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「辺境伯だなんて、荷が重いわ」
「元公爵令嬢の言葉とは思えんな」
ゆったりと王宮を出た二人は、ブラッド家の家紋が描かれた馬車に乗り、腰を落ち着ける。二人になった途端に距離を詰めて座りなおしてくるルイスを可愛らしく睨んだソフィアは、結局ルイスにねだられるまま、口づけを許した。
「ミュリや皆さまの大切な場所ですもの」
「貴女の永住の地でもある」
口づける合間に返される言葉に小さく笑ったソフィアは、足元にふわふわとした毛が触れていることに気付き視線を向けた。
「ライ、どうしてここに?」
「仲間外れは気に食わない」
ライは身体の伸縮を自在に操ることができるようになったらしい。極限まで小さくしていたらしい身体をソフィアと出逢ったころのサイズに戻したライは、寂しそうに拗ねた声をあげた。
ライは一足先に領地へ向かうよう、ルイスに言い含められていたはずだが、一度領地を見回り、二人の出立に合わせて戻ってきたらしい。
ルイスもライも、実に可愛らしいソフィアの愛する者たちだ。
「では、私の膝の上をどうぞ?」
「いや、それはダメだ。フィアが道中、疲れてしまうだろう。ライ、大人しく向かいの席に座っておけ」
「……過保護だわ」
北の魔の森は今や自然あふれる緑に覆われた爽やかな森となっている。十分に馬車で通ることができることを確認したソフィアたちは、これから4日の時間をかけて、彼らの領地となるフェガルシアへ向かう。
道の途中では、もちろん先王とオフィーリアの秘密の邸に顔を出すつもりだ。
「たどり着くころにはサクラも満開になっているらしい。……そのときにフィアが寝込んでいてはいけないだろう」
「寝込ませる理由はほかに在りそうだがな」
「……ライ」
近頃のルイスは、ライの小言につられて口数が多くなっている。ソフィアは自分だけが気付いているおかしな事実にこっそりと笑って、可愛らしく嫉妬する夫の手を握った。
「ルイス、ライとばかり仲良しなのね」
「……フィアはライの前で口づけるのを嫌がっているだろう」
「じゃあ、4日間は楽しくお喋りしましょう」
かたかたと揺れる馬車の中で、ソフィアが笑みを浮かべながら悪戯を囁いてくる。ルイスは可愛らしい悪女の囁きに頬を緩ませて、金糸のような髪を指先で慈しんだ。
「そうだな。フィアの話を聞いているのも好きだ」
「……ルイスも話すのよ?」
うっとりと目を細めたルイスが、ソフィアの頬を撫でる。強情な番が、ようやく己の腕に収まったことを確認したルイスは、躊躇うことなくソフィアの耳に唇を寄せて欲望を囁いた。
「ああ、そうだな。……夜もたっぷり、フィアの声を聞かせてくれ」
「んっ、ルイス!」
悪戯でソフィアの耳に齧りついたルイスは、外から聞こえる歓声に、ソフィアと同じく身体の動きを止めた。
明るい声が響いている。
馬車の動きは、心なしかゆったりとペースを落としていた。
ルイスはその耳で確かに外の声を聞き届けた瞬間、おかしそうに喉を鳴らして笑いだした。
「ルイス? これは、何の声かしら」
ソフィアは、なるべく人に気付かれぬように王都を出たいと願っていた。
いくら許されたとて、ソフィアはやはり、愛おしいものを失くした者たちの心を尊重したいとルイスに相談していたのだ。
ルイスはあれほどの民衆に認められながらも、まだ思慮深く他者を思うソフィアの心に甚く胸を打たれ、その通りに事を進めようとしていた。
——しかし。
「フィア」
「なに、かしら?」
「貴女はやはり、貴女が思う以上に周囲に影響を及ぼしながら生きていることを、自覚したほうが良いな」
囁きながら窓へ手を伸ばしたルイスは、目隠しのレースカーテンを開けて豪快に窓を押し開いた。
「ソフィア様~! ルイス様~! またすぐに帰ってきてくださいね~!」
「聖女様! 必ずや僕もフェガルシアに移住します!」
「ご成婚おめでとうございます! お幸せに!」
幾つもの声が叫ばれている。ソフィアはその声の一つひとつに吃驚し、目を見開いてルイスの身体に縋り付いた。
「これ、は」
「我が妻は聖女らしい」
ルイスに促されるままに顔を出したソフィアは、ますます激しくなる声に目を見張り、その中に、狐と熊の獣人の二人が担ぎ上げられているのを見た。
ソフィアは二人と目があった瞬間、ゆるゆると表情を緩め、輝かんばかりの笑みを浮かべた。
民衆の歓声は大きくなるばかりだ。ルイスは感激に泣き出しそうなソフィアの身体を抱きながら、延々と続く二人への祝福の道を眩しそうに眺めていた。
「美しいな」
「……とっても、綺麗だわ」
「フィアより綺麗なものはない」
泣き出しそうなソフィアを笑わせるためだろうか。ルイスは茶化したように囁いて、笑い続ける妻の唇にそっと口づけた。
歓声が鳴りやまない。
「フィア、愛している」
「……私も、ルイスを愛していますわ」
「ライよりか?」
悪戯を囁いたルイスは、いつものようにソフィアが微笑むのを見て、もう一度その唇に吸い付いた。
「誰よりも、愛していますわ。……ライには秘密にしてください」
こそこそと話すソフィアの声を聞き届けたライは、仕方がなさそうにため息をつきつつ、誰よりも表情を緩ませて二人の後ろ姿を見つめ続けていた。
この世に、ソフィア・ブラッドを知らぬ者はいない。
常に聖母のような微笑みを湛えながら何人もの獣人を救い、フェガルシア地を夫とともに豊かに治めた彼女は、見目の麗しい女神のような女性であった。
彼女の半生は悲劇のものであった。しかし彼女は常に希望を忘れず戦い続け、グランの民に幸福をもたらした。
ソフィア・ブラッドは知性に溢れる正しい女性であったと言われている。
グランの民は、その名にあやかり、女児にソフィアと名付ける者も多い。
しかし、彼女の姿を王都で見る機会はごく稀であったらしい。
彼女はフェガルシアの地を愛し、特にサクラが咲く季節は、日がな一日子どもたちとサクラを見上げて過ごしていたという。
また、彼女が外へ出るとき、必ずその横には、彼女を守るように立つ夫ルイス・ブラッドの姿があったという。
二人はグランの民の理想の夫婦として、信仰され続けている。
「ライ、それじゃあ、ここがお父様とお母様の秘密のお邸なのね?」
「ああ、そうだ。そろそろ帰ろう。フィアが心配する」
父と母の偉大なる逸話を好む可愛らしい幼子は、大狼の背に乗って、しげしげと森に建てられた小さな邸を見つめている。
「昔は誰も来られない森だったんだよね?」
「ああ、そうだ。まだ獣人が虐げられていたころは、腕輪の力に操られる者など、半日も立っていられないほどだった。人族の魔術師たちも体に変調をきたすほど恐ろしい森だ。さあ、帰るぞ」
ライが苦戦するほど、幼子は両親に似ている。知的好奇心が強い幼子は、ふむふむと首を縦に振りつつ、最も愛する大狼の背中を撫でた。
「でも、腕輪は今も騎士様たちが皆つけているよ?」
「ふん。主に憧れているのだろうな」
主の話では誇らしげな表情を浮かべる可愛らしい大狼だ。
差別の印とされていたバングルも、今やルイス・ブラッドが何よりも大切に装着し続ける姿を目撃した者たちが、力の象徴として嵌めるものとなった。
ルイス・ブラッドがその腕輪を片時も外さずにいる理由が、妻であるソフィアによって描かれた腕輪の彫りこみにあることが知られてからは、騎士とその恋人の愛の証として親しまれるようになる。
「ミュリア。さあ、もう帰るぞ。じきに日が暮れる」
「はぁ~い」
つまらなさそうに頬を膨らませたミュリアは、自身と同じ名を与えられた森にひっそりと建てられた邸をじっと見つめて、ふかふかのライの毛にしがみついた。
ライは、ミュリアの命が育まれた邸が今日もソフィアの魔法に守られていることを確認し、頬を緩めながら帰路を急ぐ。
「ライ! サクラ見て帰ろう!」
可愛らしい姫の要望に笑みを浮かべたライは、今頃真っ青になりながら最愛の娘を探し回っているだろう夫妻に仕方なく記憶を送ってやりながら、美しい森を駆けて行った。
ソフィア・ブラッドを知らぬ者はいない。誰もが口を揃えて言うのだ。
彼女はグランの聖女である、と。
(了)
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