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第48話 呪われた精霊
しおりを挟むクレイウス王宮、神聖なる園。先ほどまで、エルセリアを依代として黄金の輝きを放っていた泉は、今や見るも無惨な変貌を遂げていた。
「お嬢様!? エルセリアお嬢様!!」
マルタの悲鳴に近い叫びが、静まり返った園に響き渡った。泉の底へ突き刺さったはずの光の奔流は、ある瞬間を境にブツリと断ち切られ、代わりに噴水のように吹き出したのは、どす黒い泥のような呪水。
エルセリアの姿が、突如消えた。彼女は、まるで泉そのものに飲み込まれたかのように、忽然と消えてしまったのだ。
「そんな……バカな。私たちの魔力が、弾かれたというのか……!?」
エドワードが自身の震える手を見つめ、愕然と立ち尽くす。常に冷静沈着、鉄の理性を誇る優秀な侍女マルタは、その場で膝を突き、紫に濁る水面を掻きむしるように手を伸ばした。
「お嬢様……お嬢様! 返事をしてください! どこへ行かれたのですか、私を置いて、どこへ……!」
その瞳には、今まで見せたことのない激しい動揺と、底知れぬ恐怖が宿っている。
マルタにとって、エルセリアは単なる主君ではない。反吐がでるほど汚い腐った社会で、唯一彼女が命をかけて守ると誓った、魂の拠り所だ。その主が、自分の目の前で消えた。それは彼女の世界が崩壊するに等しい衝撃である。
「しっかりしろ、マルタさん! 絶望している暇はない。エルセが、ただ飲まれて終わるはずがないだろ!」
カインが鋭い声で叱咤し、マルタの肩を強く掴む。だが、そのカインの碧い瞳も、周囲を警戒するように激しく動いていた。
「……何かが来るぞ。悲しむのは後だ、死にたくなければな」
カインが腰の短剣を抜くと同時、泉の周囲の空間が、ガラスが割れるような音を立てて歪んだ。
——キチキチッ、キチキチキチ……!
現れたのは、クレイウスの守護存在であるはずの精霊たちだった。しかし、その姿はあまりにも異様だ。透き通るはずの体はドス黒い呪脈に覆われ、虚ろな瞳からは赤黒い涙が流れている。彼らは正気を奪われ、侵入者を殲滅する生ける屍と化していた。
「……呪われた精霊たちか。なるほど、このタイミングで奇襲とはな。周到に計画されたものと思われる」
エドワードが腰の長剣を引き抜き、翡翠の瞳に冷徹な殺意を宿す。
「カイン、マルタ! 奴らを食い止めろ。この場所を守り抜かなければ、彼女が戻る場所もなくなる!」
襲いかかる精霊たちの動きは、生身の人間を遥かに凌駕していた。風を切り、土を操り、呪いの礫を放ってくる。
「……お嬢様を。私から、お嬢様を奪おうとするものは……例え神であろうと許しません」
マルタが、ゆらりと立ち上がった。その顔から表情が消え、絶対的な冷気が周囲を支配する。彼女は懐から無数の隠し針を取り出し、指の間に挟んだ。
「塵になりなさい。不潔な紛い物ども」
マルタの放つ針が、正確無比に精霊たちの核を貫いていく。彼女の戦い方は、もはや侍女のそれではない。冷酷な処刑人の動きだ。
カインもまた、踊るような足捌きで精霊の攻撃を躱し、急所を切り裂いていく。だが、敵の数は一向に減らない。それどころか、泉の奥からさらに巨大な、禍々しい気配が近づいてくるのが分かった。
「クソッ、きりがないな! ……おい、閣下! あの泉、さっきから様子が変ですよ!」
カインの叫びに、エドワードが視線を向ける。紫に濁りきっていた泉が今、内側から脈動するように激しく波打っていた。
——ドクンッ。——ドクンッ。
それは、地上の喧騒を圧するほどの、巨大な鼓動。
「……お嬢様?」
マルタが動きを止め、泉を見つめる。
違う。この禍々しい、しかしどこか覚えのある狂気的な魔力。彼女の愛すべき主のものではない。
「あいつだ……」
カインが、引き攣った笑いを浮かべた。
「ギルベルトだ。……やっぱり、そう簡単にくたばることはないよな」
その瞬間、泉の中から空を突き破るような咆哮が響き渡った。呪われた精霊たちが恐怖に身を竦め、王宮全体が地震のように揺れる。呪われた力とは異なるその大きな力に、活路が見えた。
マルタは再び針を構え直し、薄く微笑んだ。
「……狂犬。もしお嬢様に傷一つ付けて帰ってきたら、私があなたを処刑します。ですが……それまでは、この場所を死守してあげましょう」
地上での戦闘が、さらに激しさを増していった。
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