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第二章
番い
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「さて、落ち着いたところで話し合いましょうか」
にっこりと、爽やかな笑みを浮かべながら身なりを整えたロドスが語る。
椅子に座る彼の正面には、同じく衣服に身を包んだディブロがいるが、その顔色は最悪と言えるほど落ち込んでいた。
身を清めるのは当然としても、侍従たちにより全身を洗われたせいで、否応なく何をされていたのかが晒される。
羞恥心に苛まれる男を慰めるわけでもなく、ニコニコと満面の笑みを浮かべる狼の姿が余裕すぎて、逆に嫌味のように取れた。
「殿下。 お言葉ではありますが、少しはお気遣いをされた方がよろしいかと。 ディブロ様とて、此度の一件を承諾されたわけではないのですから」
「そうは言ってもな、ミュシェ。 この人は前から頑固だから、説明してもうまく事を運べたかどうか……」
「分かった! 分かったから、皆まで言うな!」
「まぁまずは一口、飲んでください。 うち自慢の紅茶ですから」
少しは気遣ってほしいと思っていたディブロの心を読んだように、彼らの傍で控えていた侍従の犬人がティーセットの配膳を行いながら、ロドスへ忠告する。
援護は想定していたようで、慌てる事なく話す二人の会話が、進んで欲しくない方向へいきそうだったため、男は顔を真っ赤にしながら叫んだ。
浴場から悲鳴以外の言葉を発していなかったため、ようやく調子を取り戻したディブロに狼がお茶を勧める。
はぐらかされたと感じなくない状況だが、喉が乾いていたのもあって、渋々とカップを持ち上げ、男は口元へ運んだ。
「……美味しい」
「ありがとう御座います。 殿下の番い様にお喜びいただけたなら、これ以上の幸せはございません」
「んっ!? そ、そういう……、えっと……」
「自己紹介がまだでございましたね。 お初にお目にかかります、ディブロ・イングリット様。 私はミュシェ、サンクラム宮殿にて侍従頭を任されております。 以後お見知り置き願います」
ふんわりと口の中に広がる茶葉の香り、ほんのりとした苦味と甘味が絶妙に溶け合い、鼻から抜ける爽快感がディブロの精神を癒す。
実家で出された紅茶より遥かに美味しく、煎れた侍従の女性に目を向ければ、凛とした礼を披露された。
途中に出てきた言葉にむせるも、なんとかこぼす事なく誤魔化しつつ、ディブロはミュシェに頭を下げる。
「これはどうも、ご丁寧に……」
「彼女は私の乳母でもあるんだ。 仕事ぶりも優秀でしてね、数年前から城に仕える侍従たちの統括を任せている」
「はい、光栄な事です。 それとディブロ様、城勤めの侍従に頭を下げられるのは感心致しません。 貴族であらせられるのですから、その辺りの線引きはきちんとしてくださいませ」
「うっ……!? でも、俺は貴族籍を剥奪されてるから……」
「それでしたら、当然無効ですよ。 尤も、今さらかの国での身分はどうと言う問題ではありませんがね」
微笑ましいものを眺めるように、ロドスがミュシェについて語り、懐かしそうにしながら彼女も静かにうなづく。
それも次の瞬間には、ディブロが頭を下げてきた事に対しての注意をしてきたので、肝のすわり方は十分なようだった。
言われてみればと非を認めようとするが、先の一件で自国での身分が貴族はもちろん、平民どころか罪人へ堕ちたことを思い出す。
だがそれを狼は真っ向から無かったことにしたと告げると同時に、先を聞きたくない事を言われそうだと男の背中に寒気が奔った。
「おい、まさかと思うが……、俺にこのままここで暮らせと……?」
「それ以外に何があると言うんです?」
「だから! いっときの過ちで簡単に決めていい問題じゃない! 番い云々言われても、俺にはさっぱりなんだ! 大体、俺がお前の番いっていう証拠はどこにも……!」
「……僭越ながらディブロ様、その肌に刻まれた紋様が証拠となるのです」
「……えっ?」
「その紋様は、個々で模様は異なりますが、番いの儀を介した者でかつ、適合する同士でしか刻まれないのです」
「そ、そう、なんです、か……?」
「……殿下」
「あはははっ、すまんすまん! その辺りも事後説明で済ませてしまおうと考えていたんだ」
「全くもう……。 相変わらず、その悪い癖は幼少の頃より治りませんね……」
まさかと問えば、此処から逃げられないとあっさり告げるロドスの態度に、ディブロはテーブルを叩きながら立ち上がる。
こんな大事な事を簡単に決めるべきではないと言おうとするのを、神妙な顔つきのミュシェが王子を援護した。
呆然とする男に、そっと服の隙間から見える鎖骨部分に浮かんだ紋様が意味するものは何かを話すと、聞いていないとばかりに言葉を失ってしまう。
説明が抜け落ちている、というよりは意図的に話していなかったとばかりに、悪気なく語るロドスの態度に女性が頭を抱えた。
振り回されているのかと思いつつも、彼女の言葉に頭が冷えたのか、男はゆっくりと腰を椅子に戻す。
「いろいろと説明しなければならないことがありますけど、まずは番いについてお話します」
「……伴侶、っていうことだけじゃないのか?」
「いいえ。 人からすればそれだけですが、我々獣人たち基準で見れば、代わりのいない生涯を捧げるべき相手という意味になるのです」
「……お前の相手が、俺だっていうのか?」
「ええっ、そうです。 私も最初は驚きましたよ、まさかイングリットの血筋に名を連ねるものと縁を結ぶことになるとは、予想外でした」
冷静に話を聞ける状態になったのを見越して、静かにロドスが番いとは何かを説明し始める。
途中で自分の家名がどうして出てくるのかと疑問もあったが、ディブロは質問を後回しにして、話に耳を傾けた。
「貴方は自分が男だからと、そう仰っていましたが、番いにとって性別などないに等しいのです」
「それは……、男でも、子を成せると……?」
「ええっ。 だから我ら獣人にとって異性とか同性とか、そういう垣根はないのです。 誰が誰の番いかは、本能で悟るものなので、その相手が男だから、女だからという視点は邪魔なだけなのです」
「……難儀だな」
「人からすれば、そう見えるでしょうね。 ただ残念なことに、番いとは必ず見つかるものではないのですよ」
「……えっ?」
紅茶を飲みながら語られる番いという言葉の差す本質に近づくたび、ディブロは獣人族の苦労を知ったような気分になる。
見方によっては運命の相手と巡り合えたと思えるかもしれないが、そんな感傷的なものではないとロドスの一言に息を呑んだ。
「見つからない、なんてこともあるのか……?」
「それはもちろん。 相手が見つからず、番いとは関係ない誰かと結ばれることも普通にあります」
「……じゃあもし、番いと出会ったら、どうなるんだ?」
「番いの下へ行かなければと本能が勝ちます。 当然その辺りのいざこざは起きますし、仲裁する機関も存在します。 はっきり言うと、作らざるを得なかったと言った方が正しいかもしれませんが」
「相手側が納得しない、とか?」
「そうなる時もあれば、ならない時もあります。 番いとはそれだけ大きな、というよりは魂の半身とも言える存在なのですよ」
人間同士でも不貞があれば、運命の相手と出会えたといって、それまでの相手を見限ることもあるだろう。
ディブロともかつていた部下の一人にそうした例を目にしたときは、バカな事をしたものだと呆れてしまった。
ただそれは貴族として政略結婚という枠から逃げ出した身であるため、誰かを非難する資格がないことも理解している。
獣人も同じことがあるのだろうと軽く考えすぎていたと、話を聞けば聞くほどディブロは驚愕していった。
「た、例えばその、すでに家庭を持っていたとしても番いに出会ったら、どうなるんだ?」
「番いを選びます、選ばざるを得ないのです。 本能に近いところがありますからね、だからこそ我々はあまり婚姻という形を取らないのです」
「……番いに出会えるまでにかかった年月分だけ、相手への情も生まれるからか?」
「ええっ。 無論、私のようなものであればそうした個人的感情は酌量を鑑みられることはありません。 出会えたら幸運と、私も考えていたくらいですしね」
紅茶を時折口に運んで喉を潤し、ディブロは真剣にロドスの言葉を汲み取り、自分へと刻んでいく。
番いと言われても実感はなくとも、獣人たちにとって人生をかけてもおかしくない存在の大きさは、未だ理解が追いつかなかった。
見つからない事を前提に考える、それが普通だと思ってしまえば当然だが、見つかってしまえば抗うことはできない。
皮肉にも王子という立場であるロドスで考えれば、様々な事情が絡み合うのは必至だ。
「……お前の番いが俺だっていうのは、間違いないんだな?」
「はい、断言できます。 先にミュシェが語ったように、この紋様こそが証です」
「……質問がある」
「なんですか?」
「番いについては分かった。 ただ、お前は前から俺のことを知っているような口ぶりだが、それは騎士団に潜入しているときからか? あと、さっきイングリットの血筋って言ったが、なんでうちみたいな弱小貴族の話が出てくるんだ?」
厳かな空気の中、それぞれが心を落ち着けるように飲んでいた紅茶がなくなり、ロドスの合図でミュシェが次の一杯を用意する。
それを待ちながら、ディブロはいつ自分を見初めたのかと、肝心の問題に焦点を当てた。
刹那、ミュシェが二人のカップとソーサーをワゴンに乗せて、ポットに用意した紅茶を注ごうとしたが、動きを止めてしまう。
陶器の音に反応して視線を向けたディブロが見たものは、信じられないものを見つめる女性の顔が飛び込んできた。
「……ディブロ様、今なんと?」
「えっ? ミュ、ミュシェ、さん……?」
「あっ、しっ失礼しました! 殿下、申し訳ございません! 勝手に割り入ってしまい!」
「いや、気にしなくていい。 今のはミュシェの反応が正しい。 ディブロさん、今の発言は捨て置けません」
「はい? 何が……?」
「イングリット家についての貴方が考えている評価です。 失礼ですが、ご実家のことを何も知らなさすぎるのではないのですか?」
ディブロの目に映るミュシェの瞳には、怒りとも失望とも、呆れとも取れる複雑な感情が見て取れる。
それもすぐに出過ぎた真似をしていることに気づき、主であるロドスへ謝罪と共に頭を垂れた。
狼にすれば不敬と考えるほどのことではないと見ており、むしろ問題は彼の瞳に映る事態を飲み込めていない男にあるとばかりに睨み付けている。
「うちのこと……? そんな大層な家じゃ……」
「……まさか、アリーシャ様についてご当主殿から何も聞いていないのですか?」
「婆さんのこと? あの人が……」
「婆さん!? 今、婆さんと仰られましたか!?」
「ひっ!?」
「撤回してくださいませ! 聖女様を、アリーシャ様をそのように軽々しく呼ばれるなど、黙っていられません!」
「せ、聖女……? えっ、何を言って……!」
「そんなことすらご存知ないのですか!? 貴方は一体これまで何をーー!」
何が問題なのか理解できないディブロに、ロドスはまさかと驚きを隠せない顔で、彼の祖母の名を出す。
悪気なく口にした呼び方に、誰よりも早く反応したのは、伏礼をしていたミュシェだった。
勢いよく体を起こし、怒りに顔を歪ませてまくし立てる女性に、ディブロは何が何だかさっぱりと、押されてしまう。
激昂する侍従がさらに暴走しかけたとき、ガチャンと床に何かが激突する音が室内に響いた。
その方向へ二人が顔を向けると、ロドスのカップとソーサーが落下し、陶器の破片と紅茶が散らばっている。
「すまない、落としてしまったな。 ミュシェ、片付けと代わりを頼む」
「ぁっ……、申し訳、ありません……」
「あぁ、悪いが代わりを用意したら下がってくれ。 きちんと話しておくゆえ、この場は私に任せてくれ」
「……かしこまりました」
見るからにわざと落としたロドスだが、その眼光は鋭くミュシェの態度を諫めるのに十分すぎた。
感情を抑えきれなかった不甲斐なさに、侍従頭は頭を下げてから、指示通りに片付けを開始する。
そうしてロドスに新しいカップと紅茶を用意し、ディブロにも新しい紅茶を注いでから、静かに部屋を後にした。
去り際に小さく『ディブロ様、お見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした……』と言葉を残して。
にっこりと、爽やかな笑みを浮かべながら身なりを整えたロドスが語る。
椅子に座る彼の正面には、同じく衣服に身を包んだディブロがいるが、その顔色は最悪と言えるほど落ち込んでいた。
身を清めるのは当然としても、侍従たちにより全身を洗われたせいで、否応なく何をされていたのかが晒される。
羞恥心に苛まれる男を慰めるわけでもなく、ニコニコと満面の笑みを浮かべる狼の姿が余裕すぎて、逆に嫌味のように取れた。
「殿下。 お言葉ではありますが、少しはお気遣いをされた方がよろしいかと。 ディブロ様とて、此度の一件を承諾されたわけではないのですから」
「そうは言ってもな、ミュシェ。 この人は前から頑固だから、説明してもうまく事を運べたかどうか……」
「分かった! 分かったから、皆まで言うな!」
「まぁまずは一口、飲んでください。 うち自慢の紅茶ですから」
少しは気遣ってほしいと思っていたディブロの心を読んだように、彼らの傍で控えていた侍従の犬人がティーセットの配膳を行いながら、ロドスへ忠告する。
援護は想定していたようで、慌てる事なく話す二人の会話が、進んで欲しくない方向へいきそうだったため、男は顔を真っ赤にしながら叫んだ。
浴場から悲鳴以外の言葉を発していなかったため、ようやく調子を取り戻したディブロに狼がお茶を勧める。
はぐらかされたと感じなくない状況だが、喉が乾いていたのもあって、渋々とカップを持ち上げ、男は口元へ運んだ。
「……美味しい」
「ありがとう御座います。 殿下の番い様にお喜びいただけたなら、これ以上の幸せはございません」
「んっ!? そ、そういう……、えっと……」
「自己紹介がまだでございましたね。 お初にお目にかかります、ディブロ・イングリット様。 私はミュシェ、サンクラム宮殿にて侍従頭を任されております。 以後お見知り置き願います」
ふんわりと口の中に広がる茶葉の香り、ほんのりとした苦味と甘味が絶妙に溶け合い、鼻から抜ける爽快感がディブロの精神を癒す。
実家で出された紅茶より遥かに美味しく、煎れた侍従の女性に目を向ければ、凛とした礼を披露された。
途中に出てきた言葉にむせるも、なんとかこぼす事なく誤魔化しつつ、ディブロはミュシェに頭を下げる。
「これはどうも、ご丁寧に……」
「彼女は私の乳母でもあるんだ。 仕事ぶりも優秀でしてね、数年前から城に仕える侍従たちの統括を任せている」
「はい、光栄な事です。 それとディブロ様、城勤めの侍従に頭を下げられるのは感心致しません。 貴族であらせられるのですから、その辺りの線引きはきちんとしてくださいませ」
「うっ……!? でも、俺は貴族籍を剥奪されてるから……」
「それでしたら、当然無効ですよ。 尤も、今さらかの国での身分はどうと言う問題ではありませんがね」
微笑ましいものを眺めるように、ロドスがミュシェについて語り、懐かしそうにしながら彼女も静かにうなづく。
それも次の瞬間には、ディブロが頭を下げてきた事に対しての注意をしてきたので、肝のすわり方は十分なようだった。
言われてみればと非を認めようとするが、先の一件で自国での身分が貴族はもちろん、平民どころか罪人へ堕ちたことを思い出す。
だがそれを狼は真っ向から無かったことにしたと告げると同時に、先を聞きたくない事を言われそうだと男の背中に寒気が奔った。
「おい、まさかと思うが……、俺にこのままここで暮らせと……?」
「それ以外に何があると言うんです?」
「だから! いっときの過ちで簡単に決めていい問題じゃない! 番い云々言われても、俺にはさっぱりなんだ! 大体、俺がお前の番いっていう証拠はどこにも……!」
「……僭越ながらディブロ様、その肌に刻まれた紋様が証拠となるのです」
「……えっ?」
「その紋様は、個々で模様は異なりますが、番いの儀を介した者でかつ、適合する同士でしか刻まれないのです」
「そ、そう、なんです、か……?」
「……殿下」
「あはははっ、すまんすまん! その辺りも事後説明で済ませてしまおうと考えていたんだ」
「全くもう……。 相変わらず、その悪い癖は幼少の頃より治りませんね……」
まさかと問えば、此処から逃げられないとあっさり告げるロドスの態度に、ディブロはテーブルを叩きながら立ち上がる。
こんな大事な事を簡単に決めるべきではないと言おうとするのを、神妙な顔つきのミュシェが王子を援護した。
呆然とする男に、そっと服の隙間から見える鎖骨部分に浮かんだ紋様が意味するものは何かを話すと、聞いていないとばかりに言葉を失ってしまう。
説明が抜け落ちている、というよりは意図的に話していなかったとばかりに、悪気なく語るロドスの態度に女性が頭を抱えた。
振り回されているのかと思いつつも、彼女の言葉に頭が冷えたのか、男はゆっくりと腰を椅子に戻す。
「いろいろと説明しなければならないことがありますけど、まずは番いについてお話します」
「……伴侶、っていうことだけじゃないのか?」
「いいえ。 人からすればそれだけですが、我々獣人たち基準で見れば、代わりのいない生涯を捧げるべき相手という意味になるのです」
「……お前の相手が、俺だっていうのか?」
「ええっ、そうです。 私も最初は驚きましたよ、まさかイングリットの血筋に名を連ねるものと縁を結ぶことになるとは、予想外でした」
冷静に話を聞ける状態になったのを見越して、静かにロドスが番いとは何かを説明し始める。
途中で自分の家名がどうして出てくるのかと疑問もあったが、ディブロは質問を後回しにして、話に耳を傾けた。
「貴方は自分が男だからと、そう仰っていましたが、番いにとって性別などないに等しいのです」
「それは……、男でも、子を成せると……?」
「ええっ。 だから我ら獣人にとって異性とか同性とか、そういう垣根はないのです。 誰が誰の番いかは、本能で悟るものなので、その相手が男だから、女だからという視点は邪魔なだけなのです」
「……難儀だな」
「人からすれば、そう見えるでしょうね。 ただ残念なことに、番いとは必ず見つかるものではないのですよ」
「……えっ?」
紅茶を飲みながら語られる番いという言葉の差す本質に近づくたび、ディブロは獣人族の苦労を知ったような気分になる。
見方によっては運命の相手と巡り合えたと思えるかもしれないが、そんな感傷的なものではないとロドスの一言に息を呑んだ。
「見つからない、なんてこともあるのか……?」
「それはもちろん。 相手が見つからず、番いとは関係ない誰かと結ばれることも普通にあります」
「……じゃあもし、番いと出会ったら、どうなるんだ?」
「番いの下へ行かなければと本能が勝ちます。 当然その辺りのいざこざは起きますし、仲裁する機関も存在します。 はっきり言うと、作らざるを得なかったと言った方が正しいかもしれませんが」
「相手側が納得しない、とか?」
「そうなる時もあれば、ならない時もあります。 番いとはそれだけ大きな、というよりは魂の半身とも言える存在なのですよ」
人間同士でも不貞があれば、運命の相手と出会えたといって、それまでの相手を見限ることもあるだろう。
ディブロともかつていた部下の一人にそうした例を目にしたときは、バカな事をしたものだと呆れてしまった。
ただそれは貴族として政略結婚という枠から逃げ出した身であるため、誰かを非難する資格がないことも理解している。
獣人も同じことがあるのだろうと軽く考えすぎていたと、話を聞けば聞くほどディブロは驚愕していった。
「た、例えばその、すでに家庭を持っていたとしても番いに出会ったら、どうなるんだ?」
「番いを選びます、選ばざるを得ないのです。 本能に近いところがありますからね、だからこそ我々はあまり婚姻という形を取らないのです」
「……番いに出会えるまでにかかった年月分だけ、相手への情も生まれるからか?」
「ええっ。 無論、私のようなものであればそうした個人的感情は酌量を鑑みられることはありません。 出会えたら幸運と、私も考えていたくらいですしね」
紅茶を時折口に運んで喉を潤し、ディブロは真剣にロドスの言葉を汲み取り、自分へと刻んでいく。
番いと言われても実感はなくとも、獣人たちにとって人生をかけてもおかしくない存在の大きさは、未だ理解が追いつかなかった。
見つからない事を前提に考える、それが普通だと思ってしまえば当然だが、見つかってしまえば抗うことはできない。
皮肉にも王子という立場であるロドスで考えれば、様々な事情が絡み合うのは必至だ。
「……お前の番いが俺だっていうのは、間違いないんだな?」
「はい、断言できます。 先にミュシェが語ったように、この紋様こそが証です」
「……質問がある」
「なんですか?」
「番いについては分かった。 ただ、お前は前から俺のことを知っているような口ぶりだが、それは騎士団に潜入しているときからか? あと、さっきイングリットの血筋って言ったが、なんでうちみたいな弱小貴族の話が出てくるんだ?」
厳かな空気の中、それぞれが心を落ち着けるように飲んでいた紅茶がなくなり、ロドスの合図でミュシェが次の一杯を用意する。
それを待ちながら、ディブロはいつ自分を見初めたのかと、肝心の問題に焦点を当てた。
刹那、ミュシェが二人のカップとソーサーをワゴンに乗せて、ポットに用意した紅茶を注ごうとしたが、動きを止めてしまう。
陶器の音に反応して視線を向けたディブロが見たものは、信じられないものを見つめる女性の顔が飛び込んできた。
「……ディブロ様、今なんと?」
「えっ? ミュ、ミュシェ、さん……?」
「あっ、しっ失礼しました! 殿下、申し訳ございません! 勝手に割り入ってしまい!」
「いや、気にしなくていい。 今のはミュシェの反応が正しい。 ディブロさん、今の発言は捨て置けません」
「はい? 何が……?」
「イングリット家についての貴方が考えている評価です。 失礼ですが、ご実家のことを何も知らなさすぎるのではないのですか?」
ディブロの目に映るミュシェの瞳には、怒りとも失望とも、呆れとも取れる複雑な感情が見て取れる。
それもすぐに出過ぎた真似をしていることに気づき、主であるロドスへ謝罪と共に頭を垂れた。
狼にすれば不敬と考えるほどのことではないと見ており、むしろ問題は彼の瞳に映る事態を飲み込めていない男にあるとばかりに睨み付けている。
「うちのこと……? そんな大層な家じゃ……」
「……まさか、アリーシャ様についてご当主殿から何も聞いていないのですか?」
「婆さんのこと? あの人が……」
「婆さん!? 今、婆さんと仰られましたか!?」
「ひっ!?」
「撤回してくださいませ! 聖女様を、アリーシャ様をそのように軽々しく呼ばれるなど、黙っていられません!」
「せ、聖女……? えっ、何を言って……!」
「そんなことすらご存知ないのですか!? 貴方は一体これまで何をーー!」
何が問題なのか理解できないディブロに、ロドスはまさかと驚きを隠せない顔で、彼の祖母の名を出す。
悪気なく口にした呼び方に、誰よりも早く反応したのは、伏礼をしていたミュシェだった。
勢いよく体を起こし、怒りに顔を歪ませてまくし立てる女性に、ディブロは何が何だかさっぱりと、押されてしまう。
激昂する侍従がさらに暴走しかけたとき、ガチャンと床に何かが激突する音が室内に響いた。
その方向へ二人が顔を向けると、ロドスのカップとソーサーが落下し、陶器の破片と紅茶が散らばっている。
「すまない、落としてしまったな。 ミュシェ、片付けと代わりを頼む」
「ぁっ……、申し訳、ありません……」
「あぁ、悪いが代わりを用意したら下がってくれ。 きちんと話しておくゆえ、この場は私に任せてくれ」
「……かしこまりました」
見るからにわざと落としたロドスだが、その眼光は鋭くミュシェの態度を諫めるのに十分すぎた。
感情を抑えきれなかった不甲斐なさに、侍従頭は頭を下げてから、指示通りに片付けを開始する。
そうしてロドスに新しいカップと紅茶を用意し、ディブロにも新しい紅茶を注いでから、静かに部屋を後にした。
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