10 / 13
第10話 代償
しおりを挟む
気が付いた時、エラは自分が何処に居るのか判らなかった。
ぼんやりとした頭の中で、クリーム色の天井が、コウモリの羽根のようにカーブしているのを見て、教会のようだわ、と思ったりしたのだが、教会というのが、一体何のことなのか、すぐには思い出せなかった。
しかし、自分を近くで、心配そうに見ている人の姿は、すぐに判った。
「……お母様」
大学ではまず使わなかったその言葉が、すんなりと口から出る。何故彼女がそこに居るのだろう。エラにはよく事態が飲み込めなかった。
「気が付いたのね…… 先生! 先生!」
母親は、部屋の中に備え付けてある端末に叫ぶ。こうまで取り乱した所を彼女は見たことがなかった。しかし先生。何の先生だというのだろう。ふっと頭の位置を変える。
「あ!」
小さく叫ぶ。背中を痛みが大きくよぎったのだ。
「まだ動いては駄目よ!」
端末に叫んでいた母親は、慌てて彼女に駆け寄って、位置をずらしたまま動けない身体を、その白い細い手で、やっとのことで元に戻す。
「もうじき先生がいらっしゃるわ。もう大丈夫よ」
大丈夫、とは、どういうことなんだろう。彼女は問いかけたかった。だが、唇も喉もからからで、上手く声が出なかった。
いや、声どころでは無い。身体がひどく重くて、まるで動かせなかったのだ。
*
「あなたはもうここ一ヶ月近く眠っていたのですよ」
とやってきた「先生」は言った。つまりはここは病院なのだ、と彼女はその時ようやく知った。
ようやく母親に呑ませてもらった水のおかげで、声が出せる様になる。
「あたしは今何処に居るのですか? 確かコヴィエに居たはず…」
「コヴィエから、運んできてもらったのよ、軍の方々に!」
はっ、と彼女は目を大きく開ける。
「どういう――― ことですか?」
「先生」―――医師は何か言いたそうな母親を手で制すと、彼女の枕元に座り、ゆっくりとした口調で話しかけた。
「あなたは、コヴィエでアンジェラスの軍の爆撃を受けたのです。それは覚えてますか?」
彼女はうなづく。その時も一応知ってはいた。だから余計に、あの地へ行くことを実家には内緒にしていたのだ。実家はウェネイクの名家である。少なからず、軍とは関わりがある。
「その爆撃の跡の調査をしていた時に、被害を受けた建物の中から、あなたが出てきたのだ、と彼らは言われました。爆撃の翌日のことです。こう言っては何ですが、生きてるのが不思議な程だったそうです」
どういうことだろう、と彼女は思う。
「ですので、とにかくあなたの身体を冷凍処理し、こちらへと運ばれたそうです」
冷凍処理。まるでそれでは死体の様ではないか。
「……あたしは死んだのですか?」
「いいえ生きています。あなたはほら、そうやって生きて喋ってるではないですか」
「そうよエラ、あなた生きてるのよ!」
しかしそういう母親の瞳は何故か濡れているではないか。
「あたしの身体は、どうなっているのですか?」
彼女は弱々しいが、はっきりと問いかけた。
次第にぼんやりしていた頭も、考えの焦点を結びつつあった。医師は母親と顔を見合わせ、ゆっくりうなづく。
「エラさんあなたは強い人だ、と信じています。ですから今から言うことをしっかり聞いてください」
彼女はうなづくこともできないので、はい、と返事をした。その声がひどく乾いているのが自分でも不思議だった。
「あなたの身体は、本当に生きてるのが不思議な程、滅茶苦茶だったそうです。元の身体を修復する、という形を取るのが不可能な程」
それは。彼女は目を見開く。予想はしている。だけど確かにあまり聞きたい話では。
「あなたは現在、生体脳を義体に移植した状態です」
やはりそうか。彼女の中で、そんな言葉が響いた。
その後の医師の言葉は、またぼんやりとし始めた頭の中で、上手く整理されなかった。
冷凍保存して、ウェネイクまでの行程がどれだけだったとか、その後ちょうどいい身体の供給に手間取ったとか、そのパーツごとに取り替えるのではらちがあかないから、脳を移植したのだ、とか、未だ既製品のものから顔の整形ができていない、とか。
「あたし――― 今どんな顔をしているのですか?」
包帯をしている、という感触はない。神経そのものは反応速度にずれがあるのせよ、働いているのだ。顔の上を覆うものは何もない。
「見ない方がいいでしょう。意識が回復しましたから、もうじき整形の方も行いますから」
「いいえ今」
急に声を出したので、そこでつまづく。医師にうながされ、母親が自分の化粧ケースを取り出す。ぱく、と音がして開いたその中を、エラはじっとのぞき込んだ。
見知らぬ顔が、そこにはあった。何処の誰が自分を見てるんだ。
しかし鏡の中の女の目は、確かに自分を見据えている。これは自分の顔なのだ。
ああ、と一言つぶやいて、彼女はのろのろ、と動く手で自分の顔を覆った。
ぼんやりとした頭の中で、クリーム色の天井が、コウモリの羽根のようにカーブしているのを見て、教会のようだわ、と思ったりしたのだが、教会というのが、一体何のことなのか、すぐには思い出せなかった。
しかし、自分を近くで、心配そうに見ている人の姿は、すぐに判った。
「……お母様」
大学ではまず使わなかったその言葉が、すんなりと口から出る。何故彼女がそこに居るのだろう。エラにはよく事態が飲み込めなかった。
「気が付いたのね…… 先生! 先生!」
母親は、部屋の中に備え付けてある端末に叫ぶ。こうまで取り乱した所を彼女は見たことがなかった。しかし先生。何の先生だというのだろう。ふっと頭の位置を変える。
「あ!」
小さく叫ぶ。背中を痛みが大きくよぎったのだ。
「まだ動いては駄目よ!」
端末に叫んでいた母親は、慌てて彼女に駆け寄って、位置をずらしたまま動けない身体を、その白い細い手で、やっとのことで元に戻す。
「もうじき先生がいらっしゃるわ。もう大丈夫よ」
大丈夫、とは、どういうことなんだろう。彼女は問いかけたかった。だが、唇も喉もからからで、上手く声が出なかった。
いや、声どころでは無い。身体がひどく重くて、まるで動かせなかったのだ。
*
「あなたはもうここ一ヶ月近く眠っていたのですよ」
とやってきた「先生」は言った。つまりはここは病院なのだ、と彼女はその時ようやく知った。
ようやく母親に呑ませてもらった水のおかげで、声が出せる様になる。
「あたしは今何処に居るのですか? 確かコヴィエに居たはず…」
「コヴィエから、運んできてもらったのよ、軍の方々に!」
はっ、と彼女は目を大きく開ける。
「どういう――― ことですか?」
「先生」―――医師は何か言いたそうな母親を手で制すと、彼女の枕元に座り、ゆっくりとした口調で話しかけた。
「あなたは、コヴィエでアンジェラスの軍の爆撃を受けたのです。それは覚えてますか?」
彼女はうなづく。その時も一応知ってはいた。だから余計に、あの地へ行くことを実家には内緒にしていたのだ。実家はウェネイクの名家である。少なからず、軍とは関わりがある。
「その爆撃の跡の調査をしていた時に、被害を受けた建物の中から、あなたが出てきたのだ、と彼らは言われました。爆撃の翌日のことです。こう言っては何ですが、生きてるのが不思議な程だったそうです」
どういうことだろう、と彼女は思う。
「ですので、とにかくあなたの身体を冷凍処理し、こちらへと運ばれたそうです」
冷凍処理。まるでそれでは死体の様ではないか。
「……あたしは死んだのですか?」
「いいえ生きています。あなたはほら、そうやって生きて喋ってるではないですか」
「そうよエラ、あなた生きてるのよ!」
しかしそういう母親の瞳は何故か濡れているではないか。
「あたしの身体は、どうなっているのですか?」
彼女は弱々しいが、はっきりと問いかけた。
次第にぼんやりしていた頭も、考えの焦点を結びつつあった。医師は母親と顔を見合わせ、ゆっくりうなづく。
「エラさんあなたは強い人だ、と信じています。ですから今から言うことをしっかり聞いてください」
彼女はうなづくこともできないので、はい、と返事をした。その声がひどく乾いているのが自分でも不思議だった。
「あなたの身体は、本当に生きてるのが不思議な程、滅茶苦茶だったそうです。元の身体を修復する、という形を取るのが不可能な程」
それは。彼女は目を見開く。予想はしている。だけど確かにあまり聞きたい話では。
「あなたは現在、生体脳を義体に移植した状態です」
やはりそうか。彼女の中で、そんな言葉が響いた。
その後の医師の言葉は、またぼんやりとし始めた頭の中で、上手く整理されなかった。
冷凍保存して、ウェネイクまでの行程がどれだけだったとか、その後ちょうどいい身体の供給に手間取ったとか、そのパーツごとに取り替えるのではらちがあかないから、脳を移植したのだ、とか、未だ既製品のものから顔の整形ができていない、とか。
「あたし――― 今どんな顔をしているのですか?」
包帯をしている、という感触はない。神経そのものは反応速度にずれがあるのせよ、働いているのだ。顔の上を覆うものは何もない。
「見ない方がいいでしょう。意識が回復しましたから、もうじき整形の方も行いますから」
「いいえ今」
急に声を出したので、そこでつまづく。医師にうながされ、母親が自分の化粧ケースを取り出す。ぱく、と音がして開いたその中を、エラはじっとのぞき込んだ。
見知らぬ顔が、そこにはあった。何処の誰が自分を見てるんだ。
しかし鏡の中の女の目は、確かに自分を見据えている。これは自分の顔なのだ。
ああ、と一言つぶやいて、彼女はのろのろ、と動く手で自分の顔を覆った。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる