死に戻り令嬢は逃げ出したい ~前世で私を殺した暗殺者が、「一生離しません」と忠犬になって追いかけてきます~

ラム猫

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第40話 揺るぎなき信念

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 村での奇跡から数時間。一行は、村人たちの歓声に背を向け、急ぎ足でクレイウスの王都へと向かう街道を走っていた。馬車の中は、かつてないほどの緊張感に支配されている。

 エドワードとカインは、御者台や別馬で奇跡の目撃者への口止めや情報封鎖の根回しに奔走しており、馬車の客室にはエルセリアとギルベルト、そして静かに目を閉じているマルタだけが残されていた。

 沈黙を破ったのは、ギルベルトの低く、切羽詰まった声だった。

「……エルセ。今すぐ、ここから逃げましょう」
「えっ……?」

 顔を上げると、ギルベルトはエルセリアの目の前に跪き、祈るように彼女の両手を握りしめていた。その手のひらは嫌な汗をかいており、金色の瞳は恐怖と焦燥で激しく揺れている。

「先ほどのお力……あれは、もはや有能な薬師などという枠に収まるものではありません。あんなものを見せれば、あの暴君王子も、その父である国王も、この国の民も、誰もがあなたを離さない。……あなたは、クレイウスという国家を維持するための部品にされてしまう!」
「ギル……」
「今ならまだ間に合います。この馬車を奪い、彼らの追跡を振り切って、海を渡りましょう。セレンにも戻らず、名前を捨て、誰も俺たちを知らない遠い東の果てへ。……俺が一生、あなたを養います。守ります。あなたに指一本、誰にも触れさせない。エルセ、どうか……」

 彼の言葉は、混じり気のない愛だった。けれどそれは、エルセリアを安全な箱に閉じ込めておきたいという、彼自身の深い傷からくる悲鳴でもあった。

 彼女は、震える彼の手を優しく握り返す。そして、真っ直ぐに彼の瞳を見つめ、はっきりとした口調で告げた。

「——断るわ、ギル」

 ギルベルトが、絶望に打たれたように息を呑む。

「……何故、ですか……。また、あの時と同じように、自分を切り売りして、誰かのためにボロボロになるおつもりですか!」
「いいえ。あの時とは違う。……あの時の私は、命令されるがまま、自分の居場所を守るために怯えながら力を差し出していたの。……でも、今の私は、自分の意志でここにいる」

 エルセリアは窓の外、遠くに霞む枯れた大地を見つめた。

「さっきの女の子の手が、温かくなったの。井戸から水が溢れたとき、村の人たちが泣いて笑っていた。……それを見たとき、私は確信した。この力は、誰かに奪われるものではなく、私が私の誇りとして、救いたい人のために使うものなのだと」

 エルセリアはギルベルトに向き直り、微笑んだ。

「私は逃げません。クレイウスを救い、堂々と胸を張ってセレンに帰ります。……ギル、私を信じて。今の私は、そんなに簡単に壊れたりしませんわ」
 凛とした、揺るぎない拒絶。

 数秒の沈黙の後、ギルベルトの肩からふっと力が抜けた。

「……あぁ……」

 彼は深く頭を垂れ、彼女の膝に顔を埋める。そして、絞り出すような、けれど心底感極まったような声で溜息をついた。

「……やはり、エルセは、残酷なお方だ。……そんな風に、気高く、美しく笑われてしまったら……俺があなたに逆らえるはずがない」

 顔を上げたギルベルトの瞳からは、先ほどまでの陰鬱な焦燥が消え、代わりに熱烈な——もはや信仰に近い——情熱が燃え上がっていた。

「……かっこよすぎます、エルセ。あぁ、今の凛としたお姿、肖像画にして俺の宝物に加えたい。全人類に、これが俺の主だと自慢して回りたい! ……逃げようだなんて、俺はなんて愚かなことを言ったのでしょう。わかりました。あなたがこの国を救うと言うのなら、俺はその足元に転がる石ころ一つまで粉砕して排除します」

(……あ、いつものギルに戻ったわ)

 彼はエルセリアの手を握りしめ、恍惚とした表情で口づけを落とす。

「エルセがこの国の神になるなら、俺はその神殿を守る最も狂暴な守護者になります。……エドワード王子が不遜な態度を見せれば、その瞬間に彼の国を滅ぼして、エルセの踏み台にして差し上げましょう。あぁ、楽しみだ……エルセの覇道が始まるのですね!」
「……ギル、覇道ではありませんし、王子を台にしないでね」

 隣で一部始終を見ていたマルタが、深い、深ーい溜息をつきながら窓の外を見た。

「……やれやれ。お嬢様の男前な決意は素晴らしいですが、それによってこの狂犬のお嬢様萌えに火がついてしまった。王都に着くまでに、この馬車が彼の鼻血で沈まないことを祈るばかりです」

 馬車は夕闇を切り裂き、クレイウスの王都へと向かう。
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