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第20話 Gとキムの「本当の」最初の出会い

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 頭の中がぽっかりと空洞になった様な気分だった。
 ここにやってきてから、ずっとそうだった。

「元気ないじゃない」

 ヴィクトール市のファクトリイの、中心にあるレンガ作りの建物の入り口の石段に座り込んで、まるでひなたぼっこでもしているような様子の彼に、陽気な声が落ちてくる。
 長い栗色の髪の青年の容姿をしたものが、二段くらい上に居た。Gはちら、と視線を向けると、すぐにそれを外し、素っ気なく答えた。

「別に」
「つれないなあ」
「別に馴れ合わなくちゃならない理由はないよ」

 ふうん、と不思議そうにうなづくと、栗色の髪の青年は、彼の隣に腰を下ろした。

「人間ってのはやっぱりお前のように、いちいちいろんなことで悩むのかなあ」
「別に人間って訳じゃないさ」
「でもGは人間に見えるじゃない?」

 大きな図体をしているくせに、青年の姿をしているレプリカントは人懐っこい喋り方をする。
 この目の前に居る青年だけではない。このファクトリィに居るのは、全てレプリカントだった。
 「殲滅」させるために出向いた彼の隊は、どういう訳か、内部の情報がことごとく漏れ、結果として部隊は全滅した。部隊のほぼ全員が、実に効果的な方法で、命を奪われたのだ。「優秀な兵士」であるはずのアンジェラスの、天使種の兵士達が。
 だが彼は生きている。たった一人、生き残って。
 いやそれは正しい言い方ではない。

「で、お前はいいのか? キム」
「何が?」
「忙しいんじゃないのか? 出発の」
「うん。だけどとりあえず俺のできることはやったから。あとのことは俺がやっても大した手助けにはならないし」

 変なところで合理的だ、とGは思う。最初にこのレプリカントに会った時から、そうだった。
 そもそもは、銃を向けあった仲なのだ。



 司令は――― Mはあの朝彼に、「負けてこい」と言ったのだ。
 「そうすることで、レプリカントを『本当に』殲滅させなくてはならない理由ができる」と。
 「優秀な兵士」、他の星系の人間が怖れる天使種の部隊を全滅させられるだけの力を持つと。
 それが他の人間達にも、レプリカントに対する恐怖を生むのだ、と。レプリカントの「存在」を許さなくするのだ、と。
 そしてそのためには何でもしろ、と。
 その言葉は絶対の命令のように彼の中に響いた。無論躊躇するものは彼の中にはあった。司令の言葉の意味するものは、すなわち、部隊への裏切りと、レプリカントに味方することだった。
 しかも司令は、そこに一つの言葉を付け加えた。

「だがお前がその場でできなければしなくとも良い」

 ひどい、とGはその時思った。無論それが言葉になることはなかった。だが確かに彼はそう思ったのだ。
 できることなら、そんなことはしたくなかった。だが、この司令の言うことなら、どうして逆らえよう?
 彼は迷いながら、それでも自分がどちらの選択をしても構わないように、出撃までは振る舞った。そうできた、と自分では信じていた。少なくとも、あの友人の前で、笑顔を見せるくらいのことはできた。
 あの友人のことも、気がかりの一つだった。
 それでも、自分はあの友人のことは、他の誰よりも大切に思っているのだ。その感情が恋愛であるかなどはどうでもいい。自分にとっても特別であるのは事実なのだ。
 だが、その大切な相手と一緒にいる自分は、決して自分自身を認めることのできない自分なのだ。相手の熱い手にくるまれて束の間の心地よさで毎日をやり過ごしていく自分は、その場その場を救ってくれても、それだけなのだ。
 ところがあの司令は。
 第一世代のくせに、自分がそれまで強制され、持ち続けてきて、縛られていた彼の母星の常識をいとも簡単に突き崩してくれた。
 自分が待っていたのは、そういうものだったのだ、と彼は全身を震え上がらせるような冷たさの中で理解した。自分自身が何であるのかを忘れることではなく、自分自身が何であるのかを突きつけられることだったのだ。
 ただそれでも、行軍の途中まで、彼が迷っていたのは事実だった。それでも、それまで自軍として戦ってきた場所を、さっと乗り換えることはできない。できる訳がないのだ。
 その迷いを振り切らせたのは、最初の向こうの攻撃だった。
 行軍途中の夜に、彼等は奇襲を仕掛けてきた。それはひどく「合理的」な方法だった。
 そしてその奇襲の際、その中にひどく手練れた兵士が一人居た。
 思わず彼は、地上車のルーフを上げて、その様子を目にしていた。
 時々照らし出すライトの中に、時折、一瞬だけ浮かび上がるその姿は、ひどく印象的だった。腰まである長い栗色の髪をくくりもせず編みもせず、振り乱しては銃と特殊セラミック製の長剣を振り回している。
 狙いも正確だし、しかも、効率的だ、と彼は思った。
 何故なら、その兵士は、明らかに生身の人間しか狙っていないのだ。生身の人間に、何の容赦もなく、再生不可能な致命傷を与えるべく。
 彼はルーフを閉じると、全体に通信を回そうとした。だがそれはできなかった。

「…駄目です、少佐、電波障害です!」

 彼は何、と思わず横の副官である中尉に問い返していた。
 そして次の瞬間、ルーフにどん、という重みを持った音が響いた。
 実に効率的。彼は反射的にその場に伏せていた。ルーフにミシン目のように切り込みが入っていく。切られた缶の蓋が落ちてくるのを、彼は他人事のように見ていた。
 栗色の、長い髪がだらりと重力に従う。そして正確な狙いの銃口は、運転席の機械を綺麗に破壊した。
 Gは何が起こったのか、何が起ころうとしているのか、理解したつもりだった。実際、栗色の髪の兵士がくわえている長剣は、自軍の兵士の血が滴っていた訳だし、既に足は止められ、扉を開くための回路すら既に壊されているはずだ。

 このまま殺されるのか?

 横の席の中尉は、落とされたルーフの下敷きになって動けない。何処か打ったのか、切ったのか、腕が奇妙な方向を向いている。
 とにかく彼は死ぬつもりだけはなかった。
 それだけ決めていれば、次の行動は簡単だった。彼は腰から長剣を抜くと、回路の壊れて開かない扉のジョイントに斬りつけた。どんなものにも開くためのポイントというものは存在するものである。扉は弾かれたようにぱっと開かれた。それを合図のように、ルーフから逆さまにのぞき込んでいたレプリカントの姿が消えた。
 Gは中尉を引きずり出すと、車から飛び出した。あちこちで血なまぐさい気配がする。
 中尉を地面の下ろすと、彼は先ほどのレプリカの気配をたどった。向こうはこっちの所在に気付いていて、こっちは向こうの所在が掴めない。それはひどく彼を不安にさせた。
 じわ、とわきの下に嫌な汗をかいていることに彼は気付いていた。
 次の瞬間、彼は身体を反転させていた。きん、と特殊セラミック同士のぶつかる音が耳に届いた。
 無機質の瞳が、正面にあった。

「お前が指揮官だな」

 え、と彼はその目の前のレプリカの声を聞いた時、ひどく混乱した。その表情の無機質さに比べ、ひどく子供めいた、それは。

「そうだな、その星の数はそうだよな」

 何やら宝探しの宝を探し当てた子供のような口調で。
 そしてその一瞬の抜けた気をすりぬけるかのように。衝撃が彼のみぞおちに広がった。そして彼はそのままその奇襲を受けた場から連れ去られた。
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