの良い人だってことは知ってるから。
 頷いたミリアレナにかれがこれまでのことを話し出す。

「前に話したけど、好きになった相手が親友と結婚してね。
 イイ奴だしアイツを選ぶのも当然なんだけど未練がましく想いを捨てられなくて」

 相槌を打ち続きを聞く。

「アイツは俺も彼女を好きだったなんて知らないから、結婚の良さとか自分がいかに幸せかとか惚気てくるんだよね」

 それはなんとも。
 悪気がないところが始末に負えない。
 辛いのか憎らしいのか。

「アイツが幸せなのは嬉しいんだ。
 本当にイイ奴なんだよ。
 俺が今の職場に配属されてからの付き合いですごい世話になったんだ」

 親友さんのことを語る顔は嬉しそうで本当に仲の良い友人らしい。
 そんな人と恋を争うなんてどんな気持ちなんだろう。
 いや、親友さんは彼の想いを知らないのだから、争わなかったんだ。

「でも俺も真剣に好きだったんだ。
 きっと、初めて本気で好きになった相手だった」

「そうなの」

 この人がそうまで言うなんて、と少し驚く。
 甘く整った顔に惹かれる女性は多そうだし、恐らく仕事もできるだろう。
 ここの予約を複数押さえていることから結構稼いでいることもわかる。
 かれにそこまで言わせるその人はよっぽど素敵な人だったんだろう。

「でもね、そんなの全部幻想だったんだ」

「え……?」

 一転してかれの雰囲気が陰る。

「結婚して1年くらいかな、子供が生まれてすっげえ幸せそうにしてたんだアイツ」

 自分と同じ髪色に妻に似た顔立ちの娘に見てられないくらい浮かれて職場でも幸せな雰囲気全開だったという。

「おかしい、って感じたのはそれから数か月後かな」

 幸せでいっぱいだった親友の様子がおかしかった。
 何かあるのかと聞いても首を振るだけで答えない。
 子育てが大変なのかと問えば娘は可愛くて楽しいとしか言わない。

「踏み入ることじゃないかとも思ったけど半月経っても変わらないから、家の様子を見に行ったんだ。
 そこで、第三者の魔力残滓を感じた」

「それって……」

 魔力残滓が室内に残ってる状態。
 つまり魔力が籠った液体が部屋に付着していたってことだ。血液か、精液が。

「そういうこと」

 その人が親友さんを裏切り誰かと情を通じた。
 察したミリアレナの顔を見て冷笑を浮かべる。

「まあ、俺のことはいいんだ。勝手に好きだっただけだから。
 でもアイツを裏切って傷つけたのは許せない。
 娘のことだって……。
 問い詰められて置いて出て行くなんて、母親失格だと思わないか」

 残された親友の嘆きは見ていられなかったと語るかれ
 その顔には苦悩や失望より、大切な人を傷つけられた怒りが強く浮かんでいた。

「それで、吹っ切れたんですか?」

「吹っ切れたっていうかどうでもよくなったっていうか」

 ミリアレナの問いにそう言って苦笑いを見せるかれ
 あまりに苦い……、渋い恋の結末にそんな顔しかできないようだった。

「それで最後なんですね」

 忘れられない誰か、その相手がいなければ魅了はかけられない。
 そう、と答えるかれは苦しい想いを吐き出す必要が無くなりここにももう来ない。
 喜ばしいことだと思う。少し、胸に風が吹いた気がしたのは気のせいだと思考を止める。
 こんな風に別れを告げられるのはないことだから。

 なんだかおかしな気分に陥っていると、ミリアレナを見ていたかれが思いもよらぬ言葉を口に載せた。


「普通の子として生きていきたくなったら俺に言いな。
 こう見えても権力もお金もあるから、君の力になれるよ」

 そう言って微笑むこの人が不思議だった。
 ミリアレナを見る目には嘘も誇張もない。
 本気で叶えると言っているのだ。

「どうして、そこまでしてくれるんですか?」

 私は魅了持ちの娼婦で、この人はただのお客様。
 誰かへの苦しい想いを吐き出すために私の元へ来ていただけなのに。
 ここに来ないと宣言し、関係も切れる。
 もう関わる必要なんてないのにどうして。

「君にはたくさんお世話になったからね。
 ……いっぱい酷いこともしたし」

 落とされた台詞に、されたプレイの数々を思い出し頬が熱くなる。
 熱くなった頬に手の甲を当てて冷まそうとする私を見ていたかれが真面目な顔になった。

「君は俺の心を救ってくれた」

 これはそのお礼、と取った手に唇を寄せる。
 手首の少し上に口づけを落とされた。
 驚きにされるがままでいると、唇が触れた部分が熱くなっていく。
 刻印が刻まれた時のように。

「……っ」

 感じる熱さに息を詰める。
 唇が離されるまでの時間はそれほど長くなかったはずなのに、永遠のように感じられた。

 唇が離れた場所にはぼんやりと紫に光る紋章が刻印されていた。
 ちらりと胸の上の刻印を見ると、それと同じだよと言われる。

「魔術刻印の応用編かな。
 それを見せれば誰の庇護下にあるってわかるんだ。
 困ったことがあったら城でも騎士団でもいいからそれを見せて俺を呼びな」

 騎士団……。
 ぼんやりと増えた刻印を見つめる。
 仄かに赤みを帯びた紫色はかれの瞳と同じ。
 まじまじと刻印を見つめていると小さく笑う声が聞こえた。

「そんなに熱烈に見つめられると照れるね」

 照れる?
 照れを感じたポイントがわからず首を傾げる。
 そんなミリアレナにかれが口を開く。
 柔らかな笑みに一瞬思考が止まった。

「俺の名前、エイナードって言うんだ」

 覚えててよと笑うその瞳には、何の翳りも残っていなかった。


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