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アナザーストーリー

床屋のスタッフ

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 この道10年。
 自分で言うのもなんだけど、結構うまくやってると思う。お客も結構着いてきた。そろそろ資金も溜まったし、いい場所さえあれば独立も考えてる。
 そんな俺が、どうしてもどうにかしたいお客がいる。
 櫟さん。
 カルテによれば自営業で、髪型なんて結構自由にできるはずだ。なのに前髪にやたら拘りがあって絶対に切らせてくれない。本人から聞いた話によると、どうも顔を隠したいらしい。
 シャンプー後にあの長ったらしい前髪を上げた顔はすっきりとしたイケメンで、別に顔を隠す理由なんて全然見当たらないのに、いくら提案しても頑なに前髪だけは残すように言われてしまう。必然的にサイドも重めになりがちで、折角の男前が霞んでしまって非常にもったいないお客だ。
 その櫟さんが、困り顔で鏡越しに俺を見ている。
 えぇ、それは、その前髪は困るでしょうね。
 真ん中だけばっつり短くなったそれは、そこに合わせて整えたらどうやっても顔は隠せない長さだ。
 聞けば、お付き合いしている人…彼女にキッチンバサミでがっつり行かれたらしい。
 よくやった、彼女。キッチンバサミっていうのがパンクでいいね。あなたも俺の同志だったか。
 ここからは俺の領分だ。あなたがもう一度惚れ直すみたいな髪型にして送り帰すよ。
 俺は思案する。
 パーマあてるか?いや、この人の髪質だとすぐへたるな。
 長いサイドを生かしてのツーブロックにするか?違うな。この顔立ちだと輩みたいになってしまう。
 じゃあ、スキンフェイドのクルーカットにするか?似合うだろうけどこの人半年に一回くらいしか来ないから維持できないな。
 よし決めた。イメージは某映画俳優だ。
「じゃあ、この際なんで思いっきり軽くするのはどうです?」
 そう提案すると、彼は全てを諦めたような顔でこくんと頷いた。
 俺は頭の中でどこをどうカットするかをシュミレーションしながら鋏を構えた。


「お待たせしました。こんな感じでどうですか?」
 やりきった。こんなにやりがいのある仕事は久々だった。俺の短い理容師人生のなかではトップ5に入る達成感だ。足元には男を切ったのとは思えない量の髪が落ちている。
 鏡の中の櫟さんは唖然とした顔で自分の頭を見ていた。
 大丈夫、似合うから。かっこいいよ。
 全体的にかなり短く。コームオーバーにアンダーカットして長めからフェイドを入れた。こだわりの前髪はトップと合わせて思い切りいってやった。それを今日はちょっと艶消しのワックスでラフな感じでセットしている。言うなればメッシーコームオーバーってところか。
 ワックスなりポマードなり馴染ませて手櫛で掻き上げるだけだからセットもラクチン。
 これなら少々長くなっても前髪が顔を隠すこともないし、前髪を伸ばそうとして放置してたらサイドが鬱陶しくなってまたうちに来ないといけなくなるはずだ。
 なにより彼女が放置を許さないだろう。そんな気がする。
「…ダメって言ったら元に戻せます?」
 未練がましく鏡越しに俺を見る櫟さんに「無理です」と笑顔で返すと、彼は諦めたように立ち上がった。
 あとはまかせた。ここからはあなたの領分だ。俺は会ったこともない櫟さんの彼女にエールを送った。

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