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番外編
129 イゼアルの水晶玉①
イゼアルは執事が手渡してきた手紙を広げた。ラメの入った艶のある赤い封筒には、小さな押し花の飾りと一枚の手紙が入っている。
女性らしい繊細で小さな文字で、イゼアルに対する称賛の言葉と好意が綴られていた。
その文を一読し、イゼアルは感情の読めない薄い微笑みで自分の父親へ視線を送った。
「これはなんでしょうか?」
「釣書だ。セシルミーア・ドニトア伯爵令嬢の姿絵を見ておけ。」
イーゼルには一人の女性が椅子に座り微笑む姿が描かれた肖像画が立て掛けられていた。長い銀髪は緩やかに巻かれピンクのリボンで愛らしく編んでいる。水色の瞳は大きく小さな唇は薄桃色だ。どこからどう見てもオメガだとわかる可憐な容姿をしている。
「父上、私はまだ婚約者を決めるつもりはありません。」
ゆっくりと言い含めるように言葉を発する。
アニナガルテ王国に限らず、周辺諸国でも貴族の婚約は二十歳過ぎが多い。それはアルファとオメガの相性が最も合うものを探す為であり、早く番になった挙句、アルファが違うオメガを求めるのを防ぐためでもある。
オメガは生涯たった一人しか番えないのに対して、アルファに制限がない。それによって正妻や第二夫人をおく者もいる。
だが誰もが何人もオメガの番を作りたいと思っているわけではない。出来ればたった一人の運命と思える人と番になり結婚したいと思う者が大多数だ。
だから慎重に番になるオメガをアルファは探すのが一般的になっている。
これぞと思う人が見つからなければ、他国に行く者もいるくらいだ。
この世界のそんな諸事情を知ったイゼアルは、アルファとはロマンチストなのだなと思ったくらいだ。
イゼアルとしては番が欲しいという衝動を覚えたことがそもそもないので、婚約者なんて考えたこともない。
婚約者を作るということは、その人と番になると公言しているようなもので、番になる前提で皆婚約する。
父が言う通りセシルミーア・ドニトア伯爵令嬢と婚約してしまえば、この人と番になり結婚するしかなくなってしまう。
この人が嫌と言うわけではなく、番を持つ気になれないので、この婚約は双方にとって不幸な結果にしかならないような気がしてしまう。
そんな考えでもってイゼアルはこの釣書を父に返そうとした。
「…………お前は王太子殿下の婚約式に、ノビゼル公爵家の四男と出たそうだな。」
父はロイデナテル侯爵だが、その日はイゼアルがオリュガの友人でもあるので代理で行かせてもらった。その時のパートナーはノアトゥナだった。
イゼアルは学院に入学してから、ノアトゥナとはかなり仲良くなった。今ではランチも一緒に摂っているし、よくノビゼル公爵家にも遊びに行っている。
婚約式に出席する際、パートナーは事前にノアトゥナ・ノビゼル侯爵子息だと伝えていたはずだが、今更何を言い出すのだと思った。
「それが何かありましたか?」
「………我が家が貴族派と呼ばれる派閥の筆頭であることは理解しているな?」
父はイゼアルとよく似ている。黒い髪は短く切っているが、黒目がちの瞳も同じだ。ただ優しげな雰囲気を醸し出すイゼアルと違い、ロイデナテル侯爵は厳格な雰囲気そのままに厳しい顔つきをしている。眼光は鋭く、貴族であり侯爵家当主であることに誇りを持っている。
イゼアルの身分を問わない態度はあまり好かれていない。
「存じ上げております。ノアトゥナは公爵家の令息です。家格においてなんらおかしなことはないと思いますが?」
父が言いたいことは理解しているが、敢えて知らぬふりでイゼアルはとぼけた。
ロイデナテル侯爵はフンッと鼻で笑う。
「ノビゼル公爵家は元々中立派だったが、今では王家に尻尾を振る有様だ。貴族派は貴族派で繋がりを持て。」
イゼアルの目がスウと細まる。
「貴族派ばかりで固まることが良策とは思えませんが?」
父が釣書を持ってきたドニトア伯爵令嬢は貴族派の女性オメガだ。イゼアルと同じ歳で同じ学院に通う。今までも声を掛けられたことはあるが、それは他の生徒と同レベルでの関係であり、特に仲良くなったこともない人物だった。
「今度ドニトア伯爵家と話し合いの場を作る。」
ピクリとイゼアルの表情が揺れる。
イゼアル自身も繊維業を中心に様々な事業を自ら起こし運営しているが、ロイデナテル侯爵家は元々武器商人としてのし上がった家だ。独自の騎士団も所有しており、本来ならイゼアルもそちらの事業を手伝い、ロイデナテル騎士団に所属しなければならなかった。
だがイゼアルはそうしなかった。
それはゲームの流れを知っていたからだ。
ゲームではイゼアル・ロイデナテルは気弱なアルファだった。厳しい父親の言いなりで、過度な教育にいつも怯えていた。アルファでありながらいつもビクビクとしていたのだ。勉学も武術もそれなりに出来たのに、常に一番を求められる所為で叱責を受け、その所為で自信がなかった。
武器製造と販売の事業を手伝いながら、騎士団にも入り、下っ端からやらされていた。一人前にする為だと言われながら、父親の七光だと馬鹿にされ、子供のうちから入れられた為、体格で敵わない大人の騎士たちに訓練なのか虐待なのか分からない扱いを受けていた。
それを主人公が慰めつつも救うという話だったのだが、イゼアルはそんな人生は送りたくなかった。
幼いうちから勉学に励み、体力をつけて剣技を磨いた。大人の騎士に体力腕力で敵わないのなら、技術で補うようにした。
父親と一緒に働きたくなくて、自分で全く関係のない繊維業を立ち上げ、そちらでロイデナテル侯爵家の資産を上回る儲けも出した。
それにより父親は、ゲームの内容のような無理難題も言って来なくなった。
それが婚約者について突然口出ししてくるとは……。
……ああ、そうか。ふと思い出す。
「父上の事業の方で何か問題が?」
今度はロイデナテル侯爵の方が表情を固くする番だった。突然確信を突いてきたイゼアルに、不審な顔を見せる。
ゲーム上で騎士団の弱体化が問題になっていたのは、ナリシュ王太子が卒業し、戦争が始まって直ぐではなかっただろうか。
国王の招集に応じて騎士団を動かしたが、隣国サマファル国に全く敵わなかったのだ。
ロイデナテル侯爵家は貴族派だ。カフィノルア王家に忠誠を誓うのではなく、アニナガルテ王国に忠誠を誓っている。王が誰だろうと構わないのだが、その時その時の攻略方向で貴族派は壊滅したり残留したりする。
ゲーム上ではあまり重要な派閥ではない感じだった。
戦争が起きなければこの事態にも陥らないだろうと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。
「…………父上の負債の責務を私に押し付けないで下さい。」
ドニトア伯爵家とは同じ貴族派の仲間であり、商売上の繋がりもある。
ロイデナテル騎士団は同じ貴族派の家門が救援要請を行った時、力を貸す契約をしている。貴族派は閉鎖的だ。王弟殿下が抱える魔法師団には依頼せず、ロイデナテル騎士団に処理を頼むのだ。
契約では要請があった場合、その都度契約完了内容を決めて、完遂することが求められるので、無理な場合は断るかここまでと線引きして契約を行わなければならない。
ゲーム上この時期にドニトア伯爵家から依頼があるのだが、ゲーム内容の中でロイデナテル侯爵は罠に嵌められた。
単なる魔獣討伐の依頼だったのだが、貴族派で頭角を表したいドニトア伯爵は、ロイデナテル侯爵家を失墜させようとサマファル国と手を繋いだのだ。
ドニトア伯爵は貴族派の筆頭となる為に、サマファル国は敵地の足がかりを作る為に、ロイデナテル騎士団を襲った。
元々一度出兵して負けた挙句に弱体化が加速したロイデナテル騎士団は壊滅し、生き残りは一人もいなかった。ドニトア伯爵領で行われたその残虐な犯行は、ロイデナテル侯爵に知られることなく魔獣にやられたことになってしまった。
ロイデナテル侯爵家は契約を完遂することが出来なかったことになった。多額の違約金を求められ、払えなければイゼアルとドニトア伯爵家の令嬢を結婚させるように言ってきた。
これは主人公がイゼアル・ロイデナテル侯爵子息攻略に乗り出した場合のシナリオなので、勿論ネイニィはイゼアルを助けようとする。
ネイニィは王国騎士団を率いてドニトア伯爵領の魔獣を討伐しに乗り込むのだ。
そしてロイデナテル侯爵領を襲おうとしていたサマファル国の軍隊を見つけて戦闘となり勝利する。
イゼアル攻略をハッピーエンドにする為に途中で色々と通過するべきシナリオはあるが、全て順調に進めるとこんな感じだった。気弱なイゼアルについては、頼りになる主人公に全福の信頼を寄せ、それは愛情となってネイニィを慕うので、親密度は上がりっぱなしだった。それが自分だと思うととても残念でならない。
それを踏まえて考えると、どうやらドニトア伯爵領で魔獣被害があり、ロイデナテル騎士団は完遂出来なかったのではと予測した。
しかしサマファル国との戦争が既に終了している今、何故完遂出来なかったのだろう……。
まさか………。
「ウチの騎士団の被害はどの程度なのですか?」
「…………負傷者はいるが一応帰還している。」
イゼアルはゆるゆると首を振った。長く伸ばした黒髪がサラサラと流れる。
「倒せなかったのですか?」
「…………私の方の仕事には一切触れてこないのに、何があったのか知っているのか?」
「たまたまです。」
ロイデナテル侯爵はそうか、と少し残念そうにした。
「それが、飛翔型がいて倒せなかったと報告が入った。」
イゼアルはあり得ないと溜息を吐いた。
飛翔型とはいえ、襲ってくるときは地面にいる人間に向かってくるのだ。きたら斬ればいい。もしくは魔法を使える者が対応するとか。
父の顔色を見た。普段は表情を変えない父が、疲れた顔をしていた。
「少しの間でいい。ドニトア伯爵令嬢の相手をしていてくれ。なんとか私が行って契約を遂行してくる。」
どうやら父は討伐に行っていなかったらしい。
「お一人で?」
「騎士団は負傷者が多いし、兵士を連れて伯爵領に入れば戦争を仕掛けたと言われかねない。」
「……まさか領地に入れてくれないのですか?」
ロイデナテル侯爵は疲れた顔を更に俯かせて頷いた。
「ああ、契約は既に終了したの一点張りだ。なんとかロイデナテル侯爵家が契約を完遂したという形に持っていかなければならない。」
魔獣が発生しているのはドニトア伯爵領の中なのに、入れなければ討伐も出来ない。勿論契約の遂行も。
ロイデナテル侯爵はなんとか兵士を連れて討伐を終わらせるので、その間だけ向こうの要求を受けて欲しいとイゼアルに言ってきた。
「………わかりました。私の方でも対策を考えてみます。」
「すまない。それから、今度行われる王太子殿下の結婚式のパートナーも務めて欲しいと言われている。」
イゼアルは一瞬黙った。そして深く溜息を吐く。
「わかりました。早めにお願いします。」
仕方なくロイデナテル侯爵家の為に了承するしかなかった。
ゲームでは仲の悪かった親子だが、今はイゼアルの能力を認めているのかそう険悪でもない。他に兄弟でもいればよかったのだが、子供はイゼアルだけなので、父の仕事を継ぐのもイゼアルしかいなかった。
ロイデナテル侯爵家を継げば、面倒な貴族派までついてくるので気は進まないが、嫡子はイゼアルだけだし、父親も困っているようだ。
「よろしく頼む。」
プライドの高い父が頭を下げるなんて余程のことだ。
「………騎士団の見直しをお勧めします。」
それだけ言って、イゼアルはロイデナテル侯爵の執務室を出た。
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