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13.「じゃあどうすれば、いいのかしら」
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三十分程して、再びブザーが鳴った。
トモミは作業に夢中になっている。警官が代わりに出た。そこには肩より少し長い髪をゆらゆらとさせた女性が立っていた。エレベーターの所から走ってきたのだろう、はあはあと息をはずませていた。
「……れ、連絡受けて……」
「まあ、落ち着いて。確認させて下さい」
彼女は運転免許証を見せた。はい結構です、と彼は露骨に表情を緩めた。
「あ、あの……、トモミちゃんは……?」
「奥です。あの? ……あのひとは」
「ショック受けてるだけですよ、たぶん」
そう言い捨てると、彼女はサンダルを脱ぎ、中へと入って行った。
「トモミちゃん」
「あ、ナナさん?」
トモミはぱっ、と顔を上げた。
「……あれ、どうしてナナさんが居るの?」
「用事ができてね。何探してるの?」
「先輩が死んだって、電話があって。その言葉はどうも嘘じゃないみたいで。だからその後何すればいいのか、探してるの」
付き合わされていた警官は、困った様に、文字の洪水に目を回していた。
「ナナさん手伝って。このひと見るの遅い」
「そうね、手伝ってあげたいけれど、誰もあなた程、早くはできないのよ」
「ナナさん、クラセと同じこと言うんだ」
「クラセ君もそう言ってたの。そう。ところでトモミちゃん、いつも大きな買い物する時に相談する弁護士さんの電話番号教えてちょうだいな。用事があるの。あたしが」
彼女はさらさら、と都内7桁の番号を口にした。弁護士が居るのかよ! と警官の一人が吐き捨てた。ナナは彼を軽くにらみ付けた。
「ナナさん、あのひとなら、知ってるの?」
「……ええ、知ってるわ」
断言していいものかどうか、ナナには判らなかった。
だがここで「知っているかもしれない」と曖昧な返事をすることもできなかった。それはただでさえ「困って」いるトモミを、更に困らせることになることだったからだ。それはできない、とナナは思った。とにかく今は。
ナナは二人のことを本気で心配していた。あくまで外部の人間として。
彼女にとってトモミは、ひどく印象的な、だが、誰のことも見えていない子供だった。
その子供に付き合っているうちに、彼女は倉瀬までもが、自分達の属する世界から出て行ってしまうのではないか、と恐れた。そもそも倉瀬は、トモミを「こちらの世界」に引き止めておくための存在じゃないのか。少なくとも、倉瀬の話からは、それがうかがえた。
なのに。
*
葬式には、バンド関係者が十人程度、それに「カノジョ」だった史香も参列した。
冷たい雨の降る日だった。葬儀場へと移動するバスにも、雨は強く降り付けていた。
「……いい加減止まないかなあ」
奈崎は、隣りに座るナナにつぶやいた。
「春だもの、仕方無いわよ」
しかしできれば降らないで欲しかった、とナナも思う。漂う空気が重いというのに。
バスは二台。片方に親戚など。ナナ達が乗っているのはもう片方だった。中には地元の参列者も居た。だがせいぜいが中学高校の「知り合い」だった。そしてその「知り合い」達はひどくお喋りだった。
「……でも意外だったよねー。倉瀬先輩が、あの子のとこに居たなんて」
「あたしだって今でも信じられないもの」
「だけど引き合わせたのは先輩達でしょ、『副部長』」
ナナは耳を傾ける。この内容は。
「吉衛さんねー。いや私も、こんな長続きするとは思わなかったわよ。ましてや一緒に暮らしてたなんて」
ナナははっとした。周囲のバンド仲間達の様子が変わりつつあった。
「ちょっと待って、今の話」
倉瀬のバンドのギタリストはいきなり立ち上がると、「副部長」と呼ばれていた地元の「知り合い」の袖を掴んだ。彼女は嫌そうな顔で、自分とはあまり縁の無さそうな色の髪をしている青年をにらんだ。
だが話さなくては離さない様な勢いが彼にはあった。彼女は倉瀬とトモミの出会ったいきさつを、やや悪意混じりに口にした。
聞いていたバンド仲間の誰もが、それまでしていたお喋りも止めて、その話に聞き入った。彼等は本気で驚いていた。
「じゃあ何で、トモミちゃん来ないんだよ」
「知らないわよ。でもあたし達、あまり会いたくは無いわよね」
ねー、と「副部長」は隣りの女性とうなづきあった。ナナはち、と舌打ちをする。
「……ナナさんあんた、知ってたんでしょ?」
騒ぎ出す周囲の中で、奈崎はこそっ、と問いかけた。まあね、とナナは答えた。
「それで、大丈夫かなあ? あの子」
今度は黙って首を横に振った。
「やっぱり」
「表情が無い子だなあ、と思ってたけど…… 親御さん、知らなかったのね、あの子のとこに居たこと。何か、いきなり乗り込んできて、彼の部屋のもの、全部持ってったって」
「トモミちゃん言ってた? 言えたんだ?」
「ええ、怖いくらいに。何もできなかったのね。弁護士さんは後で、何か取り返したいものがあるか聞いてたけど、何がそもそもあったのか混乱してる様だし…… ただ運良く、彼のベースだけは、あの子が持ってたのよね」
ひゅ、と彼は軽く口笛を鳴らした。
「そりゃ、ラッキーだ」
すくめた肩の辺りが落ちる。借り物の喪服は大きすぎて、やせ気味の奈崎はその都度、それを直していた。
「だからそれは取られなかったみたい。彼女の楽器と一緒にあったから。でも」
奈崎はサングラス越しの目を細めた。
「朝から晩までそれを弾いてるの。毎日」
「朝から晩まで? って、でも、あのバンド自体、もう解散だろ?」
ナナは関係ない、と首を横に振った。
「あの子は音を楽しんでるだけだわ」
確かに、と奈崎も思う。彼もまた、倉瀬から聞いたことがあった。トモミは高い音はよほどバランス良く配置していない限り、聞いていられないのだ、と。逆に低音の、繰り返すような響きは心地よいのだ、と。
「でも気がつくと、ずっとそればかりで、食べるのも呑むのも忘れてしまうのよ?」
「それは……」
「いい訳ないじゃない。……弁護士さんも、ハウスキーパーを勧めてくれたけど。今はあたしか弁護士さんが一日一回顔出して、とにかく飲み食いしているかだけでも確認してる」
そうだな、と奈崎も思う。
倉瀬が居た頃はそれでも「ご愛敬」で済んでいた彼女の性質が、日に日に「困ったもの」となってくる。彼と彼女を知っていた者の殆どが「よくあの子と一緒に居られたなあ」とため息混じりに感想を述べる。
それはナナにも、奈崎を始めとしたベルファのメンバーにも嬉しいことではない。
「……そう言えば、倉瀬、カノジョ居たろ?」
「ああ、史香さんは、向こうのバス」
「なるほどねえ」
奈崎は肩をすくめた。また肩が落ちた。
「バンドに関係無いカノジョは向こうね」
「そ。奈崎君あたし、正直、トモミちゃんが来なくて良かったと思うわ」
んー? と奈崎は首をひねった。
「絶対、耐えられないわよ。こんな空気」
「……だな」
きっとバンド仲間からも、地元の者からも、彼女は好奇の視線を向けられるだろう。何かしら問われるだろう。だが彼女がそれにまともに答えられるとは二人とも思えない。
こんな事態は、彼女の「マニュアル」には存在しない。存在する予定が無かったのだ。
「……どうしたものかしら、あの子…… 弁護士さんの話じゃ、身寄りが無いんですって」
「ずいぶん優しいんね。ナナさんや」
「普通の女の子だったら、あたしだって別に、構わないわよ。がんばんなさい、って励ますしかできないし、それでいいと思う。でも」
「彼女がおかしいから?」
奈崎は穏やかに、しかしストレートに言う。
「おかしいって…… 確かに変わってるけど」
「ねえナナさんや。弁解しているとあんたまで、内側に入ってしまうよ?」
「それは」
彼女は口ごもった。
「……困るわね」
それはあの時、自分が倉瀬に言ったことなのだ。
「生活費用はあるんでしょ? だとしたら、あとは当人が、一人でやってく気持ちがなくちゃ、僕等まで振り回されることになる」
それは駄目だ、と奈崎は言った。彼にしては珍しく、厳しい口調だった。
「じゃあどうすれば、いいのかしら」
ふむ、と奈崎は目を軽く伏せた。雨は次第にひどくなりつつあった。窓に滴る水は、だらだらと斜め下に流れて行く。
不意に彼は、携帯を取り出した。
「……あ、ノセ? 僕だけど……」
トモミは作業に夢中になっている。警官が代わりに出た。そこには肩より少し長い髪をゆらゆらとさせた女性が立っていた。エレベーターの所から走ってきたのだろう、はあはあと息をはずませていた。
「……れ、連絡受けて……」
「まあ、落ち着いて。確認させて下さい」
彼女は運転免許証を見せた。はい結構です、と彼は露骨に表情を緩めた。
「あ、あの……、トモミちゃんは……?」
「奥です。あの? ……あのひとは」
「ショック受けてるだけですよ、たぶん」
そう言い捨てると、彼女はサンダルを脱ぎ、中へと入って行った。
「トモミちゃん」
「あ、ナナさん?」
トモミはぱっ、と顔を上げた。
「……あれ、どうしてナナさんが居るの?」
「用事ができてね。何探してるの?」
「先輩が死んだって、電話があって。その言葉はどうも嘘じゃないみたいで。だからその後何すればいいのか、探してるの」
付き合わされていた警官は、困った様に、文字の洪水に目を回していた。
「ナナさん手伝って。このひと見るの遅い」
「そうね、手伝ってあげたいけれど、誰もあなた程、早くはできないのよ」
「ナナさん、クラセと同じこと言うんだ」
「クラセ君もそう言ってたの。そう。ところでトモミちゃん、いつも大きな買い物する時に相談する弁護士さんの電話番号教えてちょうだいな。用事があるの。あたしが」
彼女はさらさら、と都内7桁の番号を口にした。弁護士が居るのかよ! と警官の一人が吐き捨てた。ナナは彼を軽くにらみ付けた。
「ナナさん、あのひとなら、知ってるの?」
「……ええ、知ってるわ」
断言していいものかどうか、ナナには判らなかった。
だがここで「知っているかもしれない」と曖昧な返事をすることもできなかった。それはただでさえ「困って」いるトモミを、更に困らせることになることだったからだ。それはできない、とナナは思った。とにかく今は。
ナナは二人のことを本気で心配していた。あくまで外部の人間として。
彼女にとってトモミは、ひどく印象的な、だが、誰のことも見えていない子供だった。
その子供に付き合っているうちに、彼女は倉瀬までもが、自分達の属する世界から出て行ってしまうのではないか、と恐れた。そもそも倉瀬は、トモミを「こちらの世界」に引き止めておくための存在じゃないのか。少なくとも、倉瀬の話からは、それがうかがえた。
なのに。
*
葬式には、バンド関係者が十人程度、それに「カノジョ」だった史香も参列した。
冷たい雨の降る日だった。葬儀場へと移動するバスにも、雨は強く降り付けていた。
「……いい加減止まないかなあ」
奈崎は、隣りに座るナナにつぶやいた。
「春だもの、仕方無いわよ」
しかしできれば降らないで欲しかった、とナナも思う。漂う空気が重いというのに。
バスは二台。片方に親戚など。ナナ達が乗っているのはもう片方だった。中には地元の参列者も居た。だがせいぜいが中学高校の「知り合い」だった。そしてその「知り合い」達はひどくお喋りだった。
「……でも意外だったよねー。倉瀬先輩が、あの子のとこに居たなんて」
「あたしだって今でも信じられないもの」
「だけど引き合わせたのは先輩達でしょ、『副部長』」
ナナは耳を傾ける。この内容は。
「吉衛さんねー。いや私も、こんな長続きするとは思わなかったわよ。ましてや一緒に暮らしてたなんて」
ナナははっとした。周囲のバンド仲間達の様子が変わりつつあった。
「ちょっと待って、今の話」
倉瀬のバンドのギタリストはいきなり立ち上がると、「副部長」と呼ばれていた地元の「知り合い」の袖を掴んだ。彼女は嫌そうな顔で、自分とはあまり縁の無さそうな色の髪をしている青年をにらんだ。
だが話さなくては離さない様な勢いが彼にはあった。彼女は倉瀬とトモミの出会ったいきさつを、やや悪意混じりに口にした。
聞いていたバンド仲間の誰もが、それまでしていたお喋りも止めて、その話に聞き入った。彼等は本気で驚いていた。
「じゃあ何で、トモミちゃん来ないんだよ」
「知らないわよ。でもあたし達、あまり会いたくは無いわよね」
ねー、と「副部長」は隣りの女性とうなづきあった。ナナはち、と舌打ちをする。
「……ナナさんあんた、知ってたんでしょ?」
騒ぎ出す周囲の中で、奈崎はこそっ、と問いかけた。まあね、とナナは答えた。
「それで、大丈夫かなあ? あの子」
今度は黙って首を横に振った。
「やっぱり」
「表情が無い子だなあ、と思ってたけど…… 親御さん、知らなかったのね、あの子のとこに居たこと。何か、いきなり乗り込んできて、彼の部屋のもの、全部持ってったって」
「トモミちゃん言ってた? 言えたんだ?」
「ええ、怖いくらいに。何もできなかったのね。弁護士さんは後で、何か取り返したいものがあるか聞いてたけど、何がそもそもあったのか混乱してる様だし…… ただ運良く、彼のベースだけは、あの子が持ってたのよね」
ひゅ、と彼は軽く口笛を鳴らした。
「そりゃ、ラッキーだ」
すくめた肩の辺りが落ちる。借り物の喪服は大きすぎて、やせ気味の奈崎はその都度、それを直していた。
「だからそれは取られなかったみたい。彼女の楽器と一緒にあったから。でも」
奈崎はサングラス越しの目を細めた。
「朝から晩までそれを弾いてるの。毎日」
「朝から晩まで? って、でも、あのバンド自体、もう解散だろ?」
ナナは関係ない、と首を横に振った。
「あの子は音を楽しんでるだけだわ」
確かに、と奈崎も思う。彼もまた、倉瀬から聞いたことがあった。トモミは高い音はよほどバランス良く配置していない限り、聞いていられないのだ、と。逆に低音の、繰り返すような響きは心地よいのだ、と。
「でも気がつくと、ずっとそればかりで、食べるのも呑むのも忘れてしまうのよ?」
「それは……」
「いい訳ないじゃない。……弁護士さんも、ハウスキーパーを勧めてくれたけど。今はあたしか弁護士さんが一日一回顔出して、とにかく飲み食いしているかだけでも確認してる」
そうだな、と奈崎も思う。
倉瀬が居た頃はそれでも「ご愛敬」で済んでいた彼女の性質が、日に日に「困ったもの」となってくる。彼と彼女を知っていた者の殆どが「よくあの子と一緒に居られたなあ」とため息混じりに感想を述べる。
それはナナにも、奈崎を始めとしたベルファのメンバーにも嬉しいことではない。
「……そう言えば、倉瀬、カノジョ居たろ?」
「ああ、史香さんは、向こうのバス」
「なるほどねえ」
奈崎は肩をすくめた。また肩が落ちた。
「バンドに関係無いカノジョは向こうね」
「そ。奈崎君あたし、正直、トモミちゃんが来なくて良かったと思うわ」
んー? と奈崎は首をひねった。
「絶対、耐えられないわよ。こんな空気」
「……だな」
きっとバンド仲間からも、地元の者からも、彼女は好奇の視線を向けられるだろう。何かしら問われるだろう。だが彼女がそれにまともに答えられるとは二人とも思えない。
こんな事態は、彼女の「マニュアル」には存在しない。存在する予定が無かったのだ。
「……どうしたものかしら、あの子…… 弁護士さんの話じゃ、身寄りが無いんですって」
「ずいぶん優しいんね。ナナさんや」
「普通の女の子だったら、あたしだって別に、構わないわよ。がんばんなさい、って励ますしかできないし、それでいいと思う。でも」
「彼女がおかしいから?」
奈崎は穏やかに、しかしストレートに言う。
「おかしいって…… 確かに変わってるけど」
「ねえナナさんや。弁解しているとあんたまで、内側に入ってしまうよ?」
「それは」
彼女は口ごもった。
「……困るわね」
それはあの時、自分が倉瀬に言ったことなのだ。
「生活費用はあるんでしょ? だとしたら、あとは当人が、一人でやってく気持ちがなくちゃ、僕等まで振り回されることになる」
それは駄目だ、と奈崎は言った。彼にしては珍しく、厳しい口調だった。
「じゃあどうすれば、いいのかしら」
ふむ、と奈崎は目を軽く伏せた。雨は次第にひどくなりつつあった。窓に滴る水は、だらだらと斜め下に流れて行く。
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