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7.ひなたの求婚者来訪
しおりを挟むセミがうるさく鳴く夏の昼下がり。
ひなたお嬢さまが帰郷した。ひなたはわざと車は使わず、公共交通機関、つまり日に二度しかないバスで田舎道を歩かせた。
もの凄い田舎だし、この都会育ちの御曹司は引くだろうな。
ひなたはそう思いながら案内したのだが、存外この御曹司は嬉しそうだった。
「蝉時雨が凄いねぇ!」
「緑が濃いなぁ!」
「日陰だと暑さも凌げるんだね!」
見る物聴く物すべてに瞳を輝かせ、実に嬉しそうな反応をみせる。
ひなたは田舎道を歩かせた自分に腹を立てると思っていたのに、肩透かしされた気分だった。逆に矮小な自分を恥ずかしく感じた。
「あれ? すっごく大きい犬。秋田犬かな?」
彼が声を上げた方向を見れば、道の先にシロが待ち構えていた。
「シロ!」
シロは吠えていなかった。唸り声も上げていなかった。
ひなたが声をあげて彼を呼べば、トットットと軽快に歩いて彼女の元に近寄った。
そしてきちんとお座りをしてひなたの同行者を見上げた。
ゆっくりと頭を下げ、ひなたの同行者の足元の匂いを確かめるが如く嗅いだ。
「やあ。きみが噂のひなたくんの騎士だね。僕は西園寺タカヤっていうんだ。きみに会うために来た、きみのご主人様の求婚者だよ。よろしくね」
そう西園寺が朗らかに名乗りながら、片膝立ててしゃがみ込む。手を差し出せば、シロはその手の匂いも嗅ぐと、ぺろりとその指先を舐めた。
「ははっ。くすぐったいよ。ひなたくん、話に聞くより随分大人しい犬じゃないか」
そう言いながら彼は無造作にシロの頬を撫でた。
シロは大人しくされるがままだった。ひなたには彼が笑っているように見えた。
彼のふわふわのしっぽがゆっくりと振られている。
彼らの様子は、心配で迎えに来ていた安倍家の面々がつぶさに目撃するところとなった。
シ ロ さ ん が 大 人 し く 撫 で ら れ て い る。
慣れるまでは家人でさえ、ひなた以外触ることも許さなかった神経質なあのシロさんが!
初対面の人間には触れさせもしなかった気難しいあのシロさんが!
ヒサシが連れて来た阿婆擦れには地に触れる事すら嫌い唸り続けた獰猛なあのシロさんが!
西園寺と名乗る青年を前に大人しくお座りして、彼の手を甘んじて受け入れている。吠えも唸りもせずに! その上、微かではあるが彼はしっぽを振っているではないか!
その現実は、安倍家の人間に問答無用で西園寺タカヤを受け入れさせるに足る衝撃的事実であった。
その夜、タカヤはビックリする程の歓迎を受けた。隣近所からも人が集まり「あれがひなたお嬢さんの婚約者だ」と認識され、その場は大宴会になった。
そして誰もが彼に囁いた。
「ぜったい、ひなたお嬢さんを泣かすな」
曰く、昔から彼女を揶揄ったりイジメたりして泣かせると、どこからともなく白い犬が現れて彼女を守るのだ、と。
自分は子どもの頃、あのシロに体当たりされ跳ね飛ばされた。
それ以来、ひなたの側に行けなくなった。夢にまでシロは現れて睨みをきかすのだ、と。
「ひなたちゃんを泣かせたら、シロさんは地獄の底まで追いかけてくるからな! これは脅しじゃねぇぞ、ぜったいだ!」
近所の人も、親戚の人にも、そしてひなたの家族にも同じ忠告を受けた。
夜も遅くなり、みな酒が入ったせいで送れない、今晩は泊まっていけという申し出を了承した。
夜、就寝仕度を全て整えたあと、ひなたの兄から彼女が中学生の頃に受けた暴行未遂事件の顛末を聞いた。
結果として、シロが気がついたお陰で妹は身体的には何事もなく済んだ。だが心までそうなのかは誰にもわからない。
君のプロポーズに対してだいぶ失礼な態度をとったと聞いたが、そういう過去があってこそ、なのだ。
どうか妹の気持ちが君に向くまで辛抱強く待ってはくれないか。
兄ヒサシの打ち明け話に、タカヤは黙って頷いた。
ひとりになり、客間として宛がわれた日本間からふと庭を見ると、月明りの中、白い大きな犬がこちらをじっと見つめていた。
「シロ?」
そう声をかけたら、トットットと、タカヤの元に来る。
タカヤは縁側に腰を下ろすと、静かな声でシロに話しかけた。
「君の話、みんなから聞いたよ。ひなたくんが小さい頃から彼女を守っていたんだって? 本当に騎士だったんだね。月光仮面って感じだ」
そう言うと、シロはタカヤの膝の上に顎を乗せ、まるで頭を撫でろ俺を褒めろといわんばかりの様子を見せた。
そんなシロにタカヤは微笑んで、彼の頭を優しく撫でた。耳の後ろを撫でると気持ちよさそうに目を細める。
「ひなたくんとはね、会社の取引先で知り合ったんだ。初めて見た瞬間、恋に落ちてしまった……衝撃だったよ。あんなことは初めてだった」
タカヤは静かにシロに語った。
ひなたとの出会い。一目で恋に落ちた衝撃。彼女を追いかけ口説き落とす日々。全然報われない日々。だけど絶対彼女を諦めるものかと誓った日々。どうしてなのか自分にもわからないが、彼女を幸せにするのは自分なのだと、謎の使命感と確信があったのだと、タカヤは語った。
「だからね、シロ。どうか僕を認めてくれないかな。君のご主人様は僕が絶対守ると誓うよ。幸せにして、あぁ生きてて良かったと思わせる。絶対だ」
タカヤの静かな告白は、縁側から続く廊下の端にいたひなたの耳にも届いていた。
彼女はタカヤと少し話そうとこの場に来たが、シロの方が先客だったらしい。そしてその先客相手に自分への熱烈な愛を語り始めるから、動くに動けなくなってしまった。
それにしてもシロの態度といったら!
まるっきりタカヤを主人と認めているかのような甘えようではないか! タカヤはああして大人しく甘えるシロの姿しか知らないからあのような態度を取れるのだ。あんな姿を第三者が、特に兄ヒサシが見たらパニックを起こすだろう。ヒサシはシロに触れるまで年単位の時間を要したのだから!
しかもあの甘え切った態度。すでにタカヤはシロに認められているのだ!
(旦那さまになる人は見極めてってお願いしたけど、結論出すの早過ぎない?)
その事実に気づき、ひなたは自分の頬が熱くなったのを自覚した。
「シロ?」
タカヤの訝し気にシロを呼ぶ声と共に、犬の軽快な足音がひなたの方へ近づいた。
クゥーンという甘えた声でひなたを呼ぶシロ。彼には彼女が廊下の隅に隠れていたことなどお見通しだったらしい。
「ひなたくん……こんなところに」
シロのせいでタカヤに見つかってしまった。ばつが悪い。
「こっちに来ないか? シロと三人で話そう?」
少し躊躇ったが、意を決して腰を上げた。縁側の中央に移動し、シロを挟みタカヤに昔の話をきかせた。主にシロの武勇伝だ。
シロはじっと彼らを交互に見つめ、時折嬉しそうにしっぽを振った。
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