落ちろと願った悪役がいなくなった後の世界で

黄金 

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番外編 空に天空白露が戻ったら

123 重い想い①

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 ひぃ……っっ!とデウィセンは走っていた。
 妖霊の王ジィレンが与えていた紙切れのような身体はまだ維持されている。
 遠くへ、遠くへ!足を交互に忙しなく動かしているのだが、軽い身体は地面をスカスカと蹴っていた。
 ジィレンから命じられ、穴を封じる緑の翼主にナイフを刺した。自分は上手くやったはずだ!
 なのに何の反応もない。呼ばれるわけでも褒められるわけでもない。
 刺したところを元赤の翼主トステニロスと現赤の翼主フィーサーラに見られた。
 そして今、デウィセンを追いかけてくる存在がいる。

「ひいぃぃっ……!」

 元赤の翼主は真面目そうな静かな天上人だったはず!なのに今感じる肌に突き刺さるような神聖力は何なのだろうか!?
 捕まったら串刺しにされる!
 恐怖を感じたデウィセンは死に物狂いで走っていた。
 天空白露の開墾地では倒れて動かない死体に紛れようかとも思ったが、気付かれた時逃げ場がないと考え通り過ぎた。
 まさか態と恐怖を与える為にゆっくり追い掛けられているとは知らず、デウィセンは必死に逃げていた。

「ひっっ、ひっ、か、川かっ!」

 天空白露の大地は広い。山もあり川もある。デウィセンは渡ることにした。
 ザブザブと入っていくと腰まで届く水は意外と流れが早く冷たい。
 身体、私の身体が……っ!自分の身体だと思っていたのに、デウィセンの身体はいつの間にか偽物になっていた。
 だが自分は生きている!
 身体が軽い所為か流されそうになりながらも、水面に飛び出す岩を掴んで進んだ。
 はやく、渡らなければっ!追いつかれる!
 どこに逃げているのかも分からずデウィセンは必死に進んでいた。
 デウィセンが手をついた岩の上に足があった。

「………………。」

 ……?………………っ!
 足の上には身体があり、見下ろす冷たい銀の瞳があった。
 慌てて方向転換しようとして、デウィセンの頭の上に足が乗る。

「ひえっっ!うわっ、あっっ!?ごぶっっーーー!」

 頭の上の重みが徐々に増してくる。バランスを崩し、デウィセンは水の中に倒れた。腰まであった水は肩を濡らし、上に乗った足がデウィセンの頭を水の中へ押し込んでくる。
 不思議な光を放つ茶色の羽がひらひらと水飛沫を上げる水面に舞い降ちていた。

「…ーーーがぼぉっ!………ゔがっ、ゴボッっっ!!」

 バシャバシャと暴れるデウィセンを、トステニロスは静かに見下ろしていた。

「…………紙で出来たような身体なのに苦しいのか。」

 低く冷たい声が漏れる。
 苦しめているのだから、息苦しさは覚えてもらわねば困る。やる意味がなくなるから。
 おそらく生きた身体ではないので窒息しても問題ないのだろうが、本人が苦しむのだから苦しめておこう。そうトステニロスは思っていた。
 傷付かないように苦しまないように天空白露に大切に閉じ込めていたのに、態々やってきて傷付けて行ったこの男を、トステニロスは許すつもりがない。

 トステニロスは昔愛していた人を亡くした。傷付けられ助けることも出来ずにこの腕の中からすり抜けて行った。
 義姉もその夫もいなくなり、せめてと甥のクオラジュは助けてやりたいと思っている。
 テトゥーミは無垢だと思う。
 ちょっとバカなところも可愛い。
 だからこそ自分のようなドロドロと濁った人間が、汚しても良いのかと躊躇っていた。
 他の誰にも奪われないように見張るくせに、無邪気なテトゥーミを見ると手が出せなかった。またこの手をすり抜けたら?また死なせてしまったら?
 次こそ自分は荒れ狂うだろう。

「ーーーひぃいぃぃ~~っ!たす、助けてっっ!」

 デウィセンの手が浮かぶトステニロスの足首を掴んだ。
 その手をトステニロスは剣でぶすりと刺す。

「触るな。」

 汚い物を見る蔑んだ目でトステニロスは見下ろした。本当に醜悪だ。潔く死ねばいいものを。まだファチ司地の方が好感が持てた。

「そこは足がついたはずだよ。」

 バカにしたトステニロスの言葉に、デウィセンは一瞬ポカンとなり自分の足が地につくのを感じた。

「……っ!!おの、おのれっ!」

 醜く怒りで顔を赤くするデウィセンを冷静に見下ろしながら、さてどうしてやろうかとトステニロスは考えた。トステニロスの大事なものを傷付けたのだ。

「ははははは、醜いな。」

 トステニロスはデウィセンの顔を踏み付けた。咄嗟に目を瞑ったデウィセンは手を振り回しながら避けて、水草に足を取られて転びまた水の中へ沈む。

「ーーーぶはぁっっ!きさ、貴様ぁぁ!!」

 ゼィゼィと息をしながらデウィセンは叫び続ける。

「まぁまぁ、デウィセン殿。よく考え思い出して下さい。俺が大切にしていた人達を殺した奴を、どうしたかご存知か?」

 薄っすらと笑うトステニロスと目が合い、デウィセンはスッと思い出した。

 三護と六主は似ているようで全く違う系統になる。だから当時デウィセンは関係ないとばかりに知らない顔をしていた。翼主家同士のお家騒動に巻き込まれたくなかったからだ。
 青の翼主一族については皆噂していた。当時の緑の翼主一族が強過ぎて誰も何も言えなかった。それは既に白司護長となっていたデウィセンでも変わらない。
 青の翼主一族はネリティフ国から来た姉弟と仲が良かった。王族の血筋という彼等は兎に角天空白露の中でも目立つ存在で誰もが知っていたのだが、ある日姉の方は死んだと聞いた。夫が青の翼主一族の者だったので、一緒に殺されたのだろうと思った。その後にトステニロスの噂が流れた。緑の一族を殺したのだと。詳しい事情は分からないが、青の翼主と緑の翼主一族の騒動に巻き込まれ、緑の翼主一族の者を手にかけてしまったのだと思った。
 その凄惨な状況だけは伝え聞いていた。

「!!!………あっ、はっ、う、噂だ!」

 噂であってくれなければ困る!

「ああ、はは、知ってるな?苦しいという感情は生きていなければ感じない。身体にしろ魂にしろな…。」

 トステニロスの背に広がる茶色の羽が、大きく広がり水の中にいるデウィセンの上に影を落とす。
 暗く翳る銀の瞳の中に、目を大きく見開くデウィセンが写っていた。



 デウィセンは空気を求めて口を開けるが、入ってくるのは僅かな空気と大量の水。

 川の上流に向かってデウィセンの身体は大きな岩に縫い付けられていた。手は万歳の形に広げられ、両手のひらに岩の杭が生えている。最初こそ胸から下くらいまでしか水の中に浸かっていなかったのだが、今は押し寄せる波で顔の大半は水没していた。
 上流から流れてくる水は緩やかだったので、デウィセンは何故こんなことをするのかと理解出来なかったのだが、トステニロスが川の水量を増やし水を堰き止めては一気に流すを繰り返し、押し寄せる水をデウィセンにぶつけては楽しそうに見るのをみて恐怖した。
 顔を打ち付ける水は痛い。一緒に流れてくる土砂の中には石や木の破片なんかもあるので、デウィセンの服も身体も傷だらけになっていった。
 波の強弱でほんの少し出来る空気の層を求めて口をパクパクと開けるが、入ってくる水の方が多くて咳き込みほとんど息が出来ない。
 口の中が土臭く、吐き気を催す匂いがする。
 吐いても吐いても茶色い土が出てきて、涙を流しながらデウィセンはトステニロスを見た。
 トステニロスは上流にある一際大きな岩の上に座り、デウィセンを見ていた。口元は笑みを浮かべているが、目は笑っていない。
 暗く澱んだ死神のようだ。

「……………ひぃーーー、ゴホッ、ゲホゲホッッ、く、苦し…………、誰か………!」
 
 トステニロスは喉の奥で笑う。

「その身体は息をしていないのに苦しいのかな?」

 息を、していない?そんな、バカな…。してる、ちゃんとしている。ハクッと息をしようとして、デウィセンは息の仕方が分からなかった。
 息とは意識してするものではない。生きる為に無意識に身体が行う反応なので、デウィセンは自分が息をしていないのだと気付かなかった。いつからしていなかった?息の仕方を忘れる程に前から止まっていたのか!?
 デウィセンは混乱した。

「こうやって苦しめれば思い出すかと思ったけど、なかなか愚かだね。デウィセン殿は。」

 そうだな……、とトステニロスは思案気に眉を顰めた。次は、痛みがあるのか確認しよう。
 そうデウィセンの耳には届いた。
 痛み?痛みはさっきからある。ちゃんとある!

 ズブっと何かが腹に減り込んだ。

「あ゛………?」

 そこらじゅうに浮いている木の根や枝が集まりぐるぐると回って釘のように尖る。それがまたズブっとデウィセンの肩に減り込んだ。

「どうかな?」

 トステニロスの表情はいつもの通り穏やかだ。

「ひっい゛っっあ゛、止めっ!」

 ズブっズブっと次々に刺さる感触に、デウィセンは悲鳴を上げた。





「流石にもうその身体は使えないね。」

 残念だとばかりにトステニロスは攻撃を止めた。
 元がデウィセンだった場所には無数の木の釘が刺さっていた。知らない者が見たら岩の一箇所に木で出来た尖った物がビッシリと岩に刺さっているように見える。
 どこまで悲鳴を上げるだろうかと刺していったら、これがまた延々と悲鳴をあげてくれるものだからずっと刺してしまった。
 もうある程度身体が半壊した時点でおかしいと分からないのだろうか。
 痛みで失神しない身体、呼吸もしていないし、喉や肺が潰れても叫ぶ口。手は千切れかけても動くのだ。本人だっておかしいと気付くだろうにとトステニロスは呆れていた。

 屑になったデウィセンの身体があった場所からフワリと半透明の塊が浮く。
 それはボロボロに溶けたデウィセンの魂だった。
 
 本当はシュネイシロ神が来た時に、デウィセンの魂も材料の一部になるところだった。
 青の翼主の屋敷に置いてあった器の中に閉じ込め、後からトステニロスが報復を与えるつもりで封じていたおかげで、こうやって仕返しが出来るというものだ。
 シュネイシロ神は罪人として捕まっている者達はそのままにしていった。怪我を負おうが死にかけていようが放置だ。デウィセンもその類と思われたのかもしれない。

「さて、デウィセン。そんなボロ雑巾のようなお前でも役に立つかもしれない。またあの器の中に入っておこうか。」

 トステニロスは辛うじてデウィセンの姿をする魂を掴み、羽を羽ばたかせて空に飛んでいった。







 テトゥーミの部屋に入ろうとして、中から笑い声が聞こえた。
 テトゥーミにも親しい友人のように接するツビィロランだ。容姿がかなり変わり、黒髪黒目の大人っぽい姿になっている。テトゥーミは最初ツビィロランのその姿を見た時、頬を染めてカッコいいですねと褒めていた。
 扉を叩くと中から返事があり、ツビィロランが開いて出迎えてくれた。

「また来たのか?」

 悟られないよう笑顔で軽く言ったつもりだったのに、ツビィロランは「おっ!」と少し目を見開いた。

「へぇ~、ふぅ~ん。」

「…………………。」

「姿が多少変わったくらいじゃライバルにはならないよ。」

「いや、分かっている。ツビィロランはクオラジュの番だよ。」

 何故分かったのだろう。

「どうしたんですか?」

 まだ安静にしていなければならないテトゥーミはベットにゆったりと座って首を傾げている。

「なんでもないよ。んじゃトステニロスが来たことだし、俺は帰るよ!」

 ツビィロランは暇なテトゥーミの相手をしていたらしい。意味あり気に笑いながら去って行った。

「………いつからいたんだ?」

「そんな長い時間ではありません。それよりトステニロスこそどこにいってたんですか?」

 ちょっとな…と言って言葉を濁す。
 その様子にテトゥーミの表情が翳った。また教えてくれないのだ。
 悲しい顔をさせたいわけではないのに、正直に自分が何をやっているか教えれば、怯えさせてしまいそうでトステニロスには言えなかった。ついさっきテトゥーミを傷付けたデウィセンを痛めつけて来たと言って、テトゥーミが喜ぶとは思えない。

「……あのっ、あのですね!」

 テトゥーミがトステニロスの方を向いて真剣に話しかけてくる。

「うん?」

「秘密はあった方がいいという意見も聞いたのですがっ!」

 誰だそんこと教えたのは。テトゥーミがお喋りだから自由にさせている部分もあるのに。これで秘密を作られればもっとがんじがらめにしなくてはならなくなる。
 
「僕はやっぱりお喋りなので言ってしまうと思うんです!だから言ってしまいます。トステニロスが忘れられない亡くなられた恋人がいるのだと聞きました。その方を今も思っているのかなと思うと、僕は大変失礼なことをしていたのだろうと思うんです。でも顔を合わせるとやっぱり言ってしまいます。だからこれからはなるべく会う回数を減らすしかないかなと思うんです…………。」

 話し始めは勢いがあったが、だんだんと声が小さくなっていく。


「お見舞いもこれで最後にしましょう。」


 テトゥーミは振り絞るように声を震わせてそう言った。



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