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11.知ろうとしなかったことを、とても後悔している
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※少し長いです
「斯様なわけで、わたくしの公爵家でのお役目はすべて恙なく終了いたしました。ダミアンさま。ハーヴェイさま。後のことはよろしくお願い申し上げます。若奥さまにお仕えできない、頭の固いわたくしをお許しいただき、ありがたく存じます。
エリカさま。機会がございましたらブリスベン伯爵領の修道院へお越しくださいませ。そのときのわたくしは奥さまの墓守としてエリカさまをお迎えすることでしょう」
打ちひしがれていたジュリアンの耳が不思議な単語を拾い上げた。
ジャスミンが、クリスティアナの、墓守……?
どういう意味であろうか。
「ジャスミンがこの邸にいるのは当たり前みたいな気がしてたから、なんだか落ち着かないが……だいじょうぶだ。俺が家督を継ぐまで居て欲しかったがそれは俺のワガママというものだからな」
「ジャスミン。母上をよろしくね。あとのことは任されたよ」
「お母さまの命日にはブリスベン伯爵領へ行くわ。そのときには娘の……お母さまの孫も連れていくから。ジャスミンにもちゃんと顔見せするわね」
子どもたちはジャスミンのことばになんの疑問も抱いていないらしい。普通に受け答えをしているし、なんだか永の別れのような会話を交わしている……?
「ジャスミン。きみはどこかへ行くのか?」
ジュリアンの問いかけに、ジャスミンと子どもたちはきょとんとした目を彼へ向けた。
「どこかへって……ブリスベン伯爵領に帰るんですよ。もともとジャスミンの故郷だし」
「お母さまのために修道院へ入って鎮魂の祈りを捧げて余生を過ごすと希望してくれたのよ」
「もう母上の棺はブリスベンへ向け出立したのだろう? 最後のお別れをしたかったけど仕方ないよな。俺たちも落ち着いたら挨拶に伺うからブリスベンの伯父上たちにはよろしく伝えてくれ」
子どもたちからのことばに、ジャスミンは穏やかな笑みをこぼし応える。
「かしこまりました。では皆さま。いつまでもご壮健でいらっしゃるようお祈りいたします」
彼女はうつくしい所作のカーテシーを披露すると、もう後ろは振り返らずに梯子を降りて屋根裏部屋を辞した。
ジャスミンがあまりにも自然な振る舞いをしていたせいで、ジュリアンはその背を呆然と見送る以外なすすべがなかった。
だが、さあ自分たちも降りようかと出口へ向かう子どもたちの姿にハッとした。
「どういうことだ? 棺が出立したとは、なんのことだ⁈」
ジュリアンの問いかけに、子どもたちはお互いの顔を見合わせて肩を竦めた。
代表して口を開いたのは長女エリカである。
「どういうことだもなにもありませんわ、お父さま。お母さまの遺言書、本当に最後まで熟読なさいましたか? 最後の項に明記されてましてよ?」
呆れたようなエリカの声に、慌てて遺言書の読み飛ばしていた最後の項に目を通した。
そこに書かれていたのは、クリスティアナ・カレイジャスの遺体を埋葬する場所の指定。
故郷のブリスベン伯爵領の伯爵墓地を希望するという文言であった。
それはつまり、クリスティアナは婚家であるカレイジャス公爵家の人間が代々安置されている墓地に埋葬されることを拒んだということ。
いずれはそこに眠るだろうジュリアンと一緒になることを厭うたということ。
彼女は死したのちまでもジュリアンと共にいることを拒否したのだ。
ジュリアンは崩れるようにその場に跪いてしまった。ポールが慌てたようすで彼の背後に回り背を支える。
「そん、な……すぐに棺の移動など、叶うものなのか?」
ジュリアンの問いに対し、返答は双子の息子からもたらされる。
「叶いますよ。だって『すぐ』ではありません。言いましたよね? 俺たちが知ったのは二ヶ月ほどまえだって。そのとき母上の遺言書内容は知らされたし、母上ともたくさん話し合いました。
そもそも母上自身が余命宣告されたのは二年もまえだそうです。そのときは「あと一年もつかどうかわからない」と言われたそうです。
母上は頑張ってくれたんです。せめて俺の結婚式をみたいからって。
大学病院の医師から宣告された余命を覆して、倍も生きてくれたんです。
先月行われた俺の結婚式を見届けて安心したのか、母上はほぼ昏睡状態になりました。そんな母上の願い、叶えないわけにはいかないでしょう? 我々が事前準備するのは当然のことです」
「まえもってブリスベンの伯父上と連絡をとって、あちらの領地に埋葬する旨の了承を得ています。今日の葬儀にも伯父上が見えてましたし。泣き崩れる父上の肩を叩いてなにごとか囁いていらっしゃいましたから、そのお話だと思ってましたよ?」
たしかに、棺の前で泣き崩れるジュリアンに声掛けをした人間は数名いた。そのうちのひとりがクリスティアナの兄であり現在のブリスベン伯爵だったのだろう。
自分の悲しみに暮れていたジュリアンは気がつかなかった。
気づこうともしなかった。
エリカが静かに、残念なものを見るような顔で口を開いた。
「お父さま。先月行われたダミアンの結婚式、お父さまは予定をやりくりして参列なさったでしょう? 式だけの参加で、終わってすぐ仕事だと外国へ行ってしまいましたが。
おそらくそのときが、お母さまのことを知るラストチャンスだったはずですわ。よくご覧になれば、気がついたはずです。異様に痩せたし……歩く速度が遅くなっているとか、ため息が多くなっているとか。
お母さま本人の気力とジャスミンの化粧技術のせいもあるでしょうが、お父さまは妻の不調に気がつかなかった。
その結果が……現在ですわ」
エリカのいうとおりだ。ジュリアンは気がつかなかったのだ。
ダミアンの結婚式のとき、クリスティアナはジュリアンの隣にいた。
隣に立つ妻を、彼は見なかったのだ。
「閣下。我がカレイジャス公爵家直属の騎士団も奥さまの棺の護衛についてブリスベン伯爵領へ出立いたしました。……あとを追いますか?」
ポールがそう囁くが、ジュリアンは首を振った。
いまさらだ。
もうすべてがいまさらなのだ。
ジュリアンがクリスティアナと向き合わないでいる間に、クリスティアナからは嫌われてしまったのだ。生前の彼女は公爵夫人として立派に務めてくれたが、死したのちは自由になりたいという意思表示をしたのだ。
彼女の最後の願いくらい叶えるべきなのだ。
彼女を愛した夫として――。
「お父さまって、ほんとうに仕事ができますの? なんだかえらくポンコツなんですけど」
こそこそと話すエリカの声が聞こえた。双子たちが姉に応える。
「いや、あれでいて本当に有能なんだよ? 仕事面ではね。今、仕事の引継ぎのために父上の執務を手伝ってるけどね、これ今までよくひとりでやってきたなぁって感心してるんだよ俺は」
「うん。僕らはふたりで相談して、領地経営は僕が、国政に関してはダンが担当するって決めたんだ。二人分の仕事をしてたんだから忙しいのもとうぜんだよねって思ってた」
「あら。ハヴは決心したのね。領地で代官としてダンの補佐をするって」
「うん。母上のお手紙でも心配されてたけどね。もうだいじょうぶ。決めたから。ダンはミリアム義姉上をちゃんと気遣うんだよ? 父上と同じ轍を踏んじゃダメだからね?」
「踏まない。絶対踏まない。肝に銘じている」
「そうよね。せっかく捕まえた愛妻なんだからだいじにするのよ? ……お母さまたちは圧倒的に会話が足りてなかったと思うわぁ……わたくしも人のことは言えないわ。アンソニーにちゃんと声にだして伝えなくっちゃ。いつも感謝しているし愛してるって。せっかく生きているんだもの。言うのはタダよ!」
「そうだね。言わなきゃ損するって、父上たちの例があるもんね……」
双子たちが姉の手をとり、彼女を支えながら梯子を使って屋根裏部屋から姿を消した。
彼らが仲良さげに話す声が遠ざかり、やがて静寂が満ちた。
「閣下……いや、ジュウ」
ポールがひさしぶりに主の愛称を呼んだ。今は幼馴染みとして話をしたいという合図である。
「奥さまの……クリスティアナさまの病状について報告しなかったこと、申し訳ないと思っている。だが、奥さまご本人が希望されてな。口止めされていたんだ。ジュウには知らせるなって……そもそも、俺も奥さまの病気を知ったのはつい最近のことでなぁ……奥さまは二年まえから離れに移動してしまわれて、俺も把握していなかったんだ。奥さまは意図的に病状を隠しておられた。最期まで、隠し通すつもりだったと仰っていた」
「私は、彼女に嫌われていたんだな……」
身体中の力が抜けてしまったジュリアンは、いまは無様にも木の床に直接あぐらをかき腰を下ろしている。
背中を丸めて俯く姿は、娘が言っていたとおりポンコツの名にふさわしいであろう。
「どうだろうな。それほど嫌われていないと、俺は思っていたんだが……。ジュウのことだ。仕事を全部息子に譲ったら、ゆっくりと罪滅ぼしをしようとか考えていたんだろ? ……奥さまの寿命がまだあったなら、可能だっただろうけどな……」
こんなに早く逝ってしまわれるとは……というポールの静かな呟きがジュリアンの耳朶に届いた。
自分より五歳も若いクリスティアナがさきに逝ってしまうなんて想定外だった。
仕事さえ終わればといつも考えていた。ちゃんと妻に向き合って、ゆっくりと考えて話をしたいと思っていた。
爵位を長男へ譲り議員生活からも引退したら、賑やかな王都から去り領地で妻とふたりゆっくり穏やかに生活しよう。そんなふうに夢想していた。
そんな未来予想図は永遠に訪れることはない。
迂闊なジュリアンは妻の寿命が短いことを想定していなかった。
彼はなにも知らなかった。
妻の病気のことも、子どもたちのことも。
「ポール……さきほどエリカはノロケを言ってると双子たちから揶揄われていたが……あの子は政略結婚だと思っていたがうまくやっているということか」
「うーん。形式は政略結婚といえるが、エリカさまは恋愛結婚をなさったぞ? 奥さまとドレイク侯爵夫人が画策して、お互いの娘と息子をうまーく引き合わせたんだ。奥さまたちのお手柄だ」
知らなかった。ドレイク侯爵家とは領地で交易があったからその関係だとばかり思っていた。
「そう、か……ダミアンは政略結婚だよな? 嫁はセイハンガ公国の公女なのだし」
「いいや? ダミアンさまこそ恋愛結婚だ。ミリアムさまは学園時代留学生として我が国を訪れていてな。そこでおふたりは恋仲になった。ただ、彼女の身分が低かったので奥さまが尽力して大公の養女にしてもらった。これで身分が釣り合うし、ちょうどセイハンガ公国との通商条約で揉めてた時期だったから、おふたりの結婚は条約締結の後押しになったな。奥さまの手腕には驚いたものだよ」
これも、知らなかった。
妻が大公妃と頻繁にやり取りしていたのは知っていたが、外務大臣としてのジュリアンの補佐をしているとばかり思っていた。
「そう、か……ダミアンの嫁は……生粋の公女ではなかったのか」
「血筋的には大公妃の従妹の娘、だったはずだ。……そういう裏の事情、奥さまの口から聞いているとばかり思っていたよ」
「そう、だな……」
知らなかった。
ここ最近のジュリアンと妻との会話は私的なものは一切なかった。
決定事項と報告義務のあるものばかり。
家族が、娘や息子たちの恋愛事情がどうなのかなど、ジュリアンはまったく知らなかった。
知ろうとしなかったことを、とても後悔している。
せめてこどもたちの話でも聞いていれば、妻に嫌われずに済んだのだろうか。
せめて妻とゆっくりお茶の時間でも持てば、彼女の具合が悪いことに気がついたのだろうか。
せめて彼女の顔を正面から見ていれば……。
せめて、せめて、せめて……。
涙がいくらでも零れ落ちた。時間は戻らない。
ジュリアンは若いころ自らが描いた妻の絵を前に、いつまでも泣き続けた。
妻の死から半年後。
ジュリアン・カレイジャスは爵位を長男ダミアンに譲り、元老院議員も引退した。
念願だった領地へ引き籠った。
伴ったのは一枚の絵画。だがその絵画が保管場所を変えたせいで急激に劣化。
色褪せた絵を前に、毎日泣き暮らしたという。
賢夫人として有名だったカレイジャス公爵夫人クリスティアナは、四十という若さで惜しくも病死した。
彼女の名が社交界のみならず世間一般に轟いた理由は、自分の遺体を病理解剖するよう遺言を遺したことに起因する。
遺体とはいえ、貴族女性が己の身にメスを入れることを自分から申し出るとは異例であり革新的であった。生前の彼女は自分を死に追いやる病名を知っており、病理解剖でさらなる医学研究の進歩と発展を期待したのだ。
彼女の献身のお陰で、治療は不可能だと思われていた病が飛躍的に改善することになるのだが、それはまた別の話である。
【FIN】
【next story is EXTRA one. It's Christiana's talking to herself.】
「斯様なわけで、わたくしの公爵家でのお役目はすべて恙なく終了いたしました。ダミアンさま。ハーヴェイさま。後のことはよろしくお願い申し上げます。若奥さまにお仕えできない、頭の固いわたくしをお許しいただき、ありがたく存じます。
エリカさま。機会がございましたらブリスベン伯爵領の修道院へお越しくださいませ。そのときのわたくしは奥さまの墓守としてエリカさまをお迎えすることでしょう」
打ちひしがれていたジュリアンの耳が不思議な単語を拾い上げた。
ジャスミンが、クリスティアナの、墓守……?
どういう意味であろうか。
「ジャスミンがこの邸にいるのは当たり前みたいな気がしてたから、なんだか落ち着かないが……だいじょうぶだ。俺が家督を継ぐまで居て欲しかったがそれは俺のワガママというものだからな」
「ジャスミン。母上をよろしくね。あとのことは任されたよ」
「お母さまの命日にはブリスベン伯爵領へ行くわ。そのときには娘の……お母さまの孫も連れていくから。ジャスミンにもちゃんと顔見せするわね」
子どもたちはジャスミンのことばになんの疑問も抱いていないらしい。普通に受け答えをしているし、なんだか永の別れのような会話を交わしている……?
「ジャスミン。きみはどこかへ行くのか?」
ジュリアンの問いかけに、ジャスミンと子どもたちはきょとんとした目を彼へ向けた。
「どこかへって……ブリスベン伯爵領に帰るんですよ。もともとジャスミンの故郷だし」
「お母さまのために修道院へ入って鎮魂の祈りを捧げて余生を過ごすと希望してくれたのよ」
「もう母上の棺はブリスベンへ向け出立したのだろう? 最後のお別れをしたかったけど仕方ないよな。俺たちも落ち着いたら挨拶に伺うからブリスベンの伯父上たちにはよろしく伝えてくれ」
子どもたちからのことばに、ジャスミンは穏やかな笑みをこぼし応える。
「かしこまりました。では皆さま。いつまでもご壮健でいらっしゃるようお祈りいたします」
彼女はうつくしい所作のカーテシーを披露すると、もう後ろは振り返らずに梯子を降りて屋根裏部屋を辞した。
ジャスミンがあまりにも自然な振る舞いをしていたせいで、ジュリアンはその背を呆然と見送る以外なすすべがなかった。
だが、さあ自分たちも降りようかと出口へ向かう子どもたちの姿にハッとした。
「どういうことだ? 棺が出立したとは、なんのことだ⁈」
ジュリアンの問いかけに、子どもたちはお互いの顔を見合わせて肩を竦めた。
代表して口を開いたのは長女エリカである。
「どういうことだもなにもありませんわ、お父さま。お母さまの遺言書、本当に最後まで熟読なさいましたか? 最後の項に明記されてましてよ?」
呆れたようなエリカの声に、慌てて遺言書の読み飛ばしていた最後の項に目を通した。
そこに書かれていたのは、クリスティアナ・カレイジャスの遺体を埋葬する場所の指定。
故郷のブリスベン伯爵領の伯爵墓地を希望するという文言であった。
それはつまり、クリスティアナは婚家であるカレイジャス公爵家の人間が代々安置されている墓地に埋葬されることを拒んだということ。
いずれはそこに眠るだろうジュリアンと一緒になることを厭うたということ。
彼女は死したのちまでもジュリアンと共にいることを拒否したのだ。
ジュリアンは崩れるようにその場に跪いてしまった。ポールが慌てたようすで彼の背後に回り背を支える。
「そん、な……すぐに棺の移動など、叶うものなのか?」
ジュリアンの問いに対し、返答は双子の息子からもたらされる。
「叶いますよ。だって『すぐ』ではありません。言いましたよね? 俺たちが知ったのは二ヶ月ほどまえだって。そのとき母上の遺言書内容は知らされたし、母上ともたくさん話し合いました。
そもそも母上自身が余命宣告されたのは二年もまえだそうです。そのときは「あと一年もつかどうかわからない」と言われたそうです。
母上は頑張ってくれたんです。せめて俺の結婚式をみたいからって。
大学病院の医師から宣告された余命を覆して、倍も生きてくれたんです。
先月行われた俺の結婚式を見届けて安心したのか、母上はほぼ昏睡状態になりました。そんな母上の願い、叶えないわけにはいかないでしょう? 我々が事前準備するのは当然のことです」
「まえもってブリスベンの伯父上と連絡をとって、あちらの領地に埋葬する旨の了承を得ています。今日の葬儀にも伯父上が見えてましたし。泣き崩れる父上の肩を叩いてなにごとか囁いていらっしゃいましたから、そのお話だと思ってましたよ?」
たしかに、棺の前で泣き崩れるジュリアンに声掛けをした人間は数名いた。そのうちのひとりがクリスティアナの兄であり現在のブリスベン伯爵だったのだろう。
自分の悲しみに暮れていたジュリアンは気がつかなかった。
気づこうともしなかった。
エリカが静かに、残念なものを見るような顔で口を開いた。
「お父さま。先月行われたダミアンの結婚式、お父さまは予定をやりくりして参列なさったでしょう? 式だけの参加で、終わってすぐ仕事だと外国へ行ってしまいましたが。
おそらくそのときが、お母さまのことを知るラストチャンスだったはずですわ。よくご覧になれば、気がついたはずです。異様に痩せたし……歩く速度が遅くなっているとか、ため息が多くなっているとか。
お母さま本人の気力とジャスミンの化粧技術のせいもあるでしょうが、お父さまは妻の不調に気がつかなかった。
その結果が……現在ですわ」
エリカのいうとおりだ。ジュリアンは気がつかなかったのだ。
ダミアンの結婚式のとき、クリスティアナはジュリアンの隣にいた。
隣に立つ妻を、彼は見なかったのだ。
「閣下。我がカレイジャス公爵家直属の騎士団も奥さまの棺の護衛についてブリスベン伯爵領へ出立いたしました。……あとを追いますか?」
ポールがそう囁くが、ジュリアンは首を振った。
いまさらだ。
もうすべてがいまさらなのだ。
ジュリアンがクリスティアナと向き合わないでいる間に、クリスティアナからは嫌われてしまったのだ。生前の彼女は公爵夫人として立派に務めてくれたが、死したのちは自由になりたいという意思表示をしたのだ。
彼女の最後の願いくらい叶えるべきなのだ。
彼女を愛した夫として――。
「お父さまって、ほんとうに仕事ができますの? なんだかえらくポンコツなんですけど」
こそこそと話すエリカの声が聞こえた。双子たちが姉に応える。
「いや、あれでいて本当に有能なんだよ? 仕事面ではね。今、仕事の引継ぎのために父上の執務を手伝ってるけどね、これ今までよくひとりでやってきたなぁって感心してるんだよ俺は」
「うん。僕らはふたりで相談して、領地経営は僕が、国政に関してはダンが担当するって決めたんだ。二人分の仕事をしてたんだから忙しいのもとうぜんだよねって思ってた」
「あら。ハヴは決心したのね。領地で代官としてダンの補佐をするって」
「うん。母上のお手紙でも心配されてたけどね。もうだいじょうぶ。決めたから。ダンはミリアム義姉上をちゃんと気遣うんだよ? 父上と同じ轍を踏んじゃダメだからね?」
「踏まない。絶対踏まない。肝に銘じている」
「そうよね。せっかく捕まえた愛妻なんだからだいじにするのよ? ……お母さまたちは圧倒的に会話が足りてなかったと思うわぁ……わたくしも人のことは言えないわ。アンソニーにちゃんと声にだして伝えなくっちゃ。いつも感謝しているし愛してるって。せっかく生きているんだもの。言うのはタダよ!」
「そうだね。言わなきゃ損するって、父上たちの例があるもんね……」
双子たちが姉の手をとり、彼女を支えながら梯子を使って屋根裏部屋から姿を消した。
彼らが仲良さげに話す声が遠ざかり、やがて静寂が満ちた。
「閣下……いや、ジュウ」
ポールがひさしぶりに主の愛称を呼んだ。今は幼馴染みとして話をしたいという合図である。
「奥さまの……クリスティアナさまの病状について報告しなかったこと、申し訳ないと思っている。だが、奥さまご本人が希望されてな。口止めされていたんだ。ジュウには知らせるなって……そもそも、俺も奥さまの病気を知ったのはつい最近のことでなぁ……奥さまは二年まえから離れに移動してしまわれて、俺も把握していなかったんだ。奥さまは意図的に病状を隠しておられた。最期まで、隠し通すつもりだったと仰っていた」
「私は、彼女に嫌われていたんだな……」
身体中の力が抜けてしまったジュリアンは、いまは無様にも木の床に直接あぐらをかき腰を下ろしている。
背中を丸めて俯く姿は、娘が言っていたとおりポンコツの名にふさわしいであろう。
「どうだろうな。それほど嫌われていないと、俺は思っていたんだが……。ジュウのことだ。仕事を全部息子に譲ったら、ゆっくりと罪滅ぼしをしようとか考えていたんだろ? ……奥さまの寿命がまだあったなら、可能だっただろうけどな……」
こんなに早く逝ってしまわれるとは……というポールの静かな呟きがジュリアンの耳朶に届いた。
自分より五歳も若いクリスティアナがさきに逝ってしまうなんて想定外だった。
仕事さえ終わればといつも考えていた。ちゃんと妻に向き合って、ゆっくりと考えて話をしたいと思っていた。
爵位を長男へ譲り議員生活からも引退したら、賑やかな王都から去り領地で妻とふたりゆっくり穏やかに生活しよう。そんなふうに夢想していた。
そんな未来予想図は永遠に訪れることはない。
迂闊なジュリアンは妻の寿命が短いことを想定していなかった。
彼はなにも知らなかった。
妻の病気のことも、子どもたちのことも。
「ポール……さきほどエリカはノロケを言ってると双子たちから揶揄われていたが……あの子は政略結婚だと思っていたがうまくやっているということか」
「うーん。形式は政略結婚といえるが、エリカさまは恋愛結婚をなさったぞ? 奥さまとドレイク侯爵夫人が画策して、お互いの娘と息子をうまーく引き合わせたんだ。奥さまたちのお手柄だ」
知らなかった。ドレイク侯爵家とは領地で交易があったからその関係だとばかり思っていた。
「そう、か……ダミアンは政略結婚だよな? 嫁はセイハンガ公国の公女なのだし」
「いいや? ダミアンさまこそ恋愛結婚だ。ミリアムさまは学園時代留学生として我が国を訪れていてな。そこでおふたりは恋仲になった。ただ、彼女の身分が低かったので奥さまが尽力して大公の養女にしてもらった。これで身分が釣り合うし、ちょうどセイハンガ公国との通商条約で揉めてた時期だったから、おふたりの結婚は条約締結の後押しになったな。奥さまの手腕には驚いたものだよ」
これも、知らなかった。
妻が大公妃と頻繁にやり取りしていたのは知っていたが、外務大臣としてのジュリアンの補佐をしているとばかり思っていた。
「そう、か……ダミアンの嫁は……生粋の公女ではなかったのか」
「血筋的には大公妃の従妹の娘、だったはずだ。……そういう裏の事情、奥さまの口から聞いているとばかり思っていたよ」
「そう、だな……」
知らなかった。
ここ最近のジュリアンと妻との会話は私的なものは一切なかった。
決定事項と報告義務のあるものばかり。
家族が、娘や息子たちの恋愛事情がどうなのかなど、ジュリアンはまったく知らなかった。
知ろうとしなかったことを、とても後悔している。
せめてこどもたちの話でも聞いていれば、妻に嫌われずに済んだのだろうか。
せめて妻とゆっくりお茶の時間でも持てば、彼女の具合が悪いことに気がついたのだろうか。
せめて彼女の顔を正面から見ていれば……。
せめて、せめて、せめて……。
涙がいくらでも零れ落ちた。時間は戻らない。
ジュリアンは若いころ自らが描いた妻の絵を前に、いつまでも泣き続けた。
妻の死から半年後。
ジュリアン・カレイジャスは爵位を長男ダミアンに譲り、元老院議員も引退した。
念願だった領地へ引き籠った。
伴ったのは一枚の絵画。だがその絵画が保管場所を変えたせいで急激に劣化。
色褪せた絵を前に、毎日泣き暮らしたという。
賢夫人として有名だったカレイジャス公爵夫人クリスティアナは、四十という若さで惜しくも病死した。
彼女の名が社交界のみならず世間一般に轟いた理由は、自分の遺体を病理解剖するよう遺言を遺したことに起因する。
遺体とはいえ、貴族女性が己の身にメスを入れることを自分から申し出るとは異例であり革新的であった。生前の彼女は自分を死に追いやる病名を知っており、病理解剖でさらなる医学研究の進歩と発展を期待したのだ。
彼女の献身のお陰で、治療は不可能だと思われていた病が飛躍的に改善することになるのだが、それはまた別の話である。
【FIN】
【next story is EXTRA one. It's Christiana's talking to herself.】
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バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。
政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。
社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。
ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。
ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。
一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。
リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。
ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。
そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。
王家までも巻き込んだその作戦とは……。
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コメントありがとうございます。
タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。
必ず完結させますので、よろしくお願いします。
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