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しおりを挟む「ユゼフィーナ! こっちへこい!」
「第一王子殿下っ、おやめください……!」
「早くついてこい!」
ダリウスとブレンダの結婚式は何の滞りもなく、第一王子の婚姻式の日と全く同じ日取りで開催される予定だった。
この日は第一王子の婚姻式を祝うためにどこの教会にも結婚式の予定は入っていなかったらしく、簡単に準備を進めることができたと聞いている。
フェルナンドも私の希望のとおり、第一王子の婚姻式には出なくともよいようにと陛下に掛け合ってくれたため、ダリウスとブレンダの式には、私たち二人を含む邸のほとんどの者が参加する予定になっていた。
フェルナンドに用意されたドレスを身に纏い、あとは彼の待つ部屋へ向かうだけのはずだった。
だが一歩足を踏み出しかけたところで、今日初めて世話になったメイドにハンカチで口元を覆われ、抵抗することもできずに意識を失った。
「クソ……っ! こんなつもりじゃ……」
次に目を開けると、私の目の前に飛び込んできたのは元婚約者の顰め面だった。
フェルナンドからプレゼントとしてもらったドレスは、いつのまに純白のドレスに替えられている。私が眠っている間に着替えさせられたのだろう。
それよりもなぜこのようなことになっているのか。状況もわからずディアドレから距離を取ろうと体を起こしかけた瞬間、ためらいなく手首をつかみ上げられ、説明もなく城の中を引きずりまわされている。
「殿下……っ、お放しください!」
「黙ってついてこい!」
「おやめくだっ……!?」
必死の抵抗をしている間に掴み上げられていた手が抜け、冷えきった地面に倒れ込んだ。慌てて逃げ出そうと体勢を整え直す。どうにか震える体を叱咤して立ち上がりかけ――しかしそのとき、私の首筋にひやりと冷たい何かが触れた。
冷たい何かは銀色の光を反射させている。それは間違いなく彼の剣だった。これまでどれほど疎まれようと、剣を向けられたことはなかった。しかし今の彼は何のためらいもなく私の首筋にそれを突きつけて言った。
「おとなしくしていろ、ユゼフィーナ」
「……このようなことは殿下にも許されておりません」
「ふん、そのような御託はどうでもよい。王位につくことさえできれば、俺は。……それなのに……っ」
「なにを……」
ディアドレが何に焦っているのかわからない。
彼は間違いなくこれから式典を行うであろう格好をしている。まさか私も数日眠り続けてしまったわけではないだろう。状況を察するに、彼は今日これから婚姻式を控えている。
そのはずが、どうしてこの王城で私の腕を引いているのだろうか。しかも私のドレスはまるで今日の主役の女性が着るドレスのようだ。
ディアドレは剣を突きつけたまま苛立ちながら私の歩みを急かし、王城の地下へと私を誘っていく。この先にある場所は、今日のような吉日にはふさわしくない。
まさか私を捕らえるつもりなのだろうか。しかしそれにしては私に着せたドレスが妙だ。混乱に耐えかね、恐る恐る口を開く。
「……聖女様は」
「だから今からそこにお前を連れて行くんだろうが! しらを切っても無駄だからな。お前がミリアに妙な術をかけたんだろう! さっさと解け!」
「術……? 何のことを」
「とぼけるな、これを見ろ!」
ディアドレは王城の最深部へと足を踏み入れると、ためらうことなく首に剣を突きつけたまま私の肩をきつくつかみ上げ、乱雑に投げ飛ばした。制御を失った体はあっけなく崩れ落ち、冷えきった床に皮膚が擦れた。しかし、痛みに呻いている暇もない。
――ここは王城の牢屋だ。
微かな記憶をたどりながら恐る恐るうつむいた顔をゆっくりと上げる。そして、その先に座り込む女性の姿に息を飲んだ。
「……聖女、さま?」
信じがたい光景に、ひねり出した声は力なくかすれていた。だがその人は、しっかりと私の声を聞き届けたのだろう。ゆっくりとその顔をあげた。
聖女ミリアにとっての今日は最良の日であるといえるだろう。そのはずが彼女の顔は散々不幸を嘆き、泣き続けた者のように悲壮で――なおかつ、私の顔を見上げると信じがたいものを見たような表情を浮かべた。
私を見上げたミリアは見る見るうちにその目に涙を浮かべて唇を震わせ、罪人のように声を上げた。
「サンクトリウス公爵令嬢……! ああ、わたくし、わたくしなんということを……! どのような言葉であなた様にお詫びをすれば……!」
これはいったい、どういうことなのか。
聖女は今日ディアドレと婚姻に至り、この国の王妃となるはずの尊い女性だ。そのはずが今の彼女は王宮の牢に入れられ、髪を振り乱しながら石畳の床に額を擦らせている。
「な、なにをしていらっしゃるのです。ミリア様、お顔を」
「いいえできません! ああ、わたくし、……わたくし、違うのです。決してサンクトリウス公爵令嬢のようになろうなどとは思ってもおりませんでした! これは……、これまでのわたくしは、すべて何者かの意志によって操られていたのです」
ひどく青ざめた様子で鉄格子へと顔を寄せたミリアは、とうとうその涙をこぼしながらしきりに謝罪の言葉を口にしている。
異様な光景を前に、指先に震えが走った。
この姿は私の知るミリアのものとはまったく異なっている。その瞳は恐怖に怯えながらも、私に縋るような色を灯しているのだ。
それはまるで傷つき死にゆくことを恐れる者が、聖力の施しを受けるその時を待ちわびる目のようだ。
一目で私に救いを求める者なのだということを察してしまう。
「ミリア様、いったいなにをおっしゃっているのでしょうか……?」
心音が不自然な音を立てていた。不吉な予感に震え――しかし私の震えを抱きしめてくれるような者はこの場にはいない。
ディアドレは忌々しそうにただミリアの姿を見下ろすだけで、彼女を解放するつもりも、この事態についての説明をするつもりもないようだ。
親を失った幼子のように震えて蹲るミリアは、私の言葉に縋りつくように震える唇を恐々と開いて彼女の身に起こった事実を口早に語った。
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