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8.真白の迷彩
しおりを挟むシロの大切なひなたおじょうさまが、彼女に求婚する野郎を連れて来るという日。
シロは朝から不思議な胸の高鳴りを感じた。
風の流れを読み、空気の匂いを嗅ぐ。
以前からできた、不思議な第六感を思う存分使う。
そして理解した。
これは、おじょうさまが喜んでいるのだ。
彼女の喜び、嬉しさ、胸の高鳴りが、そのままシロにも伝わってきた。
ひなたの母情報によると、ひなたは求婚者とやらに割と冷たい態度をとっていたらしい。相手のネンシュウをずけずけと訊いたり、シンジョウショの提出を要望したり。冷たいというより無礼な態度だと母は案じていた。これは、わざと失礼な態度をとって、相手から愛想を尽かされるよう仕向けている。そんな娘の行動に対しての心配事など、シロは黙って全部聞いた。
さて、どうしたものかと彼も心配していたのだが。
(なんだ、ひなたおじょうさま。その相手のこと、好いていらっしゃるではないか)
彼女の心が解る。シロも嬉しくなった。
どんな顔の男だろう。
背は高いのか低いのか。
声はどんな声?
彼は、シロの存在を受け入れてくれるだろうか。
俄然興味が湧き、バスで来る予定だという彼らの迎えに出た。当然の事ながら、そんなシロの行動を安倍家の面々は恐々と観察した。
たぶん、シロは彼が持つ不思議な力で相手の為人や性根が解るのだ。ひなたが連れて来る男に対する彼の評価はいかに。
シロが軽快な足取りで家を出ると、家人も慌ててその後を追った。
そうして。
シロの心は喜びに打ち震えた。
ひなたと隣り合って歩いている男の姿に。
シロにはハッキリと見えた。間違いない。
彼の放つ気の色が、前世で見た姫さまの婚約者だった隣国の王子とそっくり同じだということに。
王子本人だということに。
ふたりが。
なにやら話しながら、仲睦まじく歩いている。
(あぁ! おれが見たかった風景だ!)
笑顔の『ひめさま』と、同じく穏やかな笑顔で彼女を見守る『おうじでんか』
汗をぬぐいながら、ゆっくりと歩き。
ときおり木陰の下で笑い合って。
穏やかに
穏やかに
シロは泣きたくなるような心地でその光景に見入った。
(これだ。これを見たかったのだ)
良かった。本当によかった。『ひめさま』は運命の相手に巡り合ったのだ。あのお方なら、大丈夫だ。
あのお方なら、ひめさまを――ひなたさまをお預けしても、大丈夫。だって、時空を超えた異世界にまで彼女を追って会いに来てくれた人だから。
『おうじでんか』がシロに気がついた。
「シロ!」
『ひめさま』がシロを呼んだ。
急いで側近くに寄って見上げれば、ひなたおじょうさまの同行者はなかなかハンサムな青年だと思った。この世界のこの国に生まれたからやっぱり艶やかな黒髪と漆黒の瞳を持っていた。犬の身になったシロには人の美醜についての善し悪しは語れないが、既にその色合いには慣れ親しみさえ覚える。
だが、なによりも彼から発せられる気が心地良かった。この人間はいい人間。
ひなたさまが気に入ったのも当然だ。そう思った。
◇
月が静かに輝く深夜。
シロはタカヤの泊まる客間が見える庭に回った。タカヤはしばらく兄と話をしていたが、夜半過ぎに兄も自室に引き上げた。
昼間は蝉の声がうるさい程だが、夜になればそれはない。
もうしばらく季節が廻れば、今度は夜に鳴く虫の音で賑やかになる。
夜の静かな闇の中の方がその人間の本質が視える。遠くから観察したタカヤは、どう視てもやっぱり『おうじでんか』だった。彼がシロに気がつき呼ぶので、側に近寄った。
タカヤの気は心地良い。思わず彼の膝に顎を乗せていた。
彼が静かに語る声も耳に心地よかった。自分からひなたおじょうさまに一目惚れした経緯を説明しているが、それも前世からの縁なのだ。前世で結ばれなくて無念だったのは『おうじでんか』も同じだったのだろう。だから彼も転生してまで『ひめさま』を追いかけたのだ。
誰にも説明できないけれど、シロにはふたりの絆がちゃんとわかった。
ふと意識をひなたに向ければ、だいぶ近くに隠れている。
(あぁ、おれがおふたりを結び付けないとな)
廊下の隅に隠れて座っていたひなたに甘えて呼びかければ、すぐにタカヤも彼女の存在に気がついた。おずおずと顔をだすひなたの頬は、夜目にも真っ赤に染まっているのがわかった。
シロの大切なひなたおじょうさまと、彼女を追いかけてきたタカヤ。
月明りの下、ふたりがぎこちなくも初々しい様子で話している。
(ここでおれが席を外したら、ひなたさまは泣いてしまうかもなぁ。タカヤも困りそうだし)
特別だと言われ、足の裏を拭かれた。
この家に来てから初めて、シロは縁側に上げて貰った。
ひなたとタカヤのふたりに挟まれながら、ちゃんとお座りして彼らの話を聞く。
そのうち、タカヤがシロに凭れかかったまま眠ってしまった。
(おいおい。遠くから来て疲れた上に酒を入れたからって、好きな子前にして寝るなよ)
シロは呆れて溜息を吐いた。
「シロ。そのままタカヤさんの枕になってくれる?」
(はい、喜んで!)
シロにとってひなたの命令はいつだって優先順位一位なのだ。
縁側に横になると、タカヤの頭が腹の上に乗った。そのタカヤの腹の上にタオルケットをかけたひなたは
「シロ。タカヤさんをよろしくね、お休み」
と言って自室に帰ってしまった。
(はて。よろしくとは、どうするべきだろうか)
とりあえず彼の護衛の任かと考えたが、寄って来る蚊の攻撃から彼を守ることは出来なかった。
◇
ひなたがタカヤとシロの話をした翌日から、タカヤはひなたの呼び方を変えた。「ひなたくん」と呼んでいたが「ひなた」と呼び捨てるようになった。勿論、昨夜の内に本人の了解を得ている。その声音はとても甘くて、犬の身になったシロにもひなたへの溺愛ぶりが理解できた。
それから両者の結婚話はトントン拍子に進んだ。
タカヤ本人が早期の結婚を強く希望し、彼の両親は息子に対し全幅の信頼を持っていたようで、彼が連れて来た女性に対しても全面的な好意を示した。彼らの結婚を阻むものは何も無かった。
シロが初めてタカヤに会った夏の日から半年後。
とある冬の日に、ひなたおじょうさまはタカヤと結婚式を挙げた。式は会社関係の人間はもとより、学生時代の友人や親戚一同を集めた盛大な催しとなった。
シロは女中のおチヨと共に、式に参列する家人を見送った。
挙式はトウキョウと呼ばれる大都会で行われるのだとか。式を挙げ、そのまま新婚旅行に外国へと旅立つ予定らしい。兄ヒサシが涙目になりながらシロに教えてくれた。
実はヒサシにも婚約者が出来た。
おっかなびっくりの及び腰、といった状態のヒサシに連れてこられたお嬢さんは、シロを一目見て歓声を上げた。
『秋田犬! おっきい! 可愛い! 真っ白でこんなに可愛いなんて凄いっ!』
無邪気な幼女のように触れてこようとする女性から慌てて触られないように逃げたが、彼女から悪意は一切感じなかった。むしろ、初夏の日差しのような明るく健康的な気を感じた。ヒサシのように善良な人間だと思った。
一方、シロの反応を固唾を呑んで観察していた安倍家の面々は。
吠えない! 唸らない! 触らせないけど、遠くからならしっぽ振ってる!
そんなシロの態度を見た安倍家の面々は、そのお嬢さんをヒサシの婚約者として認めた。即決だった。
興信所への調査依頼など必要としなかった。
ひなたが結婚式をトウキョウで挙げた日。
田舎では大雪が降り積もっていた。それを見越して家人は前日から現地入りしている。
シロは雪の積もった山に登った。
昔、兄ヒサシに「シロは雪の中が迷彩なんだな」と言われたことを思い出した。
迷彩。紛れて、どこにいるのか判らなくなる。
たぶん、この雪はシロの姿を隠す。
山頂までもう少し。
雪洞を掘って中に入れば少しは温かい。
もう、疲れた。
もう、休もう。
シロは長く生き過ぎた。
疲れたけど、とても満足のいく一生だった。
欲を言えば、ひなたおじょうさまのお生みする赤子の姿を見たかったけど。
そこまで願うのは欲深というものだろう。犬の身には過ぎた願いだ。
もういい。
彼の望みは叶った。
だって山頂にいれば、ひなたの心境が伝わってくる。喜びに満ち満ちた心地が。
彼女が満面の笑みを浮かべ、みなに祝福されている姿が。
(すべては……あなたさまの、しあわせのために……)
シロはゆったり満ち足りた心地で瞳を閉じた。
雪は静かに、音も無く降り積もる。
シロの掘った雪洞の上にも降り積もる。
真白の「迷彩」に隠されて、今はどこにあるのかわからない。
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