28 / 63
第28話 碧い蛇の独白
しおりを挟む美しいものには毒がある。あるいは、毒があるからこそ美しいのか。
カインは、セレンの港を見下ろす安宿の窓辺で、愛用の細剣を丁寧に磨きながら、ぼんやりと考えた。
彼の正体は、放浪の詩人などではない。隣国クレイウスの第一王子直属、隠密暗殺部隊の長。影の世界では「碧眼の蛇」として恐れられる、一級の殺し屋である。
「……さて。主も人使いが荒いな」
今回の任務はシンプルだ。数年前、隣国のアスムート王国の王都から港町セレンに移り住み、この港町で奇跡を起こしているという『薬師エルセ』の身辺調査。そして、もし彼女が政治的に利用価値があると判断すれば確保、あるいはクレイウスに害があると判断したら抹殺すること。
数日前、道端で熱中症を装って彼女に接触したのは、文字通りの『毒見』だった。だが、結果は想定外だった。
「——女神、か」
カインは、自分の首筋に残る、あの時の涼やかな感触を思い出す。透き通るような紫のアメジストの瞳。自身が汚れることを厭わず、ただ命を救おうとしたあの手の温もり。
殺し屋として数多の人間を見てきたカインにとって、エルセリアのような存在は異質すぎた。計算も、野心も、裏表もない。ただそこに、圧倒的な「善」が咲いている。
「……だが、あの番犬。あれは厄介だ」
カインは、細剣を鞘に収め、不快そうに顔を顰めた。エルセリアの影に潜んでいた、あの金色の瞳の青年——ギルベルト。接触した瞬間に理解した。あいつは自分と同種……いや、自分よりもさらに深く、暗い地獄を潜り抜けてきた男だ。
暗殺者が他者に懐くことは稀だ。だが、あの男は懐くどころではない。自分の魂をエルセリアという鎖に繋ぎ、それを至高の幸福として享受している。
あの執念、あの殺気、あの独占欲。カインが余裕を見せていたのは、あくまでプロとしての演技だ。実際には、あの一瞬、ギルベルトの短剣が自分の喉笛を掻き切るヴィジョンを、カインは三回は見た。
「……あんな化け物を飼い慣らすなんて。エルセリアという女性は、やはり本物の聖女なのか、それとも、とんでもない魔女なのか」
カインは懐から、主への報告書を取り出した。
白紙。まだ、何も書く気になれなかった。
(もし、彼女をクレイウスへ連れ帰れば、主は必ず彼女を政治の道具にする。彼女のあの澄んだ瞳は、宮廷の泥に浸かれば数日で濁るだろう……)
それは、暗殺者にはあるまじき情だった。
「……面白くないな。僕は、詩人でも救世主でもないっていうのに」
カインは立ち上がり、黒いマントを羽織った。任務を遂行するなら、彼女を孤立させる必要がある。あの番犬を彼女から引き剥がし、絶望に突き落とさねばならない。
だが、カインの心には別の欲望が芽生えていた。
あの聖女が、あの狂犬に守られて、どこまで美しく笑い続けられるのか。それを、特等席で見届けてみたい。
「すみませんね、主。……しばらくは、この街の『詩人』として、彼女の周りを楽しませてもらうよ」
カインは碧い瞳を怪しく光らせ、夜の街へと消えた。まずは、あの番犬の鼻を明かし、彼女の周りの平穏をかき回してやろう。
蛇が、獲物を狙うのではない。蛇が、獲物を守りたくなってしまった。……滑稽に、毒の味を確かめてみたくなったのだ。
(……ま。あの番犬君の嫉妬心を煽って、どんな顔をするのかを拝ませてもらおうか)
21
あなたにおすすめの小説
じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが
カレイ
恋愛
天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。
両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。
でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。
「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」
そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
3回目巻き戻り令嬢ですが、今回はなんだか様子がおかしい
エヌ
恋愛
婚約破棄されて、断罪されて、処刑される。を繰り返して人生3回目。
だけどこの3回目、なんだか様子がおかしい
一部残酷な表現がございますので苦手な方はご注意下さい。
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月 瑠々奈
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです
春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。
ここは通過点のはずだった。
誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。
触れない客。
身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。
「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」
突然の身請け話。
値札のついた自分と向き合う三日間。
選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、
通過点は終わりになる。
これは救いではなく対等な恋の話。
一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!
夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」
婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。
それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。
死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。
……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。
「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」
そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……?
「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」
不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。
死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!
どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~
涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!
わんこ系婚約者の大誤算
甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。
そんなある日…
「婚約破棄して他の男と婚約!?」
そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。
その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。
小型犬から猛犬へ矯正完了!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる