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35 庭師のオメガ
しおりを挟む飛び降りたジールさんは僕を片手で支えて、もう片方の腕で大木の枝を掴んだ。枝は大きくしなり、折れそうなところでジールさんは手を離す。パッと離されるとまた落下する。落下すればまた枝を掴み、離してまた落下するを繰り返し、危なげなく地面に着地した。そしてそのまま大木に隠れるように設置されていた扉から温室の外に出た。
「このまま走るぞっ。」
返事を返す間もなく、ジールさんは僕を抱っこしたまま走った。そしてジールさんの管理者用の個室に入ると、先程使った階段前の扉の鍵を机に入れる。
入れたらまたすかさず窓から僕ごと飛び降りた。
「ーーーーーっ!!」
必死に叫び声を我慢する。
追われて逃げているというのは理解しているからね!
漸くストンと足が地面についた。
「ははは、すまん。大丈夫か?」
ヘナヘナ~と地面に座り込んだ。
「こ、こ、怖いですよぉ~……。」
そんな楽しそうに笑わないでよっ!こっちは腰が砕けて立ち上がれない。
半泣きになっているとジールさんは僕を抱き上げて椅子に座らせてくれた。
どうやらどっかの庭園に来たらしい。王宮は広すぎてまだ庭園を見ただけでここがどこだか覚えていない。
「ここどこですか?」
「ここか?ここは王宮の裏側にある来客用の庭だ。」
へ~。初めて来たかも。
僕がキョロキョロと庭を観察していると、ジールさんも僕に尋ねてきた。
「さっき伯爵子息に投げつけたのはなんだったんだ?」
飛び降りながら見ていたんだ?凄い余裕があるなぁ。
「あれは今日花の苗を持ってきた商人さんがタダでくれた何かの種です。」
そう言って僕はさっき種の入っていたポケットから、溢れた種を摘んでジールさんに渡した。それを手のひらで受け取りジールさんは繁々と見ている。
「これはハーブの種に似ているな。外国種か?見たことないな。だがハーブは雑草並みに広がるから王宮では植えられないのがある。」
「そうなんですか?今日花の苗と一緒に植えたらどうかなと思って持ってたのに。料理に入れるといいって言ってましたよ?」
「王宮で使われる料理用の香草類を植えている畑は他にあるんだが、普通商人達は知ってるはずなんだがな?」
「苗と一緒にくれたからてっきり植えていいのかなって思いました。」
「そうか……。」
なんだろう?ダメなことだったのかな。ジールさんの顔が真剣だから不安になっちゃうなぁ。
僕が不安そうにしていたのに気付いたのか、ジールさんは安心させるように微笑んだ。
「ちょっとそこで待ってろ。」
ジールさんは僕を椅子に座らせてどこかに行ってしまった。そしてすぐに戻ってくる。
「さっきのポケットの中身をここに入れてくれ。」
種を入れていたポケットを指さされ、僕は言われた通りジールさんが持ってきた袋に中身を入れた。種と共にゴミが出てくる。
「…………あ。」
「…………なんだ?メモ?」
ジールさんは袋からそのメモを取り出す。そしてメモを読んだ。
「むぅ~、そのメモは歩いてたら渡されたんですよ。」
「ははは、そうか。ヨフはやっぱりモテるんだな。」
メモには遊びのお誘いが書かれていた。
「断りましたよっ!」
「別に行ってもいいんだぞ?それよりこりゃ種の汁か?メモにも液が染み込んでるな。」
行かないってばぁ!僕はやることがあるんだからね!
ジールさんは笑いながらメモを袋の中へ戻していた。
「僕思いっきり顔見られたんだけど大丈夫かなぁ?」
ラニラルと目が合った気がするんだけど……。メガネかけてるし前髪で顔隠してるから大丈夫と思いたい。
「奴は両目とも開けてたからそう見えてなかったはずだ。見えてたら俺が飛び降りたようにアイツなら追いかけて来れるだろうからな。追いかけて来なかったのがいい証拠だ。」
ぱちっと片目を瞑りながらジールさんは微笑む。こういうのを年の功っていうのかなぁ。説得力があって頼もしい~。
やっぱり庭園のクマさんはかっこいい~!
「僕、将来はジールさんみたいな頼もしい人と番になろうっと。」
そう言うと声を上げて笑ってくれた。
戻る前に手を洗えと言われて水道に連れて行かれる。石鹸まで渡されて丹念を洗われてしまった。あの種なんかダメなやつだったのかな?
管理者部屋は誰か調べに来そうだから作業部屋に行こうと言われて二人で戻ることにした。
逃げられてラニラルは舌打ちする。
まさか壁に出口が作られているなんて知らなかった。出口といっても外には立てる場所なんてない。もしかしたら何かの搬入口程度に作られたのかも知れないが、流石王宮庭園総管理人と言おうか…。咄嗟にここを開けて木に飛び移るとは思わなかった。
一緒に抱えていたオメガらしき人物から、何か粉のようなものを投げつけられた。何の粉かわからなかったので目と口を閉じるしかなく捕まえ損ねてしまった。
あんなところから覗いて何をしていたのか…。
捕まれば処罰ものだろうから逃げたとは思うが、まさか逃してしまうとは思わなかった。
廊下に出るとリュハナが待っていた。そして何故かレジュノ王太子まで。
「逃しちゃったんだ?」
リュハナが驚いたように声を掛けてきた。
「ええ、壁から飛び降りて行きました。まだ穴が開いている状態ですのでここの鍵は閉めていきます。」
答えると王太子も話し掛けてきた。
「先程いたのは誰か分かるのか?」
レジュノ王太子はヨフミィ様が死んでからラニラルとほぼ話をしたことがない。元々仲は悪い方だった。ヨフミィ様が湖に沈んだ時、ラニラルが手を離してしまったのだと聞いてラニラルに処罰を求めたくらい怒りを露わにした。
ラニラルだって自分自身が許せないくらいだった。ヨフミィ様が自分の指を剥がしたのだとしても、そんなのは言い訳だと思っている。罰が下るなら甘んじて受けるつもりだったのだが、自分の両親にまで被害が及ぶのは嫌だった。
ラニラルの罰はヨフミィ様の御両親が必要ないと言い切った。むしろよく追いかけたと慰められた。
アクセミア公爵家には恩しかない。
せめてこの命が公爵家の為になるよう努力しようと思って生きている。
ヨフミィ様が生きていたら、きっと重いとまた言われそうだが、ラニラルにはこういう生き方しか出来ない。
今はヨフミィ様の弟達の助けになるよう、専属侍従として仕えていた。
ヨフミィ様の弟達は双子だった。流石にどちら共というわけにはいかず、兄のヘミィネ様の侍従を務めている。弟のルヌジュ様はリュハナが引き受けていた。
「…………王宮庭園総管理人をしているジール・テフベル男爵です。連れは知りませんが……。」
チラリとリュハナを見ると、ニコッと微笑んだ。
「王宮庭園総管理人だったのなら連れていたのは最近面倒を見ているというオメガの青年でしょう。」
こういうことはリュハナの方がよく知っている。何気ない噂話や社交界の話は顔が広いリュハナによく集まる。
「…………青年?」
王太子が不思議そうな顔をした。
「男性だったのですか?」
顔は分からなかった。階段は暗かったし、壁を開けることによって光で目が眩み、ラニラルも視界を奪われてしまったのでよく見えなかったのだ。それに抱き抱えられていたので顔はこちら側を向いてはいたが、重たい前髪と大きなメガネでほぼ人相は分からなかった。髪が長く両側で結んでいたので女性だろうかと思っていた。
「うん、男性。確かだよ。でもオメガだから皆んな興味があるみたいだね。二十歳すぎてフリーのオメガって珍しいから。」
もっと若いのかと思っていた。小柄なのでそう思ってしまったようだ。
「オメガの青年か。」
思案気に目を伏せる王太子の様子が気になる。
「その手に持ってるの何?」
リュハナが手に持っていた袋を目敏く見つけて尋ねてきた。先程オメガの青年が投げた袋だ。咄嗟に受け止めたが中身が残っていたので持ってきた。
「その青年が逃げる為に投げつけてきました。」
「袋を?」
「はい、この中身を目潰しがわりにしたようです。」
そう言いながらラニラルは袋をリュハナに渡した。リュハナは袋を受け取り中身を確認する。
「植物かな?種っぽいけど…。庭師だから持ってたのかな?」
「それを調べてくれませんか?」
え?とリュハナは顔を上げる。そして分かったと頷いた。
「今からルヌジュ様が騎士団に行くと言うからソヴィーシャに任せて研究所の方に行ってくるよ。」
公爵家の双子の弟ルヌジュ様はリュハナが侍従を務めている。ラニラルのようにつきっきりとはいかないが、他の手を借り、身体を動かすのが好きなルヌジュ様をソヴィーシャに任せたりなどして上手に世話をしていた。おかげで最初内向的だったルヌジュ様は外に出ていくのが好きな子供になった。
「私はこの袋をどこで手に入れたのか調べます。」
ラニラルが言うと、レジュノ王太子が口を挟んだ。
「庭師の青年に会いにいくのか?」
「…………そのつもりですが。」
「私が行こう。」
そう言うのではないかと思ったが、本当にそのつもりのようだ。
「殿下が平民の庭師に直接会うわけにはいきません。」
「王宮で働く者だ。構わないだろう。」
手を出すなという意味なのだが、王太子はサラッと無視してくる。
「殿下が動くと目を引きます。私はその袋の中身の捜査の為に本日出向いておりますので。」
レジュノ王太子の眉がピクリと動くのが分かった。だがここで引き下がりたくない。
「殿下、ラニラルのいう通りですよ。」
リュハナもラニラルに同意した。王太子は溜息を吐く。
「わかった。任せよう。」
諦めてくれたようだ。何故自分が行くと言い出したのか。だがなんとなくその理由はわかる気がした。ラニラル自身もそうなのだから。
レジュノ王太子が立ち去ったので、リュハナに任せて庭師達が使っている管理部屋に向かうことにした。
「分かったら教えて下さい。」
「うん、任せてよ。」
ヒラヒラと手を振るリュハナを置いてラニラルも足を早めて立ち去った。
ふうヤレヤレ。とリュハナは小さく息を吐く。
久しぶりに喋ったと思ったら二人とも険悪だった。あの二人はアルファ性が高い。リュハナも高い方だが、攻撃性に欠けるというか、争いごとが好きではなかった。
ラニラルも王太子も一見物静かで淡々としているくせに、内心は物凄く激しいタイプだ。ただ攻撃さえしなければやられることはない。
リュハナから見たら二人とも今でも友人だ。
あの二人が今でもヨフミィ様の死を引き摺っているのは知っている。リュハナだって思い出せば悲しい。ずっと一緒にいられるとおもっていた。子供だからその先に死があるなんて思いもしなかった。
『皆んなが変な方向にいかないように見張ってて欲しいんだ。』
最後にお世話をしに行った時、交わした約束がある。皆んなを気掛けて欲しいだなんて、自分がまるで死ぬことを知っていたようじゃないか。
ヨフミィ様は少し変わった子供だった。
子供っぽいのに、どこか達観していて、変な言動も多くて、それなのに全てを知るような瞳をしていた。
なんともチグハグで、それが魅力的だった。
リュハナにそんなお願いをした理由はよくわかる。他の三人に比べたら、リュハナは物事を客観的に見る方だ。三人は普段冷静だが、一度私情に駆られると暴走しそうな、そんな性格が見え隠れする。
リュハナはこう見えて一番自分を抑えることに長けていると思う。ヨフミィ様もそう思ったから自分に頼んだのだろう。
損な役回りだがヨフミィ様たってのお願い。聞かないわけにはいかない。
急遽行われた王妃様とのお茶会は既に終わり、公爵夫人は馬車を待つ為に控えの間に戻っていた。一緒に双子のヘミィネ様とルヌジュ様もいて、リュハナが戻るとルヌジュ様が立ち上がった。
「もう行ってもいい?」
ルヌジュ様は兄のヘミィネ様より背が高く、華奢ではあるがオメガにしては筋肉質だ。十歳未満のうちはアルファになるかもしれないと言われていたが、実際はオメガと判定され落ち込んでいた。リュハナとは逆のパターンだった。
元々リュハナが世話をしてはいたが、十歳でオメガと言われてからはより頼ってくれるようになっていた。
「はい。ただ私は別件が出来たので騎士団ではソヴィーシャに頼んでいきましょう。公爵夫人、宜しいでしょうか?」
椅子に座る公爵夫人に頼むと、夫人は柔らかく微笑んだ。
「日が暮れる前には帰るようにしてね。」
話し方もおっとりとしているが、ヨフミィ様がいなくなってからは社交にも出るようになられた。今ではエリュシャ王妃よりも権力があるのではと言われている。
あの大人しくいつも篭りきりだった人が、愛息子の最後をみて変わった。公爵様が心配するほどだ。
「リュハナ、ラニラルは?」
ラニラルが仕える双子の兄ヘミィネ様が尋ねてきた。ラニラルは一度やると決めるとやり過ぎなくらい何事も完璧にやろうとする。その所為かヘミィネ様はラニラルに世話をされるのが当たり前になってしまい、ラニラル無しでは少々自信がない。
「事前に申していた通りラニラルは仕事が残っております。公爵夫人と先にお帰り下さいね。」
そっかぁと残念そうにしていた。
「いいよ、リュハナ。ルヌジュを連れて行って構わないから。」
公爵夫人が困った顔で出るように促してくれた。
ルヌジュ様を連れて騎士団に向かいながら、あっちもこっちもと溜息が出る。皆自分の心に素直だ。
「ねぇ、ソヴィーシャはいるんだよね?」
この子は騎士をしているソヴィーシャに憧れていた。だから剣が好きなのだ。
ヨフミィ様と同じ榛色の瞳をキラキラとさせて尋ねてくる。
「はい、いるはずです。今日王宮に来ることも伝えていましたから、おそらく来るかもしれないと待っているはずですよ。」
ニコッと笑って伝えると、ルヌジュ様は嬉しそうに笑い返した。
皆んなの面倒を見るとは約束したけど、いったいどこまで?もう一度ヨフミィ様に会ってそこを確認したくなってくる。
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