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第七章
39.おとなになったぼくと成長した精霊たちと
しおりを挟むフォルトゥーナに裸だと指摘され、すぐにルーカスは背中を向けた。淑女である彼女に対して失礼だと思ったからである。
彼女に背を向け、立ち上がってみて驚いた。
なぜかフラつくのだ。
急激に長くなった手足に感覚が追いついていない……そのようにルーカスは感じた。
しみじみと自分の手や足を見れば、おとなのそれ。
肘を曲げ握りこぶしから腕全体に力をいれれば、二の腕に筋肉のふくらみができた。これは父である辺境伯がよく自慢してくれたものと同じである。
老執事のセルバンテスにだってあったものだ。
子どもだったルーカスには作れなくて秘かに拗ねたこともあったが、やっと同じものができたと嬉しくなった。
胸筋や腹筋も、しっかりあった。
辺境騎士団の騎士たちと同じだと、これもまた嬉しくなる。
髪がいきなり長くなったのには閉口した。視界が塞がれるのはよろしくない。
前髪も後ろ髪もだいぶ長くなってしまった。これではゼフィーのようだ。
もうひとつ閉口したのは髭がないこと。
なぜだろう。おとなの男性は髭があるのに。父上は毎朝剃刀を当てて、わざと髭がない状態にしているのだ。髪がこれほどまでに伸びるのなら、髭があってもいいだろうに。
ルーカスは、満足感を覚えながら不満を溢すというある意味たいへん器用な感想を抱きつつ、見慣れぬかつ触り慣れない自分の身体をじっくりと触れながらあちこち見入っていた。
それにしても。
(どうして急におとなになったんだろう)
ルーカスが疑問に思うと、ゼフィーがさも当然といった表情でルーカスの隣に立って言う。
『そんなこと決まっておろう。“目覚めの乙女”から口づけされたからだ』
(“目覚めの乙女”? フォルトゥーナが?)
『あぁ。建国神話とやらにもあっただろう? 建国王を真実の愛に目覚めさせた乙女がいたと。あの娘はまさにそれ。“真実の愛”とやらがなければできぬ芸当だが』
ゼフィーのことばに驚きを隠せないが、“真実の愛”という単語にはドキドキした。
『それもこれも、あの娘が歩み寄ってくれたからこそだと、主は理解しておるのか? ウジウジでもでもだってだってメソメソと逃げ惑っておったよな? 主は』
ぐうの音もでないとはこのことか。
そういえばゼフィーには“後で後悔するからな”と脅された記憶が甦ったから余計に。
その後もゼフィーのボヤキが延々と続き、ルーカスには耳が痛い。
『我の助言も聞き届けようとせんし。主の思い込みの激しさと頑固さには閉口したわっ。そもそも出逢いから番認定しておいて逃げ惑うなど、情けない……』
(ちょっと待て。番認定? ってなに?)
耳慣れない単語にゼフィーへ問いかけたが、それを遮ったのは水の精霊ディーネ。
『あるじ。とりあえずその肌をかくせ。乙女がはずかしめをうけている』
その声にそっと背後にいるフォルトゥーナを見れば、両手で顔を隠している。隠しきれない耳が真っ赤になっていてとても可愛い。
その耳にしっかりと金色に光るイヤーカフもあったから、ルーカスは嬉しくなった。
思わず忍び笑いを溢すと、なぜ笑うのだとフォルトゥーナが拗ねたような声をだすからさらに愛おしさが募る。
裸をさらす自分よりフォルトゥーナが恥ずかしがっているからだと答えれば、彼女は余計に顔を背けてしまった。
乙女の目の前に裸を晒すと乙女の方が恥ずかしがるとは不思議だなぁとルーカスは思う。
だが逆の立場だったらどうだろう。そう考えた。
フォルトゥーナが肌を露わにしていたら……。
ドレスを着ていても分かるスタイルの良さ。
豊かな胸の膨らみ。
細いウエスト。
高い位置にある腰と長い脚。
それらが肌色になる……。
そりゃあもう、ものすっごくっっっっ! きれいだろうなぁと思ったあと、きっと自分は目を逸らすことすらできず、じっくりと見続けてしまうだろうなと予想した。
けれどそれはフォルトゥーナにとっては恥ずかしいことになるだろう。
ルーカスの裸にすら恥ずかしがるのだから。
そして見続ける自分はフォルトゥーナに嫌われてしまうのだ……!
(それはだめだ。嫌われるなんていやだ。だめ、ぜったい。肌を見るのは結婚してからじゃなきゃダメ)
首をブンブンと振りながら決意を新たにしたルーカスである。
『あるじ。これを』
脳内妄想ばく進中のルーカスに話しかけたのは土の精霊ガイ。
話しかけると同時に、彼の肩におおきな熊の毛皮がかけられた。
『ひるまたおしたビッグフットベアの毛皮だ』
そういえば、毛皮部分をなんとかするーと言っていたなと思い出した。
まるでフードのようにルーカスの頭に乗せられたのは熊の頭部。立派な牙が視界にはいる。ちょっとだけ邪魔。
傍目には、熊がルーカスに覆いかぶさっているように見えるかもしれないと思った。ビッグフットベアの毛皮に覆われたのは身体の背後だけで、前面部分は丸出し状態である。
どうしようと思ったそばから、ルーカスの腰にも毛皮を巻き付けてくれたのは風のちび精霊たち。
(あぁ、ありがっ……)
『るー、はだかはさむいからきるー♪』
『るー、おち〇ち〇だしてるとかぜひくのー♪』
『のー、かぜひくとおねつがでるー♪』
『るー♪』
ちび精霊たちはなにやら機嫌よさそうに歌いながら、ルーカスの手首や脛にも薄く鞣した皮を防具のように巻きつけた。
ついでに長い髪も首の後ろで結んでくれた。
彼らがやってくれることはありがたい。基本的には。
だが、どうにも揶揄われている気が多分にするので素直に礼が言えないルーカスであった。
◇
いつのまにかあの巨大な『炎の壁』が鎮火していた。
『炎の壁』が展開されていた地面には太めの溝ができていて、そこが埋火のようにチロチロと燃え続けている。そのおかげか、ほんのりと温かいし暗闇にもならない。
どうやら火の精霊レイヤがサラとともに収めてくれたらしい。
サラがいかにも疲れましたーと言いたげな顔でぐったりとレイヤの肩に乗っている。
(……あれ? サラがちいさい……いや、みんながおおきくなってる?)
ぐったり疲れた風情のサラがレイヤの肩に乗っていることに違和感を覚えた。
サラの大きさは変わらない。相変わらず手の平に乗るちいさな姿。
だが慌てて見直せば、ルーカスの契約精霊である火のレイヤ、水のディーネ、土のガイの大きさが違う。
『あるじ、にぶい』『うん、にぶい』『やっと気がついたとは、あきれる』
みんなおおきくなっている。
それも人間の少年のような姿だ。とはいえそれぞれ火を纏った薄衣とか、水を纏った薄衣とか、蔓を纏った薄衣を着ている姿は精霊そのものである。ちょうど今まで七歳児の姿だったルーカスのようだ。
(え。いつから?)
『主の封印? というか正確には『時止め』だ。あれが解除されてからだ』
ルーカスの問いに答えたのはゼフィー。
彼だけは今までと変わらず青年の姿である。それと風のちび精霊たちもちびのままだ。
(ぼくの封印が解除されておとなになったから、みんなも影響を受けたってこと?)
『そのにんしきで正しい』『さっしはいいのに』『あるじはやればできる子だから』
(おまえら~~っ)
精霊たちの揶揄うようなことばに抗議したルーカスであったが、続けられたゼフィーのことばに絶句した。
『それに気がついているか? 今の水たちとの会話。『念話』で話しているぞ?』
(え?)
『なんと! それにも気がついていなかったのか』『なげかわしい』『あるじ……』
火、水、土の精霊たちが揃って渋い顔をルーカスへ向ける。
(待て待て待て! 残念な子を見るような目をするんじゃない! ゼフィーまで!)
『主は恋に目が眩んでおる。仕方がない』『うむ。われらがおとなにならねばな!』『うむ。おおめに見よう。われはおとなだ』『うむ。あるじ、乙女のことしか目にはいらぬらしいからな』
精霊たちのお喋りに、ルーカスは口を挟めずぐぬぬと唸る。
『我らのことなど眼中にないと』『風はいいよな。もともとおおきい』『われらはあるじにしいたげられてる』『うむ。なげかわしい』
四大精霊たちが結託して内緒話をしている(でも全然内緒になっていない)図に、なんだか仲間外れ気分を味わってしまったルーカスであったが、だんだん彼らのようすがおかしくなっていくので唖然とした。
『主はもうあの地にいる必要などない』『われもそう思う』
『だがあるじのせいかくを考えよ』『ぜったいこうかいするのはあるじ』
二対二になって論争をしているのだ。
それも、よくわからないがルーカスのことを論じている。
『番もいる。新しい地もある』『もうギリは果たしたはず』
というゼフィーとレイヤ。
『あるじが人のジョウにガンジガラメだといったのは風だ』『あとでこうかいするのもあるじ』
というディーネとガイ。
(えーと、精霊のみなさーん。聞こえますかー)
ルーカスが『念話』で声をかければ、彼らのお喋りがぴたりと止み揃ってルーカスを見た。
(なんの話をしているんだ?)
ルーカスがそう呼びかけたとき。
『待て主。ようすがおかしい』
ゼフィーはそう言うと、ふわりと空へ飛んだ。
ガイもはっとしたようすでしゃがみ込み、地面に手の平を押し当て目を瞑る。
ディーネとレイヤは、落ち着かないようすで辺りをキョロキョロと窺い、『これはもしや』『そういうことか』などと言っている。
いったいどうしたんだと見守っていたルーカスの前にゼフィーが戻った。
いままで見たこともないくらい真面目な顔をしているから警戒したのだが。
『主。この際だから言う。番の娘を連れて新世界を作れ。主はもう自由になっていい』
(え?)
ゼフィーのことばにどう反応すればいいか分からず戸惑っていると。
『あるじ。風のいいぶんをきくとあとでこうかいするのはあるじだ』
ガイが地面に手をつけたまま口を挟んだ。
『われは風にさんせいする』と言ったのは火のレイヤ。
『すべてを知らせぬまま決めさせるのはヒキョウというもの』と言ったのは水のディーネ。
さっきまで議論を交わしていたときと比べ、精霊たちのようすが変わった。
なぜかピリピリと険悪な雰囲気になっている。
(なにがあった? 詳しく話せ。ゼフィー)
ルーカスが睨むと風の精霊ゼフィーはしばらく渋い顔をしたままだったが、肩を竦め言った。
『魔獣どもがクエレブレに侵攻した』
『あるじがさきほど放った威嚇においはらわれた魔獣どもが、さらにほかの魔獣をおっていった』
補足したのは土の精霊ガイだった。
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