40 / 63
第40話 揺るぎなき信念
しおりを挟む村での奇跡から数時間。一行は、村人たちの歓声に背を向け、急ぎ足でクレイウスの王都へと向かう街道を走っていた。馬車の中は、かつてないほどの緊張感に支配されている。
エドワードとカインは、御者台や別馬で奇跡の目撃者への口止めや情報封鎖の根回しに奔走しており、馬車の客室にはエルセリアとギルベルト、そして静かに目を閉じているマルタだけが残されていた。
沈黙を破ったのは、ギルベルトの低く、切羽詰まった声だった。
「……エルセ。今すぐ、ここから逃げましょう」
「えっ……?」
顔を上げると、ギルベルトはエルセリアの目の前に跪き、祈るように彼女の両手を握りしめていた。その手のひらは嫌な汗をかいており、金色の瞳は恐怖と焦燥で激しく揺れている。
「先ほどのお力……あれは、もはや有能な薬師などという枠に収まるものではありません。あんなものを見せれば、あの暴君王子も、その父である国王も、この国の民も、誰もがあなたを離さない。……あなたは、クレイウスという国家を維持するための部品にされてしまう!」
「ギル……」
「今ならまだ間に合います。この馬車を奪い、彼らの追跡を振り切って、海を渡りましょう。セレンにも戻らず、名前を捨て、誰も俺たちを知らない遠い東の果てへ。……俺が一生、あなたを養います。守ります。あなたに指一本、誰にも触れさせない。エルセ、どうか……」
彼の言葉は、混じり気のない愛だった。けれどそれは、エルセリアを安全な箱に閉じ込めておきたいという、彼自身の深い傷からくる悲鳴でもあった。
彼女は、震える彼の手を優しく握り返す。そして、真っ直ぐに彼の瞳を見つめ、はっきりとした口調で告げた。
「——断るわ、ギル」
ギルベルトが、絶望に打たれたように息を呑む。
「……何故、ですか……。また、あの時と同じように、自分を切り売りして、誰かのためにボロボロになるおつもりですか!」
「いいえ。あの時とは違う。……あの時の私は、命令されるがまま、自分の居場所を守るために怯えながら力を差し出していたの。……でも、今の私は、自分の意志でここにいる」
エルセリアは窓の外、遠くに霞む枯れた大地を見つめた。
「さっきの女の子の手が、温かくなったの。井戸から水が溢れたとき、村の人たちが泣いて笑っていた。……それを見たとき、私は確信した。この力は、誰かに奪われるものではなく、私が私の誇りとして、救いたい人のために使うものなのだと」
エルセリアはギルベルトに向き直り、微笑んだ。
「私は逃げません。クレイウスを救い、堂々と胸を張ってセレンに帰ります。……ギル、私を信じて。今の私は、そんなに簡単に壊れたりしませんわ」
凛とした、揺るぎない拒絶。
数秒の沈黙の後、ギルベルトの肩からふっと力が抜けた。
「……あぁ……」
彼は深く頭を垂れ、彼女の膝に顔を埋める。そして、絞り出すような、けれど心底感極まったような声で溜息をついた。
「……やはり、エルセは、残酷なお方だ。……そんな風に、気高く、美しく笑われてしまったら……俺があなたに逆らえるはずがない」
顔を上げたギルベルトの瞳からは、先ほどまでの陰鬱な焦燥が消え、代わりに熱烈な——もはや信仰に近い——情熱が燃え上がっていた。
「……かっこよすぎます、エルセ。あぁ、今の凛としたお姿、肖像画にして俺の宝物に加えたい。全人類に、これが俺の主だと自慢して回りたい! ……逃げようだなんて、俺はなんて愚かなことを言ったのでしょう。わかりました。あなたがこの国を救うと言うのなら、俺はその足元に転がる石ころ一つまで粉砕して排除します」
(……あ、いつものギルに戻ったわ)
彼はエルセリアの手を握りしめ、恍惚とした表情で口づけを落とす。
「エルセがこの国の神になるなら、俺はその神殿を守る最も狂暴な守護者になります。……エドワード王子が不遜な態度を見せれば、その瞬間に彼の国を滅ぼして、エルセの踏み台にして差し上げましょう。あぁ、楽しみだ……エルセの覇道が始まるのですね!」
「……ギル、覇道ではありませんし、王子を台にしないでね」
隣で一部始終を見ていたマルタが、深い、深ーい溜息をつきながら窓の外を見た。
「……やれやれ。お嬢様の男前な決意は素晴らしいですが、それによってこの狂犬のお嬢様萌えに火がついてしまった。王都に着くまでに、この馬車が彼の鼻血で沈まないことを祈るばかりです」
馬車は夕闇を切り裂き、クレイウスの王都へと向かう。
20
あなたにおすすめの小説
じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが
カレイ
恋愛
天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。
両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。
でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。
「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」
そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
3回目巻き戻り令嬢ですが、今回はなんだか様子がおかしい
エヌ
恋愛
婚約破棄されて、断罪されて、処刑される。を繰り返して人生3回目。
だけどこの3回目、なんだか様子がおかしい
一部残酷な表現がございますので苦手な方はご注意下さい。
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月 瑠々奈
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです
春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。
ここは通過点のはずだった。
誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。
触れない客。
身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。
「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」
突然の身請け話。
値札のついた自分と向き合う三日間。
選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、
通過点は終わりになる。
これは救いではなく対等な恋の話。
一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!
夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」
婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。
それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。
死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。
……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。
「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」
そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……?
「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」
不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。
死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!
どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~
涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!
わんこ系婚約者の大誤算
甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。
そんなある日…
「婚約破棄して他の男と婚約!?」
そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。
その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。
小型犬から猛犬へ矯正完了!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる