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第19話 選択可能な追撃命令
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ノックの音はしなかった。だが扉は開いた。
「…生きていると、聞きましたが」
予告もなしに、よく通る声が、司令官室の中に響いた。
「ああ」
司令は、急な来訪者にも動揺の色一つ見せない。まるでそれがあらかじめ決まっていたかのように。Mは平然と鷹の姿を認めると、やっと来たのか、と言いたげに立ち上がった。
「生きている」
主語はなかった。だが話は通じた。それは殆ど初対面の二人にとって、唯一の共通事項と言ってもよかった。
「何故ご存じなのですか」
「それを何故私に訊く?」
「あなたならご存じだと思ったからです」
「それは危険な発想だな。何故そう思った?」
鷹はやや眉をひそめる。
この部屋に入った時から、奇妙に圧迫感のようなものが感じられた。威圧感ともやや違う。第一世代に対する畏怖とも違う。何やら存在そのものに対する重さのようなものが、感じられるのだ。
他者に対する感度がそう鋭敏ではない自分でもそうなのだから、あの友人には一体どうだったのだろう。何となし彼の中で痛むものがある。
「奴は変わったんだ」
彼はあえて敬語を自分の舌の上から取り払った。虚勢のようだ、と自分でも思う。だが、そうでもしないことには、この相手に少しでも対等に近づく話はできない。
無論対等になり得ると思いはしない。だがそういう努力を少しでもしないことには、この目の前の人物は、自分とまともに話もしないだろう、という感覚があった。
「あなたがここに赴任してから、奴は変わったんだ」
「それが私のせいだと?」
「ああ」
鷹は断言する。司令は微かに口の端を上げた。…上げたように見えた。そして執務机の上に腰を下ろすと、足を組む。
「なるほどそれでは貴官はそれを不愉快に思っているのだな」
「不愉快…」
違う、と弁解しようとして、彼ははたと言葉に詰まった。確かに。全くそうでなかった訳ではない。
「今まで自分の手の中でだけ自由に見えた相手が裏切ったと」
「…違う」
「どう違うと言うのだ?」
どう言ったらいいのだろう。間違ってはいないが、問題のすり替えが行われようとしているような気がしていた。それではいけない。俺の言いたいのは。
司令は全ての物事を知っているかのように、彼に決めつける。言っていることは間違ってはいない。確かにそういう部分もあった。だけど、それだけじゃないはずだ。
だがそれをどうやって言えばいいのか。それをあえて弁解すべきなのか。否。下手な弁解は、自分のぼろを出すだけのことだ。彼は弁解ではなく反撃に向かった。
「…ではあなたは、違うというのか? 今度はあなたが、奴をその手の中で自由にできる、と」
長い黒い髪が、揺れた。
「違う」
「では」
「もとより私はあれを自分が自由にできるなどと思ってはいない。奴は奴の意志で私のもとに来た。そして奴は自分の意志で私の知る未来を信じたのだ」
「あなたの知る、未来?」
「そこに既にある未来だ。遠い時間に続く未来だ。我々天使種の進退にも関わるが――― それは対して重要なことではない」
不遜なことを、と鷹は一瞬血の気の退く自分を感じる。この人は、もしかして。
「知りたいか? 既にそこにある未来を」
「いや」
鷹は大きく首を横に振った。
「俺は知る気はない」
「何故」
「そんなものは、知らないから面白いんだ」
ほお、と司令は微かにあごを上げた。
「だが我々の生命時間は長い。その中で無目的にただ生き続けていくことに果たして耐えられるというのか?」
「俺は、平気だ」
司令の眉が微かに片方だけ上がった。
「どれだけ長かろうとも、生き続けなくてはならないのが我々種族というなら、その中で俺は何とでもやっていく。あいにく俺には自分を責める趣味はないんだ」
「なるほど。確かにお前ならそれもできるだろうな。だが奴にはどうだ?」
「奴は…」
判っている。あの年下の友人は、それが苦痛だった。
何がどうという具体的なことは口にしなかったが、自分が天使種であることを苦痛に感じていた。
「最初に見た時から奴はそうだったろう?」
「あなたはそう思ったんだ?」
「お前もそうだろう?」
司令は断言する。彼は頭の上から冷水を浴びせかけられた様な感覚が走るのが判った。
司令は無表情の目のまま言った。
「信じろと命じた訳ではない。奴がそれを求めていたのだ。私は奴の向かおうとしていた方向を判りやすく示したに過ぎない。明確な未来を。自分がそこで演ずるべき役割を割り振られた未来を。奴はそこで素晴らしく良い役者として機能するはずだ」
「だけど」
「お前はどうだ」
急に問われ、鷹は言葉に詰まった。司令はその様子を見ると、冗談だ、と付け足した。冗談にしては悪趣味だ、と彼は思った。
「お前にそれは似合わない」
「そうですか」
「だが役割は与えないが役目は与えよう。奴を追撃しろ」
は、と鷹は今度こそ本当に驚かされた。
「奴は我が軍を裏切り戦地において敵側に寝返った。追撃するには十分な理由だ」
「寝返った――― まさか!」
それもあなたの仕業か、という言葉はかろうじて彼の口からはこぼれなかった。
「役割だと言ったろう。いずれにせよこの軍において奴が必要とされる場面は既にない」
「追撃して――― 殺せと」
「誰もそんなことは言っていない」
彼はやや混乱した。追撃しなくてはならない。だが殺す必要はない?
「殺すも殺さないもお前次第だ。だが選択肢を与えよう。お前には今回の命令を断るだけの理由がある」
「それは、命令ですか?」
「命令だ。だが断る権利も与えよう」
鷹は自分の頭の中がめまぐるしく回転し始めるのを感じていた。この司令は、自分がどう動いたとしても、既にそこにある未来を知っているのだ。
では何故? 何故奴をこの軍で無用のものとする?
彼は考えた。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「俺がこの軍の中で必要とされる場面は、あなたの知る未来の中にありますか?」
「知ってどうする?」
「参考にします」
「では言おう。無い」
司令は明快に断言する。
判った、と鷹はその時パズルのピースが音を立ててはまるのを感じた。
「命令に従います」
鷹は、彼にしてはひどく静かな声で答えた。
「…生きていると、聞きましたが」
予告もなしに、よく通る声が、司令官室の中に響いた。
「ああ」
司令は、急な来訪者にも動揺の色一つ見せない。まるでそれがあらかじめ決まっていたかのように。Mは平然と鷹の姿を認めると、やっと来たのか、と言いたげに立ち上がった。
「生きている」
主語はなかった。だが話は通じた。それは殆ど初対面の二人にとって、唯一の共通事項と言ってもよかった。
「何故ご存じなのですか」
「それを何故私に訊く?」
「あなたならご存じだと思ったからです」
「それは危険な発想だな。何故そう思った?」
鷹はやや眉をひそめる。
この部屋に入った時から、奇妙に圧迫感のようなものが感じられた。威圧感ともやや違う。第一世代に対する畏怖とも違う。何やら存在そのものに対する重さのようなものが、感じられるのだ。
他者に対する感度がそう鋭敏ではない自分でもそうなのだから、あの友人には一体どうだったのだろう。何となし彼の中で痛むものがある。
「奴は変わったんだ」
彼はあえて敬語を自分の舌の上から取り払った。虚勢のようだ、と自分でも思う。だが、そうでもしないことには、この相手に少しでも対等に近づく話はできない。
無論対等になり得ると思いはしない。だがそういう努力を少しでもしないことには、この目の前の人物は、自分とまともに話もしないだろう、という感覚があった。
「あなたがここに赴任してから、奴は変わったんだ」
「それが私のせいだと?」
「ああ」
鷹は断言する。司令は微かに口の端を上げた。…上げたように見えた。そして執務机の上に腰を下ろすと、足を組む。
「なるほどそれでは貴官はそれを不愉快に思っているのだな」
「不愉快…」
違う、と弁解しようとして、彼ははたと言葉に詰まった。確かに。全くそうでなかった訳ではない。
「今まで自分の手の中でだけ自由に見えた相手が裏切ったと」
「…違う」
「どう違うと言うのだ?」
どう言ったらいいのだろう。間違ってはいないが、問題のすり替えが行われようとしているような気がしていた。それではいけない。俺の言いたいのは。
司令は全ての物事を知っているかのように、彼に決めつける。言っていることは間違ってはいない。確かにそういう部分もあった。だけど、それだけじゃないはずだ。
だがそれをどうやって言えばいいのか。それをあえて弁解すべきなのか。否。下手な弁解は、自分のぼろを出すだけのことだ。彼は弁解ではなく反撃に向かった。
「…ではあなたは、違うというのか? 今度はあなたが、奴をその手の中で自由にできる、と」
長い黒い髪が、揺れた。
「違う」
「では」
「もとより私はあれを自分が自由にできるなどと思ってはいない。奴は奴の意志で私のもとに来た。そして奴は自分の意志で私の知る未来を信じたのだ」
「あなたの知る、未来?」
「そこに既にある未来だ。遠い時間に続く未来だ。我々天使種の進退にも関わるが――― それは対して重要なことではない」
不遜なことを、と鷹は一瞬血の気の退く自分を感じる。この人は、もしかして。
「知りたいか? 既にそこにある未来を」
「いや」
鷹は大きく首を横に振った。
「俺は知る気はない」
「何故」
「そんなものは、知らないから面白いんだ」
ほお、と司令は微かにあごを上げた。
「だが我々の生命時間は長い。その中で無目的にただ生き続けていくことに果たして耐えられるというのか?」
「俺は、平気だ」
司令の眉が微かに片方だけ上がった。
「どれだけ長かろうとも、生き続けなくてはならないのが我々種族というなら、その中で俺は何とでもやっていく。あいにく俺には自分を責める趣味はないんだ」
「なるほど。確かにお前ならそれもできるだろうな。だが奴にはどうだ?」
「奴は…」
判っている。あの年下の友人は、それが苦痛だった。
何がどうという具体的なことは口にしなかったが、自分が天使種であることを苦痛に感じていた。
「最初に見た時から奴はそうだったろう?」
「あなたはそう思ったんだ?」
「お前もそうだろう?」
司令は断言する。彼は頭の上から冷水を浴びせかけられた様な感覚が走るのが判った。
司令は無表情の目のまま言った。
「信じろと命じた訳ではない。奴がそれを求めていたのだ。私は奴の向かおうとしていた方向を判りやすく示したに過ぎない。明確な未来を。自分がそこで演ずるべき役割を割り振られた未来を。奴はそこで素晴らしく良い役者として機能するはずだ」
「だけど」
「お前はどうだ」
急に問われ、鷹は言葉に詰まった。司令はその様子を見ると、冗談だ、と付け足した。冗談にしては悪趣味だ、と彼は思った。
「お前にそれは似合わない」
「そうですか」
「だが役割は与えないが役目は与えよう。奴を追撃しろ」
は、と鷹は今度こそ本当に驚かされた。
「奴は我が軍を裏切り戦地において敵側に寝返った。追撃するには十分な理由だ」
「寝返った――― まさか!」
それもあなたの仕業か、という言葉はかろうじて彼の口からはこぼれなかった。
「役割だと言ったろう。いずれにせよこの軍において奴が必要とされる場面は既にない」
「追撃して――― 殺せと」
「誰もそんなことは言っていない」
彼はやや混乱した。追撃しなくてはならない。だが殺す必要はない?
「殺すも殺さないもお前次第だ。だが選択肢を与えよう。お前には今回の命令を断るだけの理由がある」
「それは、命令ですか?」
「命令だ。だが断る権利も与えよう」
鷹は自分の頭の中がめまぐるしく回転し始めるのを感じていた。この司令は、自分がどう動いたとしても、既にそこにある未来を知っているのだ。
では何故? 何故奴をこの軍で無用のものとする?
彼は考えた。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「俺がこの軍の中で必要とされる場面は、あなたの知る未来の中にありますか?」
「知ってどうする?」
「参考にします」
「では言おう。無い」
司令は明快に断言する。
判った、と鷹はその時パズルのピースが音を立ててはまるのを感じた。
「命令に従います」
鷹は、彼にしてはひどく静かな声で答えた。
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