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「どうかな? 今そのことをあなたに話して、あなたに嫌われないようにアピールしているんだ。……普段は自分の手柄だとか競争だとか、そういうものにはあまり興味も持たないようにしていたけれど、……あなたのことなら話は別なんだ」
「まあ。では私のことでは競争してしまうの?」
「もちろん。あなたの騎士にも負けたくなかったくらいだしね」
「聞いたわ。ダリウスはブレンダとの結婚式を挙げるのね」
「うん、とても驚いたけれど。まあ、私は彼のことをひどい目で見ていただろうしね。……正直、式を挙げたいのなら今すぐにでも支援したいくらいだ」

 ブレンダの懸念のとおり、フェルナンドはやはりダリウスが未婚でいることによい印象を持っていなかったようだ。

「フェル、第一王子殿下の婚姻式と同じ日程となると……」
「そうだね。昨日のことも考えれば、兄上の式については欠席もやむを得ないだろう」
「そのようなことが許されるかしら」
「少なくともユゼフィーナには許されるよ。あなたへの数々の無礼を到底見過ごすことはできないと陛下には再三に渡って書面でも説明しているし、陛下はすでに二度私との約束を反故にしているからね。それに何より、私とあなたはこの国の政務を十年以上も支え続けてきているから、陛下も私とあなたの両方を失うようなことにはなりたくないんだろう」
「そういえば前も言っていたけれど、陛下はあなたの願いを二度も反故に?」
「ああ。一つはあなたが王妃となるなら、この国の政務を支えたいという願いで、もう一方はあなたも見たとおりだよ。あなたと兄上を接触させないでほしいという簡単な願いだ。……どうやら陛下は散々私たちを振り回しておきながら、私たちを政務の補佐役に就かせることに何の疑問も持っていないようだ。本当にひどい話だが、私もあなたもずっとそれを許容してきた。その結果がこのありさまなのだとしたら、そろそろ私たちも好きにさせてもらっていいだろう?」

 フェルナンドは私が間違いなくその問いにうなずくということを確信しているような快活な笑みを浮かべていた。私の手を薔薇に触れさせて、楽しそうに首をかしげている。

 美しくも神のように心の広いフェルナンドは、悪魔のささやきによって壊れてしまったのだ。しかし、私はどうしてかその利己的な姿の方がより彼が人間らしく自由に、豊かに存在しているように感じられる。

 それならば、フェルナンドの言葉のとおり、私ももっと好きに生きていいだろう。

 触れた薔薇の花弁は柔らかで、顔を寄せると芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。フェルナンドと生きるうちに、ますます薔薇の香りが好きになってしまった。

 ゆっくりと顔を上げて、言葉を待つフェルナンドに向けてためらうことなく口を開いた。

「たしかにそれもそうよね? せっかくブレンダとダリウスのめでたい日なのだもの。お祝いにいかなくてはならないわ。……けれど私、私の知らないところでフェルがあのお方と……、聖女様と一緒にいらっしゃるというのがとても嫌なの」

 嫉妬をしているのだということを隠す必要はない。フェルナンドもそうしているのだ。当然のように主張すると、フェルナンドはやはり嬉しそうに表情を緩めた。

「あなたが嫌だというのにごめん……、すごくうれしくてね。謁見の間で彼女に触れたのは、ただ目の前で倒れる人を支えようと体が動いただけで、それ以上の意味はないよ」

 あのとき、フェルナンドは誰よりもミリアのそばにいたのだ。優しい彼なら当然目の前で倒れそうになる人がいれば手を差し伸べるだろう。そうだとわかっていても、私にとっては耐え難いことだった。

「それは……わかっているわ。でも嫌なの。わがままでしょう?」
「いいや。とてもよくわかる。あなたがもし、倒れようとする男に手を伸ばしたら……うん。正気でいられない。ごめん、ユゼフィーナ。本当に考えが足りなかったよ。あなたに嫉妬してもらえるのはとてもうれしいけれど、あなたをいたずらに悲しませたいわけじゃない。……素直に話してくれてありがとう。何も知らずにあなたを苦しめるのは私も耐え難い苦痛だ」

 一つひとつの言葉から、フェルナンドが真摯に私と向き合おうとしてくれていることが伝わってくる。嫉妬などという悪しき感情でさえ、フェルナンドは大切に包み込んでくれるのだ。

「ユフィ、あなたのことはなんでも素直に話してほしい」

 優しく囁かれる言葉に、静かにうなずいた。

 己から見た現実だけで他者の評価を下げようとするのは、神の道に反する行いだ。

 そうだとしても、これ以上愛おしい夫に私の苦しみを隠している理由はない。決意してゆっくりと口を開いた。

「ただ嫉妬をしているというだけじゃないわ。聖女様は少し不思議な能力を持っていらっしゃるというか……、フェルのことを道具のように扱うから嫌なのよ。はっきり言って、とても腹立たしいの」
「あなたがそこまで言うのはめずらしい。……どういうことなのか詳しく聞かせてくれるかな」

 ゆっくりと庭園を歩きつつ、自身が見聞きした彼女の言葉をなぞるように口にして、フェルナンドの部分では閉口してしまった。たとえ他の者の言葉であったとしても、それを口にするのはどうしても耐え難い。フェルナンドは私の様子を察知したのか、そっと私の手を握って柔らかな声で囁いた。

「確かに、あの日公園の薔薇庭園で見たミリア嬢の様子はまるで、普段の彼女とは別人かのように雰囲気が違っていたね。私もそれは気にかかっていたところだ。……ところでユフィ、私はどんなふうに言われていたのかな。あなたがそんな顔をするなんて、随分な言われようだったみたいだけれど」
「それは……、わたくし、とても口にはしたくないの」
「はは、でも聞かせて。嫌なこともうれしいことも、どんなことでも、あなたの心にあるものはすべて知りたいんだ」
「……『所詮は当て馬』ですって」

 なるべく意味が伝わらぬようにとつぶやく。しかし私の言葉を聞いたフェルナンドは一度私の答えを復唱し、声を上げて笑った。

「所詮は当て馬! それはものすごいたとえだ。つまり私は、兄上とミリア嬢の恋を誘発させるための装置のようなものだってことだね。……そうか、おとなしく遠くから見ているだけでは、種馬にはなれないってことだ」
「……こんなときにも賢いフェルが少しだけ疎ましいわ。……今聞いたことはすぐに忘れて。フェルのすばらしさは私がよくわかっているもの」

 たった一言でフェルナンドはその言葉の意味を的確に察してしまった。本人でなくとも吐き気に襲われるほどに許しがたい言葉だ。それなのに、フェルナンドは相変わらず笑みを浮かべながら私の手を握り、庭園をのんびりと歩いている。

 注意を促すようにもう一度「フェル」と声をかけると、彼は緩んだ表情を少しだけ引き締めて口を開いた。

「わかった。あなたがそう言うなら、極力忘れることにするよ。でもねユフィ、あなたの言葉を借りて言えば、そういう私は死んでしまったんだ。今の私はあなたの愛に許されて、解放された存在になった。あなた以外の人間など心底どうでもいい。あなたが気にするなら、もちろん金輪際ミリア嬢とも顔を合わせない。だけどユゼフィーナ、心配しなくていい。……あなたの心を傷つける者はたとえあなたがその傷に気付いていなくとも、僕がすべて排除するから」

 それは少し前にも聞いたフェルナンドの誓いだ。しかし、このときの彼の表情は、どこか鋭利さを感じさせる色を灯していた。

「もしもそういう方がいらっしゃったら、どうなってしまうの?」
「そのときは当て馬の脚に蹴られるだけだよ。……誰も蹴られることがないといいね。馬の蹴りはとても痛いそうだから」

 フェルナンドは至極穏やかな声色でそう言っていた。

 その時の私は、彼が誰かを攻撃するような日など来ないだろうことを願っていたのだ。彼は本来戦うのが得意ではないと言っていたのを覚えている。

 しかし、運命に見捨てられた私たちは、どうあってもいたずらをされる質のようだ。
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