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第1章 初恋の彼は、私の運命の人じゃなかった

Ep.53 宣戦布告

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 進路に石でもあったのか、ガクンと馬車が大きく揺れた。座席から一瞬浮いて滑り落ちかけた身体を、横からふわりと抱き寄せられる。

「あ、ありがとう」

「慣れない馬車だから揺れも予測しづらいんだろう、このまま掴まってるといい」

 腰に腕を回され抱き寄せられ、促されるままガイアのシャツをギュッと握りしめる。馬車が小さめなこともあって距離の近さが尋常じゃない。出発したばかりだけど、その前にも散々ドキドキしていたせいで既に頭が真っ白だった。

(わぁぁぁっ、距離は近いし、揺れる度にガイアが抱き寄せてくれるから余計に近くなるしもう心臓持たないよーっ!)

 刺激の強さに耐えかねて、しゅうぅ……とオーバーヒートしたままポスンと彼の肩に寄りかかった。

「どうした?酔ったか?」

「ううん、大丈夫……(ある意味酔ったけど、それは馬車にじゃなく貴方にです……!)」

 先日、腰まであった長い髪をバッサリと肩位の長さまで切ったガイア。そのせいか以前の中性的な美男子から、より男らしさが上がってカッコよくなった気がする。つまり、滅茶苦茶刺激が強いのです……!

 とりあえず、これ以上は本気で心臓が持たないので物理措置だ。彼の整い過ぎた顔を見ないように、身体を預けて寄りかかったまま目を閉じる。

(鋪装された道に入ったのか揺れもゆっくりになってきたし、ガイアの体温も暖かくて、ちょっと眠くなってきちゃった……)

 うつら、うつらと動くのをどうにか気力で誤魔化していると、隣からクスリと笑う声がする。そのまま、ポンと頭を撫でられた。

「良いよ、眠いならそのまま寄りかかってろ」

「でも、ガイアの方が寝不足、なのに……」

「俺も眠くなれば休むから大丈夫だ。王都まではまだ掛かる、無理すると後に響くぞ」

 いつの間にか腰から肩に移動したガイアの手が、ゆっくりと一定のリズムで肩を叩く。その感覚に、更に意識が遠くなってきた。でもこのまま甘えるのは流石に……。

「お前はいつも頑張りすぎなんだ、少しは俺に甘えろよ。……さぁ、ゆっくりおやすみ」

「ん、う……ん、おやすみ、なさい……」

 諭すような穏やかな声音に促されて、ゆっくり夢の中に沈んでいく。そもそもどうしてこうなったんだっけとぼんやり考えながら完全に意識を手放す直前、額に柔らかいなにかが一瞬触れたような気がした……。








 そう、セレンとガイアは今、国から派遣された馬車を使い王都へと向かっている。事の起こりは数日前の事……。


「スチュアート伯爵、お話があります」

 ガイアは久方ぶりにスチュアート家に帰宅していた伯爵。つまりセレンの父親の元を訪れた。件の記憶喪失騒動の少し前、彼は自分が原因でセレン達に危害が及ばないようこの領地から出ていく旨を手紙で伝えていた。それを撤回したいと申し出に来たのだ。
 事情の説明の為、セレンも同席している。いつもの娘によく似た穏やかな笑顔で迎え入れられた執務室で、二人は今回の騒動の一部始終と、今後もガイアがこの場所で暮らしたいと言う意向を伝えた。

 後は力なき若者の一存では決められない。俯いて沙汰を待つ二人の前で、伯爵はぽんっと手を叩いた。

「あーっ、やーっぱ君がエトワール領の跡取りだった少年かぁ。記憶戻ってよかったねぇ」

 あっけらかんとそういわれ、ガイアが目を白黒させる。

「え……俺、いや、私を以前からご存知だったのですか?」

「うん、だって娘の婚約者になるはずだった子だし、釣書で見た時の面影あるもん。いやー、去年君が屋敷に来た時から何となく見覚えあるなぁと思ってたんだよねぇ!」

「「こっ、婚……っ!?」」

 予想打にしていなかった単語に思わず顔を見合わせたセレンとガイアだがら互いに赤くなった顔を見られぬようパッと顔を背ける。
 そんな若い二人の恋路をニマニマ見守りつつも、伯爵は話を進めた。

「そうだよ~、そもそもお隣の領地なのにうちとエトワール家に関わりがなかったわけないでしょ」

 言われてみればその通りだ。何でそんな簡単なことに気づかなかったのだろう、と思わないでもないが、まぁ仕方がない。当時の二人はまだほんの子供だったのだから。

 まぁ何にせよ、父がガイアに予想以上に好意的でホッと胸を撫で下ろすセレン。けれどそこで、伯爵は『でも……』と、徐にテーブルの上で両手を組んだ。

「大変残念だけれど、このままガイアス君を我が家に迎え入れることは出来ない」

「ーー……っ!」

「なっ……っ!何故ですかお父様!」


 先程までの陽気な中年から一転。威厳を滲ませた領主の雰囲気で告げられたガイアが怯み、セレンはソファーから思わず立ち上がる。そんな二人を落ち着きなさいと嗜め、伯爵が机に飾られているスチュアート家の家紋を指でなぞる。

「12年前、エトワール侯爵家は賊の襲撃により領主が他界。まだガイアス君の養子縁組 も正式に発表される前の出来事だ。血縁者の居なかった侯爵家の爵位はどうなったと思う?」

「……資格を持つものが不在な上、領地を取り仕切る能力が無いと見なされ、国に返上した筈です」

「そうだ、屋敷こそ未だ健在で、君もこうして生きているが。エトワール侯爵家は没落した。今の君は、確かに高位な騎士ではあるが貴族ではない。そして、貧しくとも我が家は国家より正式に伯爵の地位を賜っている」

 『どういう意味か、わかるね』と言われ、頷いた。ようは、身分差の問題だ。今のガイアには、セレンに求婚する資格が、無い。

 ぐっ……と、膝に乗せていた拳を握りしめるガイア。疎ましかった、煩わしかった、ただの一度も望んで居ないまま与えられ、奪われた“貴族”と言う地位が、今度は、愛する女性との未来の邪魔をする。

 でも、それでももう、封じていた恋心には火がついてしまった。諦めるなんて、出来ない。


「……では、どうすれば認めていただけますか」

「ガイア!?」

 驚いたセレンがガイアを見る。彼の目は力強く、澄んで、真っ直ぐに伯爵を見上げていた。
 伯爵は対してにこやかに微笑み、さて、と改めて足を組み直す。セレンとガイアは、固唾を飲んで彼の言葉を待った。

「『君がセレンの護衛であるあと2ヶ月半の間に、エトワール家の復興、もしくは新たに爵位を賜るほどの功績を上げ正式な地位を得ること』。これが、君を今後も受け入れる条件だ」

「そんな……、無茶です!!」

 セレンは思わず立ち上がった。
 既にガイアはこれまでに国内で起きた大規模な魔物の暴動の鎮圧や王族の暗殺阻止等、かなり偉大な功績を上げた上で今の地位を得ている。

「それなのに今更、たった2ヶ月で……、しかも、こんな田舎の伯爵領でどんな功績を上げろと言うの!?お父様!」

「こらこら、落ち着きなさい。なにもここで上げろなんて言ってないだろう」

 にこりと笑った伯爵が、一枚の書簡を取り出した。

「今朝届いた王都からの書簡だよ。ガイアス君この間キラービーの女王《マザー》倒したでしょ?」

「あぁ、そう言えば倒しましたね」

 伯爵の言葉を肯定したガイアがポソリと『完全にただの八つ当たりでしたが』と付け足したが、セレンには聞こえなかったようだ。 
 隣できょとんとしているセレンから視線を逸らして黄昏るガイアを苦笑気味に見つつ、伯爵は続ける。

「その功績を称えて、君には国王陛下から褒美が出るそうだ。だから、王都に一度戻ってくるようにと連絡が来ている」

「ーっ!?じゃあ、ガイアは王都に行ってしまうのですか!!?」

「なーに他人事みたいな反応してるの。セレンも行くんだよ?」

「へ?」

 思わずパチパチと目を瞬かせたセレンに、父がきちんと説明してくれる。

「ほら、お前が証言を頼まれた裁判まであと2ヶ月程度しか無いだろう?だから、ガイアス君を王都に呼び戻すついでに、お前にも登城するように王命が来ているよ。『あとの2ヶ月間は王都に滞在し、専門医に記憶回復の治療を受け、裁判の場で最善を尽くすように』とね。ちなみに、治療時間以外は王都で自由気ままに過ごしていて良いそうだよ」

「……え、えぇ……と」

 父は『良かったね』と笑うが、セレンは答えに困っていた。なんだろう、話が上手すぎて罠の予感しかしない……と。
 ガイアも同じ気持ちなのだろう。助けを求めるようにセレンが視線を向けると、彼はやれやれと言った表情で肩を竦めて口を開いた。

「お言葉ながら、あからさまに陰謀が見えている呼び出しですね」

「そうだねぇ。だからこそ、今行くべきなんじゃない?ね、ガイアス君」

「え……?」

 言葉の意味にセレンが首を傾げるが、それを無視して伯爵は更に付け足した。『それとも、怖じ気づいた?ならセレンの事は諦めるんだね』と。
 それを受け取ったガイアの口角がほんの少し、上がった。

「まさか、ご冗談を。わかりました、その条件、この2ヶ月間の王都滞在で必ず果たして見せます」

「……っ! 」

 宣言自体は確かに父に向かっていた筈なのに、その真っ直ぐな瞳が、勝ち気な笑顔が、自分に向けられているような気がしてドキッと心臓が跳ねる。何とか気を落ち着かせねばと出されていたコーヒーを飲むが……
 
「いやぁ、いいねぇ、愛だねぇ!君ならそう来ると思ってたよ!」

「あっ、愛っ!?けっ、けほっ、ケホケホっ、コーヒーが喉に……っ!」

 逆に父のその茶化しに動揺して咳き込んでしまった。何とか呼吸を整えたセレンは、『王都滞在の用意があるので先に失礼します!』と真っ赤な顔のまま立ち上がる。

「それと、お父様ったらガイアにこれ以上おかしなこと言って困らせないでよね!」

 それだけプリプリ怒っていながら、扉は優しく閉めるのがなんともセレンらしい。それを見送ってから、伯爵がゆっっくりガイアに向き直った。

「え、……もしかして、まだ恋仲じゃないの?」

「くっ……、え、えぇ、まぁ。伝えようと試みたことはあるのですが、どうにも思うように伝わらなくて……」

 思わず愚痴をこぼしてしまってからハッとした。仮にも相手は自分の思い人の実父。この話題はさすがに頂けない。
 不快にさせてしまったのでは、と、俯いた伯爵の前でそぅっと立ち上がろうとしたら、いきなり両手を掴まれた。

「ーっ!?」

「ガイアス君……、その苦労、すっっっっごくわかるよ!!」

「……は?」

 身構えていた身体が一気に脱力した。唖然としているガイアを余所に、伯爵が一人ヒートアップしている。

「いやぁ、フィリーネさん……あ、うちの奥さんなんだけど、まぁ鈍感でさぁ……!正式に婚約出来るまで何回告白したと思う!?」

 それは、是非とも今後の参考にすごく聞きたい。しかし同時に、ものすごーく……聞いてはいけないような気がする。

「な、何回かかったんですか……?」

 結局、好奇心に負けて聞き返してしまった。パァッと顔を明るくさせた伯爵が、いそいそと隣の私室からワインを持ってくる。

「聞いてくれるの!?よし、じゃあ今夜は飲み明かそう!ガイアス君お酒飲めるよね!!?」    

 しまった、と思うがもう遅い。既に目の前には、赤ワインがなみなみと注がれたグラスが置かれてしまった。

「あ、僕立場的に君たちの“結婚”はまだ認められないけど、交際については邪魔しないから安心してね!告白は50回めからが勝負だよ!!」

 そう言われた瞬間、目の前のグラスのワインを一気に煽った。ダンッとグラスをテーブルに戻し思わず叫ぶ。

「だから!本当に気持ちが伝わるまで何回かかったんですか!!?」

「やっぱそこ知りたいよね!?よし、じゃあまず僕と奥さんの馴れ初めから……」

 










 翌朝。


「ガイア、お父様、そろそろお迎えの馬車が……って、きゃーっ!一体どうしたの!?」

 執務室のソファーでぐったりと姿勢を崩していたガイアが、セレンの悲鳴で目を覚ました。気だるげに頭を押さえて小さく唸る。

「一晩中伯爵の奥様との惚気話聞かされたわ……」

「えぇぇぇっ!?ごめんなさい迷惑かけて!こんなにお酒まで飲ませて、もーっ!」

「いや、まぁ俺一切酔わない体質だからそれ良いんだけどさ……」

 言葉を切ったガイアにじっと見つめられ、セレンがきょとんと首を傾げる。『立ちたいから手を貸してくれ』と言われたので、何の疑いもなく差し出した。

「……本当、隙だらけな奴」

「きゃあっ!!がっ、がが、ガイア!?」

 ……ら、そのまま腕を引かれて抱き締められた。

「悪いけど、俺手強い戦いの方が燃えるから。……覚悟しとけよ」

「へ……、え!?ちょっと……!」

 訳のわからない台詞を妙に色っぽい声音で囁いたかと思えば、ガイアは『俺も支度しなきゃ』とさっさと出ていってしまった。
 耳の奥に残る余韻に、火照った体温は下がりそうにない。


「王都ではずっと2人きりなのかな……!2ヶ月も心臓持たないよ……!!!」

 ガイアの身分、セレンの王太子とナターリエの婚約破棄裁判について、今のところ動きのないヒロイン側の動向など、不安なことを山ほどあるが。何よりも自分の恋愛偏差値の低さに今更不安になるセレンを乗せ、話は冒頭へ戻るのであった。

    ~Ep.53 宣戦布告~

『セレンがガイアのその言葉の意味を理解するのは、まだもう少し先のお話』

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