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5章 くノ一異世界を股にかける!

10 そのメールは突然に

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 葵たちが霊廟に向っている間、帝都に潜む闇が動き出していた。
 時刻は夜明け前の兵士や護衛たちが最も油断している時間帯。
 城の奥まった位置にある離宮に侵入者たちは手引きされ易々と侵入していた。

 数はたった五人。それでもいずれも手練れ揃い。
 率いるのは『双頭の蛇』と二つ名があるサミュ王子たちを道中で狙った暗殺者ギルドの頭領――『ギルス』だ。
 彼らは黒装束を身に纏い、しっかりと頭に叩き込んだ建物の図面と雇い主であるグラミスの差配によって手薄になった警備網を突き進む。
 ただし標的の寝室は警備のため日によって変わるようにされており、その詳細だけは分からなかった。


「(止まれ)」


 離宮を取り囲むような庭園の茂みに隠れギルスは小声で部下を止める。
 ちょうど警備の交代の時間だった。
 警備の兵士はツーマンセルの二人体制が基本であるにも関わらず、新しく交代でやって来たのはたった一人。病気での欠勤が今日に限って多くどうしても一人のみでの配置となってしまっていた。
 もちろんそれはグラミスの仕業だ。休んだ者たちは彼の息が掛かったもので、今そこにいる兵士はそうでない者。そういう差が出ていた。そしてその差がたった一人で警備を押し付けられた彼の人生の明暗を別けた。

 少しして周りに人気が無くなると同時にギルスは気付かれぬよう小走りで駆け出し難なく背後を取った。


「ぐっ! がっ!」


 後ろから首を鷲掴みにしもう片方の手で頭を無理やり押し込み骨を折る。
 ゴキリと嫌な音がして兵士は即座に物言わぬ屍と化す。
 それをギルスの部下たちが手早く茂みに隠した。
 まだ夜明け前での薄暗闇な視界不良の中、おそらく次の交代がやって来る数時間後までは誰にも気付かれないだろう。


「(行くぞ)」


 手短に部下に指示を与えギルスたちは目的の場所に進む。
 彼の目的とはグラミスに依頼された『暗殺』だった。
 標的の名は――。前王妃である。

 ワーズワースという町で起こった騒動で彼女の弱みを握り下手に動かないよう釘を刺したはずなのに、チャード家と通じサミュに味方しさらには王家に伝わる鍵まで託した。
 しかもグラミスはその鍵の存在を教会から伝えられたつい前日までその存在を知らなかった。だから腹いせに、そして今後の邪魔になりそうだと判断しての暗殺依頼である。
 お腹に新しい命が宿っていようが考慮するに値しない。それどころか未来の厄介ごとの芽を摘むぐらいの感覚でしかなかった。

 好きな人であればウットリとして何時間でもそこにいたくなるような幻想的な庭園を暗殺者たちは気にも留めずに無粋に駆け抜ける。
 外だけでなく離宮内もやはり手薄だった。
 グラミス派の者は別の場所に配置され、従わない邪魔者はこれを期に始末すればいいと孤立させられており、ギルスの手によって行き掛けの駄賃とばかりにその場で次々と息絶えていく。
 すでに何名もが誰も知らないままに亡骸となっていた。

 そして本来であればあり得ない速度でミュリカの眠る寝室へと辿り着かれる。
 その原因は部下に拘束させ猿轡さるぐつわをさせているメイドにあった。
 兵士だけではなくメイドも夜勤制で、途中で手頃な者を捕まえここまでの道筋を聞き出したのである。


「(中に標的以外の護衛はいないはずだが、もしいた場合はお前らで対処しろ)」


 部下に指示を出して音を立てないようにドアノブを回して開ける。
 中からは闇が零れ出てくる。廊下はランプなどが点々と置かれているためそれなりに明るいが、部屋の中はやはり真っ黒だった。つまり護衛はいないということだ。
 彼らは闇夜の中で動ける訓練もしているので僅かだけドアの隙間から入ってくる明かりと窓からの星の光だけで十分らしい。
 躊躇無く足を踏み入れすぐにベッドの傍まで移動する。
 
 
「(これが元王妃か。お腹に子供がいると聞くが運が無かったと諦めてもらおう)」


 豪華なベッドでスヤスヤと眠るミュリカは手を伸ばせば届く距離に暗殺者たちが接近していることに気付けない。
 そしてギルスは自国の元王妃と直系の王子になったはずの母子を殺める大罪に常識としての戸惑いはあれどそれで手を止める男ではなかった。
 それにここまで失敗続きでこれすらも失敗すれば用無しと判断され、グラミスの暗部を知る自分たちが始末されることは簡単に予想できたので仏心が生まれる余裕などもない。

 だから寝息を立ているミュリカのプルンとした唇に悲鳴を上げさせないよう手を当て、もう片方の手で腰に提げた短剣を握り――すとんと彼女の腹部に振り下ろす。
 首は血が飛び散って服が汚れ血臭が付くので狙わない。胸もろっ骨などが邪魔をして短剣では心臓を突き刺すのが難しい。狙うのは柔らかくて臓器もある腹だ。そこならば寝間着を着ているし羽毛の掛け布団ごと刺せば返り血も無い。
 まさしく人を殺すことを生業としたプロの技である。


「うっ!」


 ミュリカは腹を刺された衝撃で呻き彼の予想通りに事が運ぶ――
 なんと彼女の姿がグニャグニャと歪みやがて砂と化し、ベッドの上には砂の山だけが残った。
 その奇怪な現象を目の前にして、酸いも甘いも知り尽くしたと思っていたさしものギルスたちもぎょっと固まることとなる。


『その術は―【天空符】砂礫化人形されきばけにんぎょう―と言う。冥途の土産に覚えておけ』


 すっと入り口の天井に張り付いていた女性が降りてきた。
 着地は軽やかでそれだけで手練れと分かる所作だ。しかも露出箇所が多く北国である帝国ではめったに見ない褐色肌――景保の十二の式神の一人である『天空』である。
 ごくりと恐怖からか美貌からか誰かの唾を呑む喉が鳴った。

 が、見惚れるのは数秒のみ。
 最も近くにいた刺客二人が無言で動いた。
 暗殺用なのでメイン武器はショートソード。それを二人は同時に突き出す。
 

「がっ!」


 しかし呻いたのは男たちの方だった。
 天空は素早く膝を曲げてそれを躱し両手に持っていたナイフで彼らの喉を掻っ切った。
 刹那、糸が切れたマリオネットのごとく力を失くして地面に転がり死体が二つ出来上がる。


『婦女子の寝込みを襲う輩などに手心は不要!』


 普段、無口な天空だが妊婦を夜襲するという悪漢たちの仕業に怒っているようでいつもよりも口数が増えていた。
 彼女もまた善性の女性であり、そして敵対する者には苛烈であった。


「ちっ、三人で一斉に行く!」 

「わ、分かりました!」

「合わせろ、三、二、一!」


 ギルスは残った部下二人に指示を出し三人で突撃を掛けようとする。
 部下はたちは天空が相当な強さなのは見抜いていたから腰が引けていたが、だからこそ逃げきれないのは悟っていたし、そもそもここは敵陣でもはや死中に活を願うしか術がないと考え遮二無二突っ込んだ。
 もちろん多少意気が上がろうともそれらは天空の敵ではない。しかしここで彼女すら予想外のことが起こってしまう。


「う、うわあぁ!」


 最も驚いたのは部下の男たち。天空に切り掛かろうとした瞬間に後ろから何かの力が加わりつんのめってしまったのだ。
 これには天空もタイミングをズラされ斬るつもりが難しくなってしまった。
 仕方なく二刀のナイフで男たちの剣を弾こうとする。

 その硬直を縫って男たちの顔の間から抜き手が飛び出してきた。


『部下を盾に!?』


 可動域ギリギリまで顔を捻って天空はそれを回避する。
 いや薄っすらと赤い筋が浮いていた。皮一枚だけ切れたらしい。


「か、頭!?」

「なんで!」


 自分たちを肉壁の囮にしたギルスに部下たちは驚きと共に抗議がましい目線を向ける。
 それは完全に隙だった。もしそのまま二人で天空を体ごと羽交い絞めにしようとしたのであれば彼女も困ったことになったのだろうが、おかげで反撃のチャンスが生まれた。


『寝ろ!』


 ナイフを握った拳で部下たちの顎を素早く打ち抜く。  
 大して予備動作のないテレフォンパンチのようだが天空も超人に部類する能力がある。一撃で気絶させるのにじゅうぶんな威力があった。
 バタバタと殴られた男二人は気絶して豪華な絨毯の上に倒れる。


「ちっ、使えないやつらだ。せっかく有効利用してやろうと思ったのによ」

『自分以外の命は随分安いようだな?』

「そうさ、他のやつらは全て俺のための糧だ。命を消費して俺を生かすためのな」

『下衆が』


 背後関係を吐かせるために何人かは生け捕りにする必要があったが、すでに二人気絶させておりこの台詞でギルスを生かす価値を天空は一片も感じなかった。
 が、ふいに眩暈がしてふらついてしまう。


「ふふ、毒が回ったようだな。俺の二つ名は『双頭の蛇』。この二本の手は毒手と呼ばれ触っただけで相手を死に至らしめる。たとえそんな浅い傷であってもな」


 思わず天空が自分の頬を抑える。
 さっきの傷からギルスの言う毒が回ったのだということは分かった。


『それで?』

「それでだと? お前は徐々に力が抜け数分後には放っておいても死ぬと言っているんだ。俺の邪魔をしたことを後悔しながら死んでいけ!」


 致死性の毒に犯されているというのに天空の表情には陰りがなかった。
 しかしそれは彼女が虚勢を張っているだけだとギルスは断じる。
 こうして毒を受けたターゲットの中には自分だけは大丈夫だと謎の自信を持って信じない者も今までいた。けれどどんな人間も数分後にはそれが間違いだったと悔やみながら心臓が止まる様をギルスは今まで何度も見てきた。だから目の前の女もそれと同類なのだと割り切り勝利の確信を得る。
 

『自分の抵抗力を突き抜け毒を通したことだけは褒めてやる。が、世の中にはお前の想像を絶する毒があることを教えてやろう』
 

 言って天空は二本のナイフを腰のホルダーに納め素手になった。


「俺相手に素手だと? 舐められたものだ」

『―【天空符】毒砂手どくしゃしゅ―』


 天空が符術を使ったと同時に彼女の手は紫紺の色へと変貌していく。
 

「な!?」

『行くぞ!』


 天空の踏み込みは速い。
 元々室内でそれほど距離が離れていないこともあり、ほぼ一足飛びでもう肉薄した。
 辛うじてギルスはそれに反応してあらん限りの連打を打ち込む。
 しかしながらそれは全て空を切り残像にしか当たらなかった。


「ば、化け物め!」

『一人だと大したことはないな。融けろ』


 結局のところギルスが反応したというよりはあえて攻撃をさせたというのが正解だったらしい。
 詰まらないものを見るような冷え切った目線で天空はギルスの腹部に自分の抜き手を入れた。
 第二関節まで簡単に貫通し血が噴き出て彼女は離れる。


「ぐ、くそっ! し、しかしこういう時のために備えはしてある」


 言ってギルスが取り出したのは小さな液体の入った瓶であった。
 それはこの世界では最高級とされるポーションだ。
 天空の付けた傷が必要最小限なこともあり、腹に掛けただけで傷が塞がっていく。


「残念だったな。傷は塞がり俺に毒は効かない。当たり前だろ? 毒を使う過程でその抵抗力は完全なものになっている!」

『ほう。面白い』

「だが分が悪いようだ。ここは逃がしてもらう!」


 言ってギルスは天空が登場した時に放り出されていたメイドを捕まえ人質にした。


「~~~!!!」


 元々手を縛られ口も布を噛まされほぼ抵抗を許されないメイドは恐怖に体を震わせるが言うことを聞くしかできず助けてと目で懇願することしかできない。


『逃げ切れると?』

「今ならまだな!」


 今の内ならばまだ警備も緩い。
 一人で来た道をトンボ帰りするだけならなんとかなりそうだった。
 ギルスはそのままメイドを盾にして後ずさりしながら出口へと向かう。
 
 だが、あと一歩で廊下に出られるところで足が止まる。


「な、なんだ……体が……」


 急に体のふしぶしが熱を持つのをギルスは感じ始めた。
 まるで海で日焼けし過ぎて水膨れになったほどの痛みだ。
 ジンジンと血管が収縮してぼんやりと意識が混濁し眩暈すらする。
 

「あ……ああ……あぁぁぁ……皮膚が! 俺の顔が!」


 手で皮膚を触った途端、その頬がただれて落ちた。
 ドロドロになって肉がこそぎ落ち白い骨が奥にちらりと見える。
 だというのに痛みはそれほど感じていない。ただただ熱いだけだった。
 それは生物が持つ危険信号だ。脳内麻薬が分泌され痛覚が麻痺しているだけ。ギルスの体は刻一刻と変わりつつあった。


『それが本当の毒というものだ。毒に生き毒で死ねるのなら本望だろう?』

「こ、こんな……の……ぁぁ……」
 

 崩れる自分の肉片を見てギルスは嘆き後悔する。
 なぜすぐこの危険生物に気付いて逃げなかった(・・・)のかと。
 そうしてギルスと呼ばれた者はグズグズの肉塊となった。


『死して屍拾う者なし』


 天空がその死体の前で手を合わせる。
 静かな合唱だ。
 そこに廊下から足音がやって来た。


「天空! そっちに来たか」


 現れたのは景保と寝間着姿のミュリカとその手に抱かれたタマだった。
 

『お頭すまない。出来れば全員捕まえるというのは無理だった』
 
「それは仕方ないよ。暗殺なんてやってる人に手心を加える必要はない」


 死体の跡を見てぎょっとしたが景保の思考としてはそういうものらしい。
 少しだけ思うことはあるものの、因果応報だと結論付けた。


「あなたの言った通り本当に来ましたわね」

「嫌な予想でしたけどね」


 ミュリカに言われ景保は苦笑いを浮かべる。
 意外と報告だけは豆な葵からメールである程度の事情は知っている彼は、ミュリカが手薄になって狙われるのではないかと案じあえて葵と合流せず黙って一人で帝都にまで戻ってきていたのであった。
 離宮に勝手に侵入して初対面の人間を信用してくれるかどうかというのはかなり不安ではあったが意外とミュリカはそれをすんなりと受け入れた。
 理由は葵と同じ黒髪でありめったに見ない衣装であること。そして連れていたタマの存在である。幼い子を連れ立って悪さはしないだろうという思考とそのタマを見てきゅんとなった彼女の嗜好が功を奏した。
 一緒にベッドで寝るということを条件に、夜襲に備えて内緒で寝室を変えるという話を聞いたのだった。

 とりあえず、ミュリカ本人がいる方には景保が、そして元々の寝室には天空を配置することとなっていた。


「十中八九、政敵である他の大公からの差し金でしょうけれど、ここにいる彼らから依頼者を吐かせて追い落とすことはできますか? もしそれが出来れば儀式を続ける必要も無くなりますが」

「無理でしょうね。よっぽどの証拠が無い限りそんなことは不可能ですわ。……いえあったとしても国に忠誠を捧げ中立でなければならない儀礼長ですら買収されていた時点で司法のまともな裁きも期待できないですわ」


 それを聞いて景保はどこの国も清廉潔白という人間はいないんだなと独りごちる。
 

「さてこうまであからさまな襲撃を防いだ以上、こっちは当分何も無いとは思いますが、朝になったら可能な限り信頼できる護衛は増やしておいて下さい。このようなことがあればチャード家から人員を回してもらうことも簡単でしょう」


 離宮に私兵を置くというのは当然に反発があるものだが、警備側の落ち度で侵入をこうも簡単に許し景保がいなければ命が無くなっていた状況を盾に取ればそれも封殺しやすい。
 それに儀式が始まってすぐのことで、誰もがこのタイミングで暗殺者たちを寄越したのはグラミスかパラミアのどちらかだと楽に想像が付く。
 いくらなんでも第二弾はすぐにし辛いと考えるのが妥当な線だった。


「え? 今日一晩はこの子と一緒の約束ですわよね? それに襲われてこのまま一人じゃ怖くて眠れませんわ」

「え? あ、いや、そうですけど……そうですか?」


 怖いと言われても全然怖がってるふうには見えずに景保は変な聞き方をしてしまう。


「そうですわ! 帝国のために第一子は男子が欲しいのですが、実は私、娘と一緒に寝たりお茶会をしたりするのが夢でしたのよ」

『景保~眠いの……』


 ミュリカの腕の中でぬいぐるみのようにぷらーんと足と尻尾を垂れるタマを見ながらどうしたものかとポリポリと景保が頭を掻く。
 すぐさま次の行動へ移りたかった彼には水を差された気分だった。
 ただタマが眠気を抑えられないのも景保のせいでもあった。


「ずいぶんお疲れのようね。あなたたち遠くからいらしたのかしら?」

「えぇちょっと北の方から」


 この数日、葵と連絡をメールだけに抑えていた景保はブリッツとの再会の後に大急ぎでとあるに向かっていたのだ。
 そこで掴んだ情報は痺れるような内容であり、未だに頭の整理が追い付いていない。
 そしてお猿の籠屋を使い帝都近くまで戻ってここにやって来たという寸法である。


「(まぁ向こうには手を打ったからいいか。僕も少しだけ休ませてもらおう……)」


 このところ動きっ放しだった景保があくびをしながら頷いた。


□ ■ □
 
 彼方さんたちとの戦いの後、私たちは予定よりは遅れて休憩場所に到着した。
 夜になって晩御飯を食べ終わり今は交代で警戒しながら思い思いで明日に向けて備えているところだ。
 そう、明日の昼頃にはもう目的地の墓所に着く。そうしたらそこで最終決戦となるだろう。
 あのメンバー彼方さんたちに今の戦力で勝てるかどうかは分からない。それでもやるしかなかった。
 唯一のアドバンテージは鍵の存在。それが何を意味するのか定かじゃないけど何かにはなるはずだ。

 パチパチと暗闇の中で必死に存在をアピールするかのような焚火の火が爆ぜるのをじっと見つめる。
 旅をすることが多かったせいでこれももう見飽きるほど慣れてきた。
 ふと足音を感じると馬車からテンが小さな足で出て来るところだった。


『おう小娘、起きとったか』

「そりゃ当番だからね。寝るわけにはいかないわよ」


 夜の警戒は持ち回りで交代制になっている。
 お供がいる私たちは一人と一匹ずつ、アレンはツォンと、そしてミーシャとオリビアさんとクレアさん。
 五交代だね。


『ほうか』


 興味無さそうな返答をして小さなハクビシンは私の座っている丸太の横にちょこんとそのお尻を乗っける。
 丸太よりも足が短いから足をブランブランとさせそのまま無言のままだ。
 ちなみに私を挟んで逆側には豆太郎が器用に丸太の上で丸まって寝ている。


「美歌ちゃんは?」

『さっき寝た』


 あれから美歌ちゃんはテンを出来るだけ傍から離さないようにしていた。
 きっと眠ったから抜け出してきたんだろう。


「なに? どうしたの? なんか変よ?」


 この毛玉が何の用事も無しに私に近寄って来るというのがあり得ないことだ。
 それにあまり元気そうにも見えない。まぁ原因は分からないでもないけど。
 テンは自分のヒゲをしごくように触って焚火を見つめる。


『ふん……ワイかてたまにはしんみりしたい時ぐらいあるわ』

「あっそ」


 こいつと世間話をするほど仲が良いわけじゃない。共通の話題だって大和伝と美歌ちゃんのことぐらいで今話し込むものでもないし。
 なのでまた静寂が訪れる。
 あるのは火の爆ぜる音と風のそよぐ音ぐらい。

 そんな中、先に話を再開したのはテンの方だった。


『ワイは美歌ちゃんを悲しませてもうた。まさかあんなに取り乱すなんてな』


 鈴鹿御前から美歌ちゃんを庇った昼間のことを言っているんだろう。


「そりゃ仕方ないわよ。私だって豆太郎が斬られたら尋常じゃなくなるもの。というか霙大夫の時に一回体験しちゃったけどね」

 
 あれもまさしく背筋が凍るような二度としたくない体験だった。本当に豆太郎が失われてしまう手前だった。
 私たちの奮闘が足りなかったり美歌ちゃんの駆け付けるのが遅かったり、何か一つでも狂っていたら取り返しが付かなくなったかもしれない。そういう類の紙一重で掴んだ奇跡だった。


『美歌ちゃんはワイを庇って自分が刺されてんのに回復してくれた。それはごっつ嬉しいんやけど、でも相棒としては足を引っ張ってもうただけや。それが歯がゆくて悔しい』

「と言ってもその前のあんたの身を挺したのが無かったら美歌ちゃん自身がその場で危ないことになってたわよ。結果的には最善だったんじゃないの?」

『なんや小娘、変なもんでも食べたんか? お前がワイを慰めるようなこと言うなんて気色悪いな』

「あんたが言うな」


 せっかくフォローしてやったのにテンが怪訝な顔してからかってくる。
 まだいつもの彼に戻ってはいないが憎たらしさは健在らしい。


『美歌ちゃんは正直まだ子供や。だから守ってあげたいのにむしろ守られる側になっとる。それが悔しいんや。そういう意味では小娘がちょびっとだけ羨ましいな。それほどの力があったらワイは美歌ちゃんの横に立てるのに……』

「私はそんなに強くないよ」


 八大災厄どころかゴーレムですら美歌ちゃんがいないと死んでいたかもしれない。
 ブリッツとのタイマンだってけっこうギリギリだった。最後に想いとか経験とかそういうので勝てただけのただの辛勝だ、それに彼方さんのようなチート持ちもいる。 
 私が強いだなんて全く威張れない。


『それでも美歌ちゃんと一緒になって戦える。ワイにはそれはもう無理なんや。最初の頃はずっと付きっ切りやったのに子離れとちゃうけどワイが取り残されてもうた。もうずっとそうなんや』


 たぶんテンが話すのは大和伝のゲームの中の記憶と混同しているものだろう。
 お供は限界レベルが五十でストップする。だから意外と早くに一緒に戦うことはなくなるのだ。
 もちろんナビゲーターとしての仕事はまだ残っているのでそれ以外では役立つことは多いんだけど。


「でもそれはどうしようもないわよ」
 
『まぁな。ただのボヤきや。この世界におる女神様っちゅーのに出会えたらそういうのに悩んでるワイの願いも叶えてくれるんやろか』

「いれば、だけどね。あぁそれと会えれば、っていうのも付け足しか」


 結局のところリィム様ってのが実在するのかしないのかもよく分かっていない。
 この世界に来た時に出されたメールの送り主もそのリィム様なのかどうかもだ。
 まぁ神様レベルだといくらファンタジーでもそう簡単にコンタクト取れないのも理解できるけどね。

 テンはそこまで聞くと神妙な顔をして地面を見つめ出した。


『……これは勘違いかもしれんけど、たまーに妙な視線を感じることがあるんや』

「え?」

『薄っすらとな。どっかから覗かれてるような感触いうんかな。まぁ全く自信が無いし単なる気のせいで鳥とか動物とかの可能性もあるんやが』

「それは女神様が私たちを見てるってこと?」

『さぁな。そこまでは分からん。ホンマにそんな気がたまにするってだけや。現に豆坊主は何も言っとらんやろ?』


 言われてスヤスヤと眠る豆太郎を見ると気持ち良さそうに鼻提灯を出している。
 確かに豆太郎からはそういう話は聞いてない。けれどもしそういう視線を感じれば豆太郎が黙っているはずもないし、それはきっと他のお供たちもだ。
 誰からも聞いたこともなく、だったらテンの語るそれはやっぱり思い過ごしなのかもしれない。
 何となく気にはなったものの、確かめる術もないしこれ以上突っ込んで訊いても何も出てこなさそうだし気に留めるだけにしておくか。


『さてワイは戻るわ』

「そう」


 テンはぴょんと丸太から降りて二本足で地面に着地し、美歌ちゃんの眠る馬車の方を向いてこっちに顔を見せず止まる。


『……なぁ、小娘』

「なに?」

『もしワイがあかんようになったらお前が美歌ちゃんを守ってやってくれ。あの子は今、子供と大人の境目にいる。まだもう少しだけ支えてあげる存在が必要なんや』

「馬鹿ね。そんな縁起の悪いこと。もちろん私にできる限りのことはするけど、この世界で美歌ちゃんを一番大切に想ってるのは間違いなくあんたよ。あんたが頑張りなさい。あぁもちろん悲しませないようにね」

『……えらい難しいこと言ってくれるな。……でもせやな。阿保なこと言って悪かったな。昼間のことがあったからちょっと神経質になってるみたいや。とっとと寝るわ』


 手だけ振ってそのまま大股歩きで美歌ちゃんの元へと戻って行く。
 なんなのよもう。フラグみたいなの立ててくれちゃって。これで本当に何かあったら嫌味だけで済まさないんだから。

 しばらくするとまた足音。
 今度はアレンだった。


「よう」

「あれ? 交代の時間までまだあるわよ?」


 アレンもアレンで昼間からなんだか余所余所しかった。
 盛大にガルトとかいうおっさんに負けたからそのせいでナーバスになってるのかなとは思ってたんだけど。
 ちなみにツォンはクソクソと一時間ぐらい言いまくって発散し、その後は次は絶対勝つとか息巻いてすっかり負けの気分を昇華したみたいだった。


「あんまり眠れなくてな。だったらもう起きてようかって」

「ふぅん? お茶飲む?」

「あぁもらおう」


 焚火の傍には水と茶葉が入った鍋があって、夜番の人は飲みたくなったら火で適温に温めて勝手に飲んでね、って感じになってるのでそれを空いているコップに注いであげる。
 茶葉はこっちの世界のやつで紅茶っぽい味だ。砂糖を入れるとぐっと飲みやすくなる。
 VRMMOを始めてからインドアが多くなった私はキャンプとかなんてしたこともなく、こっちに来てからは新しく色んなことをアレンたちに教わったしお世話になったと本当に思う。
 焚火にくべる枝とかは乾いた枯れ木じゃないと煙がすごい出て使えないという基礎みたいなことすら知らなかったもの。
 
 渡されたカップをすするアレン。


「お前も飲めるものを作れるようになったんだな」

「いつの話よそれ」


 最初の頃に煮詰め過ぎちゃって飲めたもんじゃないのを作っちゃったことがあった。それを言ってるんだろう。
 まぁただ火であぶるだけのお茶すら失敗しちゃったのは私の料理スキルがゼロだったせいだ。今は一か二ぐらいあるよ、たぶん。
 

「お前らは本当に不思議なやつだな。馬鹿みたいに強いくせにお茶を淹れることすら知らない。獣人の村で異世界から来たって聞かされた時は驚いたが、変に納得はできた。あまりにチグハグだったしな」

「けなしてんの? からかってんの?」

「どっちでもねぇよ。ただ……」

「ただ?」


 なにやら言いにくそうに火を見つめるアレン。


「あの時は何も聞かなかったがお前らは何しにここにやって来たんだ?」

「何しにって別に理由なんて無いわよ。いきなり穴みたいなのに落っことされて気付いたらあの村の近くの森にいただけ。他のみんなもそんな感じらしいわよ」

「本当か?」

「? 本当よ。他に何かあるの?」


 嘘言っても仕方ないし、そんな必要もない。
 結果的にはリズのピンチを救えたし、こうして満喫はさせてもらってるからそう悪いことじゃなかったと思う。
 あ、そういえば私まだ帰るためのポーション持ってないんだった。まぁ今はまだいいか。


「いや……ただ……」

「ただ?」


 何か言いづらそうにしてでも喉から出てこない、そんな感じだ。
 アレンのそんなところは初めて見たかもしれない。雰囲気として近いのはカッシーラでミーシャたちを人質として脅された時だけど。


「ただ……ん? なんだ? こげ臭いぞ?」


 すんすんと匂いを嗅いで辺りを見回すアレン。
 あ、しまった忘れてた!


「おぉぉっとぉ、やばいやばい!」


 私は火の傍に置いといた枝を慌てて取って焚火の中から匂いの元を掻き出す。
 中からごろっと出て来たのは皮に包まれたこっちの世界の『じゃがいも』だ。
 見た目も味もほとんど変わらず、安価でどこでも売っていて腹持ちも良い最強野菜。ついでに言うなら芽さえ取ればこうして雑に焼くだけでいいってね。
 本当はサツマイモが良かったんだけどそこまでは見つからなかった。探せばどっかで売ってる可能性はあるかな?


「なんだそれ?」

「芋よ芋。焼き芋にしようと思ってね。良いアイディアでしょ? まぁアルミホイルが無かったから持ってた火耐性のある火ネズミの皮っていうのに包んでみたんだけど、あちちっ!」


 恐る恐る包んでいた火ネズミの皮を開いてみると湯気が出てちょっと焦げていた。
 それはそれで香ばしいし表面だけ削るぐらいでちゃんと食べられそうだ。
 テンとかアレンとか思いつめた顔して来るからすっかりこれ作ってたの忘れてたのよね。
 火耐性があっても一時間ぐらい突っ込んでたらさすがに中に火が通ってくれたし、時間の調節は覚えておこ。


「ふ、ふふふあははは! なんだそりゃ! お茶の次は芋かよ! くくくあはははは!」


 なんか急にアレンが笑い出した。
 ツボに入ったみたいで終わらない。なんかムカつく。笑い過ぎだっての。


「うっさいわね。あんたにはあげないからね」

「いひひひ! い、要らねぇって! あはははは!」


 一体何がそんなに面白いんだろうか。うっとおしい。


『ほわ? あーちゃん? あぁ! いいにおいがするー!』

「ありゃ豆太郎起きちゃった? もうアレンのせいよ。こんな中途半端な時間に起こしちゃって」


 起きて体をぶるぶると振って筋肉の凝りを取る豆太郎。
 この子は普通の子犬のようによく遊んでよく食べてよく寝る健康優良児なのだ。
 

「くくくく! いやぁそうだな悪かった! 俺が悪かったよ! 芋だけじゃあれだからお詫びに乾燥肉も入った簡単なスープも作ってやるよ。寝起きだけどお前も食うだろ?」

『やったー!』


 豆太郎がそれを聞いて尻尾を揺らし愉快に飛び跳ねる。
 なんだろ今のアレンはえらくテンションが高い。


「(芋一つで悪戦苦闘してるやつが世界征服とかどうかしてたぜ)」


 馬車に愛用の調理器具と食材を取りに戻るアレンは何か勝手に悩みが解決したのか晴れやかな表情をしてボソっとそんな独り言が漏れていた。
 訳が分かんない。

「ま、それはともかくせっかく出来たんだし冷める前に食べましょ。ほら塩を掛けまして、あーん」

『あーん。あふいけどおいひいね(あついけどおいしいね)』

「んぐんぐ。ちょっと焦げた代わりに香ばしさがあるわね。また料理スキルがアップしたかしら?」

 そんなアレンを見送りながら豆太郎と一緒に焼けたお芋を頬張ったり背中を掻いて時間を潰していると、ピコンと効果音が鳴る。
 メールの着信音だ。こんな時間に? 誰だろ? 

 メニューを開いて差出人を確認すると――


「え、嘘? うわ、これ……まさかの『』からだ」


 そう、この世界にやって来た時に一方的にメールを寄越してそれ以来、全く返事が無かったあの神様からだった。
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