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第28話 碧い蛇の独白
しおりを挟む美しいものには毒がある。あるいは、毒があるからこそ美しいのか。
カインは、セレンの港を見下ろす安宿の窓辺で、愛用の細剣を丁寧に磨きながら、ぼんやりと考えた。
彼の正体は、放浪の詩人などではない。隣国クレイウスの第一王子直属、隠密暗殺部隊の長。影の世界では「碧眼の蛇」として恐れられる、一級の殺し屋である。
「……さて。主も人使いが荒いな」
今回の任務はシンプルだ。数年前、隣国のアスムート王国の王都から港町セレンに移り住み、この港町で奇跡を起こしているという『薬師エルセ』の身辺調査。そして、もし彼女が政治的に利用価値があると判断すれば確保、あるいはクレイウスに害があると判断したら抹殺すること。
数日前、道端で熱中症を装って彼女に接触したのは、文字通りの『毒見』だった。だが、結果は想定外だった。
「——女神、か」
カインは、自分の首筋に残る、あの時の涼やかな感触を思い出す。透き通るような紫のアメジストの瞳。自身が汚れることを厭わず、ただ命を救おうとしたあの手の温もり。
殺し屋として数多の人間を見てきたカインにとって、エルセリアのような存在は異質すぎた。計算も、野心も、裏表もない。ただそこに、圧倒的な「善」が咲いている。
「……だが、あの番犬。あれは厄介だ」
カインは、細剣を鞘に収め、不快そうに顔を顰めた。エルセリアの影に潜んでいた、あの金色の瞳の青年——ギルベルト。接触した瞬間に理解した。あいつは自分と同種……いや、自分よりもさらに深く、暗い地獄を潜り抜けてきた男だ。
暗殺者が他者に懐くことは稀だ。だが、あの男は懐くどころではない。自分の魂をエルセリアという鎖に繋ぎ、それを至高の幸福として享受している。
あの執念、あの殺気、あの独占欲。カインが余裕を見せていたのは、あくまでプロとしての演技だ。実際には、あの一瞬、ギルベルトの短剣が自分の喉笛を掻き切るヴィジョンを、カインは三回は見た。
「……あんな化け物を飼い慣らすなんて。エルセリアという女性は、やはり本物の聖女なのか、それとも、とんでもない魔女なのか」
カインは懐から、主への報告書を取り出した。
白紙。まだ、何も書く気になれなかった。
(もし、彼女をクレイウスへ連れ帰れば、主は必ず彼女を政治の道具にする。彼女のあの澄んだ瞳は、宮廷の泥に浸かれば数日で濁るだろう……)
それは、暗殺者にはあるまじき情だった。
「……面白くないな。僕は、詩人でも救世主でもないっていうのに」
カインは立ち上がり、黒いマントを羽織った。任務を遂行するなら、彼女を孤立させる必要がある。あの番犬を彼女から引き剥がし、絶望に突き落とさねばならない。
だが、カインの心には別の欲望が芽生えていた。
あの聖女が、あの狂犬に守られて、どこまで美しく笑い続けられるのか。それを、特等席で見届けてみたい。
「すみませんね、主。……しばらくは、この街の『詩人』として、彼女の周りを楽しませてもらうよ」
カインは碧い瞳を怪しく光らせ、夜の街へと消えた。まずは、あの番犬の鼻を明かし、彼女の周りの平穏をかき回してやろう。
蛇が、獲物を狙うのではない。蛇が、獲物を守りたくなってしまった。……滑稽に、毒の味を確かめてみたくなったのだ。
(……ま。あの番犬君の嫉妬心を煽って、どんな顔をするのかを拝ませてもらおうか)
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