あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子

文字の大きさ
78 / 88
おさとうじゅういちさじ

1.

しおりを挟む


好かれている、と考えていいのだろうか。

圧力鍋に煮物を投入して火にかけてから、しばらくぼうぜんと考え込んでしまっていた。

遼雅さんにたくさん抱きしめられて、キスをされて、身体に力が入らなくなってしまったところで、どろどろにあまい声が囁いてくれていたような気がする。

夢のような音だったから、本当のことだったのか、すこし疑わしい気分だ。頬を抓ってみて、少し痛くてびっくりする。


「現実、かなあ」


ぐずぐずになって、答えることもできずにただ抱きしめられてしまった。しばらくしてチャイムが鳴ったら、遼雅さんは残念そうに「時間だね」と言って、身体を解放してくれていたような気がする。

ふわふわとおぼつかなくて、それからどうやって業務を遂行していたのかあまりよく覚えていない。

帰りがけに役員室へあいさつに行ったら、すこしだけ遅くなりそうだと言われたことは確かだ。


考え込んでいるうちに、煮物まで作成してしまった。

土日はじゅうぶんに残り物で過ごせてしまうかもしれない。

ぜんぜん、気分が落ち着いていない。そわそわして、胸がずっと大きな音を立てているように聞こえる。

遼雅さんのあつい拘束から解放される前に口づけられた薬指には、今、彼が選んでくれた結婚指輪が嵌められている。

いつも、帰ってきてすぐに嵌めるようにしていた。嵌め忘れると、遼雅さんはちょっと機嫌を損ねたような顔を作ってしまうからだ。

全部、遼雅さんのあまやかしだと思い込んでいた。


「う、うーん……。おちつかない、どうしよう」


ちょうど鍋の具合もよさそうで、静かに火を消した。

さっきからキッチンを行ったり来たりしていることに気づいてしまった。彼氏が来るのを心待ちにして、そわそわしていた姉みたいなことをしてしまっている。

ふいに思い至って、おとなしくバスルームへと足を向けた。


服を脱ぎながら、遼雅さんに体のあちこちを洗ってもらった日のことを思い出して一人で頭を振り乱した。


「うう、あー、やだ。はずかしい……」


何を思いだしているんだ。胸がくすぐったくて、どうにか忘れようと浴室に足を踏み入れた。


今日も遼雅さんはかっこよかった。

漠然と思いながら、身体を隅々まで洗って、ゆっくりと湯船に浸かる。瞼の裏には今日もやさしく微笑んでくれている遼雅さんがいて、ため息が出てしまった。

すこし前まで会っていたのに、もう会いたい。

おかしいなあと思うのに、こころの中が遼雅さんでいっぱいになってしまうから不思議だ。

薬指にかがやいている星のような指輪を透かすように天井にかざして見て、頬がほころんでしまった。

どんな理由だったとしても、遼雅さんと結婚できてよかったと思う。
とっくに好きになってしまっているから、もしも遼雅さんのこころが私と一緒じゃないのなら、正直に伝えて今後のことを遼雅さんに決めてもらおう。

一人決意して、笑ってしまった。


遼雅さんなら、私が好きになってしまったと言ったら、どうにかして私を好きになる努力をしてくれてしまいそうだ。そうしてくれたらいいなと思っている自分に気づいている。


「……ものすごく、あまえてるのに」


遼雅さんにはうまく伝わっていないのだろうか。

浴室から出て、寝室から持ってきていたルームウェアに着替える。タオルドライした髪をドライヤーにかけて、軽く乾き始めたところで玄関から鍵を回す音が聞こえてきた。

考えもなく、スリッパをつっかけて急いで歩いて、ドアが開かれる前に玄関の前に立った。

想像するよりも荒っぽく開かれた扉の先に、予想通りの人が立っているのを見つけたら、ついさっきまでの悩みなんて全部忘れて頬が勝手に笑ってしまう。


「遼雅さん」

「……柚葉?」

「おかえりなさい」


遼雅さんの目の前まで、あともう一歩踏み出したら、彼は私をまじまじと見つめてから、こわばっていた肩の力を抜いたように見えた。

かなり疲れてしまったのだろうか。

無意識にコートを受け取ろうと思って、両手の掌が出てしまった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻
恋愛
 桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。  父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。  理由は多額の結納金を手に入れるため。  相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。  放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。  地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。  

Princess story 〜御曹司とは付き合いません〜

鳴宮鶉子
恋愛
Princess story 〜御曹司とは付き合いません〜

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。 しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。 「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」 ――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。 なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……? 溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。 王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ! *全28話完結 *辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。 *他誌にも掲載中です。

君がたとえあいつの秘書でも離さない

花里 美佐
恋愛
クリスマスイブのホテルで偶然出会い、趣味が合ったことから強く惹かれあった古川遥(27)と堂本匠(31)。 のちに再会すると、実はライバル会社の御曹司と秘書という関係だった。 逆風を覚悟の上、惹かれ合うふたりは隠れて交際を開始する。 それは戻れない茨の道に踏み出したも同然だった。 遥に想いを寄せていた彼女の上司は、仕事も巻き込み匠を追い詰めていく。

エリート役員は空飛ぶ天使を溺愛したくてたまらない

如月 そら
恋愛
「二度目は偶然だが、三度目は必然だ。三度目がないことを願っているよ」 (三度目はないからっ!) ──そう心で叫んだはずなのに目の前のエリート役員から逃げられない! 「俺と君が出会ったのはつまり必然だ」 倉木莉桜(くらきりお)は大手エアラインで日々奮闘する客室乗務員だ。 ある日、自社の機体を製造している五十里重工の重役がトラブルから莉桜を救ってくれる。 それで彼との関係は終わったと思っていたのに!? エリート役員からの溺れそうな溺愛に戸惑うばかり。 客室乗務員(CA)倉木莉桜 × 五十里重工(取締役部長)五十里武尊 『空が好き』という共通点を持つ二人の恋の行方は……

処理中です...